19章 試練

捜し求めていた老人は、もうこの世の人ではなかった。彼の代わりに現れたのは、その弟だった。

…俺たちはもう、この事実を受け入れて先に進むしかないだろう。

俺はそう決心して、1歩前に出た。

「老人、まずはお名前を聞かせてもらえますか。私は御手洗 左京、ここにいる一同のリーダーを務めています。
仲間は、右からミユキ、アイリス、ルリ、東鳳風破、そして…」

後ろに並んだ仲間を順に紹介していって、左端まで来たところで、俺はわずかに口ごもった。

「リンといいます。洞窟に迷い込んだところを、この方たちに保護されました」

おっと。

さすがにコカクチョウの紹介をするのはまずいだろうな、この老人の悪魔に対する知識が未知数であ

る以上、『こいつは実は悪魔でして』、なんて言った日にはどうなることやら…。

などと懸念して、俺が一瞬躊躇したのを見抜いたのか、本人が自分から名乗るとは。

ただ、彼女が悪魔であるからには、とっさに偽名など思いつくことはない。

可能性としては、彼女の真名であることが考えられるが、悪魔は真の名において命令されたことには絶対に逆らえない。

そんな危険を冒すとは思えないが、だとすれば偽名なんてどこから思いついたんだろう?

俺たちの自己紹介が終わると、老人はおもむろに頷いた。

「ふむ。わしは…名前は捨てた。ネモとでも呼んでもらおう」

ネモ…か。

確か、SF作家ヴェルヌの名作、海底2万マイルの潜水艦、ノーチラス号の艦長が、同じような理由でやはりネモと名乗っていたっけな。

と、いきなりコカクチョウが憤然としだした。

「ひ、卑怯ではないか!こちらが名乗ったというのに、そちらは名前を隠すのか!?それでは対等の立場には程遠いぞ!」

「ならば、どうする?」

コカクチョウの激昂ぶりに対し、ネモ老人はあくまで冷ややかだ。

「どのみち、老い先短い我が身じゃ。そこまで頭に来たなら煮るなり焼くなり、好きにすればよかろう。もう俗世間に未練はなし、ここで息絶えようとも構わん」

「ぐっ…」

ネモ老人の言葉の中に何を感じたのか、コカクチョウは毒気を抜かれたかのようにおとなしくなった。

そういえば、さっきもこいつは、老人が姿を現したときに、ぎょっとしたような顔をした。

悪魔にしか感じ取れない、気配のようなものがあるのだろうか?

「まあよい、奥にあがりなさい。話を聞くとしよう」

ネモ老人はふと口調を変え、そう告げるとくるりときびすを返した。シャオメイもその後に従う。

「行こうぜ。俺たちの本来の目的は、これからなんだからな」

俺はつとめて語気を強めて宣言し、皆を促して老人についていった。

あまりの急展開に、全員がついていけてない。

洞窟内での激戦の後、この空洞で見せ付けられた閉鎖空間。

そして、目的としていた老人の死。

加えて言うなら、シャオメイが擬人化造魔だという事実もあげられよう。

どれひとつ取っても、驚くに値するものばかりだ。それがこうも続いては、全員の神経が持たないだろう。

しかし、ここでへこたれるわけにはいかない。目的を果たした後なら、こいつらを休ませてやること

だってできるはずだ。それまでは、なんとしても脱落者を出してはならない。

そう思えば、酷だとわかっていても激を飛ばすことになる。

「そうね…」

ミユキが俺に続いて、建物の中に踏み込んだ。

誰かが動けば、後はみんなついてくる。

足取りは重かったが、俺たちは1列になってネモ老人とシャオメイの後に続いた。

「さあ、ここでいいじゃろう。シャオメイ、彼らにお茶を」

客間と思われる、シンプルな内装だが調度類の揃った部屋に通されると、ネモ老人は造魔の女性に指示を出した。

ほどなく彼女は、かなり大きなお盆を抱えてきた。その上には、お茶と握りこぶし大の緑の球が人数分乗っている。

よどみない動作で全員の前に配ってくれたが、誰も手をつけようとしない。

造魔を造り上げた老人本人ではないとはいえ、このネモ老人も得体の知れないところがある。

何の疑いもなく彼を信用してしまうのは、どうにもためらわれた。

そんな俺たちの警戒感を感じたのか。

「一息つくとよろしかろう。そんな疲れきった顔をされていては、わしも身体にこたえるのでな」

老人はそういうと、自分の前に置かれた緑色の球を口に入れた。自らの身をもって毒見をしたぞ、と

いうのだろうか。いや、これは挑発か?

「では、遠慮なく」

俺はそう断って、同じように目の前の球を食べてみた。ほんのりとした甘味が舌に心地よい。

「…あ、なかなかうまいぞ、これ!」

「ほ、本当か、御手洗!?おかしなところはないのか!」

「はい、歯ごたえはコンニャクに似たものですが、甘味がありますし、疲れが和らいできます」

俺の感想に勇気付けられたか、ルリが湯飲みを手に取った。

「じゃあ、わたしはこっちを…!」

最初は一口、二口とゆっくりすすっていた彼女だったが、次第に一気飲みのペースに変わっていった。

そしてついには、どん!と音を立てて湯飲みをテーブルに置くと、

「あ〜おいしい、父さんの作る薬草酒に似てるわ。みんなも飲んで!」

見るからに朗らかな表情になって他のものに勧めてるではないか。

と、それを聞いたネモ老人は、初めて笑顔を浮かべた。そして、彼女に話し掛ける。

「そうか。王という人物が薬草を使う料理を得意とするのは兄から聞いていた通りだな。ではお主はまさしく彼の娘ということか」

「はい!」

父のことが話題になるのが、実は嬉しいんじゃないのか、こいつ?

ともあれ、これをきっかけにして全員がネモ老人の出したお茶をいただいた。

…確かに、王大人の作る料理に似ている。

味付けは総じて薄めで、中華料理というカテゴリにしては、むしろ異端というべきなのだが、とにかく食が進む。

何より、その料理を食べた時の回復力は目覚しい。食べ終わったあとの仲間は、みなその目に気力をみなぎらせている。

その様子を見て満足したように頷き、ネモ老人はいよいよ本題に入った。

「さて、では話を聞かせてもらうとしよう。一体何が目的で、こんな所までやってきおった?」

その目には、もう俺たちをいたわる優しさは無い。あるのは、無機質な観察眼と老人特有の倦怠感だけだ。

「最初に言った通り、父の謝罪の意思を伝えに来ました。
もう、あなたの兄上に直接伝えることはできなくなりましたが、せめて親族の方だけにでもお伝えしたいと思います」

ルリが最初に口火を切った。

が、ネモ老人の言葉は、彼女の期待を見事に裏切った。

「わしが聞いておるのは、そんな美辞麗句ではない。お主らの目的は、兄が残した造魔であろう!違うか!!」

それまでのネモ老人の静かな口調からは想像もできないほどの怒声だ。

ルリは、あろうことかその迫力に飲まれてしまった。

「な、なぜそれを…?」

うわあ、今の失言は最悪だぞ、ルリ!

「ふむ、やはりそうか」

ネモ老人は納得がいったという顔で俺たちを睨んだ。

ちくしょう、カマをかけられた。

さっきのネモ老人の推理は、何も根拠があったわけではなかったのだ。

老獪な彼は、俺たちがこうまでしてやってくるほど価値のあるものは何かと考えをめぐらせて、自分の兄が研究していた造魔だろうな、と見当を付けていたにすぎない。

そして、あたかも自分は何でもお見通しだ、というはったりをかけ、それに動揺したルリが自分から認めてしまったというわけだ。

「つまり、父親の言葉を伝えに来たというのは名目であって、本当の目的はそこだったわけだな。
年寄りだから簡単に口車に乗るとでも踏んでいたのか」

「い、いえ!そんなはずは…!」

ルリが必死に食い下がったが、老人はもう彼女の言葉は聞く耳持たぬ、とでも言うように目を逸らせた。

雰囲気のまずさを読みとって、アイリスが血相を変えて仲介に入った。

「ま、待っておじいちゃん!ルリさんの言い分も聞いてあげて!彼女も、決してウソは言ってないのよ、だから…」

彼女の必死の説得にも、老人の表情は動かない。

「わかっておる、そんなことは。わしは、お前たちが一度は徹底的にいたぶり抜いた兄が残した遺産を、今更のように狙いにくる理由は何だと聞いておるのだ」

そこでいったん言葉を切ると、ネモ老人は目を閉じた。

「…兄は、死の1歩手前まで王のことを恨みに思っていた。
自分の研究成果を引っ掻き回され、高価な試験設備、希少な実験材料、そういったものをことごとく踏みにじられた、とうわ言のように呟いていてな」

「…」

誰も口を挟まない。いや、挟むことは許されまい。

「それほどの挫折を乗り越え、この洞窟をやっとのことで改修し、研究の助手としてのシャオメイを完成させたのが2年前、
そして兄の積年の夢であった、完全な人造人間としての最高傑作を造り上げたのが、死の10日前だったのだ。
アレは、いわば、兄の人生そのものと言ってもよいのだよ」

そう言って遠くを見た彼の目に、涙がにじんだように見えたのは気のせいだろうか。

「それを、おぬしたちは横取り同然の形で掠め取っていこうと言うのだろう?」

「い、いいえ、そんなつもりじゃ…」

「まあよい」

ネモ老人、今度はアイリスを標的にしたのか。

相手をじっと睨んで反論できないように言葉を重ねていき、うろたえたところで緊張を緩める。

このやり方は…。

何か嫌な予感がした。

果たして、アイリスがほっとした瞬間を突くようなタイミングで、老人はくわっと目を見開いた。

「で、答えてもらおうか。お主たちが兄の遺産を横取りしようとする理由をな!!」

ネモ老人の気迫に、アイリスがびくっとすくみあがるのが傍目にもはっきりわかった。

まずいことに、老人の視線にどういう力があるのか、彼女は気が動転したまま無理やりに言葉を返そうとしているではないか。

「あ、あたしたちは、し、仕事でここに来たから、べ、別に遺産を横取りなんて…」

「やめて、ネモ老人!」

アイリスのしどろもどろぶりに耐えかねたのか、ミユキが間に割って入った。しかし、これこそネモ老人の思うつぼだった。

「おぬしも、仕事でここに来たというのか?」

「そうよ、わたしたちは基本的に任務で動いてます。増して、この子は未成年ですから、任務の遂行中は、わたしが責任を持ちます。
だから、自分から他人のものを横取りしたりなんてことは、ありません。どうか、わたしたちを信用してください!」

「では、仕事であれば、何でもするというのか!?」

「え?」

切り返すような老人の問いに、ミユキは言葉に詰まった。

そうか、老人のこのやり方は、誘導尋問の応用だ。

ミユキもそれに完全にかかってしまった。今のネモ老人の一言で顔色が変わってしまったことでも、明らかだ。

「仕事と言われれば、犯罪であろうが何であろうがやるというのか、お前たちは?そんな輩に兄の遺産をいいように使われるわけにはいかんな」

冷徹に言い放つと、うんざりしたように首を振りながら彼は腰を浮かした。

待ってくれ、まだ話は終わってないというのに!

「ちょっと、話はまだ…」

ミユキも同じ思いにかられたのか、ネモ老人に声をかけるが、意に介した様子は無い。

と、やにわに東鳳風破が立ち上がった。

「貴様っ!さっきから聞いておれば、人の揚げ足を取って屁理屈を並べるようなマネをしおって!!ちっとはまともに話し合う気はないのかぁ!」

叫びざま、ネモ老人の胸ぐらを掴もうと詰め寄る。

無論、武術家が素人、ましてや女子供、老人に手を上げるなどもっての外だ。

そのくらいは彼だって充分すぎるほど承知であろう。

とりあえず気合で牽制して、話し合いの席に戻そうとしただけで、本当に殴るつもりなどあるまい。

しかし、俺は側に造魔がいたことを完全に失念していた。

話し合いが始まってから今の今まで、文字通り微動だにしなかったシャオメイが、突如として東鳳風破の行く手に立ちはだかったのだ。

「どけい!!」

もちろん、それだけなら彼も歯牙にかけなかったが、なんと彼女は東鳳風破もかくやというスピードと正確さで相手の腕を捻り上げたのだ。

「うっ、うぐっ!?」

東鳳風破が驚いた声でうめいた。

「こ、こやつ!!」

必死の形相で振りほどこうとするが、シャオメイの腕はびくともしない。

その上、彼女は相変わらずの無表情ときている。

「むむむ…ぬう」

疲れきったのか、東鳳風破がついに根負けして力を抜いた。

それを確認して、シャオメイも彼の腕を開放する。その腕をさすりながら、彼は呆れ返ったように呟いた。

「薄気味の悪い締め技じゃわい。この女、ワシの腕を握り締めておるわけではないのに、万力で固定されてでもおるかのように動きが取れん」

「どういう…意味ですか?いまいちわからないんですが」

俺の質問に対して、東鳳風破はきまじめな顔でこちらを見た。

「この女、いうなれば握力というものが皆無なのじゃ。…あ、いや、あるのかも知れんが。
普通の人間が相手を押さえ込もうとすれば、どうしても相手の腕を握り締めることになるじゃろう?すなわち、腕に必ず圧迫感を感じるはずじゃ」

確かにそうなる。

「じゃが、今のは、その圧迫感がまるで感じられんかった。ただ添えてあっただけなのじゃ。
して、その腕が鉄の塊にでもなったかのように動かん。筋肉の使い方が、人間とはまるで違うわい」

「なんというか…鉄格子に絡め取られたような表現ですね」

何の気なく言った俺の言葉に、東鳳風破は大きく頷いた。

「うまい言い方じゃ、まさしくそんな感じだったぞい」

そう呟いて、彼は改めてシャオメイを見やった。彼女は何事もなかったかのように、老人の側に歩み寄ってつっ立ったままだ。

そして、ネモ老人の容赦ない言葉がたたみかけられる。

「ちょっと動きを見せれば、それにつられていきり立つか。
このシャオメイの動きの本質を見抜いたのは賞賛に値するが、そんな単細胞では兄の遺産は扱いきれんな。
…ということは、最後に残ったのはお前さんか」

そう言って俺を睨みつける。どうやら、東鳳風破も今のやり取りで試されていて、失格したようだ。

…そういうことか。

この老人は、俺たちの本音、本質、そういったものを聞き出そうとしている。

俺にもようやく老人の目的が読めてきた。

今までの言動も、そう考えれば説明がつく。

よく観察していれば、相手が情にもろいとか、喧嘩っ早いとか、そういう特徴がおのずと見えてくる。

人間というものは得意なものや好きなことをやっているときは、精神が無防備になる。

だから、そこをうまく引き出すように仕向ければ、相手は自らの本音を無意識に暴露してしまいやすい。

全員それに引っかかってしまったのだ。

「さあ、どうした?答えてみよ」

「…」

俺は、思わずほぞをかんだ。

今ここにいる仲間は、そういった交渉には向いていない。最初にマダムが人選したとき、敵の底なしの戦力に対抗するため、戦闘力を重視したからだ。

同時に、俺に対してネモ老人が取った交渉術も理解できた。

リーダーであるという事実に加え、俺を最後にしたことで、必要以上に責任感というプレッシャーをかけてきたのだ。

これに屈したら、俺はいいようにあしらわれ、任務は失敗になってしまう。

だが、このまま黙っていて、老人に愛想を尽かされたら同じことだ。

と…。

「待て、彼が最後ではない。まだわたしがいるぞ」

思いがけない横槍が入った。コカクチョウである。

「目の前の人数も確認できぬほどもうろくした頭で話しているのでは、それこそ話にならないな」

そう言ってふふっと鼻で笑った。明らかにネモ老人を挑発している。

彼の注意を自分に向けることで、時間を稼ごうとしているのか、それとも怒らせてペースを乱そうとしているのか。

が、その目論見はネモ老人の一言で完全に崩された。

「悪魔ふぜいが口を挟むでないわ」

「な、なに!?いつ、気がついたというのだ!!」

洞窟からここまで、ずっと人間の姿をとっている彼女にとっては、どうしても信じられなかったのだろう。それを知ってか知らずか、老人は淡々と種明かしをする。

「最初に姿を見せたとき、わしではなく、シャオメイの気配を感じて驚いていたであろう。
人工の生命体にあれほど敏感なのは、人間ではありえん。それに、その妙ちきりんな格好も、普通の人間にはでいまい」

「み、妙ちきりんだと…!」

そうだった。

こいつ、腕も脚もほとんど丸出しの民族衣装という、考えようによっては露出狂とも取れる姿だったのだ。

顔を真っ赤にして怒り狂うコカクチョウ。しかし、造魔の気配に敏感だったことは俺も気がついていた。

老人の指摘は、あながち間違いでもないのだろう。

「さあ、答えてもらうぞ。リーダーである、おぬしは何のために欲しがっておるのだ!?」

例によって高圧的に問い掛けるネモ老人。

しかし、俺は動じなかった。

図らずも、コカクチョウの口出しは俺に考える時間を与えてくれたのだ。

その間に、俺は自分の考えをまとめておいた。

どのみち、この老人には嘘や小細工は通用しない。

他の者は、ネモ老人に指摘されたことを否定しようとして、調子を狂わされたのだ。

ならば、そういうものを一切排除した状態で彼の問いに答えるならば、俺の答えは…。

「俺は…あの男を倒す力が欲しい」

頭を敢えてカラにして彼の問いに向き合ったら、自然とそんなセリフが出てきた。

案の定、ネモ老人は俺の答えのアラを突いてくる。

「ふんっ、笑わせるな。ケンカの道具にするために、兄の人生をかけた遺産をよこせというのか!!」

「結論だけを言うなら、そうなりますね」

「な、な…ずいぶんあっさり認めたものだな」

間髪いれずに返した答えに、ネモ老人はおろか仲間までが狼狽した。

「ちょっと!御手洗さん、そんなことを言い出したら話がこじれるだけじゃないの!」

「一体、お主は何を考えて…!」

そんな仲間を押しのけて、俺は続けた。

「俺たちの敵は、悪魔を手足のように使う召喚師としての力を持っています。現に、このコカクチョウは、彼の使い魔として働いていました」

「…ほう」

「実を言えば、俺もコンピュータで悪魔を使う召喚師ですが、ヤツは俺の力を遥かに上回る能力を持っています。
…その力を正しいことに使っているなら、俺の目的はただの妬みで終わるでしょう」

「…」

「だが、ヤツは自分のわがままを通すためだけに悪魔の強大な力を振りかざしているんです!
俺はそれが許せない。強い力を持つなら、それを間違った方向に使わないための自制は欠かせないものなのに…」

あれほど人の揚げ足を取っていたネモ老人が、俺の話を一心に聞き入っている。

「ヤツの増長ぶりは、この国を乗っ取ろうとするまでに行き着きました。このままでは、中国だけの問題ではなくなります。
…今の俺には、それを防ぐ力がないから、ここにやって来たんです。
確かに俺は、あなたの兄が人生をかけた遺産を、ただの武器としてしか扱おうとしていない。
しかし、それを向ける相手がどういう奴なのか、まずはコカクチョウに聞いてみてください。
俺は、自分の信念が間違っているとは思ってないし、彼女という証人もいる。
その上で何か問題があるなら、改めて聞かせてください」

話し終えて、俺は大きく深呼吸した。

「…」

ネモ老人は、いつの間にか両目を閉じていたが、しばらくして見開いた。

その瞳の中には、今までになかった光が溢れている。

暖かさを持った、慈悲の光だ。

「ふむ、強大な力を持つことの恐ろしさも、その意義も心得ているというのだな。ならば兄の残した力を良からぬ事に使うことはあるまい」

「で、では…!」

「左京、だったな。おぬしに兄の最高傑作を託そう」

「やった〜!!これでゴージャス男に勝てる!」

「やっぱリーダー、ここ一番は頼りになるわね!」

「見直したぞ。配下の失態をうまくフォローできてこそ真のリーダーだからな」

俺も含めて、全員が飛び上がった。そんな様子を見て、ネモ老人は表情をぐっと引き締めた。

「左京1人を信用するから造魔を託すのではないぞ。おぬしたち全員の結束の固さも充分に見せてもらったからじゃ」

はしゃぐのを止めた俺たちをまっすぐに見据えて、ネモ老人は続けた。

「よく覚えておくのだ。父の言葉を伝えるため、あらゆる困難を乗り切る意思の強さ、それを助けようとする優しさ、
いざとなれば自らを仲間の盾にできる勇気、目の前の理不尽に本気で怒れる友情、かつての敵対者を受け入れる人徳、
そして力を持つことの意義を自覚していること。どれひとつ欠けていても、わしはおぬしたちを認めることはなかったぞ」

「ネモ老人、あなたは…」

「わしは、初めから兄の遺産などに執着していたわけではない。ひたすら、あれの持つ力を誤ったことに使われるのを恐れたのだ。
あの力は、はっきり言ってまともではない。だから、造魔を欲する者たちの動機はもちろんのこと、
その力におぼれてしまわぬだけの意思の強さ、運命という目に見えない力に流されない粘り強さを見届ける必要があったのだ」

「なるほどな」

東鳳風破が大きく頷いた。

そうだよな、今ネモ老人は最高傑作を託すといった。

そいつに劣るはずのシャオメイでさえ、東鳳風破ほどの武術家を凌駕しているのだ。

しかも、彼女は押さえ込もうとしただけで、彼を倒そうとしたわけではないのに。

それを上回る造魔となれば、戦闘力はいかほどになるのか想像もつかない。

「さあ、こちらに来るのだ。おぬしをマスターとして登録するぞ」

老人は立ち上がり、俺を見て言った。こちらも力強く返す。

「はいっ!!」

20章 覚醒

ネモ老人の案内で、俺たちは建物の更に奥に位置する、コールドスリープルームへと入った。

そこに、彼の兄が残した造魔が眠っているということだった。

その途中には、かなり長い廊下と左右にいくつもドアが並んでいた。それぞれに、漢字で部屋の名前が記されていた。

いくつか知らない文字もあったが、もともとが漢字だから、何のための部屋なのかだいたい見当がつ

く。

…しかし、その全てが造魔の研究のための部屋なのは、さすがといおうか。

骨格の成分、表皮の硬質化、目標の認識、活動エネルギーの保持…。

特に、機動力実験と書かれたドアの隙間からは、どす黒い液体が染み出してきている。

天井も壁も床も、少しくすんではいるが真っ白に統一されているだけに、余計に目立つのだ。

「オテさん、あの液体…」

ミユキが同じものを見つけて、俺に囁いてきた。

「あれ、多分血よ。機動力の実験するのに、なんであんな大量の血が流れているのかしら?」

お前な、想像する方が怖いことをあっけらかんと聞いてくるな!

つとめて平静を装い、このノーテンキ女に説明してやる。

「そうだな、もしかしたら駆動力と循環器系のバランスが悪かったのか…まあ人間の身体で例えるなら、
筋肉の動きが激しすぎて、血管の強度が足りずに破裂したとか」

「そんなことが起こるの?」

「起こらない方が珍しいはずだぞ。生物の体というのは非常に微妙なバランスの上に成り立っているんだ。
造魔を造るというのは、それを全部人間の手で調整するということだから、思いもよらなかった事故なんていうのは当たり前のようにおきるんだぜ」

「ふ〜ん」

と、いうところで彼女には納得してもらったが。

もっと恐ろしい可能性もある。完成間際の造魔の実験だとしたら、猛獣や高い実力を持つ兵士を倒すことで総合的なテストを兼ねることも考えられるからだ。

そうなった場合、実験台にされた者の運命は絶望の一言に尽きる。

負ければ、感情も倫理観もない、常識を遥かに超える運動能力を誇る悪魔に、
身体が肉片同然になるまで「破壊」され、勝ったとしても、秘密を守るため実験施設を脱出することはできずに戦わされ続け、
造魔の実験台としての能力を維持できなくなったら抹殺される。

造魔の研究の闇の部分、というわけだ。

…それにしても、長い廊下だ。

外から見た限りでは、そんなに大きい建物ではなかった。部屋数も、せいぜい7部屋程度だと思っていたが、すでに15以上の部屋を横切っている。

「ルリ、ここの構造、何かおかしくないか?外から見たときより、かなり広いような気がするんだが」

彼女はここの道案内をしたとき、方向や距離まで考慮して目的地を探していた。

それに、道術にも精通している。

ということは、地学や建造物の構造にも詳しいのではなかろうかと思って声をかけてみたのだ。

「そう?」

彼女の返事はにべもなかったが、その後に続く言葉はこちらの意表をついた。

「とっくに地下に潜ってるから、見えないところにいくら広い空間を作っていても外からわかりっこないのも当然と思うけど?」

「なに!」

いつの間に地下に下りたんだ!?

確かに昇りやら降りやら階段はあったが、合計しても5段程度しか降りていないはずだ。

それに対して、ルリは俺の驚きぶりがおかしかったのか、くすくす笑いつつ続けた。

「気がつかなかったの?この廊下、少しづつ下っているのよ。それも、入り口からずっと。
わたしたちが最初に通された応接室みたいなところで、だいたい地下80センチくらいかな。
今はもう3メートル以上潜ってるわよ」

…ちっとも気がつかなかった。

俺たちの会話が耳に入った仲間たちも、意外そうな顔で周りを見渡している。

どうやら、今いる場所が地下だとわかっていたのはルリ1人だけだったようだ。

「さあ、ここだ」

そこからさらにしばらく歩いたところで、廊下は終わっていた。突き当たりにひときわ大きいドアが据え付けてあるきりだ。

しかし、それが持つ意味は大きい。ここに眠るものこそ、俺たちがここまでやってきた目的だからだ。

キィ…

縦横2メートル半はありそうな巨大なドアは、しかしネモ老人が右手を軽く添えただけで簡単に開い

てしまった。

「入りたまえ」

彼の言葉に従って、全員が室内に入る。

「おお…」

真っ先に驚きの声を上げたのは、東鳳風破だ。

無理もない。

ここに来るまでの廊下は廃墟でも通用しそうなほど古ぼけた感じを隠そうともしてなかったのに対し、中は最新研究機材の宝庫だったのでは。

床にはチリ一つ落ちてなく、見渡す限りの広大な空間には、高価な機材が所狭しと置かれていたのだ。

それも、電源を落とされているものより、稼動しているものの方が多いのだ。

「ガスクロマトグラフィー、アルゴンレーザー、核磁気共鳴分析器、CTスキャナー…これって機械だけでも一財産よ!?」

ルリが興奮を隠し切れずに叫ぶ。…しかし、よくそんな専門家でないとわからんような機械の見分けがつくものだな、こいつは。

と感心していたら、今度はアイリスだ。

「あ、こっちの魔方陣はあたしでもわかる。テトラグラマトン…典型的な黒魔術用のものだけど、
その四隅に神聖文字を入れてフィールドを守護するなんて、凝った技術を使ってたのね」

彼女の声がする方に目を向けると、部屋の右手に4本の燭台を正方形に並べた中に、大きく魔方陣が描いてあった。

ただ、その向こうにある棚に、明らかに血の跡とわかる汚れがついているのはいただけなかったが。

言うまでもなかろう、生け贄を捧げた台なのである。

そんなことを考えつつ見渡していたら、俺も自分がわかる機材群を見つけた。

「こっちは、オートグレーブに恒温槽、安全キャビネット、レーザードップラー…マイクロマニピュレーターまである。
ルリの見つけた分と合わせると、彼は分析学だけでなく、生物化学にも精通していたようだな。
それだけの勉強をして、これほどの機材を揃えるだけでも並大抵の苦労ではないだろうが…」

呟きながら、俺はネモ老人の兄がどういう心境だったか、わかるような気がしてきた。

彼らの若い頃となると、おそらく第2次大戦の直後くらいだろう。

そんなあらゆる物資が不足している中で、戦争の役にも立たないような勉強するのは、周囲の人間には正気の沙汰とは思われまい。
かなりの迫害を受けたであろうことは容易に想像できる。

それに、この研究機器も、高いものは1千万以上するのだ。

日本円でそのくらいするのだから、中国の貨幣価値を考えると、気の遠くなるような値段だろう。

その上、造魔の素体が滅多に入手できないものとくれば、彼の苦労はもう想像もつかない。

それをアカの他人が踏み込んできて、好き放題壊していったのだ。

よほど意志の強い人間でも、自分の半生をそこまで踏みにじられれば、喪失感のあまり世捨て人のようになってしまう。

彼がそこで挫折しなかったのは、ひとえに執念のなせる業だろう。

造魔の研究に取り憑かれ、怨念と呼んでも差し支えないほどの執着をもって、素体や研究機材を揃え直し、
護衛を立て、あまつさえ助手さえ自分の手で造り出し、文字通り生涯をかけて研究を完成させたのだ。

もう、賞賛を通り越して寒気すら感じるほどの執念である。

「召喚師よ、反対側を…」

耳元でそう呟くコカクチョウの声で、我に返った。

言われるがままに振り返ると、淡い燐光に照らし出された大きなガラスの円筒が目に飛び込んできた。

その周囲には、これでもかと言わんばかりに大量のチューブが張り巡らされ、それらがことごとく中央の円筒に繋がれている。

さらに、何台かのコンピューターが置かれていて、ここからでは遠くて読み取れないが、なにやら処理を行なっているらしく、モニタにせわしく文字が流れている。

中央の円筒には、人影らしきものが浮かび上がっているが、ガラスの表面がくもっていてはっきりわからない。

が、ここまでくればもう、中身は明らかであろう。

そう、ネモ老人の兄が完成させたという、造魔に他ならない。俺は、吸い寄せられるようにそのガラス円筒に歩み寄った。

他の仲間は凍りついたように動かない。ネモ老人だけが俺の後に続く。シャオメイも、自分の役目はここまでだと言わんばかりに、扉の前からぴくりとも動かない。

「…」

一瞬とも無限とも感じられる、たった15メートルあまりの距離を歩いて、俺はガラス円筒の真正面に立った。

それは、ある種の培養槽か、調整槽のようなものなのだろう。

離れたところからではわからなかったが、ガラス円筒の中には淡緑色の液体が満たされ、
時折小さな気泡がごぼっと音を立てて立ち上っていることからも、液体に空気を送り込んでいるのがわかる。

「で、でかい…」

間近で中の人影を見た俺は、無意識のうちにそう呟いていた。

造魔は、調整槽の中に満たされた液体に浮かぶように立っていた。

その足が調整槽の底についていないこともあるが、それでも首が痛くなるほど見上げるような位置に頭があるということは、身長はゆうに2メートルは越えている。

全身を覆う、一見プロテクターのような外皮。

顔にあたる部分は、ほとんどが黒い半透明の硬質膜に覆われ、大きなバイザーを思わせる。

そして、何より目を引くのが、こいつの両腕だ。

手首から先が、巨大なブレードになっているのだ。これは、とりもなおさず、こいつの存在意義を雄弁に物語っていることになる。

猟犬を思わせる細身の身体と、両腕のブレードから連想される戦い方は1つだ。

目にも止まらないスピードで敵を翻弄しつつ、巨大なブレードで一撃必殺。これしかあるまい。

その刃先の鋭さも、さぞや…あれ?

「なんだ、こいつの両腕、刃がないぞ?」

思わず声に出してしまった。

普通、刀というのは刃が潰されてなければ、刀身の中ほどに鎬(しのぎ)と呼ばれる線が見える。し

かし、この造魔の刀には、それがない。

つまり、一見武器に見えたこいつの両腕は、実はナマクラということになる。

俺の声に反応して、仲間たちも調整槽の前まで走り寄ってきた。

「オテさん、刃がないって、どういうこと?」

「アイリス、おぬしのう…戦いの中に身を置く者として、そのくらいは心得ておけい。刃がないということは、この造魔の腕では、何も切れぬということになるのじゃ」

「そのくらい知ってるわよ、あたしが言いたいのは、誰が見ても戦闘用の造魔なのに、なんで武器もないのかってことよ!」

アイリスと東鳳風破の掛け合いを聞き流して、ミユキがう〜んと唸りながら片目を細めて造魔の右腕を真正面から凝視する。

「そうよね、…確かにオテさんの言うとおり、これってただの棒だわ。この液体を通してでも、刃先があるならそれが見えなきゃおかしいのに」

皆が勝手なことを言うのを、ネモ老人は黙って聞いていた。

そして、疑問の矛先を彼に向けたのはルリだ。

「ネモ老人、これはどういうことなんですか?わたしもこの調整槽を一回りして造魔の身体を観察して見ましたが、
この両腕以外に武器があるとは思えませんでした。かといって、これが非戦闘用とは考えられませんし」

すると、ネモ老人は俯き加減のまま、くっくっくと笑い始めた。

「ネモ老人?」

なぜ笑い出すのか理解できず、若干詰問調になって問いただすルリ。

と、彼はようやく顔を上げた。そこには、子供だましの罠に大人を引っ掛けて、手を叩いて喜ぶいた

ずらっ子のような表情があった。

「まあまあ、そういきり立つでない。戦いになったときにこやつが必ず役に立つことは、兄に代わってわしが保証する。
武器については、必要になったときのお楽しみということにしておこう」

「…何の解決にもなってないんですが」

うまくはぐらかされたため、ルリは表情を和らげない。

「それよりも、こやつを起動して、左京をマスターとして覚えこませる方が急ぐのではないのか?」

「ぐ…」

痛いところを突かれて、ルリは言葉に詰まった。確かに、今最優先でやらなければならないのは、この造魔の起動である。

と、ネモ老人は急に真顔になった。

「よし、では始める」

そう言うと、彼はどこから取り出したのか、小さい注射器を手に取った。

「左京、少し血を採るぞ」

言いながらも針先の消毒を簡単に済ませ、俺の返事も待たずに腕に突き刺した。

「いちっ!!」

心の準備も何もあったものではないから、悲鳴をあげたって仕方なかろう?

「…」

ネモ老人は無言のまま、シリンダーを引いて俺の血を採っていく。

…だいたい15ccくらい抜いただろうか。

不意に、針が引き抜かれた。そしてその針先を、PCの横に置いてあったチューブの先端に突っ込んでシリンダーを押し出す。

当然、俺の血はそのチューブを伝って流れていった。

その先は、調整槽の上に繋がっているが、どの機械に接続されているのかまではわからない。

「今ので、この造魔はおぬしの血を受け取り、マスターとして認識したぞ。さあ、いよいよ目覚めの時じゃ!」

そう宣言すると、調整槽の左隣に設置してあるキーボードを4つ、5つ叩いた。

どうやらそれがコントロール用端末のようだ。

老人が入力を終えると、それまで計測値を定期的に表示していただけのディスプレイが、あわただしく英文を並べ連ねていく。

それとともに、調整槽の上に設置されている大きな機械が、轟音をたてて唸り始めた。

形状からして、薬品タンクらしいのだが、いったいこれは…?

「あ!なんだ、あの液体は!?」

緊張をみなぎらせたコカクチョウの声に、全員が一斉に調整槽を凝視した。

彼女の言った通り、調整槽の上部に接続されているチューブから、薄い赤色の液体が中に注ぎ込まれている。

それが槽内の緑色の液体と混ざって、なんとも気持ちが悪い色になっている。

「もしかしてあれ、さっき抜かれたオテさんの血じゃない…?」

誰がそう言ったのかはわからなかったが、全員が同じ思いを胸に抱いたのは間違いないだろう。

俺の血が送られた先にある機械から注入されているし、何より色が色だ。

だが。

「それにしては量が多すぎるぞい。御手洗から採った量は、あの赤い液体の100分の1にも到底足りん。
…しかし、状況からすればこやつの血と考えるのが妥当じゃし…」

東鳳風破がいろいろ思考を巡らせるが、答えは出そうにない。

「あれは…おそらく人工血液であろうな。それに、確かに召喚師の血も混じっている。
なぜそんなことをしなければならぬのかまでは、さすがにわからないが」

さすがは悪魔、こういうのは敏感なのだろう。コカクチョウがあっさりと解説してのけた。

そのとき、槽の中で何かが動いた気がした。

いや、気のせいじゃない、確かに動いている!

緑と赤の液体が混じりあって黒っぽい色になり、もはや中が見えづらくなった槽の中で、蒼い光点が

浮き上がって見えている。もちろん、今の今までそんなものは槽内にありはしなかった。

位置は、かなり上のほうだ。俺の目線より、相当高い。

あの高さだと、確か造魔の頭の辺りではなかったか?

…ガコン、ズズズズ。

重々しい音を立てて、調整槽の下部から何かをすり合わせるような地響きがした。

すると、黒く濁った液体がゆっくりと水面を下げていくではないか。

液体を排出し終えるまでの間に、ネモ老人が先ほど混入させた液体について解説してくれた。

「そこの悪魔が言い当てた通り、あの赤い液体は大部分が人工血液じゃ。
こやつを起こすには大量の溶解酸素が必要なんじゃが、結局のところヘモグロビンに溶かしておくのが一番効率が良くての。
そこで、兄が起動用に培養して用意しておいたものじゃ。そこに、マスターとなる者の遺伝子を持った、
本物の血を混ぜることで、動物の刷り込みに近いプロセスを作ることができる。これが、こやつの起動の基本じゃよ」

そう話しているうちに、液体の排出が終わり、ガラス円筒が天井に吸い込まれた。

造魔は既に半覚醒状態にあるのか、自分の足で直立している。身長は2メートル3、40センチはあるだろう。改めて見ると、でかい。

黒い溶液の中でも光っていた青い光は、予想通り造魔の頭部を覆ったバイザーの奥から放たれていた。

それが、まっすぐに俺を見つめている。

…その光がこの造魔の眼とは限らないが、少なくとも俺にはそう見えた。

ネモ老人が俺の耳元で、素早くささやいた。

「好きな名前を付けて呼んでやるのだ。お主の血を与えられたこいつに命令できるのはお主だけだし、

お主に逆らうことは決してない」

…つまり、こいつを使うということは、そのまま俺の力を使うということであり、俺の責任となるということだ。

むろん、俺もその覚悟の上でここにいる。

…よし、やるぞ!

「はい。我が忠実なるしもべよ、お前の名は…オベリスク!」

高らかにそう宣言した。

そう、こいつの名前は、咄嗟に思いついたオベリスクに決まったのだ。

が、このネーミングセンスは、仲間にはすこぶる受けが悪かった。

「ぷ、なによその名前は。もうちょっとマシな付け方しなさいよ」

「ど、どういうつもりですか御手洗さん?造魔に石版という意味の名前を付けるなんて…」

「おぬしとて日本男児であろう、なんじゃその軟弱な名前はぁ!!」

「…うるせえ」

よってたかってこんだけ言われりゃ、へそを曲げたくもなるってものだ。

しかし、たった今オベリスクと名づけられた造魔は、蒼く光る眼で俺を見つめると、右腕を顔の前に掲げ、少し頭を低く下げた。

これに驚いたのがアイリスだ。

「な、なにこいつ。騎士団の忠誠の儀なんかしちゃってるじゃない」

「なんだって!?」

「騎士が、仕える主人に偽りのない忠誠を誓う時の礼儀よ。
人間なら、剣を顔の前にうやうやしく掲げて頭を下げるんだけど、こいつは剣の代わりに右腕を掲げたところが違うだけ。
…こいつ、結構常識に関する知識も持ち合わせているのかしら…」

目を白黒させているアイリスに、ネモ老人が解説する。

「いや、こやつには自分の意志を言葉で伝える機能を持たせてない。
肯定か拒絶かの表現を行動で示すしかないからこうなるのじゃ。
こやつは戦闘力を極限まで追求した存在だから、余計な機能は付けてないと兄が言っておった」

この言葉に、ミユキが突っかかった。

「でも、確か造魔は自分の意志を持たないはずでは…」

「その通りだ。正確には、こやつは自分から考えて行動することはない、ということだ。
このオベリスクが表現できるのは、命令されたことが実行できるか否かを答えるにすぎない」

「ん〜…合理的というのか、人間性を考えてないというか…」

ミユキは複雑な表情で首をかしげる。

元来、女性というのは話好きだ。

彼女もその例に漏れない。

だから、例え相手が自分の意志を持たないとしても、話し相手にもならない存在というのは、たまらなくつまらないのだろう。

さあ、これでここに来た目的は全て達した。

あとは、一刻も早くゴージャス男の野望を打ち砕くだけだ。

俺はそろそろお暇時と判断して、礼を言った。

「ネモ老人、いろいろとありがとうございました。このオベリスクは、大切に預からせて頂きます。謝礼については、改めて王大人の…」

「謝礼なぞいらんよ。オベリスクも、お主にくれてやろう」

俺の言葉を最後まで聞かず、ネモ老人はあっさりととんでもないことを言い出した。

「ちょ、ちょっと、それではあまりにも…!」

一瞬絶句してしまった俺に代わって、ルリがあたふたと喚くように喋り出した。

もちろん、俺もいつまでも呆けていられる状況ではない。

「ル、ルリの言うとおりですよ。我々に協力していただいたのだから、お礼をするのは当然です。そ

れに、オベリスクをこのまま持っているのは、正直言って俺には荷が重いと…」

そう、これが俺の正直な今の実感だ。

造魔という秘伝中の秘伝を持つには、自分はあまりにも未熟だ。

「左京よ」

そんな俺の心の内を知ってか知らずか、ネモ老人は静かにセリフを遮った。

「よもや、そんなことを言うのが謙遜だなどと思い違いをしているのではなかろうな!?
わしはおぬしたちを信じたからこそオベリスクを託したのだぞ、それを今になって荷が重いのなんのと言い出すのは、
わしの目が狂っておったと言っておるのと同じじゃ!!」

「あ…」

確かにそれが正論だ。

あれだけの試練を乗り越えてまでネモ老人に認めてもらおうとしたのに、いざ受け取ってから今みたいなことを言っては、むしろ彼に対する冒涜になる。

「…そうでした。オベリスクは、俺が責任を持って管理します」

謝罪の念を込めて、彼に頭を下げた。

「それと、重ねて言うが謝礼もいらん。こんな老いぼれが謝礼をもらったところで、何に使うというんじゃ?
ん?老い先短いわしが望むものがあるとすれば、余生を静かに送りたいといったくらいのもの。
増してや、こんな騒がしい連中がいたとなれば、なおさら…」

これは俺たちにもはっきりわかった。彼のいたずらっ子のような表情を確かめるまでもない。

まぎれもなく、俺たちといたことが楽しかったのだ。

「あ〜、おじいちゃん、そこまでいう!?」

甘えることにかけては誰よりもうまいアイリスが、早速切り返した。

「はっはっは、まあ確かにそうじゃな。…造魔が欲しいと言って、
なんとかわしを説得しようとしてきたあのやり取りは、久々に楽しかったわい。
若い頃の自分を思い出したようでの。…わしも、おぬしたちが来なければ、もっと早く朽ち果ててしまうことだったろう」

そういって笑った顔は、老人の、心からの笑顔だった。

愛弟子に己の全てを伝授し終えて、その成長と旅立ちを心底喜んでいる表情だった。そろそろ、本当に別れのときだろう。

「…じゃあ、ネモ老人。我々はもう行きます。お心遣い、ありがとうございました」

「うむ、健闘を祈っておる。それからルリ、父上を大切にするんじゃよ。兄は、実は死の間際、王殿に誤りたいと後悔しておったのだ」

「はい、父にそう伝えます」

ルリの言葉を最後に、俺たちはこの建物を後にした。

ゴージャス男に対抗する切り札、造魔・オベリスクがいるからには、勝機は必ずある。誰もがそう確信しての凱旋だった。

…まさか、いくばくも歩かないうちに、その浮かれた気分が吹っ飛ばされるとは思ってもいなかったもんな。

21章 激突

ぴたっ。

車まで戻るため、ネモ老人の建物のある空洞の出口にあたる洞窟に入る手前で、ミユキと東鳳風破が同時に足を止めた。

「どうしたの、2人とも」

最前列の彼らに声をかけたアイリスも、何を察したのか次の瞬間には表情をこわばらせる。

「御手洗さん!コンピューターを起動して!!」

今度は、最後尾でオベリスクと並んで歩いていたルリが叫んだ。

俺のすぐ後ろにいたコカクチョウまでもが、人間形態を解いて空中に舞い上がった。

これは紛れもなく、彼女の戦闘体勢だ。

「わかってる」

この頃には、俺も前方にただならぬ気配が待ち受けているのを感じていた。

全身から体温を根こそぎ奪っていくような、恐怖感の塊のような感触だ。

「オベリスク、前に出て2人をガードしろ!」

右手1本でCOMPを起動しつつ、後ろを振り向いて造魔に指示を出す。

と、ヤツは。

俺に頷いたかと思うと、バイザーの奥の青い光が赤く変わった。

それだけではない。

なんと予備動作まったくなしで、空中のコカクチョウを含む6人全員をひょいと飛び越え、東鳳風破とミユキのさらに前に着地したのだ。

…なんというジャンプ力だ。

だん!という、重い着地の地響きとともに、両腕を前にかざして戦闘体勢に入る。

ズリュッ。

妙な音と共に、オベリスクの手首から、短い円筒がせり出してきた。

ちょうどブレードの根元から、剣の形状に沿ってせり出した形となる。

ぱっと見た感じでは銃口のように思えたが、その先端がガラスで塞がれている。

戦闘体勢に入ってから出てきたということは、あれが武器なんだろうが、肝心の正体がわからない。

と、そのときだ。

オオオォォォ…

「ひっ!」

目の前の洞窟から、悲鳴とも雄叫びとも取れる声が響いてきた。

いや、声というよりは呪いという方が的確だろうか。とてつもない恨みと苦痛を伴って放たれるその

咆哮は、ミユキが思わず首をすくめてしまうほど薄ら寒いものだった。

ドン、ドン、ドォン…。

足音がどんどん近づいてくる。

「御手洗さん、早く敵の正体を調べてよ!」

隣でアイリスが喚いている。そんなことはわかっている、COMPの起動はとっくに終わって、既にデビルアナライズを作動させているんだ、が…。

「御手洗、まだなのか!?」

返事を返さない俺に、東鳳風破までが焦った声をあげた。

そのとき、ついに敵が洞窟から姿をあらわした。

「カオオオォォォォン…」

「う、うわわわ!?」

そのあまりにも異様な姿に、全員が肝をつぶした。

まさか、常人の倍にもなろうかという巨大なミイラが、四つん這いになって現れるとは、誰が想像するだろう!!

それも、マンガに出てくるような全身包帯、なんていう生易しい格好ではない。

肉が削げ落ち、皮が干からびて骨に張り付いた骸骨という、最高に気味悪い外見だ。

さらに気味悪さを煽っているのが、全身を覆う緑色の燐光だ。

これがマグネタイトの塊であることはわかるが、肉眼で見えるほどの濃度に圧縮されているとなると、

どれほどの量になるというのか…。

俺たちが通ってきた洞窟は、高い所では天井が確認できないほど高かったが、今ヤツが出てきたばかりの出口では2メートルちょっとしかなかった。

おそらく、洞窟の天井ぎりぎりといわんばかりの格好で、やっと這い出てきたのだろう。

「ウオオオォォン…」

あっけに取られている俺たちを尻目に、そいつは立ち上がると、背筋が凍るような声で雄叫びをあげた。

その巨体は、2メートルを楽に越えるオベリスクの頭がみぞおちの辺りになるかというほどだ。

このミイラは実に3メートル50センチはある。

「御手洗さん、こいつの正体まだわかんないの!?もう襲い掛かってくるわよ!!」

気が動転しているのか、アイリスがかなきり声をあげる。しかしだな…。

「だめだ、手持ちのデータに該当する悪魔じゃない!デビルアナライズで弱点を探すことはできない」

俺はそう言い返すしかなかった。

「せめて、どの程度のランクなのかを調べようといろいろとスキャニングもかけたんたが、敵のエネルギーが高すぎる。
どんな測定をしてもゲージを振り切って…おわっ!!」

長々と話していて隙ができたところに、巨大ミイラの拳が降ってきた。

間一髪のタイミングで脇に飛びのいたが、驚くべきは、標的を外した拳の破壊力だ。

勢いあまって地面に叩きつけられたハンマーみたいな拳は、猛烈な地響きとともに、直径1メートル

あまりのクレーターを穿ったのだ。

これは、直撃を受けたら…粉々にされる。

このクレーターを見て、全員が一瞬ひるんだ。

悪いことに、俺が言いかけたアナライズの結果も、この巨大ミイラに対する恐怖を助長させることになってしまった。

今まで一度もアナライズに失敗したことのない俺が、底知れぬパワーを秘めた、未知の存在だと認めてしまったのだ。

それを裏付けたのが、ミユキの動揺しきった絶叫だ。

「そ、そんな!ゲージを振り切ったって、そんな無茶な相手と戦わないといけないの!?」

そりゃ、戦わないと出口に…

あ、待てよ。

何も必ず戦わなきゃだめだというものでもないぞ。こいつ、あの巨体の割には動きが素早いが、隙を突こうと思えばできないほどでもない。

何も力づくで押し通るばかりが能じゃないんだ。

ならば。

「いったんヤツが出てきた洞窟に逃げるぞ。オベリスク、ヤツの注意を引くんだ!」

俺の指示に、全員はっとしたようにミイラの背後の洞窟を見た。

誰も、「逃げる」という選択肢を考えてなかったようだ。

しかし、その直後。

「ダメーッ!!」

囮になるべく、ミイラの前に飛び出そうとしたオベリスクに、ルリがしがみついた。

身を挺してオベリスクを止め、引きつった顔で俺を見る。

「ここで私たちが逃げ出したら、あのミイラは何をしでかすかわからないわ!
このままネモ老人の家まで行ったら、どうなるか…」

考えるまでもないだろう。

彼がこの巨大ミイラに襲われるのは明白だ。

そして、その身を守るのがオベリスクより数段劣るシャオメイだけでは、その命運は尽きたも同然だろう。

あの建物に外敵を防ぐ防御機構があるとは思えない。

その役目を果たしているのが、今しがたミイラが這い出してきた洞窟なのだ。

「…くそっ!」

これが舌打ちせずにいられようか。

俺たちは、どうあってもこの巨大ミイラを倒さなくてはならないのだ。

事ここに至って、東鳳風破が突然笑い始めた。

「く…ふふふ、よかろう!この造魔の力をみせてもらうには、格好の相手と言えよう!!」

高らかに言い放って前方に跳躍し、構える。その眼には、既に動揺はない。

「そうね、開き直ってそう考えるのがいちばん前向きよね。…オベリスク、わたしのサポートをお願い」

ミユキもオベリスクの隣まで進み出て、敵を威嚇するように両手を大きく上げた。

目前に並んだ3人を見て、ミイラが口を大きく開いた。

明らかに力で劣る存在が抵抗しようとするのを見て、あざ笑ったのだろうか?

俺の目にはそう見えた。ひどく神経を逆なでする行為だった。

「…止むを得ない。アイリス、ルリ、彼らを援護する!」

「ういっ!」

「はい!」

気合のこもった2人の返事を聞きながら、俺は銃の弾倉を銀の弾丸に入れ替えた。

この銀の弾丸は、俺にとっては切り札だ。

普通の武器を受け付けない、霊的な身体を持つ悪魔にも有効だから、非常に頼もしい反面、普通の弾丸と違って、
その補充は金さえ払えばできるというものではない。

誰にでも作れるものではないから、入手がとても大変なのである。

王大人に大量にもらっているとはいえ、使い切ったらそれまでなのだ。

本来であれば、これはゴージャス男と戦うときまで取っておくべきものだ。

それを、こんな場所で使うハメになろうとは。

だが、今戦おうとしている巨大ミイラは、そんな悠長な考えを吹き飛ばしてしまうほどの強敵だ。

手持ちのカードを出し渋っていい時じゃない!

「オベリスク、突っ込め!!」

造魔に指示を出しながら、俺は敵の頭部に狙いを定めてトリガーを引いた。

びっくりしたのは、オベリスクのその速さだ。

俺の射撃だって、クイックドロウの要領で一挙動で行なったというのに、それよりさらに速く斬りかかったのだ。

4メートル弱という、ヤツの身長でも1歩踏み込まなければ届かないという間合いを、まさしく一瞬

で詰めての攻撃である。

巨大ミイラはその図体のでかさが災いして、避けるのがとても間に合わない。

俺の銃弾は敵の側頭部を、そしてオベリスクの右手の刃は、ミイラの腰を捉えた。

その途端、ヤツの刃から、目も眩むような凄まじい閃光が発せられた。

そして。

じゅん!!

「ん?」

なまくらである、オベリスクの刃が当たったにしては、変な音ではないか?

しかし、その効果は絶大だったようだ。

「コォォォ!!」

ミイラが苦悶の声を上げる。

「な、なんじゃあ、今の斬り方は!?」

東鳳風破が呆然とするのも無理ないだろう。切れもしない棒切れで叩いたはずの、
オベリスクの斬撃は、思いもよらぬ大ダメージを与えているのだ。

ネモ老人の言葉に嘘はなかったわけだが、その攻撃がどういうものか見当もつかない。

「ん?」

唖然として見ていたから今まで気がつかなかったが、オベリスクが斬った場所をよく見ると、周囲が黒く焦げている。

一方、ヤツが構えている両腕の、手首の円筒の先では、ブレードのところで何かがちかっ、ちかっと光っている。

待てよ、これは…。

「そうか、わかったぞ、オベリスクの刃の正体が!あれはレーザーブレードなんだ!」

謎が解けた嬉しさから、つい一気に喋ってしまった。

レーザーだとすれば、斬りつけたところが焼け焦げた理由は明白だし、ブレードの辺りでちかちか光

っているものの正体も説明がつく。

あれは、空気中の細かいちりがレーザーを反射しているのだ。

「れ、レーザーですってぇ!?」

ルリが素っ頓狂な声をあげる。続いてミユキが口をあんぐり開けたまま呟く。

「レーザー…レーザーって何なのよ…」

「知らないのか、ライト・アンプリファイド・スティミュレー…」

「そんな名前の由来なんて今はどうだっていいわよ!!」

ミユキが真っ赤な顔をして俺の説明を遮った。さらにアイリスまでがたたみかけてくる。

「そうだよ、ミユキ姉が言いたいのは、どうして造魔がレーザーなんてものを剣にして振り回してるのかって聞いてるのよ」

知らねーよ、俺が教えて欲しいくらいだ。

「わからん、だが攻撃手段として非常に有効なのは確かだ。相手がいかに強力な装甲であろうと、
光線で直接焼き切るなんていう攻撃の前には無力だからな」

思わぬダメージに怒り狂う敵を前にして、自分でも驚くくらい口が廻っている。が、当然眼は巨大ミ

イラの動きを決して見逃さない。

「でも、レーザーとか光線っていうと、なんか飛び道具みたいなイメージがあるわよ。その方がわざわざ危険を冒して敵に近づかなくても…」

ついついこちらを振り返って話し始めたミユキに向かって、上空のコカクチョウが切羽詰った声をかけた。

「ミユキっ!避けろ!!」

一瞬で彼女の顔が引きつる。後ろも見ないで真横に跳んだ。

ガァンッ!

とんでもない轟音とともに、数瞬前まで彼女がいた場所を雷撃が撃ち抜く。

無論、この雷撃は巨大ミイラの攻撃だ。しかし、ミイラの状態で魔法を使うだけでも驚異的なのに、それ以上に驚いたのがその精度である。

…ライフルで狙撃したかのような正確さだ。

「うう…」

雷撃の余波までは避けきれなかったのか、ミユキが両手を抱えてうめいた。おそらく、感電のショッ

クで身動きするのもやっとなのだろう。

しかも、彼女からやや離れた場所にいた俺にまで痺れが走った。とてつもない電圧だ。

…このぉ!!

にわかに、頭に血が上った。ヤツの頭部めがけて、銀の弾丸を立て続けに3発撃ち込んだ。

さっきのオベリスクとの同時攻撃で撃ち込んだ弾痕からは、まだマグネタイトの残滓が流れ出ている。

結構効いているのだ。

が。

巨大ミイラが唐突に前のめりになった。足元の岩肌にでもつまづいたのか?

大きくバランスを崩して体勢を低くしたヤツの頭上を、3発の銃弾が虚しく通過する。

そして、こっちに空洞の眼を向けて、にやっと笑いやがった。

…やられた、かわされたのだ!

喰らったらかなりの痛手になると気がついたヤツは、俺の銃口の角度からどこを狙われているのかを予測して、回避行動を取ったのだ。

その動きがあまりにもオーバーだったからわからなかったが、あの巨体で銃弾をかわしたのだから只事ではない。

「なんと!…おのれ、こうなったら、わたしも!」

この光景を見ていたコカクチョウが、巨大ミイラに向かって急降下してきた。

自分も参戦するつもりなのだ。

それを見て、俺は本能的に危機感を覚えた。

彼女はだめだ。戦わせてはならない!

なぜそう感じたのかを考える前に、勝手に叫んでしまっていた。

「待てコカクチョウ!お前は、ネモ老人の建物に戻るんだ!!」

「な、なに!?」

この指示には、コカクチョウはもとより、他の仲間までもが驚いた。

「何を考えておる、御手洗!こやつ、見た目よりかなり素早いぞ、
全員で総力戦をしなければ勝てる相手ではないわい!!」

東鳳風破が絶叫する。

ミユキが動けなくなったのを認めた巨大ミイラは、俺の射撃をあしらった直後、とどめを刺そうと彼女に歩み寄ろうとしたのだ。

それを阻止するために東鳳風破が間に割って入ったのだが、敵はその巨体の割になかなか素早い。

本来、体が大きくなればそれだけ動きが鈍くなるものだ。例をあげるなら、ゾウやキリンが、どうや

っても人間の動きについて来れないようなものだ。

しかし、この巨大ミイラにはそのセオリーが通用しない。今も、動けないミユキを東鳳風破が必死に

庇おうとしているが、巨大ミイラはそれすら出し抜こうとしている。

さっきから問題になっている、巨体にそぐわぬ素早さと、体が大きい分歩幅が大きいため、東鳳風破

のスピードをもってしてもカバーしきれないのだ。

その上、最初に見せたパンチと雷撃の破壊力である。スピード、パワーともに反則級の敵だ。

誰かが戦線離脱しようものなら、致命的な結果を生むことになるだろう。

それでも、俺の直感はコカクチョウが戦いに加わることを許さなかった。

「…コカクチョウ、お前はネモ老人にこいつのことを報告して、安全な場所に逃がすんだ!」

とっさに、そんな口実が出てきた。

「な、なんだと?」

「ルリの面目を立ててやるんだ。ネモ老人がオベリスクを譲った報酬を受け取らないと言うのなら、

せめて彼の身の安全を確保することで報いるんだ」

「…」

束の間、全員が口をつぐんだ。

「良かろう!」

短く答えてコカクチョウは、くるりと背を向けて飛び去った。

俺の言った理由が曲がりなりにも正当である以上、今口論するのは得策ではないと判断したのだろう。

もちろん、完全に納得しての行動ではない。

もしそうなら、何も実行に移すのに躊躇することなどないはずだ。

これで、俺の直感が危険を告げた要因は消えた。

…もしこの判断が間違っていれば、俺たちは生きてここを出ることはできまい。

決死の覚悟で戦い抜くんだ!!

「ミユキ、もう動けるか!?」

覚悟を決めた後で真っ先に気になったのは、巨大ミイラの標的にされている彼女の状態だ。

「いけるわ!体の痺れはほとんどなくな…ああっ!!」

「ルリさん!!」

ミユキとアイリスの悲鳴が同時に響く。

ぎょっとして彼女の方を見ると、巨大ミイラは大またでルリに詰め寄っていた。

しかも、彼女自身は俺の言動に気を取られていて気付いていない。

いつの間にか、敵はミユキからルリに標的を変えていたのだ。

「しもうた!!」

東鳳風破の顔が蒼白になった。彼もルリと同じで、敵の動きから眼を離してしまっていたのだ。

今からでは何をやっても間に合わない!

「きゃあああ!」

目前に迫ったミイラの不気味な顔に、へたり込んでしまったルリが絶望の悲鳴をあげる。

同時に敵のばかでかい拳が振り下ろされた。

やられた!!

…そのままであれば、彼女の上半身は巨大ミイラの鉄拳に潰され、見るも無残な最期を迎えたことだろう。

それを食い止めたのは、オベリスクだった。

さっきまで俺の近くにいたのに、忽然と、本当に忽然と姿を消して、あれ、と思ったときにはルリの前に立っていたのだ。

文字通り眼にも止まらないような、とんでもないスピードで走り、恐るべき凶器の前に立ちはだかったのだとわかったのは、かなり後になってからのことだった。

ガキッ!

両腕のブレードを胸の前で交差させ、ミイラの拳を真正面から受け止めた。

勢いを殺しきれず、がくんと地面に片膝をつく。

バシュウウウ、と凄い音をたてて、全身のあちこちにあるエラから熱風が吹き出した。

あれは、放熱ダクトの役目をしているのかもしれない。

良かった、ルリが殺されずに済んだ、とほっとしたのも一瞬。

オベリスクの足がぶるぶる震えているのを見て愕然とした。

最強の造魔ですら巨大ミイラのパワーを押さえ込めていない!

このままではオベリスクごとルリが殺されてしまう!

と思った途端、東鳳風破が造魔に指示を出した。

「オベリスク、そういうのは正面から押し返すでない!横に逸らせるのじゃあ!!」

ちら、とバイザーが彼の方を向いたと見えたのは、気のせいか。

直後、オベリスクは両腕を大きく右に振った。

いなされた敵の拳は、目標を見失って地面に激突する。

今度こそ、敵は本当に体勢を崩した!

そう判断した全員が、一斉に行動を起こした。

「みんな、あたしの魔法は電撃が主体だから、こいつにはあんまり効果がないかもしんない。
できるだけサポートに徹するからね!」

そう言いながらアイリスは、仲間たちに魔法で不可視のシールドを張った。敵の攻撃をいくらかでも

和らげるためのものだ。

「ゆくぞ!」

「はいっ!」

東鳳風波とミユキがお互いに声を掛け合って、同時に走った。ともに必殺の気合を込めつつ、掌底打と跳び蹴りを仕掛ける。

対する巨大ミイラは、なんと崩れた体勢のまま左腕で2人をなぎ払いにきた。

だが、東鳳風破もミユキもひるまない。

右の掌、両足と棍棒のような左腕が、火花を散らすかのごとき激しさで激突する。

「うおおおおっ!」

「きゃああ!」

さすがに2人がかりでも体重差で勝てなかったのだろう。吹っ飛ばされたのは東鳳風破とミユキのほうだった。

だが、打撃力は巨大ミイラの腕にもダメージを与えていた。立ち上がったヤツの、左肘から下があさっての方向に向いている。

今の攻撃で骨折したのだ。

「今度こそ!」

俺は1発目だけ巨大ミイラを狙い、あとの4発はその周辺に向かって銀の弾丸を乱射した。

ムダ弾は承知の上での、ちょっとしたトリック・プレイだ。

初弾は、先ほどの再現を見ているように、実にあっさりとかわされた。

が。

「ホオオオオ…」

敵の悲鳴が響く。避けた方向に撃っていた4発目が、見事にその右肩を貫いたのだ。

…そういえば、こいつは銃弾を喰らうたびに悲鳴を上げている。避けようとしているのも、俺の銀の弾丸だけだ。

と、いうことは…。

「わかったぞ!どうやら、こいつは見た目通りの不死属性らしい。

どんな攻撃でも通用するが、銀の弾丸のような破魔の効果を持つものは、特に効いているぞ!」

「本当!?」

ようやく、みんなの顔に希望の明かりが出てきた。

弱点がわかって、勝てるという見込みが出てきたからだ。

と…。

ずいぶん離れたところから、巨大ミイラが俺を睨んでいる。いきなり攻撃の手を休めて、何をしてるんだ…。

ゴツッ!

「うぐっ!」

何の前触れもなく、突然左肩が後ろに突き飛ばされた。

わけもわからず、受け身も取れないまま地面に叩きつけられる。

「御手洗さん!?」

…くそ、仲間が心配して声をかけてくれてるが、ショックでこっちは声も出ない。

さっきのアイリスのシールドがなければ、致命傷になっていたかも知れない。

「…だ、大丈夫だ。ヤツめ、一種のサイコキネシスまで使えるようだな。
アイリスの防御魔法のおかげで命までは取られずに済んだが、…左肩が、動かん…」

「ええっ!」

不覚だった。脱臼したのか骨折したのか、威力こそ軽減されていたが、完全に無防備だったため、左腕が完全にやられてしまったのだ。

格闘戦をやるわけではないから、すぐに戦闘不能に追い込まれるわけではないが、このままでは銃に弾丸を再装填することは無理だ。

魔法で治療するという手も、こんな激戦ではできない。重傷を治すにはそれなりに時間がかかるから、

その間2人も戦えなくなっては命取りになる。

つまり、俺はこの状態のままこの場を切り抜けなくてはならない。

「…」

そんな俺のありさまと巨大ミイラを、ミユキは無表情のまま交互に見つめていた。

こいつがこんな顔をするのは、初めてだ。

この苦境の中、絶望して棒立ちになるような女じゃない。

一体、何を考えている?

(つづく)