22章 裏の裏

左腕をだらりと垂らしたまま、なんとか立ち上がった俺に、ミユキが静かに話し掛けてきた。

「あいつ、強いわね」

…確かに強い。

オベリスクの力を借りて、しかも相手はゾンビに代表される不死属性だと正体も掴めたというのに、

俺たち6人はたった1体の悪魔に苦戦を強いられている。

だが、俺はむしろ彼女の口調が妙に静かすぎたのと、感情がまるで欠けているその表情が気になった。

「ミユキ、一体どうした…?」

「このままじゃ、わたしたち勝つことはできても、ゴージャス男と戦うだけの余力を残しておけない。
ううん、最悪の場合犠牲者が出てしまう」

俺の言ったことが聞こえてないのか、彼女は独白のようなセリフを続けるばかり。

「…だから、一気に勝負をつけるには、これしかないわ」

こう言った彼女の顔が、一瞬微笑んだ。俺は確かに見た。

何か嫌な予感がする。

こいつ、一気に勝負をつけるために、とんでもなく危険なマネをする気じゃなかろうか?

「待て、早まったことを―」

「みんな、よく聞いて!」

彼女を思いとどまらせようと俺が言いかけるのと、ミユキが意を決して大声をあげるのが同時だった。

「わたしが5秒間だけ、あいつの動きを止めるわ。その間に全員で集中攻撃をかけて!」

「なんだって!!」

「あなたがさっき自分で言ったじゃない、どんな攻撃でも効果はあるって。
あいつ、見かけのわりによく動くから、攻撃が命中しないんでしょ。だから…」

「ちょっと待て!動きを止めるって、どうするつもりだ!?」

「…この前、カクエンを押さえ込んだ要領よ」

ミユキの返事に、俺は顔が青ざめていくのをはっきり感じた。

「危険だ!この巨大ミイラの力は尋常じゃない、もしうまくいったとしても、あっという間に振りほどかれてしまうぞ!」

「…」

彼女は、もう俺の制止に耳を貸さなかった。一気に巨大ミイラの前まで走り寄る。

その勢いで背後からドロップキックを仕掛けて敵の注意を引くと、仁王立ちになって叫んだ。

「来い!わたしが相手になってやる!」

くそっ!

見れば、他の者は皆、突然のなりゆきに戸惑っている。

ミユキが勝手に先走っている上に、俺がそれを制止しているものだから当然だ。

…こうなってしまっては、無理を承知で彼女の奇策に乗るしかない。

「みんな、この一瞬のチャンスを逃すな!ここで奴を仕留め損ねたら、ミユキは間違いなく殺されるぞ!」

「はいっ!!」

全員の緊張しきった返事がかえってきた。

巨大ミイラは、既にミユキに掴みかかろうとしている。

かたやミユキの方は、はるか頭上のミイラを見据えたまま微動だにしない。

と…。

いきなり、ミユキが前方に飛び込んだ。

狙いを逸らされた巨大ミイラが慌てて踏ん張ろうとするが、間に合わない。

勢い余って両手を地面に叩きつける。

彼女が狙っていたのは、その瞬間だったのだろうか。

ミユキが押さえ込んだのは、ミイラの両脚だったのだ。

腰を曲げた状態で両脚をがっちり固められた巨大ミイラは、四つんばいのまま身動きが取れなくなった。

「今よ!」

仲間に希望を託した、ミユキの声がひときわ大きく響き渡り、それを皮切りに凄まじい集中砲火が始まった。

先陣を切ったのは東鳳風破だ。

「きえええっ!!」

怪鳥のような気合とともに、震脚からの掌底打が、俺の撃ち込んだ左肩の弾痕を正確に捉え、ぼきん

と音を立てて巨大ミイラの左腕がちぎれ飛ぶ。

間髪いれず、オベリスクの両腕のレーザーブレードが奴の周囲を舞った。

あっという間に巨大ミイラの全身から焦げ臭い匂いが立ち込める。

「おお!」

一旦ミイラから跳びすさって距離をおいた東鳳風破が、敵の見るも無残なありさまを見て驚きの声を上げた。

オベリスクによって、巨大ミイラの全身は一瞬のうちに10箇所も焼き斬られていたのだ。

頭から胸から両膝から、文字通りいたるところからもうもうと煙を吹き上げている。

それでもなお、敵は反撃の意思を捨てていなかった。

「オオオオオ…」

気味の悪い叫び声とともに、その額がバシッと帯電する。今の斬撃の直後で隙ができたオベリスクを狙って雷撃を放つつもりだ。

さっき、オベリスクは巨大ミイラの必殺の拳を真正面から受け止めている。

防御体勢を取っていたとはいえ、無傷のはずはない。そこに岩をも熔かすほどの雷撃を喰らったら…!

「させん!」

片腕で、しかもまだ地面に片膝をついた状態で充分な狙いもつけられぬまま、無我夢中で俺は銃を乱射した。

ミユキが抱え込んでいるのは下半身だから、上半身を狙えば彼女に当たる心配はない。

「グオッ!」

6発のうち、4発目が首に命中し、辛くも雷撃の阻止には成功した。

完全な状態には程遠いにしてもひどい命中率だが、今はそれどころではない。

そこに、巨大ミイラとは別の電撃が炸裂した。

言うまでもない、アイリスである。

「はあっ、はあっ…」

可愛らしい眉根を寄せ、いつになく荒い息をつく彼女。

どうやら、かなり強力な電撃魔法を放ったらしい。

前にかざしたままの両手がまだ帯電しているし、彼女の額にもぷつぷつと汗が吹き出ている。

相当な精神集中をしていた証拠だ。

だが、恐るべしはこれだけの猛攻を受けながら、なおも抵抗しようとする巨大ミイラだ。

「ガアアアア!」

さすがにダメージが蓄積されてきたのか、叫び声が絶叫に近いものになっている。

だというのに…敵は全身から失活したマグネタイトを煙のように噴き出してボロボロだというのに、

今度は組み付いているミユキを振り払いにかかるとは!!

突如として、彼女が押さえ込んでいる両脚に力がこもった。

ぐわっと左足が持ち上がり、ミユキが危うく宙に投げ出されそうになる。

「う、うわわわ!」

慌てて残った右足をねじり上げて押さえ込み、踏みとどまる。

空中に放り出されては、防御も受け身もあったものではない。

そうなっては、満身創痍とはいえ、この強敵がそんなチャンスを逃すはずはあるまい。

仲間の援護も間に合うことなく、一撃で止めを刺されることだろう。

…待てよ。

今何か、極めて重大な事実に気がついたような…。

巨大ミイラが身動きできないのは、足元を押さえ込んだミユキが微動だにしないからだ。

つまりは、足元で全く動かない彼女は、格好の的なのだ。

敵が、鬱陶しい俺たちを無視し始めたということは、周囲からしつこく攻撃を繰り返す俺たちから、

足元にへばりついたミユキにターゲットを移したことになる。

それは、絶対に…まずい!

敵はその推理を証明するかのように、早くも彼女を見据え、両膝でバランスを取って上半身を支え、右の拳を振り上げている!

「ルリ!とどめを!!」

たまりかねて、俺は叫んだ。

他の者は、全員すぐには行動できないからだ。

というのも、この一斉攻撃には、全員がそれぞれ一撃必殺の技を繰り出している。

ここで力を出し惜しみして奴を倒し損ねるわけにはいかないからだ。

それだけに、攻撃後の消耗も激しく、立て続けに攻撃を繰り出すなどという離れ業は無理なのだ。

現に、ルリ以外の者は、全員がっくりと膝をついている。

つまり、今ここで巨大ミイラの行動を止められるのは、まだ動きを見せてないルリしかいない。

…しかし。

彼女は、まだ両手を奇妙な形に折り曲げて印を結んだ体勢を保ったままだ。

「ルリ!何をしている、早くっ!!」

動かない。

その瞬間、高々と上げられた巨大ミイラの拳がミユキの頭めがけて振り下ろされた。

「きゃあ!」

「ミユキっ!!」

事態に気付いた彼女の悲鳴と、俺の絶叫が交錯する。

彼女の変わり果てた姿を想像して、俺は思わず目を閉じた。仲間の頭が潰された光景など、誰が正視に耐えられよう。

が。

「やらせんぞこの干物めぇ、ワシの奥義に耐えられるかぁーっ!!」

「!?」

突如、炸裂した怒声に、俺は閉じた目を見開いた。

真っ先に視界に飛び込んできたのは、両目をくわっと見開いて、額に青筋をくっきりと浮き上がらせ

た東鳳風破のすさまじい顔だった。

それこそ、すくみ上がるような迫力である。

だが、手前にいる彼がこっちを向いているということは、敵に対しては後ろを向いていることになる。

どういうことだ?

その疑問は、次の瞬間驚愕に変わった。

「喰らえぇーい、鉄山靠じゃあ!!」

その掛け声とともに、猛烈な勢いでなんと背中からミイラに体当たりをかけたのだ。

その破壊力は、想像を絶するものだった。

ごきっという嫌な音とともに、巨大ミイラが、腰のところから真っ二つに引きちぎられたのだ。

ミユキに押さ込まれたままの下半身はその場に取り残され、上半身は向かいの岩肌に叩きつけられた。

へし折られたミイラの下半身から、おびただしい量のマグネタイトが吹き出す。

「…」

おおよそ、人間の肉体に可能な破壊力ではない。

…まあ、理論上では、あの至近距離から東鳳風破ほどの実力者が震脚で踏み込めば、
体重差が5倍近くあっても敵を吹っ飛ばすことは可能かもしれない。

だが、そうなれば反動は自分の身体にも返ってくるから、我が身も反対側に吹っ飛んでしまう。

そうならないところが、武術を極めた者たる所以なのだろうか。

…ややあって、マグネタイトの噴出が収まってくると、ミイラの下半身はボロボロに崩れた。

限界ぎりぎりの力を振り絞って巨大ミイラを押さえ込んでいたミユキも、その場にへたりこんで肩で息をしている。

辺りに訪れた静寂に、俺はつい感嘆の声を漏らした。

「や、やった…!」

「やったじゃないわよ、バカっ!!」

ぽっか〜ん!

いてて…!

ひとの感激のひとときを、無粋きわまるツッコミでぶち壊したのはアイリスだ。

人の後頭部を殴りつけるとは、なんという女だ!

しかもこちらは、左肩を痛めているというのに。

…しかし、彼女の顔は、怒鳴りつけようとするのをためらわせるほど引きつっていたのだ。

「アイリス、一体どうした?」

「何をのんきにしてるのよ!おじちゃん、背中からあの怪物に体当たりをかけちゃったのよ!!」

「ああ、すごい威力だったが…」

「だからバカなのよ、あなたはっ!!」

ついにアイリスの癇癪が爆発した。彼女のヒステリックな叫び声がキンキンと耳に響く。

それにしても今の彼女のセリフ、東鳳風破の話し方にそっくりだったな。

…そういえばこいつ、おじちゃん、おじちゃんって、一番彼に懐いていたんだっけ。

などと場違いな感傷にふけっていたが、アイリスが次の瞬間に吐いた言葉は、そんな気分を一気に吹き飛ばすのに充分だった。

「おじちゃんがあたしを庇って、背中にひどい火傷をしていたのを忘れちゃったの!?」

…しまった!

完全に忘れていた。

確かに彼は、昨日の戦いで俺の仲魔であったジャックランタンの火炎魔法を背中に浴びて、
回復魔法でもすぐには治療できないほどの大やけどを負ったのだ。

昨日の今日だから、俺たちも洞窟の探索に際して、最初の方こそ彼の容態を気にかけていたが、
あまりにも普通に振舞っているのでいつの間にか忘れていた。

無論、今日一日で何度となく繰り返された戦いでもそうだ。

…そういえば、これまでに比べて妙に口数が少なくはあったが、痛そうに顔をしかめることすらなかった。

火傷の激痛を押してのことだとしたら、とんでもない精神力の持ち主だ。

左肩を痛めた程度で銃の狙いがあまくなる俺など、足元にも及ばない。

とはいえ、いくらなんでもその大火傷をした背中で体当たりを繰り出すなどというのは、紛れもない自殺行為だ。

火傷の跡だけでも、アイリスに完治しないかも知れないと言われているのに、
そこに2倍以上の体格差を持つ敵を吹っ飛ばすほどの衝撃を加えたのだから。

「と、東鳳風破どの…?」

恐る恐る、奥義を繰り出した格好のままの彼に声をかけてみる。

彼は、自分の技の手ごたえに満足していたのか、会心の笑みを浮かべて…

気絶していた!

「大変!!」

文字通り、アイリスの顔色が真っ青になる。

ややふらつく足取りで東鳳風破のもとまで駆け寄ると、懸命に回復魔法をかけ始めた。

「アイリスちゃん、…そんなにまずいの?」

ミユキもそばに寄ってきた。憔悴しきった顔で東鳳風破を気遣う。声もがらがらに枯れている。

一方、アイリスは目を閉じたまま、ミユキの方を見ようともしない。

回復魔法を中断するわけにはいかないから、ずっと精神集中を続けているのだ。

「かなり、ね。もう背中の筋肉だけじゃなくて、肋骨まわりまでもがぐちゃぐちゃになっちゃってる。

神経が集まっている背骨に異常がないのは、もう鍛錬の賜物とはいえない。まじに奇跡よ」

「そ、そんなに…」

ミユキが悲痛な声を上げたそのときだ。

「ガ、ガオオオオオン!!」

いきなり、背筋の凍りつくような絶叫がこだました。それも、もう聞きたくもないヤツの声が。

「バカな!」

俺は愕然として、今しがた東鳳風破に吹っ飛ばされた巨大ミイラの上半身がある方向を凝視した。

なぜかは語るまでもないだろう。

あれだけの攻撃をまともに喰らって、あげくに胴体を引きちぎられれば、いくらアンデッドといえどももう動けるはずはないのに!!

だが、その「はずがない」はあっけなく裏切られた。

左腕が取れ、オベリスクの斬撃であちこちがぼろぼろと崩れながら、巨大ミイラはまだ生きていた。

腰から下がないため、右腕1本で上半身を支えつつ、その空洞である目でこちらを睨みつける。

やつは、こちらが短期決戦で勝負に出たのを悟って、それを耐え凌いだのだ。

「まずい…」

四肢を封じられても、奴にはまだ念動力や雷撃がある。一刻も早く息の根を止めなければ。

痛む左腕を支えにして照準を合わせ、俺はトリガーを引いた。

が!

カシィン。

「?…まさか!」

銃口から放たれたのは、銃声ではなく、乾いた金属音だった。

焦って右手の親指だけで弾倉を排出するが、銃の重さは全くといっていいほど軽くならない。

弾切れを起こしたのだ。

むやみに乱射したのが、こんなところで裏目に出るとは!!

「く…!」

思わず唇をかみ締める。

ヤツも瀕死なのは明らかだが、こちらも止めを刺すことができる者がいない。

東鳳風破は重態だし、アイリスは彼の治療を中断できない。

ミユキも、もう立っているのがやっとの状態だ。

最後の望みをかけてオベリスクに目を向けるが、あいつは無理な攻撃が祟ったのか、
全身の廃熱口から熱風を噴き出していて、動こうとしない。

おそらくは、オーバーヒートなのだろう。

俺も、左腕がほとんど言うことを聞かないため、銀の弾丸を再装填することができない。

つまりは、絶体絶命というやつである。

「…」

勝ち誇ったような表情を作って、念を凝らす巨大ミイラ。

その額が、帯電してぱりっ、ぱりっと音を立てる。

じきに雷撃が、俺たちを黒焦げにするのだろう。

負けたのか…!

そう思って観念したときだ。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!」

まったく逆の方向から、力のこもった女の声が響いてきた。それと同時に、巨大ミイラが狂ったよう

に咆哮を上げる。

「ギャアアアアアア!」

叫びつづけるヤツの顔が、眩いばかりの光に包まれた。全身からたなびいていた、マグネタイトの煙

が、いきなりジェット噴射のような勢いで噴出され始めた。

あのマグネタイトは、巨大ミイラの活力そのものだ。

あれが一気に失われるということは、人間で言うなら血を1滴残らず抜き取られたことになる。

マグネタイト噴出のあまりの勢いに、敵の体が緑の霧に覆われる。

…それが晴れたとき、巨大ミイラの肉体は、もう影も形もなかった。

後に残されたのは、うずたかく積み上げられた塵だけだったのだ。

「…終わった、今度こそ」

デビルアナライズに失敗したからには、戦闘の邪魔になるだけだと判断してしまいこんでいたCOMPを再び取り出し、
敵対反応を調べるが、もう巨大ミイラの反応は消え失せていた。

「みんな、ごめんね。加勢が遅れて」

ルリがそう言いながら近づいてきた。そう、巨大ミイラに止めを刺した光は、彼女の術によるものだったのだ。

「あれだけの怪力を誇るミイラが、ミユキさんに完全に押さえ込まれているのを見て、何か嫌な予感がしてたのよ。
…父さんが、死霊と戦うときは、倒したと思った瞬間に最も気をつけろ、
やつらは完全に息の根を止められる寸前のところでやられたフリをして、相手の油断を誘うからって言ってたから」

「…どういうこと?」

ミユキの相槌に、ルリはさらに先を続ける。

「うん、たぶんあのミイラにとって、やろうと思えばミユキさんを振り払うことはできたんだと思うの。
でもあの場面で、わざとやられたフリをしようとしたら、ミユキさんを振り解かずに攻撃を受け続けるのがいちばんそれっぽく見えるでしょ。
…ああいう、現世に恨みを持って実体化する種族は意外と知能が高いから油断できないわよ」

ああ…やっと、彼女の取った戦法が見えてきた。

「そうか、だから敢えて集中攻撃に加わらなかったんだな。敵は必ず俺たちの油断をついてくるだろうから、
逆にそこをついてやれば、止めを刺すことができるはずだ、と」

俺の言葉に、ルリはうれしそうに頷いた。

「そう!ああいう時間差攻撃なら、裏をかくつもりのミイラを出し抜ける、つまり裏の裏をかけると思ったのよ!」

自分の計略が見事に的中したルリは、きゃっきゃとはしゃいでいる。

逆に、ミユキは浮かない顔のままだ。

「…でも、わたしたちは今までに何度もゾンビや悪霊を相手に戦ってきたけど、一度も今みたいな不覚を取ったことはなかった。なのに、どうして今回に限って…」

「あなたたちが充分に強かったからでしょう。ミユキさんのことだから、今までは相手を一撃で倒すのが当たり前だったのでは?
それじゃ、敵もあなたたちをだます余裕なんてありはしないわよ」

「そんなもんなのかしら…」

こいつ、まだ納得がいかないのか。

「それに、ルリ。あなたが今放った術、あれはマントラで使う九字印じゃない?
あれって確か、インドの密教がルーツのはずだから、道術とは関係ないでしょ。なんであなたが使えるの?」

「ぐ…」

今まで得意満面だったルリが、急に表情をこわばらせた。

ミユキが言っているのは、ルリが「臨・兵・闘・…」の言葉とともに放った技のことである。

日本でも、忍者や修験者が人知を超えた術を使うときの掛け声として知られているだろう。

これは、ミユキが言ったようにインドの密教に由来するもので、破邪の力を持つ文字を唱えることで

自分の体内の気を浄化し、そのエネルギーを開放するものだ。

その威力は、ミイラやゾンビといった、アンデッドが相手であれば絶大なものだ。

しかし、彼女が言ったように道術とは無縁のはずだから、ルリが使えるのはちょっとおかしい。

「…」

俺とミユキの視線に堪えかねたのか、彼女は顔を赤くして呟いた。

「あの、このこと…父には内緒にしておいてください。父にはちょっと言えないルートで身に付けた術なんです」

やれやれ。

まあ、経緯はどうあれ、彼女の策とこの術がなければ、全員命がなかったのだ。そのくらい目をつぶっても、罰はあたらないだろう。

23章 絶望

「さてと。…アイリス、東鳳殿の様態は?」

俺の問いに、彼女はつらそうに答える。

かなりの長時間、回復魔法をかけ続けているため、極度の精神集中で疲労が限界に達しつつあるのだ。

「もう、ちょっと。…もうちょいで…なんとか、運べる…ように、なる…」

既に顔中に脂汗をにじませている。東鳳風破の背中にかざした手から出ている燐光も、かなり弱々しい。

魔力が尽きかけているのだ。

そのとき、向こうの方からバサバサとあわただしい羽音がした。

コカクチョウが戻ってきたのである。

彼女は、周りをざっと見渡すと、俺の前に降り立って人間形態になった。

「…もうあのミイラは倒してしまったのか。遅くなってすまなかった。
ネモ老人はもう身体のあちこちを痛めていて、わたしとシャオメイの2人がかりで運ばなくては遠くまで行けなかったのだ」

「構わんさ。それよりいいところに戻ってきてくれた、東鳳風破どのが見ての通り重傷なんだ。
他のみんなも五体満足には程遠い。…ご苦労だが、彼だけでも外まで運んでやってくれないか?」

ついさっきまでネモ老人を運んできたという彼女にとっては、「またか」と言われても仕方のないところだが、コカクチョウは嫌な顔一つしなかった。

「よかろう。…あの造魔を貸してもらえるなら、2人で抱えて洞窟の外まで運んでいけるだろう」

「助かる、ありがとう」

全員ぼろぼろの状態だったから、この申し出はうれしかった。

だから、素直に礼を言ったときだった。

コカクチョウの顔が、妙に赤くなったのだ。

…照れているのだろうか?だとすれば、つくづく悪魔らしくない悪魔である。

そこへ、ミユキが俺の側に寄ってきた。体力が多少は回復したのか、顔色も戻っている。

「さ、あなたも左腕を出して。骨に異常がなければ、うまくいけば…」

そんなことを言いつつ俺の左肩をいじりまわしている。

自分ではろくに動かすこともできないような状態なのに、素人が治療のマネゴトをしていじくりまわそうというのだから、たまったものではない。

「あぎっ!ひいっ!!」

「静かにしてっ!」

ちょっと後ろに捻られるたびに、気絶しそうな激痛が走るものだから、絶叫するのもしょうがないだろう。だというのに、この女ときたら!

「…ん、骨は大丈夫みたい。肉体労働は専門外のはずなのに、意外と頑丈なのね。これなら…」

「ちょっと待て!何するつもりだよ!?」

ほとんど確信に近い悪寒を感じて、ミユキに待ったをかける。

しかし、彼女はこっちを見ようともしない。それどころか、俺の腕を逆手に持ち替えたではないか。

「決まってるじゃないの、脱臼した肩をはめるのよ。この間、東鳳風破さんに治してもらったから、要領はわかるし」

それが素人治療の恐ろしいところなんじゃあ〜!!

我が身を守るために、まさにそう叫ぼうとしたとき、アイリスの両手からふっと燐光が消えた。

ミユキもそれを認めて、俺の左腕から手を離す。

「でき…た、おじちゃんを、運んで」

喉から振り絞るような声で、彼女が応急手当の終了を告げたのだ。

無論、こんなのは本格的な治療まで持たせるためのその場しのぎでしかない。

彼女の魔力の全てをもってしても、その程度のことしかできないほど、東鳳風破の様態は深刻なのだ。

皆に心配をかけまいと、彼は、それほど無理を重ねていたのだ。

…だが、それなら初めから洞窟探索などについて来なければ良かったんだがなあ。

しかし、今さらそれを言っても始まらない。

「オベリスク、動けるか?」

さっきまで膝をついたままオーバーヒート状態にあったオベリスクは、こっちを向くとかすかに頷いた。

「よし、コカクチョウを手伝って東鳳風破どのを洞窟の外まで運んでくれ」

再度頷いたオベリスクは、彼女の前までやってきて静かに佇む。口こそきけないものの、どうすればいいのかと、指示を待っているのは明らかだ。

「両腕を前に出してくれ。お前のそのブレードに布を張って担架の代わりにしよう」

コカクチョウはそう言って、オベリスクが両腕を差し出したのを確認すると、自分の着物の帯に手をかけて、躊躇することなく一気にほどいた。

「!」

続けて何のためらいもなく着物を脱ぐ。

「お、おいっ!?」

一体何をする気なのかまるでわからないが、あんなことをしたら裸に近い状態なのは間違いない。

俺はほとんど反射的に右手で目を覆った。

…が、悲しいかな、男の性というものか。

指の隙間からちらっと彼女の姿を探してしまう。

…コカクチョウは、胸と腰のところにさらしのような布を巻いていた。

残念ながら…と言っては不謹慎だが、着物を脱いだからといって真っ裸になるわけじゃなかったようだ。

それに、他の連中は特に驚いた様子もない。

それがちょっと意外だったが、冷静に考えてみれば、東鳳風破が気絶している今、この場にいる男は俺だけだ。

例え俺が変な気を起こしたところで、他の女どもが全員で押さえ込めば、どうとでもなるという目算もあったのかもしれない。

…それにしても、すばらしいプロポーションだ。

そんなに大きい方ではないが、布に覆われていても、くいっと押し上げられた胸の形がはっきりわかる。

深くくびれたウエストに、脚の付け根から覗く白い肌。

「…」

思わず、まじまじと見とれてしまう。つい、左肩の痛みすら忘れしまうほどだった。

今脱いだばかりの着物をオベリスクの両手のブレードに掛け渡しているところを見ると、それを間に

合わせの担架にして東鳳風破を運ぼうというのだろう。

と、着物を掛け渡そうとやや前かがみになったとき、比較的豊かなヒップの奥が少し覗けてしまった。

つい身を乗り出してしまう。

そのタイミングをはかったように、唐突にその左肩が何者かに握り締められ、あらぬ方向に無理やり

引っぱり上げられた。

「ぎゃああああああ!!」

ゴッキン!

目の前が真っ白になるほどの激痛だ。加えて、気味の悪い音と振動が身体の中を貫く。

言うまでもない。ミユキが俺の左肩の骨を一気にはめたのだ。

「顔を隠してまでじろじろ見ないの、このむっつりスケベ」

ミユキは腕組みをし、白い目で俺を見下ろしながら冷徹に言い放つ。

だが、こちらはそれに反論するどころではない。

言葉にならない悲鳴をあげ、両手で自分の身体を抱きしめて、地面をごろごろのた打ち回った。

「があああ、…はあ、はあ、はあ、…」

束の間の激痛がようやく収まると、俺はやっとのことで立ち上がって息を整えた。

やり方はともかく、彼女の言葉に嘘はなかったようだ。今思わず両腕で自分の身体を庇ったが、それができたということは左肩が治ったという証拠である。

「…ひとまず礼は言っておくが、後で覚えてろよ、ミユキ」

「どういたしまして」

不平不満は山ほどぶつけてやりたかったが、とにかく捨て台詞の一つくらいは吐いたつもりだった。

それに対し、彼女はにっこり笑って返しやがった。

…どうもこいつ、前とちょっと雰囲気が変わりつつあるな。こういうときのやりにくさは相変わらずだが。

「さあ、早く戻りましょう。東鳳さんもアイリスさんもひどく消耗しています。早く本格的な治療をしないと…」

ルリが、みんなを促した。そして自らはアイリスを抱え上げる。

意識こそあるものの、もう、アイリスも立っているのがやっとのようだった。ルリが抱えると、あっさりと目を閉じて眠ってしまった。

…頃合いだろう。俺はルリに頷いて、真っ黒な口を開けている洞窟に向かって、先頭を切って歩き出した。

隣には、ルリがついてきている。

「私はみんなほど消耗してないから、いざというときは任せて」

そう言って、前衛を買って出てくれたのだ。

そのすぐ後ろに、コカクチョウとオベリスクが東鳳風破を担いで続き、最後にミユキがルリを抱えている。

俺のマグライトが照らし出す光の円を頼りに、7人はものも言わずにひらすら先を急ぐ。

帰りは行きと違って、ルリが側道を塞いだ一本道だ。加えて罠や敵がいないことを確認しているから、全員の足取りが自然と速くなる。

重傷者を連れていたということで、急いでいたのも確かだが、行きの3分の1もかからずに出口にたどり着いてしまった。

向こうから、外の光が洞窟内に漏れているのがわかる。既に正午をまわっているはずだから、日差しは洞窟の奥まで入り込んでこない。

「…よし、車が見えた。東鳳風破どの、アイリス、すぐに病院まで運んでいくから」

どうせ2人とも気を失っているから聞こえているわけがないが、俺は後ろを振り返って言った。

「ん…」

驚いたことに、ミユキの隣でかすかに頷く声がしたではないか。

「アイリス、気がついたのか!?」

「うん…。身体に力が入り切らないけど、もう大丈夫だから」

彼女はそう言って強がってみせるが、全魔力を使い切っているのだ。

大丈夫なはずがないが、だからといって彼女を庇える人間もいない。

ここは、あえて彼女の強がりを受け入れるしかないだろう。

「そうか、疲れているだろうから、王大人飯店に戻るまでの間は、車で寝てろよ」

「うん」

素直な返事が返ってくる。緊張の糸が緩んで、休めるのが嬉しいのだ。

彼女に限ったことではない。俺も含めて、全員がこの半日足らずの探索で疲労しきっている。

いっときの時間も無駄にはできないが、休息しなければ話にならない。

そんなやり取りをしている間に、頭上からまぶしい陽光が降り注いできた。

洞窟を抜け出たのだ。

ここまで乗ってきたワゴンは、降りたときのままで俺たちを出迎えた。

怪我人を抱えてはいるものの、全員がほっとため息をついた。

とりあえず、この洞窟に入り込んだ目的は達成したのだ。

しかし、その前に立っていた人物は、俺たちを任務終了の開放感から、絶望のどん底に叩き込んだ。

「ご…ゴージャス男…!」

ルリの絶望に満ちた声は、まさしく俺たち全員の気持ちを表したものだった。

あいも変わらず貧相な顔にファッションセンスゼロのいでたちで、俺たちの乗ってきたワゴン車の前でぷかぷか宙に浮いている。

ただ、意外だったのは、ヤツの方も驚いた表情をしていたことだ。

『これは、どうしたことだ。そなたたちが洞窟から出てこれるはずが…』

こいつ、何を言っている?

まるで、俺たちがこの洞窟から出てきたのがおかしいような口ぶりじゃないか。

そりゃ、確かに1歩間違えれば全滅していたかも知れなか…

!!

まさか、あの巨大ミイラは、こいつが!?

俺の直感を裏付けるかのように、ゴージャス男は聞いてきた。

『そなたら、まさか余が送り込んだ刺客を倒してきたとでもいうのか?』

「やはりそうか、貴様があの巨大ミイラを送り込んできやがったのか!!」

俺の怒声に、ゴージャス男は一瞬びくっと首をすくめたが、すぐに涼しげな表情で取り繕った。

『あれは、そなたたちがご苦労にも会いに行こうとしていたじじいがここに捨てた、失敗作ぞよ。
それに、慈悲深い余が活力を与え、完成品の造魔があるから汝は捨てられたのだと教えてやったら、
ものすごい復讐心を燃やして洞窟の奥に入り込んでいったのじゃ。
あの怨念の強さなら、例えそなたたちが老いぼれの親族を庇ったところで、一緒に消されると思ったのじゃが…』

「なんだと!?」

この言い草に、逆上して掴みかかろうとしたのは俺だけではない、ミユキとルリも一緒だった。

しかし、こいつの今の発言は様々な意味で重要だ。

「おい、今の言い方だと、まるで俺たちがここに入った目的も、ネモ老人に会ったことも全て知っているようじゃないか。どういうことだ!」

「そうよ、それにあのミイラが、ネモ老人の兄が作ったなんてことをどうやって知ったの!?」

「…そもそも、なんで私たちの行動の一部始終を横で見ていたかのように言えるのよ。そんなことをしたら気付かないはずが…」

そこまで言ってルリは、はっとしたようにコカクチョウを見た。その眼には、驚愕と疑念の色がありありと浮かんでいる。

「ま、待ってくれ!わたしはもうこの男に忠誠を誓う気はないんだ!手引きなどしてないぞ!」

疑いが自分にかけられたことを知ったコカクチョウは、必死に訴える。

ミユキとルリはそんな弁明をされたところで聞く耳を持たないようだが、ここで頭に血を昇らせては相手の思うつぼだ。

今にもコカクチョウを糾弾しようとする女2人を制して、俺は静かに宣言した。

「だろうな。少なくとも、こいつが自分から手引きしたということはあり得ない」

「しょ、召喚師よ…!」

コカクチョウが、嬉しそうな眼で俺を見た。

うっすらと涙まで浮かべているのにはちょっと驚かされたが。

そこに、アイリスがよろよろと歩み出てきて、俺の左腕に寄りかかってきた。

「御手洗さんの言うとおりね。彼女、あたしたちを騙し討ちにしようとすれば、
あのミイラとの戦いのときにいくらでもチャンスがあったはずよ。
ゴージャス男は、もうあたしたちを用済みだと思っているから、ここまで生かしとくなんてことはしない」

ここでアイリスは、ちょっと首をひねった。

「…考えられるのは、こいつがコカクチョウの知らないところで、盗聴器みたいなものを仕掛けている場合よね。
何が目的か知らないけど、さしずめ、あたしたちが四苦八苦しているのを見て楽しみたかったのかな。
コカクチョウはあたしたちに好意的だから、付きまとっても疑われないだろうとか何とかサル知恵めぐらせて」

「…そうだったわ、確かに」

「コカクチョウ、すまないわね。何度も疑ってばかりで、わたしったら…」

洞窟の中のときとは違って、今度は2人ともすぐに納得した。コカクチョウの真摯な行動に、皆が心を開きかけているのだ。

『…』

アイリスの説明を聞いていたゴージャス男の顔が、だんだん面白くなさそうになっていった。

その顔を見れば、アイリスの推理が当たっていたのは容易に想像がつく。

『ふん、そやつは余の家臣だというのが、まだわからぬというのか。それほど証拠を見せねばならぬのなら、コカクチョウは余に返してもらうぞよ』

「そうは…」

させん、と俺が言うより早く。

「誰が貴様の元になぞ戻るか!!」

コカクチョウが猛烈に食って掛かった。

「悪魔にだって、自我はある!召喚したからには自分の所有物、どう使おうが勝手だなどと思われては、こちらはたまったものではない!!
たいした力もないくせに、白澤図にばかり頼って威張り散らしているお前など、もう主として認めるわけに…」

『汝コカクチョウ、その真の名、メイリンを以って命じる。余の元に戻ってこい』

その言葉を聞いた途端、コカクチョウの罵声がぴたりとやんだ。

たちまち苦しそうな表情になる。何が起きたのかは明白だ。

ゴージャス男め、召喚師として最低の手段を取ったのだ。

悪魔は、自分の真の名前を使って命じられたことに逆らうことはできない。

それを破ることは自らの存在自体を否定することになり、消滅の危機にさらされるからだ。

そこに、悪魔の自由意志などが入り込む余地はない。

それゆえ、これを使っての命令は絶対的な強制力を持つ切り札となるのだ。

だからこそ、彼らは自分の名前を種族名によって隠し、簡単に真の名前がばれないようにしている。

それを、こいつはこともあろうに俺たちという第三者がいる前で使ったのだ。

これがどういう結果を招くかは、ちょっと考えればわかるだろう。

考えなしに真の名前を使って、誰かにそれを聞かれでもして悪用されたら、その悪魔は盗み聞きした者の言いなりになる可能性があるのだ。

悪魔の力というのは、普通の人にとっては脅威的なものだ。それが、何の知識も危険の存在も知らない者に乱用される危険性…。

どんな愚行が起こるかは、想像する気にもなれない。

無論、俺たちはその危険も充分理解しているからそんな愚は犯さないが、
それほど重大な意味を持つものを、このゴージャス男は、ただ自分の見栄を張りたいがためだけに使ったのだ。

「お、お前…最低だな!」

同じ召喚師として、こんな暴挙は決して許せない。

いや、後々に及ぼす影響を考えれば、今すぐにでもこいつの息の根を止めなくては!!

怒りに任せてジャケットの左のポケットにある銃をまさぐった。

が、そこで気がついた。

しまった…、まだ銃に弾丸を装填していない!巨大ミイラ戦で使い切って、そのままだった。

く…!

ポケットの中の銃を握り締めてはみたものの、そこから先がない。

と、アイリスが俺の耳元でささやいた。

いや、実際に声に出したのではない。

ゴージャス男と同じ能力、精神感応だ。

『Your gun is already reloaded.』

「!!」

これが驚かずにいられようか。

アイリスは、俺の銃に弾を込めておいたと言ったのだ。

それも、ゴージャス男にばれないように、わざわざ英語で、だ。

まあ、それ以前に俺が懐に手を伸ばしただけで、どうして銃を取り出そうとしたとわかったのか、
さらにどうやって人の懐に入っている銃に弾丸を装填したのか、やや疑問ではあったが、今はそれが非常に助かる。

「お前だけはもう生かしておけん!」

叫びつつ、愛用のグロッグ17をゴージャス男の額に突きつけた。

しかし、ゴージャス男は意に介さない。

それどころか、ぬけぬけととんでもないことを言い出してきた。

『どうじゃ、今一度余に仕える気はないか?あの刺客を倒すとは、
そちたちは余の想像以上の力を持っていることになるのう。余がこの世の王になった暁には、褒美は望みのままに取らせようぞ』

「…!」

全員の、声にならない怒りがふつふつと煮えたぎっていくのがわかる。無論、俺もそうだ。

この野郎…。

どこの世界に、自分を殺そうと刺客まで放ってきた相手に尻尾振ってついていくバカがいるっていうんだよ!

「人をなめるのも、たいがいにしろ!」

叩きつけるように叫びつつ引き金を引いた。

文字通り目と鼻の先だから、銃弾は確実にゴージャス男の頭を吹っ飛ばしたはずだった。

が。

バッキィィン!

銃を握った右手が撥ね上げられそうになるような衝撃とともに、銀の弾丸は銃口を出た瞬間に砕けったのだ。

予想してなかった衝撃に、思わず銃を取り落としてしまう。

「ぐぐ…」

『それがそちたちの答えか』

がしゃんと音をたてて地面に落ちた俺の銃を見下ろして、ゴージャス男はふんと鼻を鳴らした。

『なれば、予定通り、そちたちが拠点としている、あの王大人飯店を総攻撃することにしようぞ』

「なんですって!!」

血相を変えて、悲鳴に近い叫び声をあげたのは、もちろんルリだ。

『今から戻って止めようなどと、無駄なことはよすことだ。
余の思念波によって、すでに待機している配下の悪魔が攻撃を開始しておるでのう。
今ごろは、あのいまいましい王を八つ裂きにしているは

ずよの』

そういってヤツはほっほっほと笑いやがった。どこまでも腐った野郎だ。

ぎりっと、奥歯を食いしばった彼女は、にわかにポケットから携帯電話を取り出すと、すごい勢いで番号を叩いた。

王大人飯店にかけて、父親の安否を問おうとしているのは明らかだろう。

例えそれが、ムダ手間になろうと、そうしないではいられない。

それに、そうやすやすと王大人がこんなヤツの手にかかるなどとは、俺たちだって思いたくない。

「父さん!父さん!!」

最初こそ日本語で呼んでいたルリだったが、ついには中国語で叫び出す。

その眼に、徐々に涙がにじんできた。

ちくしょう!俺には、何もできないのか!?

…いや、今の俺たちにしかできないこともある。

しかし、それは今の彼女にとって、まるで意味を持たないはずだ。

だが、それでもやらなければ。

そうしなければ、目の前の命が、確実に危険に晒されることになる。

「ルリ!!」

俺は、ショック療法の意味もこめて、敢えて大声で彼女の名前を叫んだ。

電話を手にしたまま泣いていたルリは、びくっとしてこちらを向く。

「今は、王大人とリーを信じよう。あの2人がいて、あっさりと命を落とすようなことになるとは思えない。
とりあえずは、一刻も早く東鳳風破どのを病院に運ぶんだ!」

「あ…!」

ルリは、口をぱくぱくと動かしているが、身体は凍りついたように微動だにしない。

理性では俺の判断が正しいとわかってはいるのだろうが、まだパニックに陥っている感情では、まともに判断を下せないのだ。

ええい、一刻を争う時だというのに…!

「アイリス、俺はオベリスクに手を貸して、東鳳風破どのを車へ運ぶから、ゴージャス男から眼を離すな!
ミユキ、ルリを後部座席に乗せるんだ!下手に刺激するとパニックを起こして暴れるかも知れんから気をつけるんだぞ」

こうなっては、強引に行動するしかない。

俺は東鳳風破をワゴンの最後部に寝かせ、オベリスクに中段の席に乗るよう指示した。

ミユキがルリをその隣に乗せ、自らは東鳳風破が転げ落ちないように見張るため、最後部に乗り込む。

すかさず俺が運転席に座り、最後にアイリスがゴージャス男を牽制しつつ助手席に乗り込んだ。

しかし、アイリスの牽制は必要なかったのかもしれない。

ゴージャス男は、もはやぴくりとも身動きできなくなったコカクチョウを側に携えたまま、にやにやと俺たちが慌てふためく様を眺めていたのだ。

俺たちがどうあがこうとムダだから、敢えて手を出すまでもないと思っているのだろう。

そんなヤツに捨て台詞の一つでも吐いてやろうと、車を急ターンさせて運転席側を横付けしたとき、コカクチョウの瞳が見えた。

「むっ!?」

その眼は、明らかに俺に助けを求めていた。身体の自由は奪われたものの、意識ははっきりとしていたのだ。

「待っていろコカクチョウ、必ず俺が救い出すから!」

気がつけば、ゴージャス男に捨て台詞を吐くかわりに、そんなことを叫んでいた。

『ほっほっほ、そんなたわごとが実現できるというのなら、余も楽しみにしておるぞ』

そんなことを言われても、俺はまったく聞いていなかった。

コカクチョウの瞳が見開かれ、はっきりと潤んだのだ。

俺はその瞳に、今の言葉を必ず成し遂げると誓った。

彼女に力強く頷いて、車を発進させる。

まずは、東鳳風破を助けるべく病院へ直行しなくては。

24章 新メンバー

しかし、重傷の人を乗せ、オベリスクが加わったせいで明らかに定員オーバーしているワゴン車とい

うものは、想像以上に扱いにくいものだった。

動けない人間が乗っているから急な加速や減速は厳禁なのだが、慣れてない車のせいもあってどうにもうまくいかない。

ちょっとアクセルを踏んだくらいではまったくスピードが上がらないのに、ある一点を越えると身体がシートに押し付けられるほど加速するのだ。

おかげで、急加速と減速を繰り返す道程となってしまった。

「オテさん!いい加減にして、そんな運転してたら東鳳さんの様態が悪化するわ!!」

ミユキの金切り声が狭くなった社内にびりびり響く。

東鳳風破を除く全員は、車内に積んであった非常食で、本来の活力を取り戻していた。

後は充分な睡眠が欲しいところだが、それは贅沢というものだろう。

非常食といっても王大人が作った特別製のものだから、回復力は保証付きである。

さすがにオベリスクが食べることはできなかったが、魔力を回復させたアイリスの魔法は受け付けたので、それで傷を癒していた。

…しかし、今のミユキの金切り声まで本来の破壊力を持つのでは、全快するのも考え物というところだろうか。

一方、本来の運転手であったルリは、まだ携帯電話を耳に当てたままで、運転どころではない。

無理もない。彼女にしてみれば、病院なんかより真っ先に王大人飯店に戻って欲しいところだろう。

それを口にしないのは、彼女の精神力の強さゆえだ。

…とは言うものの、俺にしたって初めての土地で、目印なんかない荒野が延々と続く場所を、馬鹿でかい地図だけを頼りに走っているのだ。

心細いったらありゃしない。

なにしろ、右手は俺たちが入っていた洞窟のあった山肌、左手は荒涼とした砂漠が続いているだけなのだ。

無論、町など影も形も見当たらない。

ちょっと街道を外れて、1時間も走ればこんな光景ばかり見る羽目になるのだ。

改めて中国大陸の大きさを実感させられる。

「…」

左右でここまで極端に地形が違うというのは、日本ではちょっと見られない。ひょっとしたらここは、

昔、湖か河の底だったのかもしれない。

そんな退屈で危なっかしい運転が20分ほど続いたころだろうか。

隣で地図を睨んでいたアイリスが、急にドアミラーを覗いた。

広角ミラーなので、助手席からでも後ろが見えるのだ。

「オテさん、変なバイクが後ろから付いてきてる」

「バイク?」

「…右の絶壁を駆け降りてきて、ものすごい顔でこっちを睨んで追いかけてくるの」

「何だって!!」

俺は自分の耳を信じきることができずに、バックミラーを見た。

「…うそだろ?」

確かにアイリスの言った通り、後ろから20歳半ばと思われる青年が、こちらのワゴン車めがけてスピードを上げてくるのが見えたが、
それ以上に驚かされたのは彼のバイクだ。

崖から駆け下りるなどというアクロバティックなことができるバイクと言えば、普通はモトクロスだろう。

そう思っていたのに、彼の乗っているバイクがハーレー・ダビッドソンだったとは!!

…いや、これは絶対に何かの間違いだ。

ハーレー・ダビッドソンというバイクは、アメリカで見るような24時間以上走ってもカーブがないような道路を疲れずに運転するための、
いわば長時間運転用のバイクだ。

激しい段差を乗り越えられるサスペンションでもなく、安定性を重視しているためハンドルも重くきりにくいため、
アクロバットなど論外という代物なのだ。

だというのに、である。

絶壁の高さはゆうに10メートル、角度は50度以上はあるだろう。

その上からハーレーで駆け降りてくるとは!?

もう、そんなことを可能にするのは、ライディングテクニックとかいう次元を超えて、奇想天外というべきだろう。

…あ、そんなことができそうな人間が、1人だけ身近にいたような…。

そんなことを考えているうちに、後方のバイクは俺たちのワゴンを追い抜いたあと、いきなり停車した。

「危ないっ!!」

後ろに怪我人が乗っているとか、そういうことを言っている場合じゃない。

ブレーキペダルを踏み抜かんばかりの勢いで、こちらも急停車させる。

キキキキキーッ!!

タイヤが白煙を上げ、目の前のバイクのマフラーにあわや接触するかというきわどいところで、どうにか車が止まった。

ごとんと、最後部で何かが転げる音がした。言うまでもない、東鳳風破がシートから投げ出されてしまったのだ。

「わわっ!東鳳さん!」

カバーが間に合わなかったミユキが、引きつった声を上げた。

しかし、この場合は彼女を責めるべきではなかろう。

…にわかにバイクの男に腹が立った。

こいつ!東鳳風破は重傷なんだぞ!!

「おい、何を考えているっ!あんなことを…」

「したら、轢き殺されたって文句言えないのよっ!!」

俺がドアを開けて、外に飛び出すとまったく同時に、アイリスも飛び降りた。

セリフまで見事にハモったが、彼女の方が声がキンキンとよく通る分、俺の存在は薄くなってしまう。

「…って、あら?」

突然、アイリスはテンションを落とした。

いきなりのことに、こちらまで毒気を抜かれてしまった…。

と、目の前の男は、謝りもしないで俺たちに向かって平然と話し掛けてきた。

「おい、お前たち、この辺りで師匠を見かけなかったか?」

…は?

師匠?師匠って、誰の師匠だよ?

まるきり予想外のセリフに、俺はまるで対応できなかった。

などと呆気に取られていたら、横からアイリスが予想だにしなかったセリフを吐いた。

「まさか、あなた、十条寺君?」

こいつはこいつで、目の前の青年の問いかけにお構いなしに、さらに妙なことを言い出すし。

と、十条寺と呼ばれた目の前の男は、今度はアイリスを見据えた。

「そうだ。…半年ぶりか、アイリス」

あああああ、話がまったく見えない。誰か、この状況を説明してくれよ〜。

「あ、そっか。オテさんは彼のこと知らないんだっけ」

今になって気がついたかのように、アイリスがあっけらかんと言い出した。

「彼は、十条寺 用輔くん。半年前、あたしたちと一緒に戦ってくれた、骨法の達人なのよ。
で、こっちはオテさ…もとい、御手洗 左京さん。この中国での任務でリーダーしている、デビルサマナーなの」

「…」

十条寺と紹介された青年は、改めてまっすぐに俺を見た。

武道家特有の隙のない、きつい目つきだが、髪をまとめているバンダナが真っ赤なのを除けば、
服装は白のカッターシャツに黒い革のズボンと、あまり奇天烈というほどの姿でもない。

「そうか、こいつらの面倒をみていては、お前も大変だな」

「う…」

な、なんか、にこりともしないでそういうセリフを言われると、言外に責められているようで、
こちらも相槌を打っていいのかどうか迷ってしまうんだが。

しかし、黙り込むわけにもいかない。

向こうは気を使ってくれているのだ。

「ま、まあ、多少はね」

あいまいに返事を誤魔化したとき、ワゴン車の後部からミユキが血相を変えて飛び出してきた。

「アイリスちゃん、東鳳風破さんが!苦しそうにうめいて…」

「なに、師匠が!?」

「えっ?」

俺とアイリスがミユキのほうを振り返るより早く、十条寺が目を丸くして叫んだ。

そしてその言葉は、俺にとって彼の容態が急変したこと以上に、更なる驚きをもたらした。

東鳳風破の名前を聞いて十条寺が師匠と呼んだということは、彼は東鳳風破の弟子だということになる。

しかし、あのヒゲ中年に弟子がいて、そいつがアイリスたちと知り合いだったなんて、初耳もいいところだ。

「十条寺君!師匠って…あれ?」

びっくりして彼に問いただそうとしたら、いつの間にか十条寺の姿が目の前から消えている。

そして。

「師匠!しっかりしてください、師匠!!」

彼のひっ迫した叫び声は、なんとワゴン車の中から響いてくるではないか。

「…呆れた。あのどたばたした性格は相変わらずなのね」

束の間、ジト目でフロントガラス越しの十条寺を睨むアイリス。

ええい、相変わらずついていくのが大変なほどの急展開だな。

…状況から察するに、目の前の十条寺がいきなり消えてワゴン車の中でいたという経緯をまとめると、
ミユキの言葉から師匠である東鳳風破が車内にいて、しかも苦しんでいると判断した十条寺は、
目にも止まらないほどの速さで彼女が開け放したままのドアから車内に飛び込み、
師たる東鳳風破の現状を目の当たりにして、泡食って叫んでいる、となるだろう。

…しかし、そこまで一足飛びに行動に移すというのは、この男はかなりせっかちと見ていい。

最初の第一印象が無骨で素っ気ないものだっただけに、このギャップは相当なものだった。

さらに、目の前からいきなり消えたかのように見せるほどの素早さも、東鳳風破の弟子ならば頷ける。

「…あの師にしてこの十条寺君あり、ということか」

「そうみたい」

俺に軽く頷いて、アイリスも急いで車内に戻った。

無論、東鳳風破を治療するためだ。

「さあ、付添い人はどいて!」

アイリスの気合のこもった声が、まだ外に出たままの俺とミユキのところにまで響いてきた。

「ミユキ、お前が飛び出てきたとき、東鳳殿の様子はどうなってたんだ?」

狭い車内に俺たちまで乗り込んで、アイリスが治療を行なうのを邪魔するわけにはいかない。

自分の目で彼の症状を確認したいのはやまやまだが、それを我慢して隣のミユキに尋ねた。

「…熱がひどいの。今の急停車の少し前まで眠ってたんだけど、だんだん汗をかき始めてきたのよ。
で、わたしが汗をぬぐってたんだけど、そのおかげで急ブレーキのときに彼を支えきれなくてシートから落としてしまって。
そしたらぱちっと目を開いたの」

「じゃあ、東鳳殿は今は起きているのか?」

「うん、でも、きゃー目を覚ました〜、と焦ったら、今度はすごく唸りだしたのよ。
どうしたのって聞いたら、頭が痛いって言い出したのよ。一体どうしたのかわからなくなって…」

「そこでアイリスを呼びに外に出たわけか」

…確かに背中の火傷で頭が痛いというのは、説明がつかない。

いや、熱が出ているというのであれば、頭の痛みはそれが原因なのだろう。

しかし、火傷と発熱が関係あるものなんだろうか…。

と、そのとき、十条寺があたふたと車外に飛び出してきた。

そして俺たちを目にするなり、一気に詰め寄ってくると。

「おい、近くに冷たい水はないか!それも、大量にだ!」

うわっ、怒鳴るなよ!!

頭蓋骨を直接振動させるような感触に、鼓膜が悲鳴をあげる。

おめえなぁ、そんなに間近に迫らなくったって、それだけ大声出してんなら楽に聞こえるわい。

ほれみろ、ミユキだって耳を押さえてるじゃねえか。

「み、水なら車の後ろに2日間くらいは飲むのに困らないくらいの量が…」

「飲み水に手をつけられるか!師匠の熱を冷ますのに使うのだ!」

びりびりびり。

…こ、こいつめ、頼むから目と鼻の先で絶叫するのはやめてくれ〜。

ミユキもこれ以上はかなわないと悟ったのか、『奥の手』を持ち出してきた。

「あ、それならアイスクリームを入れたクーラーボックスに保冷剤がたくさんあるわ」

「それはどこにある!?」

「そ、それも車の後ろに積んであるから、それ以上怒鳴らないで」

「よし」

頷くが早いか、十条寺はきびすを返すとワゴン車の後方にひゅーっと走っていった。

後に残された俺たちは、耳を押さえたままうんざりした顔を見合わせた。

「…敵わんな、あいつの絶叫は。さっきアイリスは一緒に戦ったことがあると言っていたが、そのときもこんな感じだったのか?」

「まあ、似たようなものね。あ、でも少しは落ち着いたかも。たった半年前の話だけど、
あの時は熱くなりだしたら周囲のことなんか、まったく見えてなかったわ。それからすれば、成長したわよ」

自分より明らかに年上の男にそんな評価を下して、ミユキはくすくす笑っている。

…この女は。

人が真剣に心配しているというのに、笑ってられる場合かよ。特に東鳳風破は、一刻を争う事態かも知れんというのに。

少し、いじめてやるか。

「それはいいが、さっき言ってたアイスクリームを入れたクーラーボックスとはどういうことだ?
まさか、任務の成否を左右するミッションを前にしてそんなふざけたことをする余裕があったのか?」

「げ…」

案の定、ミユキの表情が引きつった。

俺は意識して抑揚のない声を出して、追い討ちをかけてやる。

「このことは日本に帰ってから、マダムに正式に報告しておくからな。職務怠慢として、しかるべき処罰をしてもらう」

「え〜、そんなぁ〜…」

哀れげな声で甘えてくるが、ここでは取りあってやるもんか。

「だめだぞ、甘えたって。それより東鳳殿の様態が気になる。治療が終わった頃を見計らって中に入るぞ」

「ぶー」

好きなだけ唸っていろ、こいつは。

まだ唸っているミユキを放っておいて、俺はワゴン車に戻った。

…まあ予想はしていたが、車内はとんでもなく暗い雰囲気がどよめいていた。

運転していた俺と助手席にいたアイリスが出ていたから最前列の席は誰もいないが、
2列目のど真ん中にオベリスクがどっかりと腰を下ろした状態で微動だにせず、その隣でルリが相変わらず携帯電話を耳に当てている。

あの様子では、まだ王大人の安否はわからないのだろう。

問題の最後部では、シートを全部使って東鳳風破がうつ伏せに寝ていた。

ミユキの言った通り、全身に汗をかいてうなされているのがわかる。

その額には、保冷剤が当てられている。

アイリスは、彼の背中に手を添えていた。

その眼が険しいのと、隣にいる十条寺の表情から、こちらも事態が思わしくないのはすぐに見て取れた。

「東鳳殿の様子は良くないのか?」

そう聞くと、意外にもアイリスは答えにくそうに言った。

「うーん。どうも席から放り出された衝撃で目を覚ましてから、火傷の跡自体はふさがり始めているみたい。
普通じゃ考えられないくらい驚異的な回復力なのはいいんだけど、その反動ですごい熱を出してるのよ。
今は、むしろその熱で脳や臓器がやられてしまわないか、そっちが心配ね」

「…どうしたらいいんだ?」

「今は絶対安静。これ以上車で運ぶのも危険よ。たぶん今が峠だから、下手なことしたらどう転ぶかまったく見当もつかないわ」

「回復魔法も受け付けないのか?」

「真っ先に考えたけど、さっき言った通り今は熱のほうが危険なのよ。
魔法では解熱できないから、やるだけ精神力のムダ使いになるよ。
現に今だって、両肩に腹、太ももと、見えないところにたくさん保冷剤を入れてやっと冷やしているんだもん」

「くそっ…」

思わず舌打ちしてしまった。

完全に手詰まりだ。

王大人飯店の様子がわからない以上、一刻も早く戻らなければならないのに、東鳳風破がこのありさまでは立ち往生だ。

なにしろ、車で動かすことすらできないのだから。

そのときだ。

「リー!無事だったのね!!」

出し抜けの大声に、心臓が口から飛び出しそうになった。

言うまでもなく、声の主はルリだ。

さっきまでの追い詰められた表情はどこへやら、目を輝かせて携帯電話を握り締めて怒鳴っている。

そう、自分が必要以上に大声を出していることにも気がついてない。

「うん、うん、…父さんなら大丈夫だとは思ってた。それで、他の人…よかった!
ううん、状況が状況だから文句なしよ!確かに焼かれた分は痛いけど。それと…なに?御手洗さん?」

最後のは、俺が彼女の後ろから背中をつついて呼んだため、こっちに振り返ったのだ。

俺は、隣で寝かされている東鳳風破を指差し、自分の額に手を当て、次に彼女の携帯電話を指差した。

言いたいことがわかったのか、ルリはこっちに向かってぐっと頷く。

「リー、そっちも大変なのはわかるけど、急いで欲しいお願いがあるの。
東鳳風破さんが、すごい熱を出して絶対安静の状態なの。もう車で運ぶのもまずいみたいだから、
熱さましを持ってこっちに救援を出して。場所は、例の洞窟に来る道筋の途中だから。…えっ!?」

突如、彼女の声のトーンがはね上がった。

「それ、本当!?だとしたら私たちの方であんたたちのリベンジをかけることもできるわ!
…ちょ、ちょっと、あんたが父さんのもとを離れたら…あ、そっか。それじゃ仕方ないわ。待ってるから急いで来てねっ!」

一気にまくしたてると、ルリははあ、とため息をついて電話を切った。

「みんなの命は無事だったのね、良かったじゃない」

ミユキが、まだ興奮状態から抜けきってないルリの肩にそっと手を置いた。

と、ルリはくわっと掴みかかるような勢いで叫び出した。

「そ、それだけじゃないのよ!父さんたち、ゴージャス男の本拠地を突き止めたらしいのよ!それも、ここからそう遠くないって話だったわ!!」

なんだって!

そうか、それでルリはこれほど興奮してたのか!

電話でリーと話してたとき、リベンジとか何とか、ちょっときな臭いセリフも飛び出していたが、それも納得がいく。

「何者だ、そのふざけた名前のヤツは?」

事情を知らない十条寺が、つっけんどんに聞いてきた。

「俺たちが今戦っている相手だ。俺の仲魔も、そいつの術にかけられたせいで、東鳳殿がこれほどの重傷を負うハメになってしまったんだ」

「なに、師匠が…」

俺の答えに、十条寺の眼がわずかに見開かれた。

「そうか、師匠は今お前たちと行動を共にしているのか。
ならば俺がそのゴージャス男とやらを倒せば、師匠の代わりを務めたことになるんだな」

…え?

「いいだろう。師匠が動くことができんのなら、代わりに俺がお前たちについていってやろう」

…ええっ!?

「そんな驚いた顔をするな。ミユキやアイリスとは一度行動を共にしたことがある。
こいつらのことなら、お前と同じくらいには知っているつもりだ」

「まあ、それは助かるわ」

などと、とんでもない返事をしたのはミユキだ。しかも、ルリまでもが。

「よろしくね、十条寺さん。私は王の娘で、ルリといいます」

ちょっと待てー!

なんでそこまで話が簡単に、しかも勝手に進んでいくんだ!

つまりあれですかい、既にこいつはもうメンバー扱いとでも言うのか!?

「お、おいみんな待てよ!まだメンバーに入れると決めたわけじゃ…」

俺が抗議を始めようとしたとき、アイリスが思いがけないことを言い出した。

「良かった、それならあたしがここに残っても大丈夫そうね」

「なっ、どういうことだアイリス!」

驚きの声をあげたのは俺やミユキ、ルリのみならず、十条寺も例外ではなかった。

かたやアイリス本人は、真剣な表情をしたまま、今もなお時折苦しそうに顔を歪める東鳳風破から目を離さない。

「おじちゃんをここから動かすことはできないし、かといって1人で放っておくなんて論外よ。
王大人からの応援が熱さましを持ってきてくれても、その人たちがここまでの火傷を診察できるとは限らない。
…結局、様態が安定するまであたしがついてないと」

「しかし、いつまで発熱が続くかわからないのに、1人でいてはお前がもたないぞ」

「さっき言った通り、火傷は治りかけてるんだから、熱も長くて今日1日だわ。
だからあたしが先にダウンすることはないわよ。
それより、ここでゴージャス男に時間を与えちゃダメ。
王大人飯店を襲撃して有頂天になっている今こそ反撃の…きゃっ!?」

熱っぽく喋っていたアイリスが、突然飛びのいた。

「うう…十条…寺…お前…が…いるのか?」

東鳳風破が、額に当てられていたアイリスの手を掴んで頭を持ち上げたのだ。

すぐさま、十条寺が隣にやってくる。

「師匠!!ここです!!」

「ふふ…そう呼ぶな…と…、言って…おろうが。話は…聞いておった。…みなに…迷惑…を…かけるな…」

聞いているほうが痛々しくなってくる。

熱で意識が朦朧としているのを無理やり押さえ込んでいるため、鬼のような険しい表情だ。

そのうえ、目の焦点が合ってないまま、うわ言のような調子で喋っているのだ。

眼が十条寺を捉えてないのも、横で見ていて明白である。

なのに、彼はまだ何か話そうとしているではないか!

熱でまともに頭も働いてないはずなのに、恐ろしいまでの意思の力である。

「みた…らい…、こやつ…を…、たの…」

「わかりました、十条寺君のことは我々が預かります。だから、もう無理しないで!」

黙っていてもすぐに気絶しそうなのはわかっていたが、さしもの俺もそう叫ばずにはいられなかった。

すると、東鳳風破はふっと表情を緩めた。

何か言いたげに口を開いたが、さすがに今度は言葉にならなかった。

首の力が抜け、シートの上に積まれた保冷剤にごとんと落ちる。

と、見ているそばからいびきをかき始めた。

「…寝ちゃったみたい」

「見ればわかる。…まあ、あれほど無理した後では、すぐに起き上がってくることはないだろう」

…などと、ミユキと漫才をやっている場合ではない。

すぐにでも次のことを考えなくてはならないのだ。

まずは、十条寺のことだろう。

「…まさか、こんなことになるとは思わなかったが。改めて十条寺君、よろしく頼む」

「ああ、師匠の抜けた分は任せてもらおう」

相変わらずの無表情だが、右手を出してみたら握り返してきた。

こいつは、見た目の近寄りがたい印象とは裏腹に、案外付き合いのいいタイプなのかも知れない。

「それと、アイリス。東鳳風破殿をよろしく頼むぞ」

「はい」

いつものふざけた態度ではない、礼儀正しい返事が返ってくる。

「あとの者は、王大人からの応援が着き次第、ゴージャス男の本拠地を教えてもらって、
直ちにそこに向けて出発する。もう正午を過ぎてだいぶ経っているし、夕暮れになるのを待ってから奇襲をかける。
ヤツの性格からして、勝利に浮かれている時はその直後の備えなんてするまい」

「そうね。ヤツに限らず、普通の人でもそういうときは気が緩むわ。それにこっちにはオベリスクという切り札もある」

ルリも俺の意見に賛同してきた。父親が無事とわかって、すっかり落ち着きを取り戻している。

「それまでは王大人からの救援待ちだな。朝早くからの洞窟探索で、全員疲れているだろう。
到着まで1時間もかからないはずだが、それまで仮眠を取っておこう」

「はい」

全員が頷いて、ワゴン車の中で思い思いに休息の体勢を取った。決して小さくない車だが、さすがに全員が休もうとすると狭苦しいことこの上ない。

「オベリスク、見張りを頼む。王大人からの救援が来たら起こしてくれ」

俺の指示に、造魔は頷いて車外に出た。

見晴らしのいい場所を選んで、律儀に左右を見渡している。

それを確認して、俺は運転席のシートを少し倒して目を閉じた。

すぐに眠気が意識を暗闇に誘う。

…そういえば、中国に来て初めて眠ったときも、こんな風に気絶するように眠ったんだっけ…

 

25章 スクランブル

トントン。

…なんだ、人が気持ちよく寝ているってぇのに、肩叩いて起こそうとするやつは。

トントントン。

うるさいなあ。

…ゆさゆさゆさ。

今度は腕を揺すってきたか。

「…ん、どうした…」

どうにか薄目を開いて声をかけてから、今が非常に重要なときであることを思い出した。

と…。

「起きて、あ・な・た…」

耳元で甘く囁く艶っぽい女性の声に加え、ふっと頬に吹きかかる柔らかい吐息が、ぞわっと神経を撫 で上げる。

なんだ何なんだ何事だ!!

「ぬわぁっ!!」

ガッツ〜ン!!

反射的に力いっぱい飛び上がってしまい、その拍子に頭と首にものすごい衝撃が駆け抜けた。

一瞬、目の前が真っ白になる。

間髪を置かずに暗くなり、目覚めたばかりの意識が再び深いところに落ち込もうとする。

ただし、今 度は眠りではなく、気絶だが。

「…!」

誰かが慌ただしく叫んでいる。その直後、両肩と背筋に鋭い痛みが走った。

メキキキッ!!

背筋の痛みは半端ではない。嫌な音がしたし、一瞬、息が詰まったほどだった。

「あつっ!さっきから一体なんだっていうんだよ!!」

まったく、ただ人を起こすだけでなんでこんなムチャクチャなことが起きるんだ!

無理に瞼をこじ開けて周りを見渡すと、目の前でケタケタ笑っているミユキとびっくりしたような表情のルリ、
さらに後方で憮然とした顔の十条寺ときょとんとした面持ちのリーが目に入った。

「やっぱり怒らせた…だからミユキさん、止めとけばよかったでしょう」

「まったくだ。お前、半年の間に何があったんだ?」

ルリと十条寺が揃ってミユキを非難している。

…どうやら俺に対する一連のいたずらは、彼女が画策 したものらしい。

俺は、ミユキに極限まで凄んだ顔を近づけてやった。

「一体何をやっていたのか、説明してもらおうか」

さっきまで楽しそうに笑っていたその顔が、一転して引きつった愛想笑いになる。

「あはは、う〜んと…オテさんがなかなか起きなかったから、色っぽく迫ってみたら効果あるんじゃないかと思って、
ルリさんに頼んで起こしてもらったの。そしたら、想像以上の効果があったみたい で…オテさん車の天井に頭ぶつけちゃって。
今度は気を失ってしまいそうになったから、慌てて活を入れようとしたんだけど、素人がすることじゃないって十条寺君に止められて、
ムキになってやった ら、危うくオテさんの背骨…へし折りそうになっちゃって。あは、あはは、はっはっは〜…」

まずいことをしたとは思っていたのか、だんだん声が消え入りそうなほど小さくなる。

「車に積んでたアイスクリームの件と合わせて、マダムに報告しておくからな」

「え〜っ、そんなあ!!」

冷徹な俺の「死刑執行宣言」に、ミユキはたちまち泣き顔になった。

…と言ったところで、本気で怖 れているわけでもない。

なおも俺にまとわり着こうとする彼女を、十条寺がぴしゃりと制した。

「ミユキ、それに御手洗。今はそんなことで遊んでいる場合ではないぞ」

な、なんで俺までたしなめられなければならんのだ。

「ん、うう…。まあ、そうだけど…」

予想外のことに一瞬凍りついた俺とは対照的に、ミユキは途端にしおらしくなった。

それを見て、俺も普段のペースに戻ることができた。

「そうだな、これからゴージャス男の本拠地まで行って奇襲をかけるんだからな。
みんな、夕暮れま でまだ時間があるから、その間に…」

「そんなに余裕はない。もうじき夕方だ」

十条寺の抑揚のない、しかし当初の予定とかけ離れたセリフに俺は愕然とした。

確かに西の空が赤みを帯びている。

今の時刻は5時前ごろだろう。

「何だって!?王大人からの救援が来るのに、そんなに時間がかかったのか!?」

「いや。リーとかいう男なら、お前が眠ってから30分あまりで俺たちと合流した」

「…それなら、どんなに遅くても昼下がりがいいところだ。まさか、リーはここに着いてすぐに俺た ちを起こさなかったのか?」

「いや、起こそうとしたが俺が止めた。ちょっと揺すったくらいでは誰も起きなかったから、
全員疲れが相当に溜まってたと思って、出発ぎりぎりまでそっとしておくように言った。」

「…そ、そうか」

う〜む、これは十条寺なりの気遣いというべきなのだろう。

早めに準備して万全の態勢で臨もうとし た俺の予定が狂ってしまったが、これは仕方あるまい。

事実、ある程度の睡眠を取ったことで、全員が緊張の連続から開放された落ち着きを取り戻していた。

「あいや、皆さんぐっすり寝ていたね。今は顔色もいいし、ゴージャス男にきっと勝てるよ。」

リーがにこにこしている。

俺たち、とりわけルリの元気な姿を見ることができたのがうれしかったの だろう。

「わかった。なら手早く準備を済ませてヤツの本拠地に向かおう。アイリスはいるのか?」

シートの背もたれ越しにぐっと伸び上がって最後部を見る。

さっきから彼女の姿が見えないのは、お そらく東鳳風破の治療を続けているか、寝ているのだろう。

またもリーが俺に答えた。

「いるね。今、寝ているね。東鳳風破さんは、私の部下がしています」

「しています?」

「…ああ、御手洗さん、看ていますって言いたかったのよ、リーは」

ルリのフォローが入る。

しかし、相変わらず怪しげな日本語だな。

本当に誰がこいつに教えたんだよ!

「そうか、なら寝かしておくか。残りの者は準備を始めよう。リーさん、車で来てますよね?」

「もちろんよ」

「よし、俺たちはそれに乗り換えよう。みんな、荷物をリーさんの車に積み替えるぞ。それが終わっ たら、俺は見張りのオベリスクを呼んでくる」

「はい」

「あと、ゴージャス男の本拠地までの道案内は誰に頼めば…」

「私やるね。他の人は、日本語が話せないから案内できない。残るこの子には、手はずを話してある から大丈夫ね」

俺の言葉を最後まで聞かずに、リーが名乗り出た。

そして、この子と称して指差した先には、アイリ スがくーくーと寝息をたてている。

「わかりました、じゃあみんな荷物を積み替えるぞ」

俺の号令とともに、各員が手際よく装備品や携帯食料、救急キットなどをワゴン車から降ろしていく。

リーたちが乗ってきた車は、少しくたびれたハイラックスだった。

俗にRVと呼ばれている、ジープ と普通車の中間みたいなやつだ。

7人乗りのワゴン車に比べれば小さく見えるが、これなら荷物は簡単に収まるし、俺たち5人とオベ リスクが乗るだけの大きさは…

…あるんだろうか?

これって、オベリスクみたいなでかい身体が収まるかいな?

奴の身長は2メートル50前後、体重は少なく見積もっても200キロはあるだろう。

なにしろ岩磐を 吹き飛ばす巨大ミイラの鉄拳を正面から防いだボディだ。

どう見ても、人間のスケールで体重を推測するのは無理があろう。

無理やり車内に押し込んだとしても、車が動くだろうか?

「御手洗、何を考え込んでいる?」

自分の着替えと飲料水の入ったタンクを抱えてきた十条寺の声で、我に返った。

「あ、いや…この車がさっきまでのワゴン車に比べて多少小さいから、オベリスクが乗れるかな、っ て心配になってな」

「オベリスク?」

「今見張りに立っているでかいのだ。造魔といって、人工的に造られた悪魔で、マスターと認めた者 の命令しか受け付けない」

「そうか、あいつのことか。ならあんたが車の屋根にでもしがみついて来いって命令すれば済むこと じゃないのか?」

なぬ!?

「お、おい、いくらなんでも無茶が過ぎるぞ、途中で振り落とされるのは目に見えている。
それにあ いつの両手はレーザーブレードだ、捕まること自体ができな…どうした?」

俺は今になって、目の前の十条寺が俺よりかなり上に視線を投げかけていることに気がついた。

「オベリスクってのはお前のことなんだな。話は聞いた通りだ、できるか?」

こ、こいつ!本人に直接さっきの無茶をやれっていうつもりか!?

オベリスクもオベリスクだ、いつの間に見張りをやめて人の背後で立ち聞きなんかしてやがる!

だが、それ以上にオベリスクが頷いたことに驚かされた。

「なんだと!?」

俺の狼狽をよそにオベリスクはハイラックスの屋根を見据えたあと、ひょいっとジャンプしてそこに 乗っかった。

ショックで車体がミシリと軋んだものの、それ以上の異常は見られない。

そして両手のブレードとつま先をルーフキャリアに引っ掛け、動かなくなった。どうやら、その状態

で車にしがみついたままついて来る気らしい。

十条寺が、珍しく含み笑いを見せながら俺に呟いた。

「ということだ」

「…ということだ、で済む問題か、これ?…まあ、他に方法もないならしょうがないか」

「オテさん、荷物積み替え終わったよー…って!?」

忘れ物の確認をしにワゴン車に戻っていたミユキが、車の上にへばりついたオベリスクを見て絶句する。

それと同時に。

「なに、今の変な軋みは?…」

ハイラックスの中で積み込まれた荷物を整理していたルリが飛び出してきて、俺たちの視線を辿って いき、オベリスクを見つけてやはりぎょっとした。

「ね、オベリスクって…なんで屋根の上なんかに…」

ミユキとルリ、どっちの声だったのかはわからなかった。そのくらい上ずった声だったのだ。

「こいつ、車に乗るスペースがないとわかったからこのままで来るつもりらしい」

「はあ…」

今度は2人同時にため息をつく。

「さ、ここで呆気に取られていても始まらない。もう行くぞ」

「はいな〜…」

みんな、まだ茫然自失状態のまま、のそのそと車に乗り込む。

俺も後部座席に乗り込んで、ふと前を 見たら助手席にリーが座っていたのには驚いた。

さっきまで姿も見えなかったというのに、相変わらずの神出鬼没ぶりだ。

運転席にはルリが座り、リーの指差す方向に車をスタートさせる。

オベリスクが上にへばりついている分、車の挙動はやや鈍かったが、それでも走行に支障が出るほど ではない。

徐々に暗くなりつつある外を眺めながら、俺は頃合いを見計らって、隣の十条寺に聞いてみた。

「最初に会ったときから聞こうと思ってたんだが、君は東鳳風破殿を師匠と呼んでたよね。

彼とは4日程度しか行動を共にしてなかったんだが、弟子がいるような素振りはまったくなかったんだ。

それ に別れ際でも、師匠と呼ぶなとか言っていた。どういうことなのか教えてくれないか?」

あえて、『差し支えなければ』とは言わなかった。

これから生死を共にする戦いを生き抜こうとする のだから、余程の事情がない限り隠し事は許さない。

そのくらいの気概をこめて言ったつもりだった。

さらに言うなら、彼が俺たちの行く手を先読みしたかのように現れたのも気になった。

まかり間違え れば、こいつはゴージャス男が懐柔したスパイという可能性もある。

が、予想に反して十条寺はあっさり答えた。

「それに答えるとなると、最初から話した方がいいだろう。少し長くなるがな」

そう前置きして話し出した。

「確かに、正確には俺は東鳳風破さんの弟子じゃない。彼は、俺の本来の師匠の兄弟子に当たる人な んだ。
…本当の師匠は、俺の修行が終わる直前に死んでしまって、当事道場を開いていた東鳳さんがわずかな期間だったが、
その後の俺の面倒を見てくれてたわけだ」

「…知らなかったとはいえ、立ち入ったことを聞いてしまったようだな」

「いや、構いはしない。それがちょうど2年ほど前になるな。…世話してくれたのは2週間程度のことだったから、
東鳳さんは別段師弟関係にあったとは思ってないのかもしれない。だが、俺にとっては、師匠が亡くなって途方に暮れてたときに、
手を差し伸べてくれた大事な方だ。本来の師匠と同 じくらい、尊敬している」

「…」

「それで、俺は半年前の戦いの後、新たな奥義を編み出すためにこの近くの小さな町で修行していたのだ。
そこに、師匠から近くにいると手紙がきたのだ」

「へ?手紙…あの人、いつの間にそんなものを書いてたんだ?」

「一度師匠に顔を出しておこうと思って、夕べからバイクを飛ばしてきたんだが、停泊場所にしているという王大人飯店に行ったら、
あの洞窟に向かったと言われてな。愛車で一直線にそこへ向かう途 中でお前たちを見かけたというわけだ」

「…ちょっと」

それまで黙って運転していたルリが、急に口を挟んできた。

「じゃああなた、父さんの店が襲撃を受けているのを見捨てて師匠に会いに来たの!?」

「いや、俺が出発したのは午前中だ。そのときは襲撃の気配などまるで感じなかった。
だからここで 合流したリーからその話を聞いたときには、だいぶ驚かされたぞ」

と、まるで動じてないような口調で弁明した。

「それと、なんで崖の上からバイクで飛び降りてきたの?あの洞窟まではほとんど一本道だから、そ んな遠回りする必要は…」

「だから言っただろう、一直線にやってきたと。わざわざ近道をしたのに、なぜ遠回りなんだ!」

やや苛立ったような声を出す十条寺。

答えになってないぞと言いかけて、俺はあることに気がついた。

「は?…すると何か、本来道なりに来るはずのところを、君は荒野や崖やらがあるのを、全部突っ切 ってきたって言うのか?あのバイクで!?」

「そうだ」

ずるっ、がたん、どてっ、ごちん。

ややあって…キキキキキ〜ッ!

言うまでもない、十条寺のあまりの破天荒な行動に、彼自身を除く全員がずっこけたのだ。

ブレーキの音は、運転していたルリも例にもれずずっこけてしまったため、ハンドルを取られた彼女 が慌てて車を立て直したものだ。

「お嬢さま、大丈夫!?」

リーが焦って横からハンドルを支えようとするが、彼女は手を上げてそれを制した。

どうやら大丈夫 だとわかると、今度は真後ろの十条寺にジト目を向ける。

「…あなた、やはり東鳳さんの弟子ね」

「どういう意味だ?」

「その気になったら、空でも飛ぶし、死んだって生き返ってきそうってことね!!」

歯を剥いて、わかったようなわからないようなことを並べ立てるリー。

と、それを聞いた十条寺がにわかに眉を吊り上げた。

「きさま、その言葉…師匠に対する侮辱とみなしたぞ」

「当たり前ね、私、あの人の道楽に付き合わされてあわや死ぬような目に遭わされたね!!」

おい…それは売り言葉に買い言葉というやつじゃないのか!?

リーが言ってるのは、例の高速道路を馬で逆走した一件だろう。

確かにリーがあの暴走を根に持って もしかたないところはあるが、何もそれを十条寺にぶつけなくても…。

リーの挑発に答える十条寺の声にも怒気が混じった。

なんか、雲行きが怪しくないか?

「許さん…その身をもって師匠に詫びろっ!!」

叫びざま彼は、助手席のリーのこめかみに拳を当てた。

ぐりぐりぐり。

「あいやあああ〜ぁっ!!」

「さあ、まだ謝らぬか、まだ詫びる気はないというか〜!」

ぐりぐりぐりの、ぐりっ。

「あああああ〜っ、あいやああ!!」

…。

一体何をやらかすのかと肝を冷やしたら、ただの「ぐりぐり」かよ。

脱力して大きくため息をついた俺の横で、ミユキがくすくす笑った。

「彼、こういう性格なのよ。素人相手に本気で怒ったり、殴ったりなんてことは決してないわ」

やれやれ。

「十条寺君、そろそろリーを許してやりなよ。道案内をする人間がこれだけ痛がっていては、無事に 目的地まで辿り着けない」

俺の助け舟に、リーはもろにすがってきた。

怪我などの心配はないとは言え、人体の急所を的確にぐ りぐりしてくる十条寺のおしおきは、耐えがたいものがあるのだろう。

「あいや、そう、そうね!もうちょっと先で、…あいやあっ!!分かれ道。お嬢様に教えないと、迷う…ああああ!」

「ふん、ならば分かれ道までは迷う心配はないということだな。じゃあそこまでは俺のおしおきを存分に味わって…?」

「あいや、そんな殺生な…ん?十条寺さん?」

十条寺は、唐突に上を振り仰いだと思うと、リーのこめかみに当てていた拳を外した。

それと同時に、車の天井でどん、と音がする。間髪をいれず、オベリスクの巨体が車の前方に降りたった。

オベリスクが車を飛び降りたのだ。そしてこいつも、十条寺と同じく上空を見上げている。

「ルリ、車を止めろ!敵だ!」

十条寺がそう叫んで、まだ停車しきってないハイラックスから飛び降りた。

そのセリフに、ミユキが驚愕の表情を浮かべる。

「まさか!御手洗さん、レーダーには何も反応してなかったの!?」

「ああ、何の反応も…」

と言いかけてCOMPを取り出して、己の失態に初めて気がついた。

エネミーソナーの感度が半径5メートル以下に設定されていたのだ。

ネモ老人の洞窟でニセの生体マグネタイト反応に騙されていたとわかったとき、当てにならないからと切ってしまっていた。

その後、洞窟を出てから再起動するのだけは忘れなかったが、普段感度をいじることはないものだから見落してしまっていたのだ。

まずい。COMPを使う者にあるまじき失敗である。

せめて、敵の正確な場所を特定するため、あわてて感度を上げてみる。

有効範囲10メートル、15メートル、20メートル…。

おい、まだ反応なしか?

どういうことか確認するため、俺も外に出た。

他の者はリーも含めて、全員外に出て戦闘体勢に入っている。

だが、十条寺とオベリスク以外は周りを見渡すばかりで、敵の姿を認めてないようだ。

と。

ビーッ!

突然COMPが敵を補足するのと、オベリスクが地を蹴って宙に舞うのが同時だった。

「!」

ばしゅん、と、レーザーで何かが焼かれる音が頭のすぐ上で響く。

ややあって、足元にどさりと音を立てて、そいつが落ちてきた。

そうか、敵はかなりの上空で待ち受けていたのだ。

オベリスクがジャンプしてから着地するまで、ゆうに5秒以上かかっている。

ということは、少なくても5メートル以上は跳んだはずだ。

エネミーソナーは、基本的に垂直方向の感度は水平方向の半分以下しかない。

地中に潜む悪魔も多いため、下方へも他の方向と同じだけの感度を求められるのだが、さすがに地中の感度はかなり低下する。

それを補うため、どうしても垂直方向の感度は狭くなってしまうのだ。

上空への感度を水平方向と同じだけ上げようとしたら、地中への感度はほとんどなくなる。

鳥型の悪魔にしてみれば、20メートルくらいまでの高度は、一呼吸あれば地上に降下して来れる程度の高さでしかない。

感度をかなり上げてもソナーが反応しなかった理由も、これで頷ける。

「うっ、…この…!」

落ちてきたのは、造魔のレーザーブレードによって腹部を大きく焼き切られた、コカクチョウだ。

もちろん、一時とはいえ俺たちと行動を共にした彼女ではない。

ゴージャス男の配下として、いいように使われている連中の1人だろう。

腹を押さえ、痛みにうめく女悪魔に、十条寺がすかさず歩み寄り、その左胸に手を当てた。

「降伏しろ。さもなければ、心臓を潰す」

だが、彼の脅しにこの悪魔はまったく動じなかった。

「はんっ!人間ごときが大きく出るんじゃないよ!だいたいそのいやらしい手をどけな。このアタシに切り刻まれ…」

「黙れ!」

ドンッ!!

みなまで言わさず、十条寺は短く息を吸い込むと、右手を鋭く突き出した。

「がはっ!!」

彼の掌底打によって、宣言どおり心臓を潰された悪魔は、口と鼻から大量の体液を噴き出して絶命する。

そのとき、上空からバサバサとたくさんの羽音が聞こえてきた。

「呆れた…奇襲をかけようとしたら、5メートルも飛び上がって斬りつけてくるバケモンがいたなんて」

「常識はずれよね。でもつまりは、下に降りさえしなきゃ、アタシたちに手出しできないってことよ」

「そうよね、せっかく見つけた獲物だから逃す手はないよ。でも、夜になったらアタシたちに勝ち目はないし、ちゃっちゃと殺しちゃお」

「それがいい〜」

わいわいと好き勝手なことを言いながら下降してきたのは、8羽ものコカクチョウだ。

その中の1羽が、俺とオベリスク、ミユキを睨みつけた。

「…ね、ね、さっきのデカブツとあの銃を持った男、それに露出狂みたいな女って、ミカドの話にあったオジャマ虫ってやつじゃない?」

「あ、きっとそうだよ。それにあのオヤジ、あいつらを殺したら褒美をたんまりくれるって言ってたじゃん。
いけすかない奴だけど、ご褒美は期待できるかも〜!」

ミカド…ということは、こいつらはゴージャス男の部下だと推測したのは当たってたわけだ。

くそ、よりによってこんなタイミングで…!

「アタシその話のった!ご褒美は、全員にイカしたオトコ紹介してもらうってのは!?」

「さんせ〜いっ!」

それを合図に、コカクチョウどもの眼がらんらんと輝き始めた。

26章 契約

コカクチョウの群れがやる気になったのを受けて、十条寺が挑発した。

「来るなら来い、貴様ら全部返り討ちにしてくれよう!!」

「十条寺君、あまり調子に乗るな!本気にさせると、意外と厄介な相手なんだぞ」

…とは言ってみたものの、聞く耳を持たないのは明らかだ。

すると、十条寺の挑発に乗ったのか、コカクチョウのうちの1羽がすっと降りてきた。

「言ってくれるじゃん。さっきアタシたちの仲魔にセクハラした上に殺したのもあんただったっけ。その仇、アタシが取らせてもらお」

そいつはそう言い放つと、俺たちの方をくわっと睨んだ。

「そのセクハラ野郎とサシでやるからね、あんたたちは手を出すな!」

「…へいへい」

地上で一騎打ちというなら十条寺が不利になるというわけでもないから構わないが、
…それにしてもこいつら、俺たちといたコカクチョウと違って、えらく言葉遣いが悪いな。

…そういえば、彼女はこいつらの中にいないのか?確か、真の名をメイリンとか言っていた。

俺は火花を散らして睨み合う十条寺と女悪魔をよそに、彼女を探した。

…いた。

あまりにも無表情なので気がつかなかったが、群れの最後尾にいて滞空している。

強制的に連れ帰っておいて、すぐさま同種族の連中と外に出させるとは、どうにも理解できないやり方だが、
あのゴージャス男に理屈や常識は通用しない、いやそもそも持ち合わせてない。

…あの感じだと、まだゴージャス男の呪縛は解けてないようだな。

まあ、解けたならヤツの元にいるはずがないから当然か。

「てやああっ!」

十条寺の咆哮が、俺の思考を中断する。

一気に間合いを詰め、骨法の基本技である掌底打を叩き込むつもりだ。

基本にして奥義、が武術の基本だ。

当たれば必殺となるだろう。

それにしても、東鳳風破の速さを見慣れているので眼がついていけるが、そうでなければ驚愕の声を上げているところだ。

かなりの踏み込みの鋭さである。

一騎打ちを挑んできたコカクチョウにとっても、予想外の速さだったようだ。

一瞬、眼を見開いた後、咄嗟に脚を高く上げて、カギ爪で迎え撃とうとする。

しかし、十条寺のほうがさらに一枚上手だった。

相手のカギ爪に突っ込んでしまったと見せかけて、なんと左手でその脚を引っ掴み、動けなくなった

ところへ掌底を敵の顎にめり込ませたのだ。

ごすっ。

必殺の一撃にしては、かなり地味な音だったが、実はこういうときの方がダメージは甚大なのだ。

音になって失われるはずのエネルギーが、全て破壊力に転じているのだから。

「…!!」

一撃で顎を砕かれたらしい。

顎を押さえてのた打ち回っているコカクチョウは必死で絶叫しているつもりのようだが、声になってない。

しかも、口と鼻の穴からあれだけ大量の体液を撒き散らしていては、じきに体液が喉と鼻に詰まって窒息死してしまうだろう。

「…」

果たして、一騎打ちを挑んできた女悪魔の、伸ばしきっていた右腕の痙攣が止まって力が抜ける。

断末魔の声を上げることもできずに事切れたのだ。

上空で観戦を決め込んでいた他の連中が息を飲むのが、地上からでもはっきりわかった。

人間のくせに、とバカにしていた相手が、ただの一撃で仲間を倒したのだから無理もない。

全員返り討ちにしてやると言った十条寺の言葉は、はったりではなかったのだ。

地上に降りてしまったら、戦いは明らかにこちらに分がある。

…そう、向こうが地上まで降りてきてくれたら、の話だ。

しかし、世の中そんなに甘いはずがない。

「あのヤロー、やってくれたよ」

「うんうん、もうちょーソッコーで殺す」

「そ〜そ〜、もう時間もないし、わざわざ下に降りてやることもないし、ここから攻撃しまくってやろーよ」

やはりそうきたか!

まずいな、この展開は。

コカクチョウどもは約7メートルもの上空でばさばさ宙に浮いている。

あの高さでは十条寺やミユキはもちろん、オベリスクでも届くまい。もし届くのなら、この造魔があ

いつら全員今まで生かしておくわけがない。

つまり、俺の銃とルリの道術でしか攻撃できないことになる。

それに対して、向こうは上空から衝撃波を飛ばしたい放題なのだから始末に終えない。

距離があるから威力は若干落ちるが、一方的に攻撃されつづけるのでは全滅するのは時間の問題だ。

そして、やつらは焦っている。

鳥目であるため日暮れと共に視力を奪われるからだ。

それまでこちらが持ちこたえられれば、一気に形勢逆転も可能だが…。

「いっけ〜い!!」

例のメイリンの真の名を持つコカクチョウ以外の、6羽が一斉に衝撃波を放ってきた。

目に見えるほど圧縮された空気の弾が、あらゆる方向から襲い掛かってくる。

「うわっ!」

一番先頭に立っていた十条寺がはね飛ばされ、ミユキに受け止められて体勢を立て直す。

しかし、彼女とて背中から立て続けに衝撃波を受け、膝を折る。

打つ手がないのは、オベリスクも同じことだ。さらにルリまでもが悔しそうな顔で呟く。

「くっ…こんなに空気の流れが乱れてては、呪符を投げつけることも地面に固定して結界を張ることもできないわ」

「みんな!」

とにかく、俺があいつらを撃ち落さなくてはどうにもならない。

衝撃波の嵐に翻弄されながら、銃を構えた。

が。

「!!」

いきなり、右手に太い針を突き刺されたような激しい痛みを感じて、思わず銃を取り落とした。

そこに突き刺さっていたものは、信じられないものだった。

「鳥の…羽根…」

やつらは、こともあろうに衝撃波に、自分たちの羽根を乗せて打ち出していたのだ。

それも、やつらなりの秘術か何かで硬さを強化してある。

衝撃波だけでは敵をはね飛ばすのが精一杯だが、これなら、相手の身体を切り裂くことができる。

それだけ、相手に与えるダメージが深刻になるという寸法だ。

しかし、こんな攻撃を長く続けていたら、空気を受け止める羽がなくなって飛べなくなってしまう。

文字通り、捨て身の攻撃に出ているのだ。

そろそろ太陽も沈み始めた。やつらも死に物狂いだ。

ふと周りを見れば、全員どこかしらから出血している。

はね飛ばされて身体を地面に叩きつけられたもの、あちこちに羽根が突き刺さっているもの。

俺も飛び交う羽根に、たまらず顔を手で覆った。

「やったよ、もうちょいであいつら全員オダブツだ、みんながんばれ!」

「いえい、勝った!」

上空でコカクチョウどもが嬉しそうに嬌声を上げている。

「ふふ、御手洗…」

耳元で聞こえた声に、びっくりして辺りを見回すと、十条寺がすぐ近くに来ていた。

既にあらゆるところが切り裂かれ、血にまみれている。

「お前が言ったように、確かに敵に回すと厄介な相手だったな…」

そう言って力なく笑った。

くそ、ここまでか…!

…だが、今までにもそう思ってきたことは1度や2度ではない。

今度も絶対にこの状況を切り抜けてやる、俺たちの力とこのCOMPで!!

…COMP?

…仲魔、悪魔…

そういえば、メイリンといっていたコカクチョウは攻撃に加わってない。

ゴージャス男がかけた、真の名による呪縛は、完全ではなかったのか?

真の名による呪縛が完璧なら、悪魔の意思に関係なく身体が召喚者の言いなりになるから、
ここで必ず俺たちに攻撃をかけてきているはずだ。

つまり、呪縛は完全ではない。なぜだ?

俺が見た限り、ゴージャス男が彼女にかけた呪縛に、これといって欠陥は見られなかった。

…つまり、それほど彼女の意思が強いってことなのか?

欠陥のない呪縛に、完全な拘束力を与えないほどに。

「ぐはっ!」

左足を容赦のない衝撃波が襲う。立っていられなくなって、片膝をついた。

…もう、迷ってる場合じゃない。

この切羽詰った状況では、今の仮定に賭けるしかない!

だめでもともと。

もし仮定が正しければ、俺たちは助かる!

俺はCOMPをぐっと握り締めると、激痛を発する左足にも構わずに立ち上がって、上空に高々と掲げた。

たちまち、待ってましたとばかりに衝撃波と羽根による斬撃が全身を切り刻む。

「我、御手洗 左京は、嘘偽りのない信頼関係を築く盟約を、汝の真の名、メイリンによって求めるものなり!我との盟約、承知か、否か!?」

命乞いかと思いきや、突然予想外のことを叫び始めた俺を見て、コカクチョウどもは束の間、呆気取られた。と、

「承知!!」

力強い返事が返ってきた。紛れもない、彼女の声だ。

良かった!彼女は、意識までは束縛されていなかったのだ。

「早速だが、そいつらを地面に叩き落してくれ!このままでは、俺たちは全員やられてしまう!」

「わかった!」

俺にとっては、頼もしい限りの返答。

展開が全く見えないのか、俺と彼女以外は誰1人として行動を起こそうとしない。

それだけに、次の彼女の行動は、敵味方誰にとっても想像を絶するものだったに違いない。

最後尾にいたコカクチョウが、いきなり仲間に向かって衝撃波を放ったのだから。

後ろから味方に攻撃されるのだから、避けられるはずがない。

しかも全員、翼についている羽根がかなり少なくなっていたから、空中での立て直しが思うようにきかず、次々と地上に落ちてくる。

「な!?」

「きゃあ!!」

「うそおおお!?」

「まさかっ!」

様々な悲鳴をあげつつ、敵は1羽残らず地上に叩きつけられた。

それも、3階か4階の高さから叩き落とされるような状態だ。

打ち所が悪かったら、それだけで死に至る。

事実、地上でかろうじて息をしていたのは、わずかに2羽だけだった。

そのうちの1羽に俺が銃口を合わせ、もう1羽の首にはミユキが腕を巻きつける。

もちろん、おかしな気を起こしたら、…そのままあの世に行ってもらうという警告だ。

「彼女の同族だから最後のチャンスをやろう。これ以上俺たちに手向かわないと約束するなら、このまま見逃してやる」

「…」

さすがに形勢不利と悟ったか、銃口の先の女悪魔は口を開かない。

つまりは、なんとかして俺たちを出し抜いてやろうと画策しているのだ。

油断はできない。

そこに、俺と契約を交わしたコカクチョウが舞い降りてきた。

もうかなり暗くなってきているので鳥型の姿では眼が見えないのだろう、すぐに人間の姿を取った。

そして、なんと俺の隣で説得を始めたではないか。

「これ以上、意地を張ったって無駄に命を落とすだけだ。ここで負けを認めても、決して恥ではない」

「…裏切り者のお前に言われる筋合いはないんだよ!!」

その言葉にコカクチョウは一瞬たじろいだが、すぐに気を取り直した。

「では聞くが、お前はあの男が命をかけてまで忠誠を誓うに値するやつだと、本気で思っているのか?
勝ち目のない戦いに駆り出された仲間や、引き際を心得ていれば死なずに済んだ仲間が山ほどいることはお前だって嫌というほど見てきただろう?」

「しかし…」

「よしんばこの場を切り抜けてあの男の元に戻ったとしても、一体何が待っている?失敗した者への仕打ちは、
死と相場が決まっている。それとも、あんな奴に身体を許してでも命乞いをするつもりか?」

俺の目の前のコカクチョウは、明らかに動揺していた。徐々に頭が俯いてくる。

と、ミユキに押さえられている方のコカクチョウが、にわかに暴れ出した。

「騙されるな、ミカドがやな奴だからって、そいつらが信用できるとは限らんだろが〜!」

「おとなしくしなさい!」

「うるせ〜!人間なんてのに従うのはもうたくさん、これからは好きにやってくよ!」

「おとなしくしなさいって言ってるのよ!これ以上騒ぐなら首をへし折るわよ」

「へんっ、できるものなら…」

ゴキッ!!

ミユキは、腕の中のコカクチョウにそれ以上喋らせなかった。

暴れていた女悪魔の首は、あらぬ方向に曲がっていた。無論、その眼に光は既にない。

突然仲間の命が奪われたことに、説得されていたコカクチョウは眼を見開いた。

しかし、その眼に怒りが湧くことはなかった。

「言ったことは実行する…か。確かにミカドにはそんな節度などなかったな」

そう言って、自嘲気味に笑った後、まっすぐに俺を見据えた。俺もそれに真顔で応える。

「…わかった。約束すればいいんだろ。そのかわり…」

「よし。なら、銃はしまおう。それと、ゴージャス男との契約を断ち切ることになるから、
肉体を維持する当面のマグネタイトはこの場で渡しておこう」

この言葉に、コカクチョウは驚いたような顔をした。

「な、そこまで面倒見てくれるのか!?あんたら、意外にいいやつなんだな。だったら、あんたと契約し直しても…」

そこまで言いかけて、急に押し黙る。

何かに気付いてぎょっとしたようだったが、すぐににやっと笑った。何だ?

「やっぱ止めとこう。そろそろ周りも見えなくなってきたし、マグネタイトだけもらってゆくわ」

COMPに手を当ててマグネタイトを受け取り終えると、そういい捨てて去っていった。

去り際に、ちょっとだけ気になる捨て台詞を吐いていったが。

「リンのこと、ちゃんと責任持てよ…!」

だと?

首をかしげていると、俺と盟約を交わしたコカクチョウが、凄い顔で去っていった仲間を睨んでいた。

まるで、恋敵を見ているかのような眼だ。

そういえばこいつは、自己紹介でリンと名乗ったことがあったっけ。

…ま、まさか、な…。

一方、戦闘が終わったと判断したルリは、自らと十条寺、それにオベリスクの傷を治療していた。軟

膏を取り出したり、特殊な薬を染み込ませたお札を傷口に貼り付けたりしている。

アイリスの回復魔法ほど効率は良くないものの、それなりに効果は望めるようだ。

ややあって、治療が一段落したのか、こっちにやってきた。

「そちらは無事ですか?突然、あの衝撃波の乱れ撃ちが止んだときに、わけもわからないまま皆さんの治療に走っちゃったけど…」

そこで一呼吸おいて、俺の隣にいるコカクチョウを見据えた。

「で、彼女は一体どうしたんですか?
さっきの戦いで1羽だけ動きのおかしいのがいたのは知っていたけど、まさか彼女がそうだとでも?」

「実は、そうなんだ」

「ええ〜っ!?」

ぶっ飛んだ悲鳴をあげたのは、ルリではない。

俺の背後に立っていた、ミユキだ。

「オテさん、それどういうこと?なんで敵だった悪魔がここで仲良く並んで立ってんのよ?」

なんだって!?

ミユキ、お前さっき、絶妙のタイミングでサポートに入って敵の片一方を締め上げたじゃないか。

それが何で、そういう的外れなことを聞いてくるんだ?

「…ミユキ、お前まさか、俺がこのコカクチョウと盟約を結んだことも知らないでサポートに入ったのか?」

「えええ〜っ!!」

「なんだとっ!?」

「あいやぁっ!」

ミユキとルリの声が見事にハモり、一拍遅れて十条寺が絶叫し、さらにはいつの間にか側まで来ていたリーまでもが驚きのあまりひっくり返っていた。

「それじゃオテさん、今の形勢逆転は、敵と取り引きしていたからなの?」

な、なんちゅう言い草だよ!!

「違うって!彼女のことは覚えているだろう、洞窟の中で一緒に探索して、
ゴージャス男に束縛されて連れ戻された、あのコカクチョウだよ!
さっきの群れの中に彼女がいたのに気がついたから、一か八かで盟約を交わそうとしてみたんだ。
後は見ていた通り、彼女が無防備になっていた後方から攻撃してくれたことで、一気に立場がひっくり返った。
だからこそ俺たちはこうして生きてられるんだぜ、ある意味彼女が俺たちの命を救ってくれたんだぞ!」

俺の説明に、リーがまじまじとコカクチョウを眺める。

「あいやぁ…オテさん、あなた、よく悪魔の見分けがつくね。わたし、そうと言われるまでわからないよ」

あまりと言えばあまりにも失礼な態度に俺も頭に来たが、敢えて無視してコカクチョウに向き直る。

「と、とにかく、今までどおりのコカクチョウという呼び方では紛らわしいから、これからは、リンと呼ぶことにしようか。ネモ老人のところでもそう名乗ってたし」

「…いや、前々から聞いていたが、そこの男がリーと呼ばれているようだな。
それも紛らわしいから、わたしのことは…ユウカ、と呼んでくれ」

と一応返答はしたものの、あからさまに不機嫌な顔つきだ。

そして、今しがた全身で驚きを表現していた4人に向かって、仏頂面で呟く。

「それにしてもお前たち、それが味方についた者に対する態度か?
あれほど嫌な男の呪縛からやっとのことで開放され、
信頼のおける召喚師と契約ができるならと思えばこそ、仲間を裏切ってまでここにいるというのに…わたしは少々傷ついたぞ」

そのあまりにも人間くさい態度に、皆あわてふためいた。

「え、いや、だって、敵の悪魔とこんなに簡単に契約できたなんて、あたしたちも初めてだったし」

「…そうだな、俺はむしろ御手洗の発想に驚かされた。あの状況で、そんな方法で危機を脱しようとは、普通は思いつかん」

「あいや、さすがは日の丸の神秘!!」

「ま、ま、何はともあれこれであなたも自由の身…
じゃちょっと意味合いが違うわね、信頼できる主に仕えることができるようになったんじゃない」

ユウカはじろり、と皆を睨んで。

「そんなおべんちゃらで誤魔化されると思うなよ。…とはいえ、改めてよろしく頼む」

今度は、にっこり笑った。

本当に、心の底からの笑いだというのがわかる。

それにつられるように、他の者も笑い出した。

これから敵の本拠地に乗り込もうというときに出鼻をくじかれて、あわや全滅の危機に晒された後だけに、ほっとする表情だった。

ついつい、皆の口も軽くなる。

「にしても、ユウカなんて名前、どこから持ってきたのよ。中国の人ではまず思いつかないわ、
そんな日本的な名前。まして、悪魔のあなたが自分から言い出すなんて…」

「ははは、内緒だ」

ルリの質問には、笑ってごまかしたユウカだが、俺はその点を曖昧にするわけにはいかない。

「それに、よくあのゴージャス男の呪縛に完全に縛られなかったもんだな。
さっきのミユキの言葉じゃないが、他人の支配下にある悪魔と盟約を結ぶことができたなんて、
自分でも信じられないし、こんな話、組織の腕利きサマナーでもまず聞かない」

「あ、それは…」

「まあ、聞けって。それを可能にしたのはお前の尋常ならざる意思力に他ならないのはわかっている。
俺が聞きたいのは、お前がそうやって悪魔とは思えないほどの精神力をどうして発揮できるのか、だ」

「…」

ユウカはしばらく答えなかった。

次の瞬間こっちを見た瞳には、とてつもない決意が秘められていた。

「そこまで聞きたいなら教えてやる。わたしは30年前、ある理由で日本からこの国に亡命してきた女だった。
右も左もわからぬ土地であてもなく逃げ回っていたところをある魔術師に捕まり、…非道な儀式の生け贄にされて…」

「まさか…!」

驚愕に打ちのめされる、というのはこういう感覚を言うのだろうか。

彼女の口からそこまで言われれば、あとは聞かなくても明白だ。

かつて、人間であったという事実。

身寄りのない人間を生け贄にして行なう魔術。

それも、非道と呼ぶのが相応しい儀式。

「お前…悪魔と合体させられた悪魔人だったのか…!」

彼女の皮肉そうに笑う目が、俺の推測の正しさを物語っている。

悪魔は、強大な力を有するが、肉体を維持するためのマグネタイトを凄い勢いで消費するし、
精神的・肉体的に成長することがなく、また盟約に縛られるなど、制約も多い。

一方、人間は悪魔とは逆の特色を持つ。行動に制限を受けることは少なく、場合によっては嘘をつくこともある。

しかし、力は悪魔に比べるべくもない。

この両者の長所を併せ持つものを造り出そうという魔術が、悪魔と人間を精神と細胞レベルで合体させる、悪魔人創造という魔術だ。

無論、こんな非人間的な魔術を、俺たち退魔組織が使うはずがない。

人類を守るはずの俺たちが、そういう犠牲の上に成り立つようなシロモノを使っていては、笑い話にもならないだろう。

そもそも、人間と悪魔という、本来相容れない生物を合体させようという試み自体が無謀なのだ。

合体ができたというだけでも、奇跡的な確率なのである。

たとえ合体させることができたとしても、人間としての理性を失っていたり、
悪魔としての力が失われていたりと、両方の長所を併せ持つというレベルには程遠いケースがほとんどだ。

それでも、この魔術の魅力に取り憑かれた者は、身寄りのない人間を選んでは生け贄にして、いつ成功するとも知れない儀式を延々と繰り返す。

魔術というものに悪いイメージが定着するようになったのは、歴史を通してそういう面がことさらに強調されてきたせいでもあるのだ。

彼女は…ユウカは、そうした儀式の生け贄にされながら、生き延びることができた犠牲者なのだ。

悪魔合体が、必ず失敗するとは限らない。天文学的な確率の低さだが、両方の長所を完全に併せ持つことに成功することもあるのだ。

彼女、ユウカのように。

おそらくは、彼女は元来、並外れた精神力の持ち主だったため、悪魔と合体させられても自我を失わずに済んだのだろう。

他に合体による障害がこれといってなかったのは、ひとえに運が良かったと言う他ない。

だがこれで、ゴージャス男の束縛が、完全には効力を発揮しなかったのも説明がつく。

彼女が半分人間だとすれば、悪魔に対する拘束力は受けても、人間として抵抗することはできるということだ。

「ユウカ、お前は…」

同情して声をかけようとした俺を、彼女は遮った。

「つまらん昔話はもう終わりだ。これからあの男のねぐらを襲うのだろう、急ごう」

そういって、リーが離れた場所に退避させてあったハイラックスに向かう。

「…ああ」

俺たちも、その後についていった。

周りはもうすっかり暗くなっている。

ユウカが鳥型悪魔の状態に戻ったところで、何も見えない彼女は、人間と同じように車に乗っていくしかない。

「ちょっと、あなた!」

と、ミユキがユウカに大声で呼びかけた。ユウカが、もうお前の疑心暗鬼はうんざりだといった顔で振り返る。

「なんだ、まだ何かわたしに用でも!?」

「その車、もう定員オーバーだから、オテさんのCOMPに入らないとどうしようもないわよ!」

ずるっ!!

27章 強行突破

そんなこんなで、俺たちはやっとゴージャス男の本拠地まで辿り着いた。

夜になってしまって、敵地に着いても悪魔化して戦うことができないユウカは、やむを得ず俺のCOMPの中でおとなしくしていることになった。

ただ、COMPに入る前に、せめてこのくらいは、といって俺とミユキに治療魔法をかけてくれた。

おかげで、直前に奇襲を受けたにも関わらず、コンディションは全員完璧だ。

…それにしても、だ。

「話が違うぞ。なんでこんなに警備が厳重なんだ!?」

十条寺がなじるような声で呟いた。

そうなのだ。

目の前の古ぼけた屋敷には、静かではあったが緊張のあまり空気が張り詰めていた。小石一つでも落

とそうものなら、屋敷中に響き渡りそうな雰囲気である。

ここから少し離れたところで車を停めた後、リーを見張りに残して5人でやってきたまでは良かったのだが、
中の様子があまりにも静か過ぎたのだ。

これはおかしいと、俺の2体目の仲魔、コボルトに地中から屋敷内を偵察させたら、とんでもない報告が返ってきた。

なんと侵入早々に敵の見張りに発見されて、危うく捕まりそうになって逃げてきたというのだ。

唖然としてコボルトをCOMPに回収する間もあらばこそ、いきなり屋敷中に灯りがともされ、
そこかしこから非常警戒を叫ぶ声が響き渡り、たちまちのうちに悪魔たちが点検通路らしき回廊をうろつき始めたのだ。

まるで、俺たちが王大人飯店の襲撃を無視してまでここを攻略しようとしているのを、見通しているかのような厳重さである。

予想外のことにどうするべきか迷って、ここから屋敷内を伺っているというわけだ。

「一度出直すぞ。今踏み込むのは殺してくださいと言ってるようなものだ」

「十条寺君、そうも言ってられないのよ。
ゴージャス男は既に中国という国自体を乗っ取ってしまおうとしている。
これ以上時間を与えるわけにはいかないのよ」

「だめよ、相手が待ち構えているのがわかってるなら、こちらも準備を整えて来ないと。
非常用の回復薬こそ数が足りているけど、武器になるものがぜんぜん足りないわ」

「どこで調達するつもりなんだよ。もう王大人飯店に戻ったって瓦礫の山のはずだ。
今から他の場所を探すのは、はっきり言ってまずすぎるぞ」

「でも…!」

そうやって、結論の出ない話し合いを10分も続けていただろうか。

「こうやっていてもしょうがないわ、御手洗さん、どうするか決めてください」

ルリが、突然決定権を俺に振ってきた。

それを合図に、全員が黙り込む。

メンバーが入れ替わってはいても、このパーティのリーダーは俺だから、
ここまでもめてしまった議論にも決着をつけてくれ、ということなのだろう。

…。

どうするべきか。

全員が俺の目を見つめている。

今踏み込めば、敵の罠の真っ只中に仲間をさらすことになる。

ここで退却すれば、敵に時間を与え、事態を混乱させることになる。

どちらも、決して分のいい判断とはいえない。

だが、どちらかを選ばなくてはならない。

迷ったが、今までの任務が頭をよぎった瞬間、結論が出た。

「踏み込むぞ。それも、正面突破だ」

「!」

さすがに大声を出すわけにはいかないから誰も叫ばなかったが、全員が眼を見開いた。

「びっくりして当然だが、それはゴージャス男も同じだ。相手の思いもかけない行動に出れば、
必ず付け入る隙ができる。自分で仕掛けた罠に、自分でかかることになるんだ」

「だが、無謀すぎ…」

「最後まで聞けって。それに、一つ気がついたんだが、この異常とも見える厳重な警備体制は、
俺たちを近づけないための予防線とも取れる。…つまり、今ここを襲われたくはないわけだ。
充分な戦力がないのか、他の準備に追われているのかわからんが」

「…なるほど」

「それに、今までだって勝ち目のまったくない戦いを、俺たちは何度も切り抜けてきたじゃないか。
5倍以上の戦力差をひっくり返したこともあったし、1発でも食らったら即死なんて化け物を相手にしても、
俺たちは全員生き残った。それも、昔話じゃない。全部、ここ3日のことだぜ。勘が鈍っているとか、
そんな心配はないだろう。全員で力を合わせれば、きっとヤツを倒せるはずだ」

「…」

「もちろん、屋敷の敵を全部相手にしていたら切りがない。目標をゴージャス男1人に絞るんだ。
あいつさえ倒すことができれば、任務達成だし、配下の悪魔たちも白澤図の束縛から開放されるはずだ。
さっきのコカクチョウどもの雰囲気からすると、ゴージャス男のことを良く思っている悪魔はいないだろう。
束縛さえ解いてしまえば、襲われることはない」

一気にここまで喋って、俺ははあああ〜っと息を吸い込んだ。

「でも、御手洗さんの銀の弾丸でさえ通用しなかった、あのバリヤーはどうするの?
追い詰めたって、攻撃が効かなきゃ、意味ないわよ」

ミユキが、最後の問題点を冷静に指摘した。

確かにそうだ。

ヤツが俺たちを前にしてまったくの無防備だったことを考えると、少なくとも銃や拳法、プロレス技ではあのバリヤーを破ることはできないだろう。

その確信があればこその無防備さだからだ。

俺がひそかに期待していたのは、オベリスクのレーザー・ブレードだ。

バリヤーを通して俺たちを見ているということは、光は通しているわけだから、
その光を束ねて武器にしているレーザーも通用するだろうと踏んでいる。

ただ、どの程度効果があるのかという点に関しては、もちろん未知数だ。

あらゆる外的影響を致命傷にならない程度に押さえる性格のバリヤーだとしたら、この切り札でさえお手上げである。

と、ルリが自信ありげに話し出した。

「あの結界を中和する方法なら、ちょっと心当たりがあるわ。
あいつの間近でないと効果はないし、15秒くらい時間が必要になるけど、破る自身はあるわよ」

そう言いながら、自分の荷物をごそごそとかき回す。

どうやら例によって、お札か呪法具か、そういう道具を使ってかける術らしい。

「本当か!?」

十条寺がぐっと身を乗り出してきた。その勢いに押されてのけぞりながらも、ルリは頷く。

「決まりだな。なら…、突撃開始だ!!」

そう宣言して俺はすっくと立ち上がった。他の者も腰を上げる。

オベリスクが、敵の気を惹くように、一気に屋敷の正門に踊り出た。残りの4人が、後に続く。

当然、見張りが見逃すはずがない。奇襲の知らせを告げる叫びが辺りにこだまする。

「き、来たぞ〜!!せ、せ、正門だ〜!」

…なんだ、今のどもり方は?

まさか、本当に今日やってくるとは思わずに見張りに立っていたのか?

俺の疑問をよそに、オベリスクは固く閉ざされた門の扉の前までやってくると、ささっと左右にステップを踏みつつ両腕を振るった。

すると…

ズッシーン!

大地を揺るがすような地響きを立てて、厚さ10センチ、重さ7t近くありそうな扉が前後に倒れこんだではないか。

十条寺が感心半分、呆れ半分といった感じで言った。

「な、何だ、今のは?扉をたたっ斬ったようには見えなかったぞ?」

「…あんな分厚い扉を、レーザーで切断するのは大変だからな、
おそらく扉を柱に繋いでいた金具を斬ったんだろう。その証拠に、扉は原形を留めたままだろ」

そんな無駄話をしながらでも、走る脚は決して緩めない。全員が速度を落とさずに門の中に駆け込む。

追っ手に追いつかれたら、圧倒的に不利なのだから今は無理やりにでも移動しなければ。

もちろん、ゴージャス男が屋敷のどこに潜んでいるかまではわかってない。

こういうときは、警備の厳重なところを突破して奥に進むのがセオリーだ。

組織の親玉が警戒態勢を固めるときは、自分に近いところから厳重に守っていくのが人の心理というものだからな。

結構広いのは外から見てわかっているので、迷わないように既にオートマッパーを起動している。

だだっ広い庭を一気に突っ切って、屋敷の玄関の扉を蹴破ったとき、ようやく内部が慌ただしくなってきた。

結構な広さの玄関だ。それに、外観の荒れ様に反して、中はわりと手入れが行き届いている。

天井には、アクセントのつもりか、なにやら見たことのない文字で書かれた額がかかっている。

それにしても、厳戒態勢を敷いていたにしては、ちょっと反応が鈍すぎる。

召喚プログラムを起動して、俺はユウカに内情を聞いてみることにした。

COMPから呼び出さずに、チャットの要領で、キーボードで仲魔と会話するのだ。

「ユウカ、ちょっといいか?」

『なんだ?』

「ここの連中、警備のものものしさに反して、妙に反応が鈍い。お前がここにいた頃は、どういう警戒態勢を敷いていたんだ?」

返事が返ってくるまでに、しばらく間があった。

『どうも何も、連日最高レベルで屋敷を守らされていたさ。あいつがそのときに呼び出せる悪魔全員

で見張りをさせられて、虫1匹でも入り込んだら全員でそこに駆けつける、そんな無茶をやらされて

いた。想像はついていると思うが、夜には眼が見えなくなるとか、水中から陸地に上がることができ

ないとか、そういう我々の体質については一切考慮されなかった』

…やれやれ。

つまり、いつもいつも気を張り詰めて監視させられているから、弛んでしまっているのだ。

放っておいてもいいような異常でも全員召集がかかるものだから、呼び出される方はたまったものではない。

どうしてもだれてしまう。

そうなってしまったら、本当に大変な時になっても、すぐに動こうとせず、
いつもの惰性でのろのろと行動するようになってしまうのは人間でも悪魔でも同じだ。

結局のところ、ゴージャス男は水も漏らさぬ警備体勢を敷いているつもりで、
穴だらけの警備を配下の悪魔にやらせていたのだ。

間抜けと言えば、滑稽を通り越して呆れるほどの間抜けと言えよう。

「ヤツの間抜けぶりに感謝だな。迎撃態勢が整う前に、
なんとしてもゴージャス男を探し出すぞ。オベリスク、斬り込み役は任せた!」

俺の言葉に、オベリスクはマスクの中の眼を赤く光らせて頷くと、屋敷の奥に向かって駆け出した。

…いや、駆け出そうとした。

3歩目を踏み出そうとした瞬間、その全身が青白い光に覆われたのだ。

「な!?」

本能的に何か異常が起きたと感じたが、それで何ができるというものでもない。

そして、造魔は走り出した姿勢のまま凍りついたように動かなくなった。

加速しかけていきなり足元でブレーキをかけた形になったため、
片足を上げかけた不自然な体勢のまま凄い勢いで床を転がっていく。

その勢いが止まっても、オベリスクの眼は光を灯していなかった。

「オベリスク、何が起きたんだ!オベリスク!!」

必死に呼びかけても、反応を示さない。

「み、御手洗さん!天井の文字…」

ミユキが、引きつった声で天井の額を指差した。

その声につられて天井を見た俺は、驚愕に一瞬我を忘れた。

いつの間にか額の文字が変わっていたのだ。

さっきまでは変な模様と見間違えるような文字でしかなかった額の文字が、
なんと日本語で『心を持たぬ者の侵入を禁ず』と書かれていたのだ。

ルリが、唸るような声を出した。

「一種の結界ね。あの男、自分の悪魔を操る能力が造魔には通用しないことを知っているから、こんなややこしい結界をこしらえて…」

「ってことは、この屋敷の中ではオベリスクは動けないってことか?」

ちっ!間抜けな親玉だ、となめてかかっていた。要所要所はきっちり押さえていやがったとは。

「そうなるわ。この結界を破壊すれば話は別だけど、そんな時間はないし」

「…そうだった。こんなところで立ち止まっている時間もないはずだったのに」

十条寺のへんな得心を裏付けるかのように、正面の廊下に3体の敵が現れた。

ぐずぐずしてはいられない。

しかたない、オベリスクは置いていくしかない。

「ザコに構うな!狙いはあくまでゴージャス男1人だ、邪魔になる奴以外はできるだけあしらっていくぞ!」

俺の号令とともに、全員が駆け出した。

「ミユキ、オベリスクに代わって斬り込みを頼む!十条寺君、俺はこれからマップを見ながら行き先を指示する。
周囲への警戒が手薄になるから、ガードを頼む。ルリは2人のサポートを!」

「はいっ!」

正面の悪魔3体はこっちを見つめたまま、微動だにしない。

自分たちの姿を確認して逃げるならともかく、まさか突っ込んでくる連中がいるとは夢にも思ってなかったのだろう。

ルリがそいつらに向かって、ボールのようなものを投げつけた。

それは悪魔たちの真ん中に転がると、ぱかっと割れた。

「目を閉じて!」

ルリの声に、反射的に目を閉じた。

直後、瞼ごしでも眼球を焼きそうな閃光が満ち溢れた。

目を閉じていてそうなのだから、ぼけっとボールを見ていた悪魔3体はひとたまりもない。

両目を押さえてのた打ち回っている。

その間をすり抜けながら、ルリが自慢げにふふんと笑った。

「対悪魔用の閃光弾よ。…普通のより結構強力だから、人間がまともに見たら失明確実だけどね」

「ぶ、物騒な…」

珍しく十条寺が鼻白んだ顔で彼女を見た。

「…っと、その扉ぶち破る!」

俺も、マップとエネミーソナーを交互に睨んで、ゴージャス男の居場所を捜して走り回りながら
各メンバーに指示を出しているものだから、せわしいことこの上ない。

「はあっ!!」

ミユキの気合が辺りを揺るがし、扉がドロップキックによって蹴破られる。

その小部屋にいたのは4体の悪魔だった。

が、全員あらぬ方向を見ていたため、俺たちに対する反応が完全に出遅れた。

正面は壁、左のドアは閉められていて右のドアは開いている。瞬時にそれだけを見て取った。

「右に行くぞ!」

そいつらを無視して、仲間たちとその部屋を飛び出した。

「…!」

やっと俺たちが侵入者だと気がついたさっきの連中がやいのやいのと喚いているが、こちらはかまってやるつもりなどない。

バタン!

いきなり左手のドアが開いた。奥の警備のやつらがここまでやってきたのか。

「いたぞ、ここに…」

「騒ぐんじゃない!!」

床を蹴って最前列に踊り出た十条寺が、仲間を呼ぼうとした悪魔の顔面に掌底を見舞った。

「べちゅ…!」

変な悲鳴をあげて、その悪魔の頭部が十条寺の右手と柱の間に挟まれる。

なんまんだぶ。おそらく、即死だ。

スピードを上げようと前に向き直った途端、横を走っていたルリに頭を押さえ込まれた。

「御手洗さん、後ろ!伏せてっ!!」

走りながらそんな器用なマネができるはずがない、背中を丸めてごろごろと前転すると、
頭上をつららのような氷柱が通過していった。

追っ手の悪魔がやみくもに放った、攻撃魔法だ。

「!!」

あわてて振り返るが、敵の姿は見えない。

…なぜだ?さっきの小部屋にいた連中の追い討ちじゃなかったのか?

気にはなったが、今そんなことを詮索していては命取りだ。放っておくしかない。

さらに奥へ向かって進む。

ちょうど、真正面に扉が見えてきた。廊下はそこで突き当たって左右に分かれている。

扉の向こうには、エネミーソナーが多数の悪魔の反応を示している。

…ここは、どっちに向いて行けばいいんだろう?

このまま左に曲がれば、奥に向かってすんなりいくことはできるが、警備の手薄な方向へ進んだとし

て、果たしてその先にゴージャス男がいるのだろうか。

右に曲がるのは論外だ。外に向かって進むことになる上に警備が手薄となれば、見当違いの方向なのは明白である。

残るは正面の扉の向こうだが。

おそらくは、大部屋に護衛の悪魔が大挙して待ち構えていることだろう。

反応は30体を下らないのだから。まともに踏み込んだら、いくらなんでも助からないだろう。

俺たちの背後にも、かなりの数の追っ手が駆けつけているはずだからな。

挟み撃ちにされたら…。

しかし、部屋に踏み込んだ瞬間にパニックを起こすことができれば、切り抜けられないか?

さっきのルリの閃光弾を投げ込んで、俺たちが部屋を急いですり抜けて、

後から来た追っ手と目が眩んだ悪魔との間で揉め事になれば、あるいは…。

そうでなくても、中の連中がすぐには状況を察知できないようにしてしまえば、時間は稼げる。

何より、警備の厳重な方を突破していくのだから、ゴージャス男に近づくには一番確実だろう。

「扉を開けると同時に、さっきの閃光弾を投げ込んでくれ。
その後で向こう側の出口まで一気に駆け抜けて、追っ手を煙に巻くぞ」

「了解!」

言うが早いか、ミユキが扉を手前に引っ張った。すぐさま、ルリが閃光弾を中に放り込む。

その直後、ミユキが体ごとぶつかるようにして扉を閉め切った。

絶妙のタイミングだ。

「1、2、3…いいわ!」

ルリが閃光弾炸裂までのタイミングをはかって、室内に入るよう促した。

中では、視力を奪われた悪魔が、パニックを起こして大混乱に陥っているはずだ。

追っ手の足音も、かなり近くに迫っている。

「いくぞ、一気に向こう側まで抜ける!」

そう指示して部屋の中に踏み込んだ。

「…」

絶句。

俺に続いて部屋に入ってきた仲間が、全員凍りついたように動きを止めた。

部屋の中は、確かにパニックを起こした悪魔どもで埋め尽くされていた。

しかし、そのパニックの起き方というのが…。

「誰じゃあ、酒の余興にべらぼうな目くらましなんか、かけやがったのはぁ!!」

「せっかくの料理が食えんじゃねえか、さっさと元に戻しやがれぃ!」

「なによ、せっかくいいところなのに!…あん、あん、ああんっ…」

「こらあ、さっきのかわいこちゃん、どさくさに紛れて逃げやがったなあ、絶対にみつけてやるど〜!!」

広い室内に、所狭しと並べられたテーブル。

トックリを10本以上転がせて、なおもおかわりをせがむ呑んだくれ。

お皿やお椀を山のように積み上げて、そこに埋もれるようにして食事を続けるやつ。

裸にされて全身を揉みしだかれながら、目をしばたたいている女悪魔。

部屋の隅でぶるぶる震える少女悪魔を、手探りで手繰り寄せようとしている酔漢。

そして、部屋中に漂う、酒場や飲み屋特有のざわめきと、むっとする雰囲気。

「どうやら、これは…警備をさぼってどんちゃん騒ぎやってたか…」

十条寺が、誰に向かってでもなく呟く。

各々武器を手にとった悪魔の大部隊が、殺気立っている状況ばかり想定していた俺たちにとっては、
ある意味最も効果的な不意打ちと言えただろう。

が、俺はいち早く呆然自失状態から回復した。

「予想外ではあったが、追っ手を撹乱するという意味では絶好の状況だ。予定通り部屋を素通りして先を急ぐぞ!」

その言葉に、仲間たちも我に返った。

すぐさま、ちょうど真向かいにある出口を目指す。

酔っ払っていれば、いかに強大な力を持つ悪魔とて人間の酔っ払いと変わらない。

コツさえわかっていれば、あしらうのは難しいことではないのだ。

全員が部屋を抜け出すまで、そう時間はかからなかった。

壮絶だったのは、その直後だ。

追っ手が部屋の中に踏み込んで、中の乱痴気騒ぎを目の当たりにしたのだ。

「な、なんだ、このありさまは!?」

「まだ侵入者は捕まってないんだぞ、何を遊んでいるんだお前らは!!」

「うお〜、俺にもそれ飲ませろー!」

「横取りするんじゃねえ!」

「バカやろう!!一緒になって騒ぐ奴がいるかっ!」

「邪魔するなああ!!」

だんだん後ろに遠ざかっていく喧騒は、どんどん内輪もめの様相を呈していき、
ついには閉め忘れた扉から電撃やら爆風やら、さらには血しぶきまでが飛び散るのが見えた。

「…あれで、よかったのかなあ」

どこかばつの悪そうな声で、ルリが後ろを振り返る。

「いいんじゃないのか。
もともと、あそこにいた悪魔たちがゴージャス男に忠誠を誓っていた様子はない。
主従関係としては確かに問題だが、召喚された悪魔にも感情はある。
いやな主に無理にでも従わされることになれば、さぼる者が出てもおかしくあるまい」

十条寺の返答に、ルリは複雑そうな表情になった。

「いや、そういうことを心配したわけではないんですが…」

そのとき、俺の目はCOMPに表示されるマップに釘付けになった。

今走っている廊下は、もう少しで左に折れる。

ここまでは屋敷を横切る形で移動していたが、この廊下を道なりに曲がってそのまま伸びているとすれば、屋敷の一番奥に行き着くのだ。

そして、エネミーソナーに表示される行く手の反応は、たった2つ。

俺の読みが正しければ、ここにこそゴージャス男いる。

画面の反応は、ヤツの護衛に違いない。

反応対象を悪魔に調整してある今のエネミーソナーでは、人間はこの画面に映らないが、
その周囲に反応がまったくないし、あの臆病者が、自分のテリトリーの中とはいえ護衛をつけずに1人でいるはずがない。

そうでなければ、ここまでの何十体もの警備の悪魔どもの存在が説明できない。

俺は前を走る3人に声をかけた。

「この先に、おそらくゴージャス男がいるぞ!」

この声に、全員が立ち止まって振り向いた。

「護衛が2体いる。ここが正念場だ、気を抜くな」

今度は、皆が揃って頷く。

さっきの宴会場からこっち、追っ手はない。

あそこでどんな大騒動が繰り広げられたか想像もつかないが、今はそれどころではない。

ひたすらCOMPの示す反応に向かって急ぐ。

廊下は屋敷内をぐるっと廻るようにして、確実に反応の場所に向かって伸びている。

…ここだ!

「ストップ!この扉の向こうだ」

ここを過ぎれば屋敷の一番奥を通り過ぎて外に向かっていくという、まさに絶妙の場所に、問題の2つの反応はあった。

扉も、両脇に燭台が立てられてその上に猛獣の頭が飾られているという、
ゴージャス男がいかにも好みそうな、趣味の悪い飾り立て方になっていた。

「いよいよ、ね…」

ミユキが感極まったように呟いた。

オベリスクという切り札は失ったが、敵にしても手持ちの戦力が底を尽いているはずだ。

それに、ヤツを守るバリヤーもルリが解除可能だという。

条件は、俺たちの方が互角以上に有利なはずだ。

「いくぞ…、みんな、気を抜くな!」

俺は背後の仲間たちを振り返って激励し、扉に両手をかけて思い切り押し開いた。

(・・・つづく)