16章 探索

鍾乳洞の中は思ったほど歩きにくいものではなかった。

「これってやっぱり、人の手が入ってるよね」

アイリスがぽつりと感想を口にする。

床は歩くのに支障がない程度に平らにされているし、天井にはところどころ光を放つ個所がある。

だが、電灯による光ではない。

発光する苔のようなものでも移植したのか。

…それにしても、静かだ。

自然なままの鍾乳洞なら雫が落ちる音くらいは聞こえるものなのだが、それすら響かない。

俺たちが何か物音を立てていれば、しばらくはそれが周囲に反響しているが、一行が口をつぐんで立ち止まれば、ほとんど完全な無音となるのである。

逆に、こういう音が反響する場所で戦闘になったら、俺の銃をそのまま使うことはできない。銃声で仲間の鼓膜を痛めるからだ。

…当然、そう予想してきたからにはあらかじめサイレンサーを取り付けてはあるけどな。

一方、天井も、高いところは先が見えないほどだが、低い場所はある程度天井が高くされていた。

これも、人が通るのに困らないようにしてあるのだ。

もう、鍾乳洞の探険ではなくなっている。これは人の作り出した迷宮と呼ぶ方が相応しいだろう。

大小様々な脇道はあるが、それはルリが幻惑の札でふさいでいく。

それによって、お札の存在に気がつかない限り、道をふさいだ壁はあたかも本物のように錯覚し、触れることさえ可能になる。

しかし、それがわかっていながら俺は心配でしょうがなかった。

ライトとともに起動させていたCOMPに、警報がわりにエネミー・ソナーを最大範囲で作動させたら、そこらじゅうに敵対反応が出るのだ!

ルリのお札は、生物の感覚はだませても、機械までだませるものではないのだ。

もし、護衛の中に機械的なものが紛れ込んでいたら、お札の幻惑効果が効かないことになる。

そんなやつが襲い掛かってきたら、幽霊のように、いきなり壁の中からすり抜けてくるように見えるのだろう。

俺はそれですらCOMPで察知できるが、仲間はそうはいかない。ありえないはずの奇襲を受ければ、皆が肝を潰すのは眼に見えている。

そうなったとき、俺1人で果たして全員を守りきることができるのだろうか?

と、そのときだ。

ビーッ!

左手のCOMPが耳障りな警告音を発した。静かな洞窟内に突然響き渡った雑音に、みんながびくっと首をすくめる。

「敵だ、近いぞ!」

焦りつつも、俺は皆に敵襲を告げた。その後で冷や汗をかく。

…びっくりした。

今のアラームがあれほどうるさいとは思いもしなかった。

次からは携帯電話の着メロみたいに音楽にしようか、しかしそれではアラームにならないし…。

だが、そんな間の抜けた感想に浸っていられるのはそこまでだった。

前方に小人のような人影が、2つ浮かび上がったからだ。これが護衛に間違いないだろう。見るからに華奢な体つきだが、動きが素早い。

俺たちに気がつくが早いか、まっしぐらに飛び掛ってきた。

「ミユキ姉、下がって!」

アイリスがするどく叫んで、電撃を放つ。

敵はそれをかわそうとして、なんと2発目の電撃に自分から突っ込んでいった。

「ふっふっふ、時間差攻撃…久々に決まったわ」

アイリスが会心の笑みを浮かべる。もっとも、そういうのは童顔の彼女がやったところで、凄みも何もありはしないんだけどな。

それはさておき、改めて護衛の死骸を観察した。

高圧電流のために身体のあちこちから煙を吹き上げているが、黒焦げとまではいってないため、相手の種別は簡単に判明した。

体表に微妙な光沢があり、それでいてざらざらしている独特のものだ。やはり、粘土を元として作られる造魔に違いない。

今のアイリスの電撃で簡単に倒れたということは、それほど強い護衛は少ないとみていいだろう。

さっきのエネミーソナーの反応は尋常ではなかったが、あれは相手の強さまで判別するものではない。
よほど遅れを取らない限り、こちらがやられることはないということか。

「オテさん、どうかな?」

俺が相手の正体を探っているのを見て、ミユキが声をかけてきた。

この先、どのくらいの強さの護衛と戦うことになるかを把握しておくことは、彼女に限らず全員に関わることだ。

「こいつらは、思った通り造魔の技術を応用して作られた、ホムンクルス…人工生命体みたいなもんだ。
 ただ、そんなに強い敵ではないな。こんな奴らばかりなら、俺たちが遅れを取ることはないだろうが…」

「だろうが、何じゃ?」

「若かった頃のこととはいえ、あの王大人が部下を失いそうになったというのは気になります。
 今のアイリスの魔法だって、全力で撃ったわけではないのに、こいつらは簡単に倒れた。この程度の護衛なら、100体いたって勝てるでしょう。
なのに、犠牲者が出そうになったというのは」

「…だから、何だというのじゃ」

そんなにせっつかれたって、こっちも困る。自分でも何がこんなに不安なのかわからないんだからな。

「なんと言ったらいいのか…。とにかく、今倒した護衛は小手調べという気がしてならないということです」

「なんじゃ、そんなことならとっくに覚悟できとるわい」

ええい、わかってないじじいだ。

「それに、ここまであからさまに人の手が入っているなら、罠や隠し扉が仕掛けられている可能性がある。
 そんなのに手間取っているときに、親玉級の護衛に襲われたり、数で襲われることも充分ありうるということを考えておいて下さい」

「あ…それは思いもしなかったわ」

ルリが完全に盲点を突かれたとばかりに言葉を漏らす。

「ねーオテさん、その自慢のCOMPに罠の場所とかがわかる機能はついてないの?」

アイリスが甘えた声で聞いてくるが、そんなご都合のいい話があるかよ。

「ない。敵の位置と周囲の地図を表示するのが精一杯だ。それにこいつはルリがお札でふさいだ道まで表示してしまうから、今はマッパーは切ってある」

「ちぇ、思ったほど役に立たない」

…まったく、好き勝手なことを。

それに、暗い中で長時間歩きつづけるのは神経にかなりの負担をかけることになる。できれば間違った道を通ったりしないで一気に抜けてしまいたいが…。

だいぶ暗がりに目が慣れていたとはいえ、こちらの明かりは俺のマグライト1本だ。

それに対して護衛は洞窟に適応するように調整されているはずだから、視覚以外の感覚器官が発達していてもおかしくない。

結局のところ、洞窟に元からある薄明かりは、周囲の状態がぼんやりとわかる程度で、侵入者が利用できるような都合のいいものではない。

…当然といえば当然か。

そんなことを考えている間にも、ルリはマグライトの明かりを頼りに小さなコンパスを覗いては方向を確認して、
自分たちが入ろうとする道以外の分岐をお札でふさいでいく。

「あ」

と、突然目の前のルリが立ち止まった。

現時点で考えうる危険に何があるだろうか、などと考えにふけっていた俺は気がつくのがワンテンポ遅れ、彼女に追突してしまった。

「きゃん!」

かわいらしい悲鳴をあげた彼女の髪からふんわりといい香りが漂い、腰のあたりのやわらかいふくらみがズボンを通して脚に伝わってくる。

「悪い、気がつくのが遅れた。いきなり止まって、どうしたんだ?」

「行き止まりよ。一つ前の分かれ道まで戻りましょう」

…普通なら、これだけで済むはずだよな。

横で一部始終を見ていたのがミユキとアイリスだったのが誤算だった。

「ちょっとオテさん、いくら暗いからって、今のは露骨すぎよ。ひょっとして、本当に彼女に気があるんじゃないの?」

「そうだよ、ライト持ってる本人が行き止まりに気がつかないなんて、そんなのあり?」

いつもの調子でぎゃーぎゃー騒ぎ始めたが、今はそれに付き合っていられるだけの余裕はない。

ここは、言うなれば敵のホームグラウンドだ。そこでふざけていたら、簡単に足元をすくわれる。

「…行くぞ。2人とも、まだ騒いでいるなら置いていく」

いつもと違うリアクションに、ミユキとアイリスはぎょっとした。

「わ、ちょっと、オテさん!?」

「怒らないでよぉ〜」

「怒ったわけじゃない。敵地の真ん中で必要以上に騒いでいたらどうなるか、わからんわけでもないだろう」

「…」

そう言った途端、2人とも口をつぐんだ。こいつら、やっと現状を自覚しおったか。

そうして、全員が後戻りし始めたときだった。

パタッ!

「誰だ!」

不審な物音が後ろの方から聞こえてきた。

足音にしては変な音だったが、俺たちが後退した途端に音がしたし、息を呑む気配もした。

ということは、誰かが俺たちを見張っていたということだ。でなければ、俺たちに存在を悟られたとわかった瞬間に逃げ出すはずがない!

「待て!」

「ワシが追いかける、明かりをよこせ!」

言うが早いか、今まで黙ってついて来ていた東鳳風破がマグライトをひったくった。

空港でも見せた自慢の脚力だ。足場が悪いわけではないから全力疾走しているはずの俺たちを、ぐんぐん離していく。

それに対して逃げ出した相手の方は、たいして逃げ足は速くないようだ。いや、むしろかなり遅いのではないか?

バサバサと妙な音をたてているし、走ってはいるようだが足音も乱れている。

いくらも走らないうちに、東鳳風破が簡単に追いついた。

「ワシらをつけてくるとはいい度胸だ、覚悟はできて…うむっ?」

「止めなさい、離して、やめて!」

彼の手にあるライトが激しく揺れるのではっきりとはわからないが、取っ組み合いを始めたようだ。

…どうも雲行きがあやしい。

こんな場面なら、追いついたら当て身の一撃でも見舞って、相手の動きを止めるのがセオリーだ。無論、東鳳風破がそんな基本を怠るはずがない。

つまり、東鳳風破をそこまで驚かせるような相手だということになる。

何をやっているんだ?…いや、相手は一体何者だ?

追いついた俺たちが見た相手は、気が動転していながらも整った顔立ち、丈の短い民族衣装の裾からすらりと伸びた脚、そして腕の代わりに純白の大きな翼。

「お前…ゴージャス男のところのコカクチョウじゃないか」

そう、昨日の戦いの直前になって、俺にいろいろと聞いてきた彼女だ。

俺は、東鳳風破からマグライトとCOMPを取り返して彼の横にならんだ。

「あなた、なんでこんなところに…、って質問はヤボよね。そんなドジをやらかして見張りが勤まるとでも思って?」

ミユキがややきつい声を出した。

「違うわ、あの男…ミカドの命令じゃなく、わたしの意思でここに来たのよ。でなければ、もっと洞窟で行動するのに適した悪魔をよこすのが普通でしょう!?」

「…まあ、そう言われればそうなんだけど」

ミユキが言葉に詰まった。確かに、コカクチョウの言うことは正論ではある。

羽根があることからもわかるように、彼女は空を舞うことで充分な実力を発揮できる。

一方、ここのような洞窟でなら、地霊と呼ばれる大地の精霊に属する悪魔を使えば、
壁を通り抜けたり地面に潜ったりするのも意のままだから、見張りにもってこいだ。

こんな洞窟に彼女を見張りとして送りこむのは、愚の骨頂とさえ言える。

地霊が持つ特殊能力を持ち合わせていないのは言うまでもない上、大きな翼がかさばって身動きが取れないし、
鳥目という弱点を持つから、さっきのように行動が大幅に遅れるためだ。

しかし、俺の推論が正しければ、あのゴージャス男ならそんな間抜けなこともやりかねない。

ヤツの行動には、根拠というものがついて廻ってないのだ。その場の勢いというか、気まぐれに任せて行動しているとしか思えない。

今から思えば、昨日は政府のトップにいきなり乗り込んだというが、それだってほとんど無意味に等しい。

相手にされるはずがないのだ。政治に関わるためには、それなりの後ろ盾がなければならないからだ。
彼女の言い分がまっとうだからって、当てにできるとは限らない。

だとしても、彼女自身は俺たちに敵意を持って接しているとも考えられない。

彼女を威嚇しないよう、自分と相手の顔が同時に照らし出されるような位置にライトを置いて、コカクチョウを尋問することにした。

「改めて聞こう。俺たちをつけて、どうするつもりだったんだ?」

「あなたのことで、確かめたいことがあったの」

「確かめたいこと?」

「今は言えないわ。本人に直接話してしまったら、意味がなくなるもの」

なるほど、一理ある。彼女の目的を意識して俺たちが行動しては、本来の行動とは違うところに行き着くかもしれないということか。

「それと。お前、ここには侵入者を排除する護衛があちこちにいるってわかってやってきたのか?」

そう聞いた途端、彼女の顔がこわばった。

「し…知ってるわよ。そのくらい、自分で何とかする自信がなければ、1人で来るはずないわよ」

こりゃ、明らかに強がりだな。

からかってみたら、どんな反応をするんだろう?

いかにも慌てた風を装って、俺は彼女にぐっと顔を近づけて鋭くささやいた。

「しっ、声が大きい!護衛に気づかれたら…」

もちろん、嘘だ。カマをかけたに過ぎない。というのに。

「ええっ!?そんな!」

慌てて周りを見回すコカクチョウ。もちろん、自分が鳥目で、暗がりでは目が利かないなどという事実は完全に失念している。

ここまで面白いようにひっかかるということは、こちらの事情をすべて知った上で乗り込んできたとは考えにくい。

「ね、ちょっと…。彼女、本当に敵の回し者なの?」

ルリが疑念に満ちた声で俺に聞いてきた。

そう、コカクチョウの行動は、最初に会ったときとは明らかに違ってきている。

つい3日前のことでしかないのだが、そのときはアイリスに仲の良かったモー・ショボーを盾にされて激昂し、話し合いどころの騒ぎではなかった。

それが、昨日は召喚主の行動に疑問を持つまでに至ったのだ。

さらに、見張りという名目ではあるが、今日は自らの意思で俺たちに会いに来ている。

悪魔にも自分の意志があるとはいえ、あそこまで明確に主とは違う考えを主張できるということは、彼女が突出した精神力を備えていることになる。

かといって、まだ彼女を全面的に信用するのはリスクが高すぎるし…。

結局のところ、監視も兼ねてこのまま俺たちに同行してもらうしかないな。

「その調子じゃあ、このまま進むのは無理だろう。俺たちと一緒に来てもらおうか」

無論、ミユキとアイリスはこの提案に難色を示した。

「待ってよオテさん、彼女をまだ信用するのは早いわ」

「うい。油断させておいて後ろからざっくり、なんていうのはよくあるパターンじゃない」

「確かにありがちだし、そういうケースも珍しくない」

俺の言葉に、コカクチョウが息を殺して落胆するのを見逃しはしなかった。暗くても狭い洞窟でお互いくっつきあっているのだ、そのくらいはわかる。

「しかし、仮にそうだとしても一度に全員を倒せるわけではないだろう。いったんばれたら、こんな逃げ場のないところで彼女が助かる方法なんてないに等しいぞ。彼女がゴージャス男に命を捧げてまで命令を全うするような女じゃないことは、みんなもわかってるだろう」

「…言われてみれば、確かにそうよね」

アイリスは俺の説得に頷いたが、ミユキは黙り込んだままだ。

かといって、反論もしてこない。どうしたというのだろう?

しかし、東鳳風破とルリは全面的に賛成してくれた。

「そうするのが今の状態では最善じゃろう。そもそも、ここで長居をするのは得策ではないし、あまり時間を無駄にもできんからの」

「そうよね、そういうことで手を打ちましょう。貴女もそれでいい?」

ルリのセリフは、後半はコカクチョウに向けられたものだ。そう言われて、コカクチョウもしばし考え込んだ、と思ったら…。

「…まあ、いいわ。いざとなったら守ってあげるからありがたく思いなさい」

ばった〜ん!

言った本人を除く、全員がコケた。

ここまで白々しい強がりを言うとは思いもしなかったぞ、こいつは〜。

「な、なによ、そんなにわたしの実力が見たいわけ!?」

自分でも白々しいとは思っていたのだろう。

一同の反応に対してにわかに憤り、コカクチョウは戦闘態勢を取った。しかし。

ごちん!

「いたた…」

彼女にとって戦闘態勢とは、宙を舞って空中から攻撃を仕掛ける態勢を取ることだ。怒りに任せて、洞窟の中で飛び上がれば、天井に頭をぶつけて当然だ。

「もうおふざけはいいでしょう、さ、いくわよ!」

ミユキが珍しく声を荒げた。誰かが怒らせたわけでもないのにそんな声を出すとは彼女らしくない。

が、その迫力に押されて、とにもかくにも一同は行き止まりを戻り始めた。

そして、俺は隊列を戻そうとしてミユキに先頭に立つように勧めたが、彼女は黙って俺の隣に並んだ。行きがかり上、コカクチョウがルリと並んで先頭に立つ。

…さっきからミユキの行動がおかしい。

どうしたのかと歩きながら、隣の彼女の横顔を伺っていると、向こうも気づいた。そして、俺の耳元に口を近づけてくる。

相変わらず恐い表情のままだから、何を言われるのかとびくついてたら、彼女の言葉は予想もしないものだった。

「御手洗さん…彼女に魅入られてるんじゃないでしょうね!」

え?

「さっきの説得で、みんなは気がつかなかったようだけど。あなた、悪魔である彼女に対して女呼ばわりしたでしょう。
 あなたが悪魔をそんな風に言うなんて、初めて聞いたわ」

「な…」

返す言葉が見つからない。

「今までのあなたの悪魔に対する態度は、たとえ仲魔であっても人間に対するそれとは、明らかに一線を引いていた。
 でも、彼女に対しては間違いなく人間として見ているわ。デビルサマナーにとって、
 悪魔に魅入られるということが、どういう意味を持つのかわからないわけではないでしょう?」

「ちょ、ちょっと待て…」

「あなたはわたしたちのリーダーなのよ。ある意味、わたしたち全員の命を握っていると言っても過言じゃないわ、しっかりしてちょうだ…!」

「もうそのくらいにしてあげて」

助け舟は前から聞こえた。

びっくりしてミユキから目をそらして前を見ると、コカクチョウがこちらを振り返っている。

コカクチョウだけじゃない、ルリもアイリスも、東鳳風破も足を止めて俺とミユキを見守っているではないか。

狭い通路だから、ひそひそ話でも周囲に反響して聞こえていたのだろう。

と、ミユキはこれ幸いとばかりにコカクチョウに向き直った。

「リーダーを押さえればわたしたちを出し抜けるとでも思ったのかしら、そうは問屋が卸さなくてよ」

彼女はあくまでコカクチョウを疑ってかかっている。

だが、今はいつ新手が襲い掛かってきてもおかしくないのだ。そんなことに時間を割いている余裕はない。

「待てミユキ、俺だって女性悪魔との交渉でその手のやり口は経験している。彼女が魅了しようとすれば、気がつくぞ」

「魅了された本人がそんなこと言ったって信用できないわ」

だめだ、俺では何を言っても通じない。

「やめんかミユキ。仲間割れしている場合ではなかろう!それに、ここまでの御手洗の判断はワシが見ても間違ってはいないぞ。やつは紛れもなく正気じゃ」

「そうよミユキ姉。そいつが魔法を使えば、あたしが絶対に見破るわよ。…ミユキ姉には悪いけど、そいつは今までそんなマネは1回もしてないわ」

「ミユキさん、落ち着いて。まだ何も被害はないのよ、今はここを抜けるのが先決…」

ルリたちの言葉は、ミユキの一喝で遮られた。

「わたしは彼女と話しているのよ、横からごちゃごちゃと口を挟まないで!!」

周囲の説得にもミユキは耳を貸そうとしない。

くそっ、こいつ、こんなに強情な一面を持っていたとは。こうなっては、俺たちは口出しするだけムダだ。なりゆきを見守るしかない。

「…」

当のコカクチョウは押し黙ったままだ。息の詰まるような1秒とも1時間とも感じられる時間が過ぎていく。

と、コカクチョウがついに口を開いた。

「どんなに言葉を重ねてもムダのようね」

お、おい!当事者がそんなことを言い出したらどう収拾をつけるんだよ!

「ふん、わかってるじゃないの」

あわわわ、ミユキまで!

すると、コカクチョウはミユキの返答に満足したように頷くと、くるりと一回転した。両腕の羽根が白い残像となって、一瞬彼女の姿が隠れる。

「何のマネだ!」

ミユキが身構える。攻撃の前触れとでも受け取ったのだろうか。

しかし次の瞬間、彼女は自分の目の前に現れたものに、完全に虚を突かれた。

それは他の者たちも同じだったが。

そこにいたのは―。

17章 決断

そこに立っていたのは、1人の女性だった。

顔と服装はコカクチョウのまま、脚のカギ爪と腕の羽根がなくなり、裸足のまま艶かしい二の腕をさらしている状態だ。

…むろん、コカクチョウが人間の姿を取っただけだというのは理解できる。人間世界に紛れ込むため、そういうことをする悪魔はむしろ多いからだ。

だが、この場面でなぜそんなマネをするんだ?

驚いたことに、COMPまでが彼女を人間と認識している。生体マグネタイト反応が悪魔を示さなくなったのだ。

「あなた、今のわたしの力がその機械で読み取れる?」

彼女は俺に向かって、そう言った。

「あ、ああ」

そう答えてデビルアナライズを起動してはみたが、COMPを操作しながらも俺は彼女の表情が気になった。

何の感情も見られなかったからだ。

悪魔であれ人間であれ、こういう表情になるときは限られている。

感情が限界を超えたときか、何らかの覚悟を決めたときだ。

そして、俺の推測は、COMPのデビルアナライズの結果が裏付けた。

「ただの人と変わらない…だと…」

つまり、彼女はある意味、自ら武装解除をしたということになる。それほどの覚悟を決めて、何を言い出すつもりだ?否、見当はつくが、まさか…。

「え、オテさん、それ、どういうこと?」

予想外のことが次々と起きるのでついていけず、ミユキが驚きの声をあげた。

だが、彼女に答えたのは俺ではなかった。

「決まっているわ」

コカクチョウだ。

「どうしても信じられないと言うなら、あなたの手でわたしを殺しなさいってことよ。これなら、あなたの力をもってすればひと捻り、でしょ?」

そう言ってコカクチョウは薄く笑った。その凄惨さときたら!

ミユキが一瞬たじろいだほどだ。

間違いない、彼女、ここで命を捨てる気だ!

もちろん、彼女が本気であることにミユキが気づかないわけがない。彼女は常に戦いの中に身を置いているのだ、敵の気迫が読めなければ生き残れない。

今度こそミユキはうろたえた。

「な…なぜ…なぜ」

口をついて出る言葉も、意味をなしてない。

が…そのうろたえぶりもしばらくすると影をひそめた。そして凄まじい形相で微笑み、コカクチョウを照準に捕らえて身構える。

「…いい度胸ね。ではお望みどおりに…!」

ミユキも本気でコカクチョウを手にかける覚悟を決めたのだ。

「よ、よせ、抵抗しない相手を本当に殺すつもりか?」

本来なら、俺が今ここでコカクチョウに有利な行動を取れば、それはミユキの意見が正しいと証明することになってしまう。

それすら忘れて思わず声をかけてしまったが、彼女にとってはもはやどうでもいいことだった。

「ミユキ姉!!」

アイリスが思い余って叫ぶ。

「はぁっ!!」

必殺の気合を込めてミユキが疾走した。

速い!

東鳳風破もかくやという脚の速さだ。そんなバカな、と一瞬目を疑ったが。

…そうか。

プロレスという格闘技は、ショーアップ性の非常に高いものだ。

プロレスの試合では、簡単に避けられそうな技をまともに喰らう場面をよく見るが、あれは子供向けのヒーロー番組で、主人公が何度もピンチに陥るのと同じだ。

つまり、相手の力を見せ付け、その上で自分がそれ以上の力で勝つという演出をしているのだ。

言い換えれば、戦闘という極限状況でそんなことをするのは、かなりのムダとわかっていて、敢えてやらかしているということになる。

が、ミユキはそのムダを実行しながらここまで戦い抜いてきた。それだけの基本的な身体能力を持ち備えているということだ。

そして、ここにきてコカクチョウを仕留めるためにムダを一切捨て去ったとしたら…。

常識では考えられないほどのタフさと戦闘力を持った、恐るべき刺客となる!

事実、東鳳風破でも、もはや止めるには遅すぎる。

彼女の真横に突き出した右腕が、雷光の速さを伴った死の鎌と化してコカクチョウの首筋に襲いかかる。首をへし折る気か。

コカクチョウはそれをじっと見つめながら、無表情のまま静かに目を閉じた。

「待てっ!!」

我を忘れて叫んだのと、ミユキの腕がコカクチョウの喉を捉えたのはほぼ同時だった。

ガツッ!

「うっ!?」

しかし、うめき声をあげたのはミユキのほうだった。

コカクチョウはというと、喉をなぎ払われて2メートルも後ろに吹っ飛ばされたものの、見かけほどダメージを受けた様子はない。

現に、首を押さえて痛みに顔を歪めながらも、立ち上がってきたではないか。

「なぜ…?」

ミユキは、怒りに満ちた顔をこちらに向けている。右腕がだらりと垂れ下がり、右肩を左手で庇っているのはどういうことだろう。

いや…彼女の視線の先にいるのは、アイリス1人だ。

今になって気がついたが、彼女はミユキに向かって右手を突き出したまま突っ立っている。対して、ミユキは庇っている右肩からうっすらと煙がたなびいている。

これは、もしかして…。

「ミユキ姉…やめようよ。そういうの、ミユキ姉っぽくないよ、やっぱり」

ミユキの怒りの凝視に射すくめられて真っ青になりながらも、アイリスは懸命に訴える。それに答えるミユキの声は、まさしく咆哮だ。

「そういう理由で…それだけの理由でわたしを撃ったの!?」

やはりそうか。

アイリスは、コカクチョウを殺そうとしたミユキを止めるため、右肩を狙って電撃を放ったのだ。

しかし、彼女の右腕がコカクチョウに当たったのとほぼ同時だったため、勢いを完全に削ぐことができずにコカクチョウを吹っ飛ばしてしまったのだ。

仲間に撃たれたということがショックを倍増しているのだろう、ミユキはまたもや激昂し始めた。

「あなた、あの悪魔がわたしたちのリーダーに何をしたかわかってるの!?」

「何もしてないじゃない!!」

間髪入れずに返ってきたアイリスの絶叫に、ミユキは束の間虚を突かれた。

「コカクチョウがあたしたちを撹乱しようとして、御手洗さんに魔法をかけていたんなら、命をかけてでも止めに入るわよ!
あたしが止めなかったらそいつ、死んでるのよ!?それでも御手洗さんは止めなかったじゃない!」

「…それは…」

「ミユキ姉!まだわからないの!?」

ミユキが口を挟むのをアイリスは許さなかった。ミユキを攻め立てる言葉が、堰を切ったように次から次へと出てくる。

「もとはと言えば、ミユキ姉の根拠のない思い込みから始まったのよ!自分の考えに酔いしれて、人の話を一切聞かずに暴走して!
 みんなが途中で黙ってしまったの、何でだと思ってたの?あのとき周りでいくら口を出しても、ミユキ姉が意固地になるだけだってわかってたからよ!!」

アイリスの声がだんだん泣き声になってきた。それとともに、ミユキの顔色が変わってくる。

「だっていうのにミユキ姉、身の潔白を証明するために死んだっていいって、そこまで言い切った悪魔を本当に殺しかけて、無抵抗の相手に技をかけて…
 あたしはそんなお姉なんか見たくなくて…それで…それで…」

「ごめんね、アイリスちゃん」

だんだんべそをかき始めたアイリスに、ミユキはついに優しい言葉をかけた。そして、おもむろにコカクチョウに向き直る。

「そして、…あなたも。敵対者の部下っていうことにこだわり過ぎていたみたい、わたし」

「信用してくれたならいい。今までのことは水に流す」

素っ気ない言い回しだが、コカクチョウはまっすぐミユキを見ようとしない。あれは絶対に顔を赤くして照れてるな。

ちょっと意外。…そんなかわいいところがあるとは思わなかった。もう少しからかってやろう。

「コカクチョウ、改めて言うが、俺たちと一緒に来てくれるな?」

「え、ええ」

こっちを向いた、整った顔は、思った通り赤くなっている。わざと声にだして言ってやったらどうんなるだろうか。

「おい、どうした?顔が赤くなってるが?」

「るさい!!」

ぶんとうなりをあげて飛んでくる右手。

しかし、あえなく空を切った。

断っておくが、俺がよけたわけじゃない。向こうが見当違いのところに張り手をかけようとしたのだ。

「…人間の姿をとっても、鳥目は相変わらずなんだな。…おっと、元に戻らない方がいい。洞窟の中なんだ、その姿の方が動き回るにはましだろう」

「ううう…」

目一杯くやしそうな顔をするコカクチョウ。…なんか、かわいい。

が、次の瞬間には、束の間であっても和やかだった空気が一変することになった。

「おしゃべりはそこまでよ!」

ルリが、急に鋭い声をあげたのだ。

同時に右手にお札を挟んで前方に投げつける。

「…!?」

彼女を除く全員が、一瞬、何が起きたのか理解できなかった。

そして、ボワッという破裂音。

「ギャワッ!!」

人間のものではない悲鳴が、それこそ立て続けに発せられた。

「しもうた、護衛に感づかれたか!!」

東鳳風破が息せき切って走った。あっという間に俺たちをすり抜けて、ルリの隣まで踊り出た。

彼女のすぐ目の前には、造魔のひょろ長い体が、先ほどの破裂でひしゃげている。…それにしても、お札を破裂させるとは。

道術に、そんな技があったかいな?

そんなことを考えている間に、新手が2体、前方から飛び出してきた。今度は、今まで倒してきた小柄なヤツと、初めて見るタイプの太った関取のような体格のコンビだ。

「ちっ、派手に騒ぎすぎたか」

あれだけ絶叫していたんだ、この袋小路に繋がっている通路の敵が全て集まってきたとしても俺は驚かないぞ。
…つまり、今目の前にいる新手のほかに、さらに増援もありうるということだ。

そんなことを考えていても、銃を構えた右手は正確に的を捉えている。

ブシュッ。

音の響く空間で派手に銃声を立てて、仲間の耳を痛めたりしないようにとサイレンサーを付けた銃口からは、くぐもった音しか発せられない。

威力も幾分落ちることになるが、それでも小柄な護衛の機先を制するのには充分だった。

右肩を押さえて、声にならないうめきを上げる敵を、アイリスの電撃が見舞う。

小柄なヤツは、それで息絶えた。

が…。

「う、うおおっ!?」

関取型の造魔はそう簡単にはいかなかったようだ。今の、東鳳風破の意表を突かれたような叫びが如実に物語っている。

見れば、関取型の造魔は太い腕をぶんぶん振り回してミユキと東鳳風破を追い立てている。

ただそれだけなら難なく隙を突いて攻撃できるのだろうが、その速度がかろうじて目視できるというほどの高速であること、
腕をぶつけられた壁が簡単にえぐられるほどの破壊力を持っているとなれば話は違ってくる。

「これでは、近づけん」

東鳳風破がさらに1歩下がった。一方、ミユキは薄明かりの中で目を凝らして敵の腕の振りを睨んでいる。

彼女がぽつりとこぼしたセリフは度肝を抜くものだった。

「なんとか軌道を見切って押さえ込めば…」

な、何を考えているんだよ!

こいつ、岩肌をやすやすと削る凶器を自分の身体で押さえ込む気だ!ひとつ間違えれば即死するというのに!

「よせミユキ!危険すぎる、やつは両腕を振り回しているんだぞ!片腕に気を取られてもう片方にやられたら、命がない」

「うっ…」

ミユキは悔しそうにうめいて引き下がった。

プロレスでは、1対1だけではなくタッグマッチなど2対2、3対3の試合もある。しかし、基本的に目の前の相手にだけ注意していれば問題ない。

タッチもしないで相方が助けに入れば反則になるし、そういう場合は自分のパートナーが何とかしてくれるものだ。

多人数で同時にリングに上がり、自分以外すべてが敵になるという、バトルロイヤルという試合形式もあるが、残念ながら彼女にはその経験はない。

つまり、彼女にとって同時に2つ以上のターゲットの動きを追うことは、はっきりいって苦手な部類になるのだ。

第一、速さという点においては東鳳風破が数段上である。その彼が敵の動きを追いかねているというのに、ミユキがそれを凌ぐことは考えられない。

「オテさん!」

アイリスが気合のこもった声で呼びかけてくる。その顔と魔法を放つ体勢に入っているのを見れば、彼女が何をしようというのかは明らかだ。

魔法と銃で同時攻撃を仕掛けようというのだ。

「おしっ!1、2の…さんっ!!」

「ジオ・ラ!」

バシュッ!

アイリスの結句とサイレンサーの銃声が同時に響く。電撃は造魔の左腕へ、銃弾は振り回している腕のカーテンをかいくぐってヤツの胴体に吸い込まれた。

「…!!」

敵はうめき声とも咆哮とも取れる叫びをあげた。さすがに同時攻撃は効いたらしい。やったか!?

「きゃあっ!」

不用意に前に踏み出したミユキが慌てて飛びのいた。一瞬前まで彼女がいた場所を、敵の右腕が轟音を立ててなぎ払ったのだ。

さっきまでの奴らなら一撃だった攻撃が、効いていないのか!?

「グゥモォォォオオッ…!」

目前の造魔が唸る。言葉にこそなってないが、明らかに怒りのこもった雄叫びだ。

よく見ると、やつの左腕はだらりと垂れ下がっている。

電撃の命中した腕の中ほどから、うっすらと煙がたなびいているのがわかる。今までブンブン振り回しては壁にぶち当てていた、腕の先端には傷一つないというのに…。

…そうか、わかったぞ。

腕を振り回すだけで、岩肌をいとも簡単にえぐることができ、自らは傷つかない。

電撃でなら傷を負わせられるが、銃弾では効果がない。

つまり、奴は物理的な攻撃をまったく受け付けないかわりに、魔法のようなエネルギー変化を伴う攻撃には滅法弱いのだ。

俺も東鳳風破もミユキも、基本的には射撃や格闘など、物理攻撃が主体だ。あらかじめ銃に銀の弾丸でも装填しておけば話は別だが、今はそんな余裕はない。

となれば、取るべき戦術は1つに絞られる。

「アイリス、こいつに銃は効かん!魔法攻撃で押し切ってくれ!」

「了解!」

アイリスの返事が返ってきた。すぐさま、次の攻撃に移るべく精神集中を始める。

が…。

「ジ…きゃあっ!」

先ほどのミユキとまったく同じ悲鳴をあげて、彼女は、いや全員が後ろに飛びすさった。

護衛の造魔が地響きをたてて突進してきたのだ。当然、ダメージを受けてない方の右腕を縦横無尽に振り回しつつである。

「ちっ…」

アイリスが魔法をかけるには精神集中のため、どうしても動きを止める必要がある。後退しながらの魔法攻撃など、論外だ。

敵の足は速くはないが、こちらも敵の、腕を振り回す攻防一体のカーテンを崩す決定打がない。

これでは、いたずらに時間を潰すだけじゃないか。

と、思っていたら、予想外の展開を迎えた。

ドン!

背中に何か硬いものがぶつかる。

「え!?」

振り向いて、絶句した。

「か、壁だ!」

そうである。

もともと、袋小路から出ようとしたときに、入り口から敵が襲い掛かってきたのだ。

その攻撃に圧されて後退し、行き止まりに戻ってしまったら、逃げ場がなくなるのは当然である。

これは、非常にまずい。このままでは、目の前の関取モドキに全員撲殺されるのは明らかだ。

「こ、こうなったら…!」

ミユキが意を決したように1歩前に出た。自らの体を呈してでも敵の腕の振りを止めるつもりだ。

むろん、そんなことをすれば彼女の命はないし、その覚悟があることも彼女の顔を見れば明白だ。

と、そのミユキの行動に合わせるかのように、すっと誰かの手が伸びてきて彼女の右手に1枚のお札が貼られた。

貼ったのはもちろん、ルリだ。

「説明している時間はないわ、そのお札で攻撃して!!」

何のつもりかと、束の間動きが止まったミユキに向かってルリが絶叫する。

彼女の顔も必死だ。造魔の腕が俺たちに届くまで、あと2歩。

もう迷っているヒマはない!

「いりゃああっ!」

さらに踏み込んでこようとする敵の、唸りを上げる凶器の動きに合わせてミユキが手刀を繰り出した。

今のお札にどういう効果があるのかわからないが、もし効かなかったら彼女の右腕はへし折れ、いや最悪の場合は切断される。

半ばヤケクソの手刀だったはず、だが…。

―サクッ。

妙に乾いた音がした、と俺には聞こえた。人間の腕が砕かれるのって、こんな音がするのか?

だが、現実はまったく逆だった。

「…!!」

擬音として聞き取りがたい悲鳴をあげてのたうち回る造魔。その右腕が、ミユキの手刀が命中した部分から切断されているではないか。

「う、うそぉ〜…」

ずどん、と鈍い音を立てて足元に落ちた造魔の右手と自分の右手を、ミユキは信じられないと言った表情で交互に眺めている。

そんなミユキの反応をよそに、ルリはさらに東鳳風破の右手にもお札を貼った。

「東鳳さん、止めを!」

「おう!」

ルリの声に反応して、敵の頭部めがけて、弾丸のごとき鋭さで宙を舞う東鳳風破。

その拳が、正確に造魔の頭を打ち抜いた。

パァン!!

風船が割れたかと思うような音を立てて、造魔の頭部が文字通り破裂した。狭い通路で音が反響したから、アイリスなどは反射的に耳をふさいでる。

頭部を失った造魔は、首から体液を噴水のごとく撒き散らしながら、地響きをたてて倒れた。俺の手元のCOMPからもマグネタイト反応は消えている。

やっとのことで、仕留めたのだ。

その胴体をつま先で蹴っ飛ばしつつ、ルリがぼそっと呟いた。

「はあ…虎の子のお札だったのにぃ〜」

今の大逆転劇を演出した功労者だというのに、彼女の声は暗い。

「お主、ルリと言ったか。今の呪符による支援は見事だったが、あれは一体どういうものなのだ?」

悪魔には危機を脱した放心状態、というものとは無縁なのか、束の間訪れた静寂をコカクチョウの静かな声が破った。

「…ああ、霊活符のことね」

話し掛けられたことで、にわかに立ち直ったルリが説明を始めた。

「攻撃を仕掛けようとする仲間の武器に、強力な思念を封じたお札を貼ることで、霊的な加護を与えるものなのよ。
 本来はたちの悪い悪霊や死霊を封じる際、腕の立つ武術家の力を借りる手段として編み出された技術なんだけどね」

そこまで言って、彼女は大きくため息をついた。

「これって、作るのがかなり大変なのよ。思念を封じるときに、少しでも邪念が入るともう使い物にならないし、時間だって結構かけないとだめだし…。
 あ〜あ、それを一気に2枚も使っちゃったのよ。補充することを考えると、頭が痛いわ」

ルリの嘆きに、コカクチョウの返答はあまりにもトンチンカンなものだった。

「なるほどな。力が足りない部分は、道具と仲間の力で補う、か。考えたものだ」

おいおい、誰が道術の品評をしろって言ったんだよ!?

案の定、ルリは一気に頭に血を昇らせた。

「何よ一体、あなた何様のつもりなの!死を覚悟するほどの決意でやってきたなら、さっきまでの戦いでも指を咥えて見てないで、何か手伝うという考え方が…」

「ま、待て、別にお前を怒らせようとしたわけではない」

ルリの剣幕に、コカクチョウは飛び上がって宥めようとする。確かに、非はコカクチョウにあったかも知れないが、今は急いでこの洞窟を抜けた方がいい。

「さあ、ケンカは後でじっくりやりな。ここを出ないことには、いつまた襲われるとも限らないぞ」

「ううう、いじわる。こ〜なったら、私もオテさんって呼んでやるわ」

こ、こら、ルリ!怒りの矛先を俺に向けてどうするんだよ!!

だが、俺の狼狽とはうらはらに、周囲には束の間、笑いがこだました。

「きゃはははっ、オテさんってほんっとーに女性に嫌われるんだね〜」

「自業自得というには酷かも知れんが、ルリの気持ちを考えると…無理もないかのう」

「わたしとルリさんとアイリスちゃんとでオテさんシスターズ、っていうのも悪くないかも〜」

「ミユキ姉、それはセンスが悪すぎるよ」

許せん、もうこいつらなんぞ放っといてさっさと移動しよう!

「コカクチョウ、先を急ぐぞ!!」

突然すたすたと歩き出した俺に、コカクチョウは慌てて声をかけてきた。…しかし、そのセリフが決して俺が聞きたくないものだったとは。

「あ、待て!ええっと、…オテ、さん、とやら?」

あにぃ!?

「こ、コカクチョウ、お前までそう呼ぶのかよ〜!!」

「あはははは、はははははっ…」

俺の涙混じりの絶叫に、周りの笑い声はさらに大きくなる一方だった。

18章 老人

しかし、関取モドキの護衛を倒した後は、30分以上歩き続けたにも関わらず他の護衛に襲われることはなかった。

依然として、ルリが側道をお札で塞いでくれているせいもあるのだろうが、あまりにも静か過ぎるのが逆に納得いかない。

COMPのマグネタイト反応は、相変わらずそこらじゅうをうろついているというのに。

ついつい、独り言が口をついて出てしまう。

「おかしいと思わないか?」

「は?」

つられて返事をしたアイリスに、歩きながらも自分の考えをぽつぽつと話しだす。

「俺たちがここまで倒した護衛の数が、たった4体ってことが、だ。
 いくら1体1体が強くても、あの程度の数なら、ちょっと大規模な戦力を送り込めば簡単に突破できてしまう。
 そんなもろい警備で、この奥に住んでいる老人は満足してるんだろうか?」

「うん、実はあたし…」

「それに」

何か口を挟みかけた彼女に気づかず、俺はさらに説明を重ねてしまった。

「いまだに、COMPに表示される反応はものすごい数なんだ。見てみなよ。
 …この、画面を4分割する十字線の交差点が現在位置なんだが、その周りの赤い点は全部敵の護衛だ。
 仲間の反応は青く表示されるから間違えることはない。
地形までは表示させてないが、ここまで歩くのにぞろぞろ出くわしてもおかしくない、とは思わないか?」

「…」

返事なし。

「アイリス?」

振り返ってこっちを見た彼女は、ほっぺたをフグのように膨らませていた。

「オテさん、説明終わった?」

そう言う彼女の声が、かなり冷たい。

「あ、ああ」

「そっ」

短く吐き捨てるように言ったかと思うと、ぷいっと横を向いてしまったではないか。

ちょ、ちょっと待て。何なんだ、そのつっけんどんな反応は!?

「ど、どうしたっていうんだよ!?」

「思い当たる節があるから、教えてあげようと思ったのに。オテさん、無視して気持ちよさそうに喋りつづけるんだもん。話す気が失せちゃった」

…ええい、まったく。

こういうときの女というものは、実に扱いにくい。いったん機嫌を損ねると、何を言っても逆らうようになるのだ。

ああして欲しかったのに、というからしてやればどっちでもよかったのに、と言うし、放っておくとなんでやんないのよ!という具合だ。

頭にきて怒ったりやりこめると、逆襲の矛先を周囲に向けてくる。

あの人ってこんなにひどいのよ〜、とかそういう内容をあることないこと取り混ぜて、だれかれ構わず言いふらすのだ。

そんな無用の災厄を被らないためには、形だけでも謝っておくしかない。

「わかった、わかった。気がつかなかったのは謝る。だから言ってみてくれ」

「や〜よ。心がこもってない」

このクソがきは〜、下手に出てればつけ上がって…!!

「この…!」

いや、待てよ。

何をやっても逆らうということは、もしかして…。

思わず振り上げかかった拳を、俺はすっと降ろした。

むろん、そんなことをしたところで彼女には爪の先ほどの威嚇にもならない。彼女を脅そうと思ったら、魔法と拳銃の撃ち合いをするくらいの覚悟が必要だ。

とはいえ、この行為の意味するところを図りかねたのか、彼女は首をかしげた。

「?」

「なら、別に言わなくてもいい」

「え?」

予想外の反応が返ってきた彼女は、思った通り両目を点にしている。

「言いたくないなら、しかたないと言ったんだ」

「ちょ、ちょっと〜、ホントにそれでいいの!?」

「しょうがあるまい、言いたくないんだろ」

最初は驚いた表情だったアイリスも、だんだんムキになってきた。

「なんでよ!?これがわかったら、後の探索がものすごく楽になるくらい重要なことに気がついたのよ!聞かなくていいの?」

「構わん、結果的に全員が無事ですむなら無理に知る必要もない」

「こんのォ…!」

ついに柳眉が吊り上がった。やば、焚き付けすぎたか?

「こうなったら、無理やりにでも聞いてもらうわよ!じつはねえ、さっきの太っちょの護衛、あいつがいればここの警備は事足りてしまうことに気がついたのよ!!」

お?

こっちで聞きたくないといえば、ムキになって向こうから喋ってくるという作戦が図に当たったこともあるが、それ以上にアイリスの発言は興味深いぞ。

「あたしたちは、この奥の老人に用があって、なおかつあ〜いったヤツらがうじゃうじゃしてるってわかってから入り込んでるけど、そうでなかったらどうなると思う?」

…何が言いたいんだ?

「興味本位でここに入った連中なら、最初の造魔を見ただけで腰を抜かして逃げ帰ってしまうわよ!違う!?」

あ!なんとなく彼女の言いたいことがわかってきたような!

「よしんばここを力づくで通り抜けようという酔狂なやつがいたとしても、普通の武器が効かないあの護衛が襲ってきたら、やっぱり逃げるしかないでしょう。
 もし、逃げずにあいつをやっつけてここを通り抜けることができたとすれば…」

「強敵を討ち伏せてでもこの洞窟を抜ける必要があり、かつそれだけの実力を備えた者。
 つまり、奥に老人がいることを知っていて、彼の力を理解できるだけの知識も持っていることを証明させるためということか。
 …なるほど、理にかなっておるわい」

東鳳風破が感心したように締めくくった。

なるほど。確かにそれが事実なら、必要以上の護衛は必要ない。

用のない連中を追い返したり、実力の伴わない連中を撃退できればそれでいいからだ。

実際、アイリスの指摘の鋭さに全員が聞き入ってしまった。

だが、それだと最初に聞いた王大人の話とは食い違ってこないか?それに…。

「待てアイリス。なら、このCOMPに映し出されているマグネタイト反応はどういうことだ。
 お前の説が正しいとするなら、他の側道にも護衛が山ほどうろついているという事実とは矛盾してくるぞ」

「あ、う〜んと…」

「それに、若かった頃の王大人たちが追い返されたという話とも合わないぞ。
 当時の彼が何とかして会って謝りたいといってたのに、どうにもならなかったほど護衛が強かったというのも、今の俺たちの状況と違っているし」

俺の指摘に、女3人は顎に手を当てて考え込んでしまった。

が。

「オテ…いや、召喚師よ。それは、その者に直接会ってみればわかるのではないか?
 どうやらその王という人物が入った時からかなり年月が経っていると判断したが、お前たちが会おうとしている老人とて、昔のままというわけでもなかろう」

なんと、コカクチョウが議論の突破口を開いてくるとは。

悪魔が人間の悩みに口を突っ込んでくるとは前代未聞だぜ、などとあきれていたら、次の瞬間、薄気味の悪いことを言ったが。

「今までの話を聞いていると、私には、お前たちが試されているように感じられるのだが」

「なに?」

俺の狼狽につけ込むかのように、さらにミユキが言葉を重ねる。

「試されているのだとすれば、御手洗さんの言ってた敵反応のことも説明がつくわ」

「ど、どういうことだよ!?」

「ダミーよ。最近は、目に見えなくても赤外線センサーなんかで生物の位置がわかる機械とかがあるっていうじゃない。
 ちょうどあなたが今そうやって眺めているように」

ぐ…なんかトゲというか、皮肉のこもった言い草に聞こえるのは気のせいか?

「そういう便利な小道具に頼り切って、見掛け倒しの脅しに騙されて逃げ腰になるような、
 そういう気の弱い相手かどうか値踏みされているとすれば、彼女の意見も頷ける」

「お、お前、ずいぶんな言われようじゃないか」

自分でも憮然とした顔になるのがわかる。

だってそうだろう。これじゃあ、こいつの言った通りにレーダーを見て怯えきっていた俺が、まるでバカみたいじゃないか。

「…でも、あなたは逃げ出さなかった。出てきた敵にも勇敢に戦った。試練には合格したって思っていいんじゃない?」

そういってミユキは軽く笑った。フォローのつもりか、このアマ!!

と、ムダ話はここまで言わんばかりに、ルリが場を仕切りやがった。

「さ、先を急ぎましょう。父を追い返した相手に、試練に打ち勝ったことを言ってやるのよ」

「そうね!!」

今度は、コカクチョウまで含んでの合唱だった。まったく。

…だが、それからいくばくも歩くこともなかった。

「む?」

前方に、かすかな光の点が見えた。

「御手洗、明かりを消してみてくれい」

東鳳風破が後ろからそう言った。どうやらほとんど同時に気がついたようだ。

パチッ。

乾いた音をたてて、右手のマグライトが光を失う。同時に、辺りはかろうじてお互いの顔が確認できる程度の闇が覆った。

…それもそうだ、向こうの光はまだ先の方だ。ここまで明るくなるほどなら、全員がイヤでも気がつく。

「おじちゃん、暗いじゃないの。どうして消すように言ったのよ〜」

アイリスがぶちぶちと文句を言い始めた。

「よく見てみい。前のほうに光の点が見えはじめてきたのじゃ。出口は近いぞよ」

「わっかんないよー」

「わたしも」

「…ごめんなさい、私も。確かに方角と距離から、もうすぐ外が見えてくるはずなんですけどね」

3人の女に次々に否定され、段々東鳳風破の顔が怒りで赤くなっていくのがこの暗がりでも読み取れた。

「残念だが、わた…」

「トリ目はでしゃばるでないわ!!」

さすがに、コカクチョウにまで言われるのは我慢ならなかったか、ばしりと遮った。

「いいから行こうぜ。ライトならもう一度点けてやるから」

そう言って、俺はライトを点灯しつつ先頭に立った。ミユキやコカクチョウの考えが正しければ、もう敵に出会う危険はない。

誰が先頭に立とうと、同じことだ。と…

「あん、待って〜」

がしっ。

「へ?」

意外なことに、コカクチョウが甘えた声を出して俺の左手を握ってきた。

「…やはり、人間の姿をしているだけで、視力まで同じというわけにはいかなくてな。この暗がりでは何も見えない。ここで明かりを見失ったら、わたしは…」

言い訳めいたことをぶつぶつと呟いている。俯いてはいるが、耳まで真っ赤になっているのは間違いない。

ついつい、苦笑がもれてしまった。

「しっかり掴んでろよ」

「…うむ」

たいめらいがちの感謝の言葉が返ってくる。

しかし、相手が悪魔だから当然のことだが、仲間の反応は冷たいものだった。誰もこの状況を見せ付けられて囃したてるものなどいない。

「御手洗さん、深入りしちゃだめよ」

隣をすれ違いざまにそう耳元で呟いたのは、言うまでもなくミユキだ。まだ根に持っている、というか魅了される可能性を心配しているな、こいつは。

だが、そんなギスギスした雰囲気も洞窟を抜けるまでだった。

明かりの方向に向かっていけば、てっきり洞窟から抜け出るものと思っていたが、俺たちを迎えたのは、そんな当たり前の結果ではなかった。

「な、なによここ…」

いち早く洞窟を駆け抜けたルリは、目の前の状況にしばし立ち尽くした。

「うわあ、外に出たかと思ってたのに」

続いてルリの横に並んだミユキも、呆れたような感心したような声を出した。

無理もない。

洞窟の先が、直径数キロに及ぶかと思われる吹き抜けの空洞だったのでは。

上空には巨大な穴があいていて、そこから雲が見えるのはもちろんのこと、そろそろ昼に差し掛かるから太陽光が差し込んでいるのだろう、
穴の一角が眩しいくらいに輝いている。

もちろん、その太陽光のおかげで中はかなり明るい。

その光を透かして、遥か前方には背後と同じ岩肌がそびえ立っているのが見える。

「これはまた…一種の閉鎖空間を作っていたとはなぁ」

思わずうめいてしまった。

地面は壁面と同じ岩のはずなのに、ところどころ土を盛ってあり、限られた太陽光で下草が育っている。
植物があれば、虫もどこからともなくわいてくるし。

コケ類は言うに及ばず、この空洞内に小川を真似た水路を作って、擬似的ながら生態系までも管理しているとは。

「静かだな…」

そうやって周囲をじっと見渡していると、動きらしい動きというものが意図して排除されていることに気がつく。

水路は水が緩やかに流れるようにほとんど平坦に掘られていて、場所によっては流れが澱んで水溜り状態になっているところすらある。

それに、動物がいない。目を凝らして見つめないと動いているのがわからない昆虫とか、そういうものしかここにはいないのだ。

ただ立って見渡していると、ここが洞窟の外に比べて、ひどく時間の流れが遅くなっているような錯覚を起こすのだ。

「ここって、ホントに人の手で作られた空間なのかな…」

誰が呟いたのかはわからないが、全員が同じ思いだったに違いない。

ここまで時間の流れを感じさせないほどの空間を望んだ老人の心境とは、どういうものなんだろう?

東鳳風破がため息とともに言葉を吐いた。

「造魔を使ってこの地を隠し、自らの望まないもの一切を排除した結果が、この閉鎖空間か」

…いや、ちょっと違うな。

本当に閉鎖されているなら、ここまで続く洞窟など必要あるまい。

おそらくは、足りないものを外部から調達するため、まだ洞窟を出入りする必要があるということなのだろう。つまりは、まだ完成ではないということだ。

尋常ならざるものの手で作られつつある、人外の楽園。

そんな言葉すら胸に湧いてきた。

そこに、コカクチョウがひときわ高い声を出した。

「あそこ、何か建物があるぞ」

「え、どこだ?」

よく目を凝らしていれば、200メートルほど前方に霧にまぎれるようにして白っぽい建物がひっそりと建っている。

俺たちは、申し合わせたようにお互いを見合わせた。

「霧ではっきり見えなかった、まさかあんなところに家があったなんて。…でも、ねえ」

「うん、これ見よがしに怪しいよね」

「まったくじゃ。あそこだけ、周りからかき集めたように霧が濃くなっているのは、どう考えても異常じゃわい」

「そんな子供だましで俺たちがごまかせるとでも思っているのか、あくまで人の立ち入りを拒むつもりなのか…」

「どちらにせよ、取るべき行動は一つよね」

「うむ。…行こう、あそこへ!」

コカクチョウの声に、全員がおう!と頷いて、走り出した。

さすがに足の速さでは東鳳風破が群を抜いている。皆が半分まで走るかどうかという頃には、既にたどり着いて他のものが来るのを待っていた。

「では…開けるぞ」

全員に確認してから、彼は高さ4メートルもありそうな扉を開いた。

ここまでは良かったが、その直後彼が口にした言葉…というか、雄叫びは全員の予想をはるかに上回るデタラメなものだった。

「聞けぇい!!我が名は東鳳風破、王飛雲にゆかりのある者じゃあ!彼の言葉を伝えるべく、ここの主を探してやってきた、尋常にであえぇぇいっ!!」

建物の中はおろか、空洞中に響き渡るような大声で怒鳴ったものだから、耳をふさいでいても頭にぐわんぐわん響いた。

そして、その直後の虚脱状態からくる沈黙。それを脱してもなお、何か彼に言っておかなくてはと全員が思いながら、あまりに常識はずれな展開に言葉にならなかった。

「な…」

「あ…」

「あの…」

「あんた…」

唯一、彼のデタラメぶりに慣れきっていないコカクチョウだけが、ショックを通り越して平常心を呼び起こされたのか、まともな返答をかえした。

「おまえ、…」

そこでいったんセリフを切ったかと思うと、すうっと息を吸い込んだ。

「ばかか〜っ!!それでは道場破りではないか、何を考えている!!」

「ばかとは心外な、これでもまともに挨拶したつもりだぞい」

「余計におかしい!一体日本ではどういう礼儀を…」

そこまで喋って、コカクチョウは突然言葉を切った。はっとしたような形相で建物の奥を覗き込む。最初は何が起きたのかわからなかったが…。

「ずいぶん騒がしい客だな」

しわがれ声とともに姿を現したのは、70歳になろうかと思われる老人と、彼の手を引いて隣にかしずいている若い女性だ。ともに、研究者を思わせる白衣を着ている。

「誰にも邪魔をされずに、ひっそりと余生を送りたいというささやかな望みを、何ゆえ打ち破らんとする?」

その声には、不思議な重みがあった。特に大声でもなく、力を込めて喋っているわけでもないのに、建物はおろかこの空洞中に響き渡りそうな印象を抱かせる。

実は、この時点で俺たちはある事実に気がつくべきだったのだが、それすら疑問に思わせなかったのだ。

それに、そんなことまで考える間もなく、ルリが老人の前に歩み寄って、一気にまくし立て始めた。

「老人、どうか聞いてください。私の父、王飛雲はかつてあなたにした非道をお詫びしたいと言っています。私は王の娘で、ルリと…」

そこまで言って、彼女はあっと声を上げた。

「いけない…私…」

そう呟いて、今度は何やら意味不明な言葉で…でもなかった、中国語で猛烈に喋り出した。

そうだった、ここは中国だった。

ころっと忘れてしまっていたが、ルリとて中国人である。

本来の自分の名前がルリではなく、ランファンであることを、今の名乗りでやっと思い出した、というところだろう。

そこで、相手も中国人であることに今更ながら気がついて中国語に切り替えたのだ。だが、老人の言葉はやや意外だった。

「日本語のままでよい。わしも若い頃は日本に出稼ぎに行ってたのだ、そなたの後ろの連中と同じくらいには喋れるよ」

「えっ!?」

驚くルリ。それとは対照的に、アイリスはぼやっと思い返す。

「あ、そういえば最初、あたしたちに話し掛けてきたときからずっと日本語だったよね」

「…言われてみれば、そうじゃわい。ワシが戸口で日本語で挨拶したから、合わせて日本語で…」

「アレが挨拶かっ!!」

すかさずコカクチョウのツッコミが入る。

「ま、待って、私が驚いたのはそれだけじゃないわ。
 造魔の技術は生涯をかけて研究して、やっとモノになるかどうかというほど難しいって言ってたじゃない、それを…」

ルリの言いたいことが理解できた俺は、彼女の後を続けてやった。

「若い頃出稼ぎに行くようなことをしてて、造魔を護衛にして洞窟を警備させるほどの技術を完成させられるわけがない、ってことだよな?」

「ええ、そう」

「それに」

俺は、老人の側でひっそりと立っている女性にぴたりと人差し指を突きつけた。

「護衛の造魔が造れる程度の技術では、彼女が造れるはずもないし」

この一言には、仲間たちのみならずコカクチョウ、さらには老人までもが目を剥いた。

「ななな、なんだって!?」

「彼女を造るって、…どういう…」

「ほお、お主、若いのにこのシャオメイを造魔と見抜くとは、できるの」

老人の感心したような言葉に、さらに全員が驚きの声をあげた。

…くそ。俺がそこの、シャオメイとかいう女の正体を暴いてみんなを驚かせたかったのに、自分から暴露するとは。

「…」

当の本人、シャオメイは、無表情で無言のまま立ち尽くしている。

そう、この一見感情がないように見えることこそが、擬人化した造魔の特徴なのだ。そこから造り手がマスターとなって、行動や思考、感情などを1から教え込んでいく。

こうした擬人化造魔の強みは、人間を遥かに凌ぐ強靭な肉体を持ちながら、普通の人となかなか見分けがつかない点だ。

人ごみの中でも目立たずに行動できる上に、マスターには絶対服従。

造魔を持つデビルサマナーにとっては、まさしく最後の切り札というべき存在だ。

無論、そこまで造魔を教え込むには、たいへんな労力と時間が必要だし、そもそも造魔自体が手に入りにくいから、はっきり言って理想論でしかないが。

「で、では一体、どうやってそんな掟破りの技術を開発して…」

ルリの動転しきった質問に、老人はいともあっさりと答えた。

「全ての技術を確立したのはわしではない。
 そなたの父に迫害されたのはわしの兄であり、彼がこの洞窟に引きこもって護衛を放ち、ここの空洞を改造し、さらにはこのシャオメイを造ったのじゃ」

「ええっ!?で、では、そのお兄さんは、今は…」

「1ヶ月前に死んだよ」

!!

こ、こんなことがあっていいのか!?

ルリの顔が、みるみる泣き出しそうな表情になった。当然だろう。

謝るべき相手が、やっとのことで手に届くところに来たと思ったら、もうこの世にいないなんて!

それだけじゃない。彼の技術の結晶である造魔を、何とかして譲ってもらうか貸してもらうかしなければ、ゴージャス男に勝てないというのに、その目算すら狂った。

捜し求めた老人の弟と名乗るこの人が、どれだけの知識と技術の遺産を受け継いだのかはわからない。だが、目的の1つを遂げることは永遠にできなくなった。

こうなればせめて、造魔だけでも手に入れたいが、本人ではない弟を前に、どう説得したものか。

いや、それ以前に造魔があるのか?もしもなかったら、造ってもらうことすらかなわない。そうなったとき、俺たちの背負う戦いの結果がどうなるのか…。

怪訝そうに見返してくる老人を目の前にして、俺たちはしばし返す言葉を持てなかった。

 

(・・・つづく)