×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

40章 変わり果てた姿

…まだだ。
まだ、ルリの結界を解いて部屋の中に踏み込むタイミングじゃない。
プリンシパリティとダライ・ラマ13世が、全力を振り絞っているこの戦いが完全に終わるまでは。
「左京、仲魔のコンディションがCOMPで確認できたはずでしょう。それで決着が付いたかどうか、わからないかしら?」
じりじりしながら目の前の結界を睨んでいたとき、唐突にユウカが呟いた。
…あっ、その手があったか!
「そうだった。俺としたことが…」
頭を掻きながら、召喚プログラムを起動したままのCOMPのディスプレイをみんなに見えるようにかざした。
その途端、COMPからビピッと耳障りな音がして、画面に表示された文字のいくつかが真っ赤に変化した。
「!」
全員がぎょっとして画面を見つめた。
何が起きたんだと、他の連中は単にそう思っただけだろう。しかし、その音と文字の意味するところを知っている俺は、一気に顔が青ざめていくのが自分でわかる。
プリンシパリティは…悪を討つと言って戦った天使は、負けたのだ。
その証拠に、画面に表示されているプリンシパリティの状態は…!
「御手洗!その画面の中の、コンディション:デッドってのはどういうことだ!!」
十条寺、…そんなに血相変えて怒鳴らなくてもいい。文字通りの意味だ。
「もしや…」
ユウカとルリの声がだぶった。それに応える俺の声は、自分でも意外なほど静かだった。
「死亡、だよ。仲魔は負けたんだ。…俺のイチかバチかの賭けは失敗に終わった」
そう聞いて、真っ先に反応したのはなんとオベリスクだった。
部屋を出てから、青に戻っていた顔面のバイザーが、再び赤に戻ったのだ。それに続いて、ルリが慌てて部屋の入り口に貼り付けた呪符に手を伸ばした。
「と、とにかく早く結界を解いてそれを確かめないと!」
「え!?ま、待―」
待て、と言うのも間に合わないくらいの素早さで、彼女は入り口の呪符を剥がしてしまった。
何を焦ったのか、ルリは真っ先に部屋に飛び込もうとしたのだ。
こんな無謀な話はない。
部屋の中で戦っていたのは、俺たち超常現象を扱う人間ですら凡人扱いされるようなとてつもない、ちょっとした魔王クラスの存在だ。
部屋中に毒ガスを充満させたまま戦っていたり、次元の歪みから怪物を呼び寄せたり、重力を変化させて敵を押し潰そうとしたり…そんなSFまがいのことが起きていても全く不思議ではない。
そんな可能性を、彼女は考えもしなかったのだろうか?
「どきなさいルリ!無鉄砲にも程があるわよ!」
「きゃん!!」
ユウカがすかさず、襟首をつかんでルリを入り口から下がらせた。それに続くようにして俺たちも距離を取って、慎重に部屋の中を窺う。
部屋の中は、しんと静まり返っている。
幸い、結界を解いた途端に凶悪な怪物が暴れ出したり、毒ガスが流れてきたりということはなさそうだ。それを確認して安堵のため息をもらしたユウカが、ルリをたしなめる。
「ルリ、軽率よ。中で戦っていたのは、もう人間じゃないわ。あのくらいの強さになると、元々が人間でも呼吸を何十分でも止めていられたりするから、はっきり言って何でもありよ。そんなのがお互いを倒そうとするから、常識では考えられないような技の応酬になる。例を挙げるなら、部屋全体を溶鉱炉みたいな高温にしておいて戦いつづけるとか、ね」
ルリは、ぶるっと肩を震わせた。
「し、信じられない…。でも、そんな中で戦ってるってことは、お互い高温でも平気ってことだから、あんまり意味ないような気がするんだけど」
「それは、あなたが使っているような防御魔法や結界で身を守っているからよ。でも、戦って傷つけば集中力が乱れるし、それは身を守る結界が崩れることも意味する。もともと、そんな高温の中で生きていられる生物なんて悪魔の中にだってまずいないから、結界を破られて無防備なままそんな高温に晒されたら…」
「相手よりほんの少しでも実力が劣った方は、たちどころに黒焦げに、いや確実に蒸発させられる。実力が伯仲していれば、そのわずかな差が生死を分けるというのは、人間でも悪魔でも変わらないということだな」
ユウカの後を、十条寺が続けた。
ルリの顔に、冷や汗がどっと噴き出した。
今までやつらが戦っていた部屋は、分厚い石壁に守られていた上に入り口を結界で封じていたから、部屋の外までは影響がなかった。
だが、入り口の封印を取ってしまったら、部屋の外にも影響が出る。もし、その時に内部が今言ったような高温になっていたり、毒ガスでも充満していたら…。
今度こそ彼女は言葉を失った。自分の取った軽率な行動は、運が悪ければ全員を死なせかねなかったのだと実感したようだ。
「ま、今回は運良くそんな心配もいらなかったようだ。…問題は、ダライ・ラマ13世がまだ生きている可能性が高いってことだが」
「そ、そうだった。御手洗、それはCOMPでわからんのか?」
「そこまではわからない。それこそ、直接踏み込んで確かめなきゃならん」
十条寺の問いに答えて、俺は指先ほどの大きさの、蜂の形をしたメカを取り出した。
超小型偵察用カメラ、ハニー・ビーだ。
当初、ゴージャス男との戦いの切り札にと造魔を受け取ろうとして、ネモ老人の住む洞窟を偵察するために用意しようとしたものだ。
そのときは、中国製の精密機械など当てにならないから止めておけというルリの提案を受けてお流れになっていたのだが、日本に注文しておいたカメラ自体はチベットに来る前に届いていたのだ。
COMPの画面を、偵察プログラムのものに切り替える。このプログラム、組織の技術開発担当者の傑作だそうで、すごいのは音声入力によりカメラの操作が可能になるとのことなのだ。
「モードを索敵に。…飛行開始、10メートル進んで停止」
COMPの先端に仕込まれているマイクを取り外して口元に寄せ、そう命令してみる。
すると、カメラは俺の手のひらから飛び立って、命令どおり部屋の中に飛んでいく。
「おおっ!!」
十条寺が驚きの声を上げた。無理もない。彼にしてみれば、現実がSFに追いついた瞬間だものな。
「ゆっくり右に旋回」
画面には、やや粗いものの、室内の惨状がありありと見て取れた。
ぼろぼろに崩れた石壁。
あちこちに穿たれた、隕石でも落ちたのかというような、深いクレーター。
中央にあった台も、真っ二つに叩き割られ、バーナーで炙られたかのように角が熔けている。
そして、へし折られた巨大な長槍が、そこに突き立てられていた。
プリンシパリティが持っていた武器だ。
全員、息を飲んでCOMPの画面を食い入るように見つめている。
この部屋の惨状からしても、想像を絶する戦いだったことは間違いない。
と、そのとき、ゆっくり右に移動している映像の上の方で、何かが動いた。
「あ!止めて!!」
叫んだのはルリだった。すると、マイクが彼女の声を拾ったのか、画面がぴたりと停止した。
「誰が命令してもその通りに動くのね。たいしたものだわ」
ユウカが感心する。
が、その目が大きく見開かれた。
今動いたものが見えた辺りから、何かがこちらめがけて飛んできたのだ。
正確には、部屋の中に侵入したカメラに向かって、だ。
びっくりして思わず画面から目を逸らした次の瞬間には、もう画面には何も映っていなかった。
カメラが破壊されたのだ。これが意味するものが、何であるかは言うまでもないだろう。ダライ・ラマ13世は生きていて、俺が部屋に入れた偵察カメラを発見して破壊したのだ。
俺は無意識のうちに叫んでいた。
「いくぞ!やつはまだ生きている!」
それを皮切りに、オベリスクが先頭を切って乗り込んだ。
続いて十条寺、ユウカが続く。
最後にルリと、脚を引きずりつつ俺が乗り込んだ。
カメラが最後に映し出していたのは、入ってちょうど右手だ。しかし、そこにはもう何もいない。周りを見回しても、人影らしきものも見当たらない。
「出て来い!こんな狭いところで、こそこそ隠れる必要などないだろうがっ!!」
十条寺が絶叫した。戦闘に備えて、ルリが彼の両手に霊活符を貼った。相手が待ち受けているのは明らかだから、先手を打たれても速やかに対処できるようにだ。
そして、「それ」は頭上から降ってきた。
ビュンッ!
いち早く気付いたオベリスクが、右手のブレードを振り上げて大きく宙空を薙いだ。
ガインと硬い音をたてて、オベリスクに叩き落されたものが部屋の隅に打ち付けられる。その一瞬でも、俺たちがその落ちてきた「もの」の正体に気が付くには充分だった。
が、その場にいたものの誰が、自分の目を信じられただろう?
「お前、そのありさまは…!」
「ダライ・ラマ13世!あなた、そんなになってまだ生きていられると…!?」
十条寺とユウカの呆然とした声が、全てを物語っていた。
『…』
ゆらりと起き上がってきた相手の、あまりの変わり果てように、ルリは正視していられなくなって顔をそむけた。
頭は左半分を叩き割られ、右腕は炭化してしまい、水分を失って大きさが半分以下に縮こまっている。
両脚の骨は至るところを折られているらしく、タコの足のようにぐねぐねに折れ曲がっている。さっき起き上がったと見えたのは、空中浮遊の秘術で宙に浮いたためだ。
そして、胸、腹、脇…一目でプリンシパリティの槍によるものだとわかる、巨大な穴が身体のあちこちに穿たれている。普通の人間なら、どれひとつ取っても致命傷になっていることだろう。
…もはや彼は、人間の形をデタラメに壊した、できの悪いオブジェにすぎなかった。
『ニクイ…ウラメシイ、…ワガタミヲ…キズツケタモノスベテ…』
やつの周囲を取り囲むオーラが、すさまじい勢いで渦巻いた。それに導かれるようにして、やつの左腕がこちらに伸ばされた。
さっきまで俺たちを相手にしていたときからは、想像もできないような緩慢な動きだ。それに、無事に残っているはずの右目にも力が感じられない。
本当に…こいつは生きているのか?
ゼンマイ仕掛けの人形のような動作に、俺は一瞬戸惑いを感じた。まだ握り締めたままのCOMPで、やつの心音や体温など、生体反応を調べようとする。
そのとき、ユウカがはっとしたように叫んだ。
「左京!これは、こいつの本体は肉体じゃない!あの周囲のオーラ、あれは悪霊と同じものよ、あっちが本体なんだわ!!」
「なに?」
呼ばれた俺より、十条寺が先に反応した。ちょうど俺のCOMPも、奴の身体からはまったく生体反応が感じられないというデータを表示している。
「想像でしかないけれど、あいつは人間としてはだいぶ前に死んでいたんじゃないかしら。でも彼の怒りや憎しみは、中国という復讐対象に、異常なまでに固執した。だから、彼の魂はチベット密教の説く転生ができなくなって、この世に留まってしまった。自らの復讐を達成するためには、自分自身の亡骸に取り憑くしかなくなって…」
ユウカの説明は、説得力があるのかないのかはっきりしない。真っ先に反論したのはルリだった。
「な、なんだか混乱するような話だけど、ムチャクチャなこと言ってない!?だいたい、自分の死体に取り憑いたってのがそもそも変よ。死んでしまったってことは、自分で身体を動かすことができなくなったってことでしょう?悪霊が他人に取り憑くのは、意識さえ乗っ取ってしまえば後は楽に肉体を動かせるからって聞いたことがあるわ。…まあ、死体に取り憑く悪霊ってのもポピュラーだけど、それって並大抵の霊力では…」
そこまで言って、彼女は何かに気付いたように言葉を切った。俺にもその先は想像がついたが。
「つまり、ダライ・ラマ13世の霊力は、それだけ並外れていたってことでしょうね。他人に取り憑いたって、所詮は肉体の限界までしか力を使えないのだから、生前より確実に使える秘術は少なくなる。その点、自分の肉体なら、そんな制限もないから…」
唖然とした表情で、十条寺が叫んだ。
「…冗談ではない。それほどの実力がありながら、どうしてもっと有効に使わないのだ!!」
だが、ダライ・ラマ13世はもうそれに応えることはなかった。
『ニクイ、ニクイ、ニクイ…ワガタミヲ…キズツケタモノスベテ!!』
そう喚いて無闇に掴みかかってこようとするだけだった。無論、そんな攻撃を食らうような仲間など、ここに居合わせているはずがない。
デタラメに動き回るだけの相手を、皆難なく避けている。
それでも、奴の膨れ上がる鬼気だけはまったく衰えを見せない。
そのときになって初めて、こいつの声が機械的な響きに変わっていることに気がついた。
プリンシパリティと戦うまでは、感情や抑揚を持って話していたのに、だ。
そう、か。やつはもう、自分の肉体を操るだけの理性も力も失い、己の壊れきった亡骸に取り憑いてただひたすら恨みを晴らすだけの悪霊に成り下がってしまったのだ。
もう、容赦する必要はない。
「オベリスク、そいつに止めを刺せ」
俺は、極めて冷徹な感じで命令した。
今は、こいつに少しでも情をかけてはならない。そう感じたからだ。
即座に造魔が相手に斬りかかる。それに対し、かつてダライ・ラマ13世だったものは、避けることも受け身を取ることもない。
オベリスクのレーザーブレードは、敵の右肩口から腰までを袈裟懸けに薙ぎ、真っ二つにした。
…ように見えた。
計算外だったのは、ダライ・ラマ13世はもう肉体の破損をダメージとして受け付けなかったことだ。
「げっ!?」
まさかの結果に、思わず叫び声が出た。
ダライ・ラマ13世の胴体は、斬られてやや斜めにずれたものの、身体を覆うオーラが上体を支えて固定した。斬られたこと自体によるダメージはないのだ。
それどころか、攻撃によって体勢の崩れたオベリスクのブレードをがっきと掴みあげた。
造魔にとっても予想外のことだったのだろう、とっさにブレードを引き離そうともがいたが、ダライ・ラマ13世のぼろぼろになった指はそれを許さない。
『シャアアアッ!』
顎をがくがくいわせながら、悪霊が何か叫んだ。
「!!」
それと同時に、オベリスクが後方に大きく仰け反った。顔面のバイザーに大きな亀裂が入っている。
「オ、オベリスクっ!!」
至近距離から、顔面に強力な気弾を食らったのだ。
本当なら吹っ飛んでいるところだが、ダライ・ラマ13世がオベリスクのブレードを未だに掴んだままなので、そうもいかなかったのだ。
…つまり、あいつは後ろに跳ぶことで気弾の威力を緩和することもできず、必要以上にダメージを受けたはずだ。
「オベリスク!それ以上は無理だ、一旦離れろ!」
たまらずそう叫んだが、オベリスクが振り払おうとしてもダライ・ラマ13世はまだブレードを離さない。いったい、どれほどの怪力だというんだ!?
ネモ老人のところにいた、戦闘用造魔ではないシャオメイですら、武術の達人である東鳳風破を簡単に押さえ込んでしまうのだ。それを遥かに凌駕するオベリスクが振りほどけないとは。
様子がおかしいのに気がついて、十条寺も叫んだ。
「どうしたんだ、そんなくたばり損ないを振りほどけないのか!?」
「…くたばり損ないだから振りほどけないのよ」
そう、静かに指摘したのはルリだ。
「生きている人間は、どんなに全力を出し切っているつもりでも、それ以上の無理が自分の身体を傷つける場合は、肉体のほうがブレーキをかけるのよ。痛みも、そういう身体からのメッセージのひとつなの。でも、ダライ・ラマ13世はもう死んでしまっている、いえ正確には肉体が活動機能を停止して、魂だけがそれを操っている状態ね。だから、身体が壊れてしまうような無理でも平気でできるようになる。…見て、あいつの指を。自分自身の握力に耐え切れないで、ほとんどの骨が折れてるのがわかるでしょ?あそこまで力を込められていては、造魔といえどもそうそう振りほどけるものではないわ。一方、ダライ・ラマ13世の方は己の手がどうなろうと痛みを感じるわけではない。目的のためなら、どんなに肉体が傷つこうが一向に構わなくなっているのが、今のあいつなの」
彼女の言うとおりだった。
オベリスクのブレードを掴んでいるやつの指は、もうまともに物を握ったり離したりすることなどできないような有様だった。
骨が皮膚を突き破り、関節が外れているのもある。あれでは、満足に動くはずもないから、離したくても離せないのかもしれない。
だが、そのつもりがないダライ・ラマ13世には、それで充分だった。
そうしている間に、ダライ・ラマ13世は至近距離からの気弾を1発、さらに1発と撃ち込む。
そのたびにオベリスクが悶えた。避けようのない距離から、あいつのバイザーが割れてしまうような攻撃を受けるのだ。いくら造魔でもそう長くは持たない。
オベリスクも反対側のレーザーブレードで懸命に斬り付けてなんとかしようとしているが、相手が斬られても焼かれても一向に堪えないのだからどうしようもない。
肉体部分は確かにオベリスクに斬られるたびに削ぎ落とされていくのだが、例え骨を砕いても、腕を切り離しても、オーラで繋がっている限り支障なしに動くのだ。
ついに、オベリスクはがっくりと膝をついてしまった。
「…やめなさい!!」
ついに見かねたユウカが、宙に舞った。ダライ・ラマ13世に攻撃を仕掛けるつもりだ。
大きく羽ばたき、突風に乗せた自分の羽根をダライ・ラマ13世めがけて放った。
狙いは、オベリスクのブレードを掴んでいる腕の、手首だ。
オベリスクと引っ張り合いの状態になっているため、ろくに避けることもできないダライ・ラマ13世は、ユウカの攻撃をもろに受けた。
…が、それによって手首の骨は砕け散ったというのに、ダライ・ラマ13世は依然としてオベリスクのブレードをがっきと掴んでいる。
それを見ていた十条寺が、突如跳びかかった。大きく左腕を振り上げる。
「御手洗、オベリスク…許せ!!」
そんなセリフまで残して。
その目を見た瞬間、彼が何をしようと考えたのか、直感的に悟った。
…前に王大人飯店でゴージャス男がジャックランタンを操って同士討ちをさせられたとき、仲魔の頭を砕いたときのミユキの目にそっくりだったのだ。
敵の手を切り落としても無駄なら、味方の手を切り落として助けるしかない!
そう考えたはずだ。十条寺は、ダライ・ラマ13世の手ではなく、オベリスクの腕を手刀で切り落として引き離すつもりなのだ。
…だが、止むを得ない。十条寺の表情は、これが苦渋の決断であることを物語っている。
ダライ・ラマ13世をどんなに攻撃しても無駄である以上、俺たちには他に成す術がないのだから。
仲間を傷つけるための手刀が、オベリスクのブレードに迫る。
ルリもユウカも目をそむけた。
彼女たちも、十条寺がやろうとしていることはわかっているのだ。ただ、わかってはいても、正視に堪えられる光景ではない。
仲間を守るために、瀕死の仲間に重傷を負わせなければならないなど…!
「はっ!!」
十条寺の気合が短く響き、左手が振り下ろされた。
そのとき、予期せぬことがおきた。
ダライ・ラマ13世が、オベリスクのブレードを掴んでいる腕を、ぐっと前に突き出したのだ。オベリスクの手首があったところに、ダライ・ラマ13世の腕がやってくる。
「!?」
十条寺も驚愕のため大きく目を見開いた。しかし、もう手刀は止められない。
―パンっ!!
十条寺が左手を振り下ろした場所に、にわかに純白の燐光が走った。
『シュアアアアア!!』
ぞっとするような悲鳴が辺りにこだました。人間の出せる声ではない。となれば、悲鳴をあげたのはダライ・ラマ13世以外にない。
何が起きたのかとよく見れば、やつの肘から先が消し飛んでいるではないか。
十条寺の手刀が当たった場所である。
どうしてそんなことに、なんて考えるより、先に口が動いた。
「オベリスク、今だ!下がれ!!」
このチャンスを逃したら、もうオベリスクを助けることはできない。本能的にそう感じたのだろう。
それを聞いて、造魔はよろよろとダライ・ラマ13世から離れた。気弾の直撃を立て続けに受けたのは相当なダメージなのだろう。
今まで、どんな激戦でもこんな無様な様子は見せなかったというのに、これではもう戦えまい。
そのとき、ルリがぱっと顔を輝かせた。
「そうだった、あたし自分でやってたことを忘れてたわ。十条寺さんの両手に霊活符を貼ってあったっていうのに!みんな、今の十条寺さんの攻撃は確実に効いているわ。物理的なダメージではなく、相手の霊体を攻撃できればあいつを倒すことができるのよ!」
そうか!!
やっと勝機が見えてきた。
ルリの言葉が本当なら、俺の持つ銃の銀の弾丸、十条寺の手に貼られた霊活符、それにルリの九字印で戦えばいいということだ。
ようやく、皆の顔に本来の力強さが戻ってきた。
同士討ちをすることなくオベリスクを助け出せたということと、ダライ・ラマ13世を倒すことができそうだという希望が出てきたからだ。
だが、十条寺は慌てたようにその場を飛び退いた。そして、左手を押さえたままうめいた。顔に冷や汗が噴き出している。
「くっ…、みんな、こいつに触られるな。今、俺から生気を奪い取ろうとしたぞ。オベリスクは生物じゃないから大丈夫だったのかもしれないが…!」
そう言っている彼の左手の霊活符が、煙を上げて消し炭になった。それに気付いたユウカが、あっと声をあげた。
「じゅ、十条寺!左手の霊活符が…!」
「なんだと!」
「まずいわ、もう霊活符は残り少ないのに。…もっとも、オベリスクが戦えなくなった今、これを貼れるのはユウカのその足のカギ爪だけだけどね」
そう言ってルリがユウカの方を見た途端、ダライ・ラマ13世が襲いかかってきた。さっき消し飛ばされなかった方の、炭化した腕を伸ばして。
本体である霊に干渉できる武器を俺たちが持っていることを知って、焦ったのか。
しかし、その腕を閃光が刺し貫いた。
俺が撃った、銀の弾丸だ。
「やめろ。もう、仲間には指一本触れさせんぞ」
銃口からわずかにたなびく硝煙越しに、ダライ・ラマ13世の崩れ果てた顔を睨みつけながら、俺は静かに言い放った。
オベリスクはもう戦闘不能だ。ルリは九字印を放つために精神集中すると無防備になるし、十条寺とユウカは霊活符がなければ奴にダメージを与えられない。
しかも、1回使えば焼け落ちてしまうし、生気を奪われる危険も孕んでいる。
この状況でまともに奴と戦えるのは、銃弾を温存できた俺だけだ。
ならば、俺がみんなを守ってみせる!

41章 決着

今の俺の銃撃で、残った右腕も失ったダライ・ラマ13世は、ゆっくりと俺に向き直った。
『ニクイ、…ニクイ!!』
そう叫んで威嚇するように大きく口を開けた。
その途端、顎の骨が外れ、顎が胸の辺りまでだらりと垂れ下がった。気味悪いことこの上ない。
俺は奴と仲間たちの間に割って入り、ダライ・ラマ13世と対峙しながら努めて冷静に彼我の優劣を判断した。
銃の残弾はあと18発。それに、予備弾倉が3つ。予備弾倉には1つにつき22発の銀の弾丸を装填してあるから、合計、80発以上の弾丸がある。
それに、今のところあいつは緩慢な動きしかできないようだ。攻撃を避けることも満足にできてないから、油断は禁物だが、撃てばまず命中するだろう。
一方、ダライ・ラマ13世にしてみれば、脅威なのは俺の持つ銀の弾丸だけだ。それがなくなってしまったら、ルリの霊活符と九字印はどちらもリスクが大きい上に連発できない。
つまり、勝負は奴が俺の射撃に耐えられるかどうかにかかってくる。
…ここまでくれば、もう考えることはない。
1発でも多く、敵に銃弾を撃ち込むだけだ。
「いくぞっ!」
気勢と共に、立て続けにトリガーを引き絞った。機関銃のような猛撃が、ダライ・ラマ13世に襲い掛かる。
着弾のショックで奴の身体がぼろぼろになる。普通の弾丸ならばそれだけの話だが、銀の弾丸に仕込まれた破魔の力を持つ硫化水銀は、霊体にもダメージを与えていく。
銀の弾丸を撃ちこまた部分は、熱した鉄板に水滴を落とした時のように一気に膨張し、ぱちんとはじける。その部分から、もうもうとオーラが蒸発していく。
今のダライ・ラマ13世の本体である、霊体が急激に失われているのだ。
『ガアアアアアアッ!!』
身の毛もよだつような絶叫が耳朶を打った。
奴は俺の射撃にまともに晒されながらもにじり寄ってこようとしているが、なにしろ前進しても銃弾の衝撃で幾分押し戻されるのだ。
向こうにしてみれば、近寄らなければ俺に攻撃できない状態なのだから、今の状況は一方的だ。このまま一気に止めを刺すため、無心にトリガーを引き続ける。
「す、すごい…」
1秒間に3発撃つ、拳銃としてはかなりの早撃ちに、ルリが感心とも呆然ともつかない声を出した。
それも、ろくに避けない相手とはいえ、全弾命中だ。普通なら、相当強力な悪霊であっても完全に消滅して、まだお釣りがくる。
…15、16、17、18発目!
ちょうど弾切れになったはずだ。
すかさずカラになった弾倉を排出し、一挙動で予備弾倉を銃に込めて構え直す。
『グ…グ…』
驚いたことに、あれだけ撃たれてもダライ・ラマ13世はまだくたばってない。
それどころか、弾丸の装填のわずかな合間でもこちらに近寄ってこようとしているではないか。
…まあ、無駄なあがきではあるがな。
まだ倒れないなら、倒れるまで撃ち続けるまでだ。俺の方は、まだ4分の1しか弾丸を使ってないのだからな。
「無駄だ」
短く宣言して、俺は再びダライ・ラマ13世を撃った。
たちまち、先ほどの再現になる。
狭い空間に銃声が響き渡りつづけるため、十条寺もルリもユウカも耳を塞いだままだ。
…しかし、これだけ撃っていると、こちらの両手も射撃時の衝撃で痺れてくる。
俺の愛用するグロッグ17は、銃身の大部分を強化プラスチックで形成しているため、普通の銃よりも軽量だ。
その利点は、とっさのときに片手でも狙いが定めやすいことにある。拳銃でも重いマグナムなどになると、もう両手でなければ構えることもできないものだってあるから、この利点は大きい。
反面、撃ったときの反動を銃の重さが吸収してくれることはないので、反動は自分の身体で押さえ込まなくてはならない。
つまり、小柄な人にとって、連射にはあまり向いてない銃と言える。
俺は決して小柄な方ではないが、今は文字通り撃ちっぱなしの状態だ。反動を押さえるくらいの体格はあるが、衝撃がないわけではないから手首や肩、膝などが震えてきている。
しかも、もう2つ目の弾倉も使い切って、今は3つ目だというのに、まだダライ・ラマ13世は消滅しない。
まだか、まだ食い下がってくるというのか、こいつは!
「…このっ!!」
息も絶え絶えになりながら、まだしぶとく抵抗を続けているダライ・ラマ13世に苛立ちを覚えた俺は、つい悪態をついた。
そして、やや乱暴にトリガーを引いたそのときだ。
ガキッ!!
「!」
耳障りな金属音を立てて、トリガーが急に重くなった。いや、動かなくなった。
「まさか!」
慌てて銃身を見る。
急に撃つのをやめた俺を見て、十条寺が敏感にトラブルの気配を感じ取ったようだ。急いでこちらに駆け寄ってくる。
「どうした!?」
そして、俺が抱え込んでいる銃を一目見て、あっと声をあげた。
「み、御手洗!これではもう撃てないじゃないか!!」
…くそっ!こんなときに、最悪の事態が訪れるとは!
銃身横の、空薬莢を排出する穴に、まだ弾丸が詰まったままの薬莢がかみ込んでいたのだ。
ジャムだ。
ちくしょう、十条寺が言ったように、これでは使い物にならない!
ジャムとは、こういうオートマチックの銃では、たまに起きる事故だ。
射撃中に、銃身の排莢する穴に薬莢が詰まると、遊底が動かなくなり、弾が撃てなくなる。
強力なスプリングが組み込まれている部品だから、こうなると人間の力では取り出せない。それに、無理をして下手に外れると暴発の危険があるから、応急修理ができないのだ。
あまりの連射によって銃身が加熱し、内部機構が変形したのか、今乱暴にトリガーを引いたことが原因で無理な力が加わったのか、とにかく戦闘中に起きてしまうと致命的だ。
そんな起きてはならない事態が今、俺を見舞っている。
「御手洗さん、危ない!!」
唐突な、ルリの絶叫。
はっとしてダライ・ラマ13世の方を見ると、奴は既に俺を必殺の間合いに捕らえていた。
銀の弾丸の雨あられによって全身のほとんどを持っていかれたダライ・ラマ13世は、もう肩から上しか原型を留めていなかった。
腕、胴体、両脚…それらは、霊体の蒸発と共に消滅してしまっていたのだ。そうなってしまっても、奴はくたばらなかったのだ。
そして、残った首の部分で今まさに俺に噛み付こうとしているところだった。
その頭蓋骨同然の顔が、勝利の予感に笑ったように見えたのは気のせいだろうか?
ここで銃の台尻でこの頭蓋骨を叩き落しても、奴には堪えない。
一旦噛み付かれたら、おそらく一気に俺の生気を吸い尽くしにかかるだろう。
もしそれで俺が死んでも、よしんば隣の十条寺が俺を庇ってくれたとしても、残った仲間でダライ・ラマ13世に止めを刺せばいいのだが、犠牲者が出るのは確実だ。
…ここまでか!任務を達成することはできるが、戦いには負けることになるのか!!
「左京、十条寺、伏せて!」
この絶体絶命の場面で、ユウカの声がはっきり聞こえたのはまぐれだろうか。
さらに、俺と十条寺がそろって反射的にその声に従ったのは奇跡としか言えなかった。
頭蓋骨の顎は、俺の右腕に触れたものの、俺たちが大きく動いたことで的をはずした。
瞬間的にではあるが、悪霊に生気を奪われた嫌な感触が腕に残る。まるで、ドライアイスを腕に押し付けられたような感じだった。
が、そんなことをのんきに考えている場合ではなかった。
伏せた俺たちの頭上を、暴風がなぎ払ったのだ。
無論、ユウカがその大きな翼を羽ばたかせたことによって起こした風である。
その暴風が通過した場所に、ダライ・ラマ13世の頭蓋骨があった。
頭蓋骨はあっけなく風に煽られ、反対側の壁に叩きつけられた。衝撃で骨がひしゃげる嫌な音が響く。
だが、虫の息といえど、そんなことではダライ・ラマ13世の本体である霊体にダメージを与えることはできない。
いったいどういうつもりでユウカはそんなことをしたのだろう。もしかして、時間稼ぎのつもりだろうか?
と、そこにルリが俺たちの横まで走りこんできて、十条寺の隣にかがんだ。
「ど、どうし…」
どうした、と聞くひまもなく、今度は十条寺がガバッと起き上がると、地面を蹴った。
一体何が起きているのか、まるで理解できない。
展開についていけないまま十条寺が跳んだ方向を見た。そのとき、彼女たちが考えていたことが、そして十条寺の狙いが何なのかようやくわかった。
十条寺が睨み据えている先には、やっとのことで壁からおのれを引き剥がした、ダライ・ラマ13世の砕けた頭蓋骨があったのだ。
そして、彼の両手には霊活符が貼られている。
つまり、だ。
俺の銃がおかしくなったことに気がついたユウカとルリは、今まで一方的に攻め立てていた俺が一気にピンチに追い込まれたことを悟った。
さらに、不用意に俺に走り寄った十条寺までもが、ダライ・ラマ13世に狙われるハメになった。
俺か十条寺か、どちらかがダライ・ラマ13世に襲われ、命を落とすまでいくらも猶予がない。
銀の弾丸が使えなくなった今、この状況を打破する手段は限られている。
霊活符か九字印のどちらかでしか、あの頭蓋骨にダメージを与えることはできない。しかも九字印では、精神集中に時間がかかるため手遅れになる。
霊活符を使うにしても、ユウカが俺たちのところまでくるのには少し距離があった。貼ってからダライ・ラマ13世に飛び掛かっても、間に合う保証はなかった。
そこで、咄嗟に一種の時間差攻撃を思いついたのだろう。
まず、ダライ・ラマ13世を俺たちから引き離すため、直接効果がないのは承知の上でユウカが突風を起こし、頭蓋骨を吹き飛ばす。
それと同時にルリが十条寺のところに走り、霊活符を左手に貼り付ける。
右手の霊活符が残っているのに、またもや左手に貼ったのは、大盤振る舞いというところだろう。ここで出し惜しみをしてやられたのでは、何をやっているのかわからなくなる。
ここで、十条寺も状況を把握し、自らの手でダライ・ラマ13世に止めを刺すために跳びかかったというわけだ。
猛然とダライ・ラマ13世に迫りながら、十条寺は両手をがっきと組み合わせた。
「これで終わりだ!貴様が刺した、ミユキの技をとくと味わえ!!」
そう叫ぶと、両手をハンマーパンチの要領でダライ・ラマ13世の頭蓋骨に振り下ろした。
ぐしゃっ。
骨の砕ける音と、悪霊が浄化される燐光。それに霊的な負荷に耐えられずに燃え出す霊活符の炎が、同時におこった。
瞬間的に目が眩んだが、それが収まったとき、もうダライ・ラマ13世の身体はひとかけらも残っていなかった。
終わったのか?
まだ緊張を解かず、油断なく周囲を見渡していると、ユウカが寄り添ってきた。
「もう大丈夫よ。この部屋に、いえこの建物に渦巻いていた憎しみや怒りがみるみるうちに薄れているわ。その中心にいた者が消え去った証拠よ」
そうか、やっと…やっと終わったんだ。
「いててて…」
感傷に浸っていると、いきなり場違いな声が響いた。
見れば、十条寺が、ダライ・ラマ13世に叩きつけた両手を押さえて跳ね回っている。
「おいおい、どうしたんだ?」
「ちょっと調子に乗りすぎた。ミユキの分の痛みまで思い知れと、かっこつけてあいつの技の真似をしてみたが…変なところを打ち付けてしまった」
「くすっ、慣れないことをするからそうなるんですよ」
「ルリ、お前が言うのか、そういうことを!?お前だって道術とは関係ない術を平気で使っていたじゃないか」
「あら、アレは我流ですが、ちゃんと修行して身に付けたものですよ」
「く、口の減らない女だな!」
「あははははっ…!」
「うふふふ」
唖然として聞いていた俺たちも、ついつい引き込まれて笑ってしまった。言い合いをして睨みあっていた十条寺とルリも、つられて笑い出す。
全員、疲れきっていたが、その顔は晴れやかだった。
ようやく任務が終わったのだ。
思えば、今回の任務は、東鳳風破、アイリスやミユキを含む俺たち全員にとって、これまでにないほど多くの経験をした。
まず、国外の任務ということ。
次に、自分の造魔を持つことになったこと。
さらに、依頼者の家族までメンバーに組み込むことになったこと。
とっておきが、悪魔と合体させられたユウカと出会ったことだ。
特に、造魔や悪魔人の件は、組織の他のメンバーでもまず体験した者はいない。この事件で俺たちが得たものは、非常に大きかったことになる。
『…』
不意に、背後に何者かの気配を感じて、振り返った。そして、思わず大声をあげてしまった。
「お前は!ダライ・ラマ13世!!」
「なんだって!」
一瞬にして全員に緊張が走る。無理もない。倒したはずの敵が、またもや目の前に現れたのだから。
しかし、目の前のダライ・ラマ13世は、穏やかな表情を崩さなかった。
『…異国の者たちよ、この度は迷惑をかけた』
…は?
『我を怒りと憎しみの呪縛から解き放ってくれたこと、幾重にも礼を言う』
「あの、話がよく見えないんだけど…?」
おずおずと言った調子で、ルリが声をかけた。今まで死闘を繰り広げてきた相手が復活したのかと、一時は焦ったものの、落ち着いてよく見れば、今のダライ・ラマ13世からは戦う素振りは微塵も感じられない。
さっきまでの真っ赤だったり、どす黒いオーラに包まれているわけでもない。考えてみれば、あのオーラの色はこいつの感情が色になっていたのではないだろうか。
だとすれば、さしずめ赤は怒り、黒は憎しみといったところだろう。
それに、目の前の相手は完全な霊体だ。さっきまでのように、自分の亡骸に取り憑いているわけではない。
加えて言うなら、今のこいつは、清楚と表現するのがぴったりする、純白でほのかなオーラを纏っている。
ルリに続いて、十条寺も話し掛けた。
「あんた、もう俺たちと戦うつもりはないというのか?」
『我はダライ・ラマ13世。かつて、我が民を守るため国を創り、世界に我が密教を、そしてチベット民族を認識してもらおうとしたチベット密教の指導者だ。…だが、我はいつの間にか民を守ることより中国という国を憎み、世界中を混乱に陥れることを使命とするようになってしまっていた。密教の教えによって鍛え抜いた肉体と精神は、それを阻むものを尽く排除することが可能になってさえいた。その力たるや、異国の者よ、汝らも身をもって思い知ったことと思う』
まあ、そうだな。あれほど銀の弾丸を食らって、なおかつ反撃できたなんて、組織の他の仲間が聞いたって信じちゃくれないだろうな。
それほどこいつの霊力、精神力は凄まじかったということだ。それに、秘術の力も。サマナーとしての俺の切り札であったプリンシパリティが敗れたのだから。
『我はそこまで意固地になってしまって、恨みを晴らすことしか頭になかった。それを、全力をもって止めてくれたこと、それに汝らの仲間を傷つけたこと…礼も詫びも、いくら言葉を重ねても言い足りぬ』
「言ったはずだぜ。殺してでもその悪行は止めてみせるってな」
ダライ・ラマ13世の言葉に応えながら、俺は何となく今の彼の状態が理解できた。
怒りと憎しみの塊となっていたダライ・ラマ13世は、文字通りその身体が粉みじんになるまで、秘術と怒りの限りを尽くして、その恨みを晴らそうとしていた。
しかし、その全身全霊をもってしても、俺たちを打ち破ることはできなかった。
実力でははるかに劣る相手に負けたことで、彼は怒りと憎しみに身を委ねることに疑問を持った。
そこで、彼は初めてこの怒りと憎しみを乗り越え、チベット密教の主導者としての本来の姿を取り戻すことができたのではなかろうか。
少なくとも、今俺たちの前にいるダライ・ラマ13世の霊は、民族の指導者として相応しい風格と落ち着き、振る舞いを兼ね備えていた。
『そうだったな。確かにそうであった』
ダライ・ラマ13世の霊は、かすかに頷いたようだった。その後、やや悲しそうな表情で言った。
『異国の者たちよ、迷惑ついでに答えてはくれぬか。…我は、どこでやり方を間違えたのだろうか』
…難しい質問だ。
陰陽五行をもじった拷問部屋のときにダライ・ラマ13世が言ったことが正しいなら、当時の中国のやり方に多分に問題があったことになる。
しかし、それはチベット側から見た場合のことであって、当時戦争中であったことなど、周辺の状況を考えると、一方的に責めるのもちょっと難しい。
かと言って、ダライ・ラマ13世が怒りに我を忘れたのが悪いというのも筋違いだ。民族の指導者として、彼の感じたことは不自然でも何でもない。
俺たちが答えに窮していると、ユウカが前に進み出た。
「…指導者よ、あなたがすべて1人で抱え込んでしまったことに原因があるのではありませんか?」
『ほう…というと』
「かつて、わたしも同じような過ちを犯していました。わたしたち悪魔としての属性を持つものは、生体マグネタイトを供給してくれる者がいなければ消滅してしまいます。しかし、わたしと最初に契約を結んだ男、ゴージャス男は、間違っても悪魔を使役するだけの器ではありませんでした。…それは、あの男をそそのかしたあなたもよくご存知かもしれませんが」
『確かに。あの者は、他者を統べるための経験も素質も備わっていなかったな』
「それに気がつき始めたとき、今の供給者、左京と出会ったのです。不幸なことに、最初に敵として出会わなかったならば、わたしは迷うことなく彼と契約を結び直したことでしょう。ですが、かつての敵に仕えるという結論に、わたしは躊躇しました。周囲にはわたしのような、自分の意志で行動できる仲魔はいなかったため、一人で悩まざるを得なかったのですが、結果として左京たちに大変な迷惑をかけることになってしまったのです」
「そんな、俺たちはそんなこと迷惑だとは…」
口を挟みかけた俺を、十条寺は無言で止めた。
「わたしが言いたいことはわかってくれたことと思います。あなたの指導者としての立場は絶対的なものだったかもしれませんが、周囲に相談できる人物はいたはずです。すべてを抱え込んで、たった1人で民族の者すべてを救おうとしたから、中国という国を相手取って倒すことしか方法がなかった。でも、誰かと力を合わせたなら、…もう少し言えば、力を貸してくれる国があったなら、他の方法が取れたはずだと思うのです」
一気にそこまで言ったユウカを、ダライ・ラマ13世の霊は静かに見据えた。
『誰かと協力すれば良かったのだ、か。…ふふふ、修行によって己の精神と肉体を極限まで仏陀に近づけることこそ永劫の課題とする我が密教には、思いもよらない考え方だな。それに、国際社会とは見返りのない相手に助けの手を差し伸べるほどあまいものではない。それは、我が治めていた頃も今も変わるまい』
そう言って、ふと笑ってみせた。チベット密教の、他者を救うということで自らも徳を積むという菩薩信仰の側面を思わせる、柔和な笑い方だった。
『しかし、汝の言葉は自らの行動に裏打ちされたものだ。ここまで来たことも、我を打ち負かしたことも、仲間と協力してこそ成し得たことだ。それだけに、言葉の重みはよくわかる。…なるほど、我のような考え方は時代遅れなのかも知れぬな。だからこそ、時の流れに取り残されるようなことさえ、望んだのやも知れぬ』
そう言ったとき、ダライ・ラマ13世の身体が急速に薄れていった。
『感謝するぞ、その身と心に大いなる翼を持つ娘よ、そして仲間たちよ。さらばだ』
その言葉を最後に、ダライ・ラマ13世は消えた。
「…成仏したのかな」
ルリがぼそっと呟いた。
「あるいは、そうかもしれない。まあ、彼も全てに納得したからこその結果だからな」
「うむ、では帰ろう。王大人飯店に、そして日本に」
十条寺が晴れ晴れと宣言した。が、ユウカがそれに水を差す。
「あ、ちょっと待って。オベリスクは大丈夫なのかしら?」
…いけね。そういえば戦線離脱させたきり、ほったらかしだった。
脚を引きずりつつ部屋を出た。中にいたままでは戦闘に巻き込まれると判断するだろうから、離脱させれば、部屋からでるはずだ。
思った通り、オベリスクは入り口の横の壁に寄りかかっていた。
全身の生体装甲にひびが入り、ブレードもバイザーも欠けたり、割れたり、さんざんな状態だった。しかし、俺を認めると、割れたバイザーに青く灯をともしてうなずいた。
大丈夫と伝えたいのだろう。
「ユウカ、魔法で治せるか?」
俺についてきたユウカに聞くと、彼女はあっさり頷いた。
「いけるわ。ちょっと時間がかかるけど、王大人飯店に着く頃には完治させられる」
ふう。それを聞いて一安心。
と、そこに十条寺とルリがにやにやしながらやってきた。
「ユウカ、そんなに焦って治療することもない。どうせ日本まで御手洗と一緒に行くんだろう」
「そうね。もしかしたら、その後もずっと…なんじゃなぁい?」
こ、こいつら!!
からかわれているとわかったのだろう、ユウカの顔も真っ赤になった。
「な、何を言い出すのよ!」
「隠さなくてもいい。御手洗がダライ・ラマ13世に記憶を暴かれたあたりから、お前の口調ががらっと変わったことくらい、俺もルリも気がついている」
「うふふふふ〜、ユウカったら、御手洗さんを助けようと必死だったものねぇ。それに、あれから急に女っぽくなったしい〜。それもこれも愛の力の成せる業かしら?」
「お、お前ら…いい加減にしろ!!」
頭にきて怒鳴りつけたが、一向に効き目がない。
「きゃ、こわ〜い。十条寺さん、お邪魔虫は退散しろですって。じゃあ、お二人さん、お幸せに〜」
「だからだな〜!!」「あなたたちね〜!!」
俺たちの抗議をよそに、十条寺たちは出口を目指して走り出した。
「さて…と、凱旋だ!!」

42章 暗部

左京たちの乗った旅客機を見送った後、ルリと王大人は北京空港の中の喫茶店で一息ついていた。
美しい夕日が眺められる窓際の席で、2人は向かい合って座っている。
「行っちゃったね、父さん」
「ああ」
目の前の紅茶を飲み干し、カップを置こうとして急に手を止めると、ルリは突然くすくすと笑い出した。
「なんだ?」
「あ、ごめん、思い出し笑いよ。夕べのバカ騒ぎのことを思い出したの。チベットから帰ってきて、任務達成のお祝いだって父さんたちが作ってくれたご馳走。みんなして、すごい勢いで食べちゃったものね」
「ああ、あのときか。…御手洗さんも十条寺さんも、食べっぷりもあったが、それ以上にあそこまで飲むとは思わなかったな」
「そうね。御手洗さんはそんなにお酒飲むような人には見えなかったし、十条寺さんも武道家だから酒は控えてるんだとばかり思ってたら…瓶を掴んで一気飲みだもの。あのときは思いっきり笑っちゃった。特に御手洗さんなんか、実はお酒がかなり好きで、任務が終わったときとか切りのいいときに思い切り飲むのがうまいんだ、なんて言って、浴びるように飲んでたもの。隣にいたユウカが唖然としてたものね」
「ああ、彼らも若いからな」
そう答えて、王大人は再び窓の外に目をやった。もう、日本からの客が乗った飛行機は見えなくなっている。彼らが祖国に着くのは、夜遅くになるだろう。
「オベリスクも、結局持って帰ることにしてたわね。日本でもあの造魔を任務に使うんだとしたら、御手洗さん、まさに天下無敵ってとこかしら」
ふふっと笑ってみたものの、ルリは父親の様子が気に入らなかった。少し休んでから帰ろうと、自分からこの店に入っていながら、注文したコーヒーにもまったく手をつけていない。
さっきから話していても、返事はするものの険しい顔つきのままだ。事件が解決したことも、自分たちが無事に帰ってきたことも嬉しくないのだろうか?
「…どうしたのよ、父さん?何か腑に落ちないことでもあるの?」
このとき、王大人は初めて娘を正面から見た。
「ランファン、これから言うことをよく聞くんだ」
たちまち、ルリの眉根がつりあがる。
「父さん!その名前で呼ばないでって、何度も言って…」
「最期くらい、私がつけた名前で呼ばせてくれ」
「…はい?」
尋常ではない父親の言葉に、ルリは途中まで言いかけた文句を飲み込んだ。
「今回の事件について、今朝早く政府から通達があったんだ。その内容は、…この件を、中国政府に直接干渉しようとしたテロとみなし、首謀者とそれに荷担した者は徹底的に断罪する。また、外国人がこの件を解決したということが明るみに出れば、わが国の面子に関わることであり、さらにチベット自治区に対して我々が過去に行なってきたことが暴露されるのも非常に問題があるため、この件に関わってチベットに入域した者は、お前も含めて全員の口を封じよ、とな」
「…っ!」
聞いているうちに、ルリは両の拳を握り締め、肩をぶるぶると震わせ始めた。怒りで顔が真っ赤になっている。
「何よそれは。今更になってゴージャス男を断罪するって、何のつもりよ。あいつはとっくに死んじゃってるっていうのに。チベットが自治区?最近は、占領地支配してる地区をそう呼ぶように、法律改正でもしたのかしら?それに、政府のメンツに関わるから外国人は殺せ?あまつさえ、あなた自分の娘まで殺すように命令されたっていうの!?」
「静かにするんだ、誰が聞いているかわからない」
激昂してだんだん声が大きくなってきた娘を、王大人はぴしゃりと制した。
「小耳に挟まれても大丈夫なように、せっかく日本語で話しているのに、その苦労を無にするようなことをするんじゃない」
一旦は静まったルリだったが、ややあって気を取り直したのか、再びぐっと王大人に詰め寄った。
「…別に構いはしないわ、実の父親に今から殺しますって宣言されたもの、もう何を気にしたってしょうがないじゃない。死んだ後のことなんか、もうあたしには関係ないもの」
ヤケを起こしかけた娘を、王大人は辛抱強く宥めた。
「最後まで話を聞け。向こうからそう言ってきただけのことだ。私だって、こんな無茶な通達に従うつもりなど、毛頭ない」
それを聞いて、ルリはやっと落ち着きを取り戻した。
「…殺さないの?私も、御手洗さんたちも?」
「当たり前だ。そもそもこんな、御手洗さんたちの功績を横取りしようというのが見え見えのやり方に、バカ正直に付き合う方がどうかしている。…絞兎死して走狗煮らる、という故事があるが、政府の今回のやり方はまさにそれだ。それに、ゴージャス男が政府に乗り込んでから何日も経っているのに、今になってヤツを断罪するなんて大々的な宣言をするなんてのも、ゴージャス男はとっくに死んでいるのを知らないほど間抜けなのか、天下ご免の卑怯な手口を平気で使うほど腐っているのか、のどちらかだと自分で言っているようなものだ」
「…そうね」
「第一、手洗さんたちはこの国を、私の店を、仲間たちを、そしてお前を命がけで守ってくれたのだ。それなのに恩を仇で返すようなことなど、許されるはずがない」
険しかったルリの表情が、ようやくほころんだ。
「よかった。いくらあたしが中国人は嫌いだからといっても、父さんやお店の仲間たちまでそんなひどい人だとは思いたくなかったもの。…でも、事件が解決したことをかぎつけるのはすごく早かったわね。どういうことなのかしら?」
王大人の顔が、つらそうに歪んだ。
「実は、リーが政府と内通していたんだ」
―ダンッ!!
ルリが、両手をテーブルに叩きつけて立ち上がる。今度はさすがに店内中の視線を集める結果になった。しかし、彼女はまったく意に介さない。
「そんな…あいつは、父さんが最も信頼していたのに…あいつまでが…」
「落ち着け」
予想以上に過剰反応した娘にびっくりしながらも、王大人は娘を再度宥める。
「あの、どうかなさいましたか?」
ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、ウェイトレスが駆け寄ってきた。王大人は、内心舌打ちをした。空港の中のスタッフは、例え売り子であろうが清掃員であろうが、例外なく政府の息のかかった人間だ。ここで騒ぎを起こしたら、自分の目論見が露呈しかねない。
「申し訳ない。ちょっと娘をからかっていたら、機嫌を損ねてしまってね」
人の良さそうな笑顔になってそう言いながら、彼はポケットに手を入れた。
「こないだこんなおもちゃで驚かせたことを白状したら、怒ってしまって」
そう言って彼は、手の中のものをウェイトレスの前に差し出した。
「っ!!」
ウェイトレスの顔が派手に引きつる。咄嗟に悲鳴をかみ殺したのは、賞賛に値するだろう。
彼がテーブルの上に乗せたのは、ごきぶりそっくりの作り物だったのだ。
自分の指でつんつん突いてみせて、本物ではないことをアピールする。それを見ていたウェイトレスの顔が、クレヨンか絵の具でも塗りたくったかのように真っ赤になった。
「すまないね、お騒がせして」
「…他のお客様のご迷惑になりますので、できるだけ静かにお願いいたします」
ぷるぷると両肩を震わせながら、やっとのことでそれだけ言うと、ウェイトレスはきびすを返して立ち去った。
さて邪魔者も追い払ったことだし、と王大人はルリに向き直った。今の茶番で、彼女が呆気に取られている間にリーの事情を説明しなければならない。
「ランファン、リーは私たちの仲間だよ。彼は、自分から内通者であったことを打ち明けてきたのだ。それも、私と御手洗さんとに、だよ」
王大人の最後の一言はかなりの効果を発揮したようだ。徐々に焦点が戻りかけていたルリの瞳が、一瞬で正気に戻る。
それ以上周囲の好奇心を刺激しないよう、ゆっくりと椅子に座りながら、ルリが尋ねた。
「内通者が、自分から、正体を打ち明けた?どうして?何が目的なの?」
「…今朝6時前のことだ。リーは、私のところにやってきて、騒ぎ疲れて眠っている御手洗さんを何とか起こして欲しいと言ったのだ。何を無茶なことを言っている、休ませてあげなさいと言ったんだが、リーは御手洗さんたちの命に関わることだ、それも一刻を争うと言って譲らなかった。やむを得ず、御手洗さんに無理をいって起きてもらうと、彼は今から言うことを録音するから、十条寺さんやユウカさん、そしてお前にも聞かせてやってくれと言って話し出した。…そのテープが、これだ」
そう言って、王大人はウォークマンを取り出した。イヤホンをルリに手渡すと、彼女は無言で耳にはめた。それを確認して、王大人は再生ボタンを押す。
ルリの耳に聞こえてきたのは、紛れもなくリーの声だった。多少ノイズが割り込む中、聞き慣れた拙い日本語で、とつとつと話している。
『私、5年前に政府の命令受けたね。ここ、いろんな珍しいものが集まる。それを知らせろと。そしたら給料の2倍のお金くれると言われた。私、お金に目、くらんだ。5年間、いろんなことを政府に知らせてきた。悪魔のこと、大人の薬のこと、そして…造魔のことも。御手洗さん、許されよ』
「5年…。そんなに前から、あいつは」
驚愕のあまり独り言が洩れるが、王大人は黙って付き合う。
『でも、今回は政府を許せなかった。政府、大人を切り捨てるつもりでいた。この飯店が襲われても、政府は無視した。助けて欲しいと頼んだら、お前にはちゃんと金を払っていると突っぱねられた。ここがやられたら、もう情報知らせられないと言っても、だめだった。ならば他の情報源を探すだけだと言った。私、私…自分がバカだったとはじめてわかった』
リーの声に、嗚咽が混ざった。
『私、みなさんがチベットに行った後、この事件解決したら情報流すのはやめるつもりでいた。そしたら、政府の人、とんでもないこと言ってきた。この大事件を、外国人が解決したのは不遜だ、その功績は誇り高き中華民族が受けるべきだ。それに、チベットに入域してまで、わが国の歴史の汚点を探ったことは諜報活動になる、王大人に協力させて、チベットから戻ってきた者たちの口封じをしろと』
御手洗の声が混じった。寝起きのはずだが、かなり興奮しているようだ。
『待て、リーさん!チベットに行ったのは俺たちだけじゃない、王大人のお嬢さんであるルリもなんだぞ!まさか、彼女まで一緒に…?』
『あいつら、そのつもりね。私、もう我慢できなかった。だから、こうやってあなたにも打ち明けた。今までにあいつらから貰った金使って、今日の日本行きの飛行機予約した。それで早く帰る。でないと、他の人があなたたち狙う』
『…え、ちょっと、ちょっと待ってくれ』
御手洗の声だ。リーの話のテンポについていけず、面食らっているようだ。
『リーさん、あんた、政府の内通者だったけど、俺たちを逃がしてくれるっていうのか?』
『そうね。…あと、大人、何年もあなた騙してたこと、謝る。凄く驚いて、怒ったと思う。だから、どんな罰でも受ける。でも、今日だけ待って欲しい。私、御手洗さんたち逃がしたい』
『…リー、私はお前を罰したりしないよ。私も御手洗さんたちにはどれほど感謝してもし尽くせない。それに、今更こう言うのもどうかと思うが、私の秘術や情報が洩れているらしいことは薄々感じていたのだ。もっとも、店の中に内通者がいるかも知れないと思ったのは最近のことだし、考えたくもなかったのだがな』
これは、王大人の声だ。
思いがけない返答に息を飲んで絶句したリーに代わって、御手洗が喋り出す。
『…王大人、ゴージャス男を倒した頃から疑問に思っていたのですが、もしかしてあなたはそのときからこうなることを予想されていたのではないですか?』
『そのとおりです。娘から太平天国再興の話を聞いたとき、あなたがたは我々の国の歴史に、危険なところまで首を突っ込んだのではないか、と思ったのです。政府が私の身近にいる内通者を通じて、そのことを知るのは時間の問題だ。さらに、黒幕を追ってチベットに行くことになったときも、同種の不安を感じました。…一連の事件の黒幕は、恐らく私どもの祖先がチベット民族に対して行なった侵略行為を恨んでいる者だろう、だとすればあなたがたがわが国の歴史の暗部に触れる可能性が極めて高い。そうなれば、政府があなた方をすんなり帰国させてくれるだろうか…と。果たして私の不安は、自分で嫌になるほど的中してしまいました』
『…そうだったのですか』
『ですが、私は同じ中国民族の者として、政府の恥知らずな決断は許せません。あなた方と娘は、何としても日本にお届けします。それこそ、リーの持つ政府の内部情報を利用してでも!』
「…うっ…」
ルリの前に、ぽたりと滴が落ちた。
彼女の瞳に、大粒の涙がいくつも浮かんでいた。イヤホンから聞こえてくた父の決意が、何を意味するのかわかっているからだ。
王大人の決断は、政府の通達にあからさまに反抗するものだ。
命令に従わないと政府の上層部が知ったら、見せしめのために、また王大人本人の口封じのために刺客を送り込んで殺そうとするのは目に見えている。
御手洗もそう判断したのだろう。今までどこか眠そうだった声が、完全に元に戻っていた。
『王大人、大丈夫なのですか!?…中国政府のことは、確かに無茶ではありますが、国家の判断としては珍しいものではありません。他の国でも、程度の差はあれどだいたい同じような結論になるはずです。なのに、あまり大っぴらに政府の通達に逆らったら、あなたやお店の仲間たちの身が…!』
『承知の上です。娘が一人前になったのを見届けた今、政府に命を狙われることになっても恐れることはない。…私は、同じ中国人として、恥を知れと言ってやりたいくらいなのです。それに、店の者たちにも事情を話して外国に高飛びしてもらいますから。…ただ、リー、もともと政府に睨まれているお前だけは私の力では守りきってやれん。許してくれ』
『そんな、大人!私、大人に許してもらえただけで…あ』
ブツッ。
音声は、そこで途切れていた。どうやら録音したままなのに気がついたリーが、レコーダーのスイッチを切ったのだろう。
それでも、王大人が言いたかったこと、これから何をしようとしているかは充分すぎるほどわかった。今にもわっと泣き出しそうになるのをこらえながら、ルリは声を絞り出した。
「父さん、じゃあ、次はわたしを日本に…?」
「そうだ。これが切符だ」
王大人は事も無げにそういうと、日本行きの旅客機の切符をテーブルに置いた。
「お前の乗る便は、もうすぐ搭乗手続きを始める。当分の間は、御手洗さんたちのいる組織のマダムに面倒を見てもらえるように話をつけてある。…元気でな」
「うん…。父さんも、気をつけてね。あと、リーにも…ありがとうって伝えて」
言いながら、ルリは思った。
そういえば、道術を習うようになってから、父さんの言ったことを素直に聞いたことなんてなかったな。それに、父親を介してとはいえ、リーにお礼を言うのも初めてだっけ。
「じゃ、あたし…もう行く」
唐突にそういうと、ルリは逃げるように席を立って外に出た。
実際、逃げ出したのだった。涙でもうぐしゃぐしゃになってしまった顔を、父親に見られたくなかったのだ。
一方、テーブルに取り残された王大人は、顔を伏せたまましばらく動かなかった。
しかし、両の拳がぶるぶる震えてくると、こらえきれなくなったようにぶつぶつと呟きだした。
「ランファン、…私は、最後まで悪い父親だったな。結局、御手洗さんたちはおろか、お前にさえ言わずにいたことがあるのだ。…実は、私たち中国人の情報網は黒幕の正体をある程度特定していたのだ。だったらなぜ、自ら動こうとしなかったのか。…お前も結婚して、子を産み育てるくらいの年齢になればわかってくるのかもしれないが、それこそが、我々が持つ4000年以上の長さを誇る歴史の重みなのだよ。4000年も1つの民族を、そして文化を維持していこうとすれば、汚い手段を使わなければならないときもある。いや、まっとうな手段を使うことの方が、ともすれば珍しいのかもしれない。あのチベット民族の指導者も、そういう我々の犠牲にされた者の1人だ。一度は滅ぼしたはずの相手が再び中国に牙をむいてきたことがわかったとき、私は中国人ではあの指導者を倒せないと直感した。仮に彼自身を倒せば、新たな黒幕が誕生する。我々中国人が手を下し続ける限り、チベット民族の最後の1人が息絶えるまで、その連鎖は断ち切れなかっただろう。…ふふっ、友人という気安さもあってか、日本のマダムにはそのことを少し匂わせるようなことも喋ってしまったがな。結局私は、あの指導者からこの国を救ってくれた御手洗さんたちを、彼を派遣してくれたマダムを…そして、ランファン、お前さえも利用していたことになるのだな…」
とっくに日は暮れていたが、王大人は、長いことその場から動かなかった。

終章 半年後

目の前で息絶えた中級クラスの悪魔が、生体マグネタイトの塊に変換されてCOMPに吸い込まれていく。
それを確認して、アイリスが結界を解いた。
「もう大丈夫みたい。この辺でさんざん怪奇現象を引き起こしていた下級悪魔が一目散に退散していってる。それにしてもオテさん、今回は記録的な早さね」
「いきなり大元が特定できたからな。もっとも、相手が想像以上に強い場合は返り討ちに遭うこともあるから、いつもいつもこう上手くいくとは限らない。それと、いい加減にオテさん呼ばわりは止めろ。あれからそろそろ半年になるんだぞ、ちょっとは成長しろ!」
「べ〜」
可愛らしく舌まで出してアッカンベーをして、アイリスは逃げ出した。
「まったく…」
「そういうところが変わってないのは、オテさん自信も同じでしょ」
そう言うとミユキは、いきなり背後から俺を羽交い絞めにした。
背中に当たる胸の感触が心地いいが、そんなことに気を取られていると、こいつの怪力が俺をあわや窒息死というところまで追い込むから恐ろしい。
と、横から十条寺の腕がにゅっと伸びてきて、ミユキの腕を俺の肩から引き離した。
「よさんか。こいつは俺たちの教官としてここまで来ているんだぞ。御手洗の許可がなければ、俺たちは引き上げることもできんのだ。こっちは早く戻って、師匠の様子を見に行かなきゃならんのに…」
「あ、そうだったわね」
あっさりミユキは頷くと、俺の正面に回り、十条寺の横に並んだ。いつの間にか、アイリスまでその横にちゃっかり並んでいる。
「それでは、…ミユキ・コーラン、十条寺用輔、アイリス・ヤマグチ以上3名、本日の日程及び任務を完全に消化したことをここにご報告致します。特に注意事項がなければ、解散の許可を頂きたいのですがよろしいでしょうか!?」
ぴちっと敬礼までして、こんな軍隊口調をすらすらと言ってのけやがった。ミユキのいたずらっ子のような目が、くりくり動いて笑っている。
あーやりにくい!
「あ、ああ、…じゃ、ここで解散だ」
それを合図に、アイリスとミユキがぴゅーっと駆け出した。
「わ〜い!!」
「アイリスちゃん、シュークリーム食べに行かない?おいしい店があるの」
「へ?ミユキさん善通寺の方は来た事ないって言ってたでしょ」
怪訝そうな顔になったアイリスに向かって、ミユキは得意そうに含み笑いを始めた。
「ふっふっふ、お姉さんに任せなさい。今日はこっちでお仕事だって聞いてたから、ちゃんと組織の人にお願いして昨日のうちに調べてもらったの!」
この言い様には、怒るのを通り越して呆れてしまった。
「…ずいぶん誤解があるぞ。夕べ、寝ていた俺たちを起こした上に脅して、の間違いだろ。それに昨日といっても、夜中12時を過ぎてたぞ。正確に今日じゃないか」
言ってはみたが、既に2人はよかったー!じゃ安心ね!とか、わかってるわね、ちゃんとワリカンよ!などと好き勝手なことを言いながら歩き去ってしまっている。
最近いつもこのパターンだ。頭を抱えていると、十条寺がやってきた。
「女っていうのはああいうもんだろう。それより、俺も師匠のお見舞いに行かせて貰うぞ」
「ああ、俺からもよろしくと言っといてくれ」
俺の返事に十条寺は頷くと、これも立ち去った。
「ふう…」
第一線でサマナーとして活躍していた俺が、どうして半年も前に組んだ仲間の教官なんぞやらなきゃならないんだろうか。
半年前の中国、チベットでの事件を解決した俺たちは…正確には俺1人だけだが、日本に戻ってくると組織からかなりの追求を受けた。
当初組織が予想していた以上のことが起こり過ぎていたためだ。
まず、事件の真相そのものが大規模であったこと。中国とチベットの歴史にあれほど根深く関わるものであったし、ゴージャス男も一度は政府に干渉しようとまでしたことなどがそうだ。
それに、味方の被害が大きかったこと。結局日本から向かったメンバーで、最後までリタイアせずに戻ってきたのは俺だけだったというのもあるが、それよりもむしろルリが俺たちに加わって戦闘を繰り広げていたことは、相当糾弾された。
依頼者の家族を危険にさらすことがこの手の仕事でタブーであることは、素人であっても簡単に想像がつくだろう。
また、本来組織の構成員ではなく、マダムの個人的な友人であった東鳳風破氏が重傷を負ったことも問題にされた。
さらに、俺が中国から持ち帰った「もの」も非常に厄介だった。
最高クラスの戦闘力を持つ造魔と、悪魔と合体した人間、ユウカの存在だ。
両方とも、一生かかってもまずお目にかかれるものではなかったため、組織の技術部門が目の色を変えてよこせと言ってきたのだ。もちろん、実験台としてである。
はいそうですかと言って託そうものなら、それこそモルモット並みの扱いをされた挙句に、利用価値がなくなったら切り捨てられる恐れがあった。俺が承諾できるはずはなかった。
すると、向こうは俺の返答を、組織に対する反抗だと言って糾弾してきたのだ。さっき言ったように、この事件に対する被害も決して少なくはなかったから、俺の立場はたちまち弱くなった。
そこにマダムが仲裁に入ってくれたのだ。マダムの案は次のようなものだった。
まず、組織の技術部門に対しては、オベリスクとユウカは協力者として扱い、本人たちの了解が得られる範囲でのみデータを収集すること。
そして俺には、脱落したメンバーの件を俺の監督不行き届きとして、自分の手で再訓練しろとのことだった。その面子が、ミユキ、十条寺、アイリスの3人だったのだ。
通常、教官と訓練生は1対1で組むだけに、訓練生を3人も同時に面倒を見るのはどう考えても懲罰の意味合いが強い。
それでもなお、技術部門は不満の声をあげたが、それ以上の協力を強いるなら、絶対に犠牲者を出さないような装備を開発しろとマダムに一喝されると口を閉ざした。
つまり、今回の任務において犠牲者を出さなかったことは、組織内の誰もが評価してくれていたのだ。並大抵の者ではできないからこそ、この一言で技術部門も引き下がったのだ。
これにより、オベリスクとユウカは1ヶ月間技術部門のデータ収集に協力し、俺は3人の再訓練を1年間担当することになった。
特に、十条寺とアイリスは正式に組織の構成員として加わることになったので、そのための基礎知識や悪魔という存在の基本など、アカデミックなことを教えなくてはならなかった。
ま、それさえきっちり頭に入れてくれれば、即席メンバーとして入っていながら、あの過酷な任務を見事に完遂してくれたのだ。立派にやっていけるだろう。
十条寺は、この訓練が終わると、毎日のように師匠と仰ぐ東鳳風破のお見舞いに行っている。彼が完治するまでは、もう少しかかるようだ。
一方、ミユキは持ち前の回復力で、日本に戻ってきて1ヶ月ほどで任務に復帰できるまで回復したので、そこから先はリハビリという形で俺たちに合流した。
…後は、見ての通りというべきか。
今日、善通寺市に現れた中級悪魔の討伐も実践訓練の一環だったのだが、今では、すっかり半年前に中国に渡る前のノリに戻ってしまっている。
「…あ」
気がつけば、俺は自分のアパートの前まで帰ってきていた。
無意識のうちに何十キロも自動車を運転して、家に戻ろうとしていたようだ。今日の訓練結果を報告しておかなくてはならないのだが、ここまで帰ってきてまた本部に戻るのもおっくうだ。
「…まあいいか」
1人で呟いて、俺はCOMPを起動させた。
特殊無線回線でもって、今日の訓練報告を済ませるのだ。早い話が、メールと同じである。
無論、戻ってから報告するのに比べてかなり多くの内容を事細かに書かなければならないが、それでも本部に舞い戻るよりは結果的に短時間で済む。
「…よし、できた」
送信を確認してから、俺は車を降りてアパートに戻った。
「おかえりなさい」
部屋の奥から俺を出迎えてくれたのは、ユウカだ。もう秋が来ようとしているからこの時間帯になれば肌寒いくらいなのに、半袖のシャツにミニスカートという格好だ。
彼女は俺の傍まで来ると、靴を脱ぐのも待ちきれず、俺の首に両腕をまわしてきて唇を重ねる。
「ん…」
優しい香りのする髪をなでつつ、彼女の腰に手を回した。
が。
「だめよ」
あっさりと腕を振り払われる。
「もうすぐお腹が大きくなってくるから、お腹を圧迫するようなことはできないわよ」
「まだ4ヶ月目のはずだろう。そんなに早かったっけ?」
「服の上からじゃ目立たないだけ。妊娠に関しては、人間と変わらないわよ」
そう言うと、上目遣いに俺を睨んだ。
彼女…ユウカは、今は俺の妻として一緒に住んでいる。無論、彼女が悪魔であることは隣近所には内緒だ。
そして、彼女のお腹には、俺とユウカの子供が宿っている。もうこうなると、名実ともに夫婦と言ってもおかしくないかもしれない。
彼女は、悪魔と合体させられた人間だが、それは彼女が半分は人間であることも意味している。
それに、今もこうやって俺を見つめる瞳には、俺に対する揺るぎない信頼と愛が満ち溢れている。
単に召喚者と使役される者という関係では、俺もユウカも済ませたくなかったのだ。
だからこそ、こうやって生涯を共にするパートナーとして生きていくことを選んだのだ。
もちろん、この先彼女が悪魔であることによるトラブルは後を絶つことはないだろう。だが、それは人間同士の夫婦でも同じだ。
鍵を握るのは、お互いを信頼できるかどうかなのだ。
「ん、じゃ…」
俺はユウカに振り払われた手を、彼女の両肩にまわして再び口付けを交わす。
今度は、抵抗されなかった。
ふと、俺はあることが気になって口を開いた。
「どこかでこんな話を聞いたことがあるんだが。コカクチョウの子供は、大人になるとコカクチョウになって人間の女の子をさらうって。俺たちの子供は、…やっぱりそうなってしまうのかな?」
一瞬、びっくりしたように俺を見つめたユウカだったが、すぐに微笑んだ。
「わたし、半分は人間よ。そんな心配はないわ。それに、その話は間違い。正しくは、さらわれた女の子がコカクチョウに育てられると、大人になったときにコカクチョウになるのよ」
「…なるほどな」
「さ、お腹すいたでしょ。すぐにご飯を温めるから」
「ああ、悪いな」
頷いてダイニングに入ると、焼き魚のうまそうな匂いが鼻をくすぐった。
こんな、普通の一般市民のような幸せがいつまで続くかわからないが、今はユウカと2人で歩んでいくことに全力を尽くそう。
俺が愛用し、ユウカに生体マグネタイトを供給しているCOMPが、俺たちの絆の証としてここにある限り。


あとがき

いやはや、ホントに終わりまで書き切ってしまいました。
この結果に、一番驚いているのは筆者であるこの私であったりします。
この話、もともとは、悪友どもとTRPGで遊んでいたときのネタをリプレイとしてノベライズしたものです。
それを、つきみざけ氏のHPが立ち上げたばかりで、まだコンテンツが少なかった頃、少しでも賑やかにしてみようかなと思って、本人に載っけてみるか?と持ちかけたのが始まりでした。
そんな軽い気持ちだったものですから、実は、徐々にHPのコンテンツが増えるにつれて、「このSSはもう役目を果たしたんじゃねっかな〜」と思い、止めようかと聞いたこともありました。
しかし、つきみざけ氏から終わるまでは続けてくれと要請を受けたので、本業の仕事やら家族サービスやら育児やらの合間を縫うようにして書き進めてきました。
その結果、実に2年もかかって書き上げるハメになってしまおうとは。
しかも、SS(ショートストーリー)とは名ばかりの、300ページを遥かに越える、異様に長い読み物になってしまいました。
話としても、さんざん大風呂敷を広げた上に、かなり危うい橋を渡るような設定や展開で伏線を拾っていたような気がしないでもありませんが…。
ま〜とにかく、これで一仕事終わったわけですし。
つきましては、この不定期かつ遅筆に辛抱強く付き合ってくださったつきみざけ氏、ならびに読んでいてくださった方々に、どうもありがとうございますとお礼を申し上げます。

幻 左京