DDS2リプレイノベル 著:sakyou

 

序章 1章 2章 3章 4章 5章 6章 7章 8章 9章


 

 

〜 序 〜

 

 誰でも一度はわくわくどきどきするような冒険をしたいと、夢見たことがあるはずだ。あなたもそういう記憶があるに違いない。

 だが、現実はそう甘くはない。

 ほとんどの人が、現実ってこんなもんだ、テレビやマンガに出てくるようなアクシデントやイベントに自分なんかが出くわすはずがないと諦め、
そして老いていく。

 …しかし、本当に何も起きてないのか?

 どんなに平凡な人生を送っているつもりでも、ちょっと考え方を変えれば、実はさまざまな冒険をしていることに気がつくはずなのだ。

 たとえば、受検。

 それのどこが冒険だ、と言われるのは承知の上である。ともあれまずは聞いていただきたい。

 高校であれ大学のそれであれ、また一般資格に類するものであれ、現代の日本人であれば、これを免れる者はまずいまい。

そして、何の心配も不安も感じずに乗り越えられる者も。

傍から見ればわくわくするような出来事が、当事者にとってはそれこそ命がけの戦いだなどということは、よくある認識の相違というやつだ。

 ここで、なにか目的を達成しようとしてその障害になる要素は普通、「試練」と呼ばれる。

だがそれを「冒険」だと考えればどうだろう?

そう考えると、あなたが求めていたはずの「冒険」が、実はそこらじゅうに転がっているものだと理解していただけるだろう。

 これから語られる物語も、そういう発想を踏まえて読み進めて欲しい。

一見荒唐無稽に思えることが、意外に身近に存在しているかもしれないのだから。

 …ほら、さっきからあなたの背後にいる、それは…?

 


 

1章 前兆

 

 カタカタカタ、カタ…。

 ピピッ!

 「あれ?またエラーかよぉ。ったく!」

 ひとしきり唸って、俺はどんとテーブルを叩いた。いい加減叫び出してもおかしくないような苛立ちを隠そうともしない。

 …まあ、他人の作ったファイルを改造しろって言われたりするよりはかなりマシだが、1から自力で作り上げていかなきゃならないのは、

それはそれで相当な重労働だぜ。

 …自己紹介が遅れた。まずは、礼儀正しく自分のことから話そうか。

 俺は、御手洗 左京。28歳。香川県在住の、しがない青年だ。

 表向き、俺の職業はフリーランスのプログラマーであり、…なに?

 表向きとはどういうことか、だって?それは後で説明していくとしよう。

 ともかく、俺は現在ある中小企業の在庫管理システムを作成している最中だ。

…こういう仕事は、趣味でやる分には面白くて止められんが、プロになることは(俺が言うのも何だが)残念ながら薦めない。

なぜかって?それは、まあ…。

 ハッキリ言ってしまえば、強制されてやるとなると、ぜんぜん楽しくないのだ。

 そこそこの収入にはなるが、依頼人たるクライアントの要求っつーのはムチャなことが多い、否、ムチャしか言ってこない。

中には、コンピュータそのものを理解してないんじゃないかと思う人もいる。

 コンピュータを使えば文字通り何でもできると思っている素人は多い。

極端な場合、通販サイトを利用して買い物する、という行為を、「コンピュータさえあればお店と同じ買い物ができる」と

解釈してしまっていたオバタリアンもいたくらいなのだ。

 簡単に説明するとこんな具合だ。

 そのご婦人、まずはインターネットに接続するプロセスが必要なことも…じゃない、

インターネットに接続するためのプロバイダ契約はおろか、モデムを電話回線と接続するということも知らず、

さらにはこんなことまで俺に聞いてきたのだ。

 「ね、このコンピュータの、どこにお金を入れたらいいの?」

 …そう。

 料金の支払いのために、クレジットカードの契約が必要ということも知らなか…いや、カードのことはあのオバン、知っていたんだっけ。

カードが支払いに利用できることも理解してなかったのだ。

 ここまでじゃないにしても、コンピュータでできることとできないことをわきまえている人が持ち込んでくる依頼というのは皆無に等しい。

自然と、プログラマーが無理を通すためにやっきになることになるのだ。

 いかん、愚痴っぽくなってしまった。

 現代のように、インターネットの世界的な波及、それに伴うパソコンの企業への大幅な導入は、
俺みたいなソフトウェア産業に携わる者にとって願ったり叶ったりの状況ではある。

だが、その後は諸手を挙げて大歓迎、とは言えない。

 現在、地球規模での不況で、世界中の人々がひーこら言っているのは知っての通りだ。

特に大盛況を成し得た後の情報産業というのはみじめなものでな。

それまでが良かった分、反動は他の業界より相当にひどい。

 1回1回の依頼料金は多少良くても、量自体がものすごく少ないのだ。

ネットのおかげで、香川県なんてへき地に住んでいながら世界中とコンタクトが取れるのだが、
それでもこの仕事だけでは、食いつないでいけるかどうかも怪しくなるほどの量でしかない。

 加えて言うなら、ライバルだってかなり多い。当時は花形産業だったわけだからな。

そいつらが先を争って少ない依頼を取り合っているのが現状だ。

 もう分かっただろ?ムチャな仕事を強いられて、トータルのギャラとしても決して良くはない。

こんなビジネスを人に薦められるかい?と、いうわけ。

 だが、こんな無駄話に花を咲かせていても埒があかないな。

 「むぅぅ…」

 改めて俺はディスプレイを睨んだ。

 かれこれ2週間は作りこんだプログラムだ。そうそうでかいファイルサイズになったわけでもないからチェックも比較的簡単だった。

コーディング、フラグともにもう抜け落ちはないはずだ。

こうなると、そもそもの仕様に根本的な無理があったのか?

 「…タバコを吸う奴がこんな仕事してたら、部屋が煙で真っ白になってるな」

 ストレスのあまり、ふと、バカな考えが頭をよぎった。いったん中断して、気分を変えた方がいいんだろうか?

 と、その時だ。

 パソコンの横に無造作に投げ出してあった携帯電話が鳴り出した。

 トゥルルル、トゥルルル…

 「!!」

 プライベートで着信した場合に鳴り出す着メロではない。専用回線を使った時にのみ鳴るデュアルコールの方の音だ。

 一瞬で思考が切り替わる。

 よほど高度なハッキングでも食らわない限り、この呼出し音を鳴らすのは1ヶ所しかない。

 「…任務、か」

 低く呟いて、俺は椅子から体を起こした。長時間座りつづけていたせいで両肩がややこっているが、それもじきに消えた。
ほどよい緊張で、身体のすみずみまで引き締まっていくのが自分でもわかる。

 「…俺に回ってきた任務となると、かなり込み入った内容だな」

 腕っぷしだけにモノを言わす連中では解決できないトラブルが発生した、ということだろう。

 カンのいい君ならもうわかるだろう。「こっち」が俺の本業、というわけだ。

 俺の本業は、この世のものではないモノが関わった怪事件が起きた時、コンピュータを用いて、いにしえの悪魔と呼ばれる存在を降臨させ、
それを使役して解決する、いわば悪魔召喚師、デビルサマナーというべきものだ。
無論、そんな仕事をしてるなんて言ったところで本気にされるわけがないし、自慢してまわろうものなら確実に精神病院送りだ。
最初に表向きの職業、なんていちいち断っていた理由もわかっていただけたはず。

 俺は用件を確認するために携帯を手に取った。

 「御手洗だ」

 『しばらくです、御手洗さん。新たな任務です』

 …正直言って、相手のこの切り出し方には慌てたよ。

 「お、おい、ちょっと待て!合言葉も何もなしか?」

 こういう物騒な仕事ってやつは、敵がうんざりするほどいる。それも1つ間違えば直接命を狙ってくるようなステキな連中ばかりだ。
当然、電話とか盗聴の恐れがある連絡手段をとる場合には、合言葉や隠語を使ったりして内容を悟られにくいようにするのが常識だ。
加えて言うなら、御手洗 左京という名前ですら本名ではない。
デビルサマナーをするようになってから使い始めた、いわば通り名だ。
こんな仕事をしていて本名を使っていようものなら、1時間と生きてはいられん。いや、それどころか一族皆殺しにされてもおかしくない。

 悪魔召喚師というのは、そういう危険と隣り合わせなのだ。

 それがどうだ、こいつは。本名ではないからといっていきなり人の通り名を言うし、用件までべらべらと開けっぴろげにしゃべりやがって。

 こっちの狼狽をどう解釈したのか、相手は一方的に話を続けた。

 『大丈夫です、今回の任務は海外に飛ぶものです。詳しくはこちらにおいでになってから話しますのですぐに出向いてください』

 ぷつっ。ツー、ツー、ツー…

 「…うまい話し方だ」

 ここで、俺は初めて通話相手の意図が理解できた。

 あいつ、たとえ盗聴方法をされてもいいように話していたのだ。

 通話時間は約15秒。

 話した内容自体は、話し相手が俺であることと、任務は海外にいく、という2点だけだ。
 どこで任務を行なうのか、どんな任務なのかも話してない。
 詳しい話をする場所も“ここに来い”、といっただけだ。
 いつ行くのかも指定してないから待ち伏せることも難しい。

 それにあの短時間では、逆探知したところで場所は特定できない。
 こちらの事情が筒抜けになってない限り、盗まれる情報は極めて少ない、というわけだ。

 そして、俺たちは今のところ、そんなへまはしていない。
 万が一にもそんなことになれば、半年前のような大惨事になる。
 仲間の三分の一が死に、残りの半数以上が重症を負うようなことに。

 …アレを思い出すのはハッキリ言って苦痛だ。
 俺自身も結構やばい深手を負ったのだから。
 第一、あの事件に直接関わったのは別のエージェントだ。
 巻き込まれた形になる俺が語るべきじゃない。

 そんなわけで、半年前の事件に触れるのはこの程度で勘弁してくれ。

 とにかく、しばらくぶりの“商売”だ、道具の手入れもしておかないとならない。

 俺はデスクの2段目の引出しの鍵を開け、中身を確認した。そこには俺の命運を握ると言ってもおかしくない、まさに俺専用の道具が眠っているのだ。

 まずは、携帯用カスタムコンピュータ、通称COMPだ。

 これこそまさしく、中世の魔術と現代の科学、人類の持ちうる技術の総結集品ともいうべきものだ。
悪魔の召喚という、魔術師たちが何ヶ月もの時間をかけて行なう儀式をこいつは数瞬でやってのけてしまう。
つまり、あらかじめ呼び出したい悪魔と契約しておけば、その場の状況に応じた悪魔を使役することが可能なのだ。

 詳しい理屈までは、実のところ俺にもまるでわかってない。現代科学で説明できるコンピュータ部分はともかく、
悪魔という常識はずれの存在を呼び出すという現象や、それをどうやってコンピュータが処理しているのかについては、
サマナーの中でも理解しているものはほとんどいないだろう。

 しかし、これを使いこなせる者は、ある意味無敵ともなりうるのだ。

 以前、火炎を自在に操る能力者と死闘を繰り広げたことがあった。
 そいつはある新興宗教の教祖だったが、己の並外れた超能力を敵対者に向ける武器として使っていたのだ。
 そんなやつが宗教を語るなど笑い話もいいところだが、逆らえば火だるま、となると周囲はたまったものではない。
 この暴君を倒したのは、俺がやっとの思いで仲魔にした火の化身だった。

 目には目を、火には火を。単純な発想だが、それゆえ効果的だった。

 また、サマナー仲間には、相手の感情や精神に働きかける力を持つ精霊や夢魔を使い、精神科医として表家業を営んでいる者もいるほどだ。
 無論、悪魔を使って治療しているなど、患者には知るべくも無い。

 これでわかっただろう。

 どんな環境に追い込まれようと人間以上の力を最適の形で引き出すという、想像を絶する状況適応力ゆえに、
 俺たちサマナーは組織の中でも切り札としてもてはやされるのだ。

 逆に、これがなければ、普通の人と同じになっちまう。ま、悪魔召喚師の生命線といっても過言じゃないな。

 だからこそ、COMPを持つ者は自らの右腕として充分耐えうるよう、これを改造していく。
 自分の気に入った外見にして、また敵の激しい攻撃にさらされても大丈夫なようにハードカバーを取りかえる者がいれば、
 セキュリティをびしばし強化していく者もあり、多数の悪魔と契約して戦闘力を上げる者もあり、
 通常のパソコンのアプリケーションに当たるインストールソフトをかき集める者もいる。
  俺の場合は、最後のパターンになるだろう。

 なんせ、俺が契約を交わし、任務の遂行や戦闘に使役できる悪魔は現在2体しかいない。これが多い奴になると、常時10体以上と契約を交わし、
 なおかつ全員を充分に使いこなしてる、というのがいる。
 俺がそうしないのは、チームを組んで任務に当たるのをセオリーとしている以上、主従関係になる悪魔にやらせるくらいなら信頼できる仲間と組んで、
  そいつに頼んだ方がいいと考えてるからだ。

 仲魔といえど、悪魔は悪魔でしかなく、命令したこと以上のことをすることはほとんどない。
 たまに自分から何かするときは、 チームメイトにいたずらするとか、ろくでもないことが多いのだ。
 すすんでチームのためになるようなことをしてくれる悪魔となると、魔神など相当高位の仲魔でなければだめだし、その場合はそれなりのリスクも伴うのだ。
 だったら人間の仲間に任せて、俺は俺でなければできないことをするべき、と思ってる。

 それが、COMPを情報収集用に特化し、チームを組んだときに仲間のアンテナとして役に立てるようにすることだ。
 今俺の手元にあるものだけでも全国キーポイントへの接続ソフト一式、ハッキングツール、無線キットと、どこに出かけても情報収集には困らない様にしてある。
 その気になれば、海外仕様にするのだって簡単だ。

 …なに?どんな形をしてるのかって?またそんなどうでもいいことを訊きたがりやがって…。まあいい、教えてやるよ。

 俺は見た目や外見をどうこう言うのは嫌いでな。支給されたハードカバーのまま今まで使っている。
 …つまりは、至ってオーソドックスな拳銃タイプなんだよ。だからそこには触れたくなかったっていうのに。

 そして、そのとなりで鈍い光沢を放っているのが、グロッグ17。俺の愛用の拳銃だ。

 これは悪魔から身を守る、いわば護身用として任務の時には常に所持している。
 実際、これまでの任務で何度かこいつを使うことはあったし、絶対絶命のピンチを何度も救ってくれた相棒でもある。

 もちろん、これが本物と公にされた日には俺の所属する組織が隠蔽のために本格的に動き出すか、逆に俺の命を狙ってくるかのどちらかだ。
 非合法のものだから当然か。

 銃自体がオートマチックで弾倉も多く、威力も悪魔相手にそこそこ通用するという、かなりの優れものなのだが、別に俺が望んでこいつを持つことにしたわけじゃない。組織から支給されたんだが、その理由というのが、実は俺自身に射撃の素質があるようなのだ。

 自慢に聞こえるかも知れないが、根拠がないわけじゃないんだぜ。

 確かに射撃の才能があるなんてことは偶然に組織に見出されたものなんだが、俺も天賦の素質だけに頼ることなく、組織内の射撃訓練プログラムも受けたし、
 仕事の合間を縫っては(表と裏の仕事の両方の空き時間だから、ものすごく限られてるが)射撃練習もやっている。
 今なら、慣れた銃を使えば20メートル以内の的は確実に射抜く自身があるぜ。

 確かに武器の携帯は基本的に戦闘要員だけに認められるものだが、サマナーの中でも、体術に自身のある奴なら短剣とかを隠し持ってるのがいるし、
 逆に戦闘要員でも、拳法など素手で戦う連中には武器の携帯は認められていない。
 あくまで組織は適正を重視して装備品を支給している、というわけだ。

 COMPを起動し、銃の弾倉を手に取ると俺は任務に就く前にしておくべきチェックを手早く済ませた。
 いつどこで必要になるかも知れないのだ、時間を気にするあまりおろそかにはできない。

 「…大丈夫だ、異常ないな」

 俺は満足して、ロッカーから上着を取り出すと羽織って、COMPと銃を隠しポケットにしまいこんだ。そろそろ出発しなくては。

 本部まではここから自動車で15分程度しかかからないし、何時までに来いと指定されたわけでもないが、これには重要な意味がある。

 さっきは言ってなかったが、俺たちのようなサマナーが呼び出されるのは、単独で任務にあたることはまずない。
 ほぼ間違いなく一緒に組む仲間がいる。そういうときは、なるべく早く集まって仲間の力やクセ、性格を把握しておくことが大切なのだ。

 さもないと、いざというときにあっけなく命を落とすことになりかねない。
 俺たちの相手は人間ではないのだ。まともに立ち向かおうものなら、文字通り消し飛ばされるだろう。
 そうならないためには、非力な人間は数の力で対抗するしかない。
 それも烏合の衆じゃだめだ。
 スペシャリストの力を結集しなければならないからこそ、一緒に戦う仲間のことはすみずみまで知っておかないと、な。

 チャリン。ガチャッ。

 電話の隣に置いてある自動車の鍵を手に、安アパートのドアを開けた。次の任務は、一体どんなものだろうか。

 

 「よし、思ったより道は混んでたが、時間は食ってないな」

 予想の範囲内で本部に着けたことに満足して、俺は車を降りた。

 何の変哲もない、それこそどこででも見かけるような中型のワンボックスカーである。
 そうそう敵に目をつけられたりするはずはない。
 もっとも、これは俺自身の所有物だから攻撃でも受けようものなら大損害を被るわけだから、隠蔽も自然と丁寧になるってものだ。

 ここはとある市営の地下駐車場だ。
 何度も通り慣れた場所だから頭上の案内板もろくに見ずにまっすぐ料金所まで歩いていく。

 意外と気がつく人は少ないらしいが、駐車場という場所はそれほど音が反響しないようだ。
 確かにかなり天井が低く、横方向はほとんど吹抜け状態だからエコーはおきないだろうが。
 だがそれでも今は時間的に空いているのか、辺りに聞こえるのは自分の足音のみ。
 たまに他の自動車も走っているようだが、それも床から伝わる振動でわかるだけ。
 つまりこの階ではないってことだ。

 だが。

 「…おかしい…」

 足音とも車の通る音でもない何かが、少しずつ近づいている。

 これは…

 鳥の羽ばたく音だ。無論、こんな地下駐車場に鳥が迷い込むなんてことはまずあり得ない。

 ならば結論は1つ。

 「敵か!」

 悪態をつきかけて、危うく口を押さえた。声で位置がばれては間抜けだ。

 さらに追っ手を撒くため、でたらめな方向に曲がる。本部に向うのは後回しだ。

 「ひょっとして、本部の場所までばれてしまったのでは…」

 不吉な考えに体温が急激に下がる。

 叫びだしそうになるのをぐっと堪えて、必死に頭をめぐらせる。

 落ち着け、冷静になれ。その時はその時だ。第一、もう本拠地を押さえてしまったのなら、なぜ俺を追いかけてくる必要があるんだ。

 「…そうだよな」

 俺が逃げ出したのに気づいて、追っ手の羽ばたく音はスピードを上げたが、つまりはひたすら俺を追いかけているということになる。

 となれば、何とかしてここであいつを倒さなければならない。
 本部の入り口を知られては一大事だし、うっかり外に出て一般人に危害でも加える、などという失態は命に代えてでも防がねば。

 駐車場の奥へと敵を誘導しながら、俺はCOMPを取り出した。

 銃のトリガーに似た起動スイッチを押す。俺がこいつを使うのは主に情報収集だが、今はこいつのもう1つの機能を生かす時だ。

 「オートマッパー、エネミーソナー起動」

 追っ手の位置を正確にするため、周囲の地図を映し出しつつ一種の生体レーダーを表示させる。

 「召喚プログラム、起動!」

 つい声が大きくなる。こうしている間にも敵はこちらを捕らえようと近づいているのだ。

 立て続けの音声入力にCOMPの処理が追いつかない。ようやく周囲の地図と敵の位置関係が表示されたが、
 仲魔を呼び出す悪魔召喚プログラムはまだ準備状態だ。

 まずい!

 表示されたばかりの敵の位置を見て、俺はとっさに隣の柱に身を隠した。相手は俺の真後ろ、今この瞬間こっちを視認してもおかしくない。

 かろうじて見つけられるのは免れた。しかし。

 「ひへっ、すばしこいやつめ」

 からかうようなしわがれ声が辺りにこだまする。このっ、もう相手の声がはっきり聞こえるほど近づかれてるじゃないか!

 フィイィィン…!

 そのとき、やっとCOMPが悪魔召喚プログラムの起動を終えたようだ。

 猛烈なスピードで呼び出す仲魔のコード入力を開始する。その間も足は止めない。

 と…

 「やっと見つけたぁ。こそこそ逃げ回りくさって、手間かけさせやがって」

 いきなり目の前に「ヤツ」が現れた!いつの間にか先回りされていたのだ。

 がりがりに痩せた五体にコウモリの羽、異常に大きな目玉と触覚。悪魔の中では最下級のインプだ。
 一般に、魔術師に使い魔として使役される程度の実力しか持っていないが、それでも普通の人間ではまず勝てまい。

彼我の実力差より、COMP操作に気を取られて相手の位置を見失ってしまったことに驚いて足が止まってしまう。
こんなやつに裏をかかれたのだ!

 「観念しておれさまの腹に収まりな!!」

 ここぞとばかりに襲い掛かるインプ。その鉤爪が俺の喉元を狙って迫り来る。

 が。

 ゴキン!

 必殺のはずのインプの右腕は、途中で直角に軌道を変え、あろうことか不自然な方向に折れ曲がっている。

 「ギャギギゲギェー!」

 骨を叩き折られたインプの、耳を覆いたくなるような絶叫が天井の低い駐車場にこだまする。

 それに呼応するかのように、俺の前に1体の悪魔が実体化する。

 鍔広のとんがり帽子にかぼちゃをくり抜いた顔、首から下に羽織った紺色のマントと右手のランタンとともにフワフワ宙に浮いている妖精。

 ぎりぎりで召喚に間に合ったジャックランタンだ。

 「どうだ、自分の力で自分の腕をへし折られた感想は?」

 「うぐぐ…きさま、攻撃を反射する魔法をかけたのか…」

 うらめしそうな目を向けるインプ。顔がグロテスクなだけに、かなり不気味だ。

 しかしジャックランタンは平然と受け流す。そして、無言で手にしたランタンを掲げた。

 「…?」

 わけがわからず、インプは右腕を抱えたまま首をかしげる。その瞬間。

 ランタンから巨大な火球が放たれた!

 一瞬で紅蓮の炎に包まれるインプ。ヤツは断末魔の声をあげる間もなく絶命した。

 「…旦那の命を刈り取ろうなどという不貞の輩は、火だるまの刑がお似合いだ」

 ふふんと得意げにせせら笑うジャックランタン。

 「助かったぜ。場所が場所なだけに、銃を使ったら弾痕が残ってしまうから戦えなくてな」

 弾痕以前に跳弾の嵐になって危なくてしかたないだろうが、という心配は俺にとっては不要だ。
 自画自賛になってしまうが、あの程度の敵なら一撃必殺は難しくない。

 「あいかわらず、人間てぇやつは不便なものだな。じゃあ、もう引っ込むぞ」

 捨て台詞とともに消えていくジャックランタン。やれやれ、こいつにまた借りを作ってしまうとは。

 …さっきのインプの他に敵はいないだろうな?

 改めてエネミーソナーを確認する。反応はなし。

 すると、ヤツはただのはぐれ悪魔だったのか。
 だが、この辺りは俺たちのお膝元だから、余計な悪魔がうろつかないよう、地域一帯の浄化も定期的にしているというのに…。

「まあ、いいや。それより余計な時間を食ってしまったから急ぐか」

そう。俺の目的地はこんな駐車場のはじっこなんかではない。

今まででたらめに逃げ回った道のりを思い返してため息をつきながら、引き返すことにする。

 


 

2章 任務

 

 料金所の窓口までたどり着くと、何やら書類を整理していた係員がちらっとこっちを見た。新任なのか、知らない顔の男だ。
 無視しても問題ないが、へたに怪しいやつとしてこちらの顔を覚えられると後々困るので、とりあえず頭だけ下げておく。

 当然の礼儀として、向うも少し笑顔になって頭を下げた。ごく当たり前の客だと判断したのだろう、明らかに警戒を解いて書類の整理に没頭する。

 これで大丈夫。実は、料金所の係員専用入り口の隣に隠し扉があるのだが、駐車場のスタッフには内緒になっている。

 察しの通り、そこから本部に入るわけだ。常に相手がまさかと思うところに重点を置く、これが我々のトップたるマダム(名前は誰も知らないらしい)の信条なのだ。
 とはいえ、さすがに何の隠ぺい工作もしていないというわけでもない。ただの通行人が興味を持つだけでも致命的なのだから。

 で、どうやって入るのかというと。

 一見して何も無い壁を、偶然を装って人差し指でなでていく。その後、辺りの人通りが途絶えた瞬間を捕らえて壁に頭から突っ込むのだ。

 指紋を登録してある人間がこうすれば、壁を突き抜けてその先の隠し通路に出られる。つまり、指紋をキーとして壁に偽装した扉を開けると同時に、
 立体映像が映し出されて外の目から出入り口を隠してしまい、その間に入るという仕掛けになっている。内部者たる俺が言うのも何だが、
 ここまで凝ることもなかろうに、とは思っているんだぜ。

 さて、中の通路はというと、防音・対衝撃処置を施された殺風景な装甲板からなる壁面と、最小限の照明以外は何も無く、はっきりいって薄暗い。だが。

 「御手洗 左京と確認。集合場所は土の間。他のメンバーは全員揃っています」

 「了解」

 発信源のわからないアナウンスに従って土の間、つまり第3会議室に向う。先に断っておくが、これは隠しスピーカーを設置しているんじゃないそうだ。
 本部のアナウンスを勤める者の特殊能力で、言霊を遠くに飛ばして好きな所で音声にする、というややこしいことをしているとか。
 つまりは、これも本部の場所を特定されないための工夫なんだろうな。

 「…」

 土の間にたどり着くまでそんなにかかるわけではないが、そのわずかな時間で俺以外のメンバーとやらに思いをめぐらせる。戦闘メンバーで思い当たる人物といえば…

 残念ながら、俺はそこで思考中断を余儀なくされた。

 「やっときた〜!!オテさん、おっそいよ〜!!」

 「!!」

 室内から耳をつんざく、心底うれしそうな嬌声。と同時に目の前に迫ってくる、引き締まった肉付きのいい上腕。それが狙いたがわず俺の首を直撃すれば…

 ガツッ!!

 「おごおぉぉ…!!」

 当然、割れた声で悲鳴をあげた上に床めがけてひっくり返るハメになるが…おいおい、チームメイトに対してこんな不意打ちはありかよ!?

 「み、ミユキ…きさまなぁ…」

 瞬間的に呼吸困難を起こした喉を押さえつつ、俺にウエスタン・ラリアートを炸裂させた美女を睨み据えた。
 彼女は肩をすくめてぶりっ子ジェスチャーを決める。

 「ごめんなさ〜い。久しぶりだったから、ちょっち手加減した方がよかったかしら」

 この困った女の名前はミユキ・コーラン。名前というより、リングネームと言った方がいいかもしれない。つまり、彼女は女子プロレスラーなのだ。

 年齢は、表向きは秘密になっている。仕草などを子供っぽくして若く見せようとしているようだが、
 こうやって毎度のように痛めつけられている俺たち情報収集のプロの復讐によって22歳であることが暴露されている。
 だが、それ以上のことは誰も彼女にしようとしない。

 けんかになったらとんでもない目に遭わされる、というのもあるが、…彼女は驚くほどの美人なのだ。
 プロレスラーとして身体も鍛えているからプロポーションもモデル並みだし、
 試合でリングに上がれば観客の8割が彼女の味方についてしまうという伝説まであるらしい。

 美人というのは得なものだ。

 無論、美貌だけで悪魔と戦えるはずがない。戦闘力もたいしたものだ。
 なんでも試合で戦うときは筋力だけで戦うようにしているから人間同士互角の戦いに見えるが、
 悪魔が相手のときはそれに「気」を上乗せするから人間以上の力を持つ悪魔でも倒せるらしい。
 俺も1度だけ他のプロレスラーとパーティを組んだことがあったが、もう目を疑う光景を嫌というほど見せられた。

 トラックを素手で抱えて投げつける、15メートルもの高度から叩きつけられても耐え抜く、自分の何倍も大きい敵を押さえ込む、などなど。
彼らが言うには、プロレスという技で悪魔と戦うというのはそういうことらしい。そういう意味では、彼女も頼もしい戦友というわけだ。

 「まったく。…それとな、そのおかしな呼び方はやめろよな」

 俺は室内に入ろうとして、ふと気が付いて彼女に釘を刺した。それに対して彼女はこちらの予想通りの反応をする。

 「どうして?だってオテさんって名前、かわいいよぉ」

 「だからなんでそう呼ばれなきゃあならんのだー!」

 …何を言いたいかはわかってくれたと思う。要するに、たいていの女性メンバーは俺のことを「オテさん」と呼ぶのだ。
 どうやら通り名の御手洗(みたらい)を間違って「おてあらい」と呼んだ愚か者がいて、それを気に入った女どもが面白がって呼んでいるらしい。
 そーいう、どうでもいいことではしゃぎまわるのが大好きなところは、いかに強大な力を持つ彼女たちとて年相応の女の子だ、とも言えるのかも。

 と、そこにもう一人天敵が。

 「ミユキ姉の言うとおりだよ。愛称なんて、呼びやすいものの方がいいに決まってるもん」

 「そうだよね〜、アイリス」

 「うん」

 アイリスと呼ばれた少女はクスっと笑って、その後はミユキときゃいきゃい騒いでる。

 彼女は、アイリス・ヤマグチ。

 若干15歳で組織のメンバーに抜擢されたという、類まれな実力を持つ魔法の使い手なのだ。
 現在17歳だが、組織では身元が割れやすい18歳未満の者を使うことはまずないから、未だに構成員としてはイレギュラーということになる。

 もちろん、18歳未満となれば保護者から身元を洗われるからだ。
 本人が自分の身元を隠すだけで精一杯というのが普通だから、家族、それも自分より立場が上の者がいては庇いきれるものではない。

 …まあ、大きな声では言えないが、彼女の家はヤクザだから身元が割れてどうのこうのという心配は他の者より少ないだろうが、
 それを抜きにしても、アイリスはこの業界の常識を足蹴にしてでも組織が欲した逸材ということなのだ。

 確かにそれは間違いないだろう。

 彼女の担当した事件の記録を見れば、攻撃系、支援系、回復系と、単独で行動するにも差し支えないほどのバラエティーに飛んだ魔法の種類を誇り、
 一般人に魔法と知られない細工や隠ぺい工作をやるだけの機転も併せ持っている。事実、彼女が一人で解決してしまった事件さえあるのだ。

 魔法使いの常として、体力的な不安がなければ、文句なしにトップエージェントとなれただろう。

 「…やれやれ、姦しい道中になるかと思ったが、さすがはマダム殿。少々頼りないが、まともな輩も入れておいてくれたわい」

 「ん?」

 聞きなれない声を聞いて、俺はその人物の方を見た。今の今まで気が付かなかったが、壁際にひっそりと誰かが佇んでいるではないか。

 それにしても、何者だ。

 声からして、中年の男性なのは間違いないが、多少なりとも戦闘訓練を受けた俺がまるで気配を感じられなかった。
 周りの女どもやウエスタン・ラリアートの奇襲程度で勘が狂ったりはしない。

 つまり、この男は常識はずれの実力を持つということになる。なおかつ、組織のメンバーではない。

 常識はずれといえば、男の外見もかなりものすごい。

 一言で言うなら、明の時代の中国からタイムスリップでもしてきたんじゃなかろうか、といういでたちなのだ。

 見事なまでの銀髪を大きな三つ編み状にして首に巻いている。いわゆる弁髪というものだろうか。
 顔中に深いしわが刻み込まれているが、眼光は恐ろしく鋭いところを見ると、年齢は四十代後半だろう。
 そして服装が、なんというか…。

 それこそ戦前の中国人が着ているような、だぼだぼのチャイナ服なのだ。それも紫を基調にした色合いの派手なものである。

 しかし、そんな目立つ格好で部屋の中にいたのに俺が気づかなかった。
 一旦しゃべり始めれば室内の全員の注意を惹いたのだから存在感が薄いわけではなく、意識して気配を殺していたのだ。
 繰り返すことになるが、彼はそれほどの実力を持っているということなのだ。

 どうにも正体を掴み切れない。とりあえず何者なのかだけでもはっきりさせておくか。

 「失礼ですが、あなたは?」

 途端に彼は恐ろしい形相になった。

 「…相手に名前を聞くのなら、まずはおのれが名乗るべきではないのか?」

 ぶしつけな態度に機嫌を害したのか、鋭利な視線が俺を射抜く。
 背筋を鷲掴みにされたような迫力だ。
 だが気圧されるわけにはいかない。

 「承知の上です。ですが、ここは本来、部外者が立ち入れる場所ではない。そして、あなたはこの組織の構成員でないことは明白だ。
  だからあなたの立場とここにいる理由を聞いておきたいのです」

 「オテさん、彼は…」

 ミユキが、緊迫した雰囲気に何か危険なものを感じたのか、口を挟もうとする。

 だが次の瞬間、男は表情を和らげた。

 これは予想外。てっきり何がしかの怒声が飛んでくると思ったのだが。

 「ワシの眼力に耐えるとは。なかなかの意思力だな。それに物事の本質を見抜く洞察力もいい。気に入ったぞ、おぬし!」

 言うが早いか、男はこっちに近づいてくると俺の肩をばんばんと叩き出した。

 この人、典型的な体育会系だな。つまり、とりあえず相手といさかいを起こしてから仲良くするかどうか決めるというタイプだ。
 …俺とはそりが合わないだろうけど。

 「改めて、ワシは東鳳 風破という。ここのマダムとはちょっとした顔見知りでの。この度はわけあって彼女を頼って来たのだ。
  おぬしの問いに答えるならば…そうじゃな、この組織の客にして依頼者というところかの」

 なるほどな。

 「そうでしたか、客人とは知らずに失礼しました。私は御手洗 左京といいます」

 「だからオテさんって呼ばれるんだよね〜!!」

 やかましい。間髪入れずに茶々を入れる必要などない!

 「…」

 怒鳴りつけるかわりに、俺は別の手段を取った。

 狙いは、アイリスの近くのもの…あれだ!

 パンッ!

 パリィィン!!

 …バシャッ。

 「ひっ!?」「きゃああ!!」

 「!…おぬし!!」

 3人3様の声があがった。無理もない。

 アイリスがジュースを飲もうとして手にしたグラスを、愛用のグロッグ17を使ってクイックドロウの要領で撃ち抜けば、
 銃声とガラスの割れる音とびしょ濡れになったショックでこうなって当然だ。

 女2人はものの見事に黙り込んだ。多少ざまあみろ、なんてうれしくなったのは否定できない。

 問題はもう1人だ。

 「たかがふざけが過ぎた程度で、仲間を撃ち殺すつもりか!?」

 東鳳風破が怒涛もかくやという勢いで詰め寄ってくる。その迫力はまさに巨大な砲弾だ。

 それにつとめて冷静に応じる。わざと一息ついて、気を落ち着かせながらゆっくり話すのだ。

 「ちょっとしたデモンストレーションです。貴方はその動きや気配から、どうやら拳法に通じているとお見受けしたので、
   私の方も得意とする銃の腕前をご披露しようと思いまして。…たとえ、銃弾が身体に当たったとしても彼女たちはそれで致命傷を負ったりはしません」

 「だとしても明らかにやりすぎじゃあ!おぬし、それで本当に仲間の面倒を…」

 ドオォォン!

 東鳳氏の怒声は、出し抜けに響き渡った雷鳴でかき消された。

 目の前を突っ切った電撃にヒゲを焦がされ、俺の眼前で唖然としている中年男。

 …やば。

 恐る恐るそれが飛んできた方向を見ると…案の定、にっこり笑ったアイリスがいる。

 「にへへ、おかえし〜。おじちゃん、これがあたしの得意技なんだよ」

 可愛らしくぶりっこポーズまでしているが、瞳はまるで笑ってない。半分以上は本気だろう。
  それでも俺たちのびっくりした顔で気は治まったのか、もう殺気はない。

 「…おぬしの一言、確かにこの中では妥当と言えそうじゃの」

 明らかに毒気を抜かれている。まあ、それは俺も同じだけど。

 

 「皆さん揃いましたね。では、作戦の説明に移ります」

 さっきまでのバカ騒ぎはうそのように静まって、今はマダムが今回の作戦説明に入室したのを出迎え、話し始めたのを全員神妙な面持ちで聞いている。

 彼女のことでわかっていることは、驚くほど少ない。名前からして、通り名がマダム、親しい者同士の愛称でも銀子というらしい、ということしかわからない。

 歳の頃は、見たところ30台後半だ。だが、ベテラン連中の話では、50年以上その姿のまま変わっていないそうだ。
 そこから先は、俺も含めて誰も知らない。
 それ以上の秘密を知ってしまったら、この世にいられないどころか、
 二度と生まれ変わることすらできないと噂されているほど神秘のヴェールに包まれている人物だ。

 「まずは、東鳳殿とみんなとの自己紹介から、というべきなのですが、みなさんの雰囲気からしてその必要はなさそうですね」

 にこやかに言ってのけたマダムに、東鳳風破がうなる。

 「さすがよの。あの場にいなかったというのに、その洞察力、毎度のことながら恐れ入る」

 「おじょうずですね、東鳳さん。…では、彼からもたらされた、今回の依頼について話しましょう」

 彼女は伝えるべき内容を整理しようとしているのか、静かに目を閉じた。

 「今回の任務は中国で暗躍している、ある男の抹殺です。その男は、東鳳殿の友人で我々の盟友でもある、王大人の…」

 「へ?わんたーれん…って、なに?」

 ぶ、無礼だぞアイリス!

 俺は思わず頭を抱えてしまった。トップの人間がわざわざ作戦説明に来てくれたってのに、後でいくらでも説明してやれるようなことで口を挟むなよ!

 これは…俺の監督不行き届きでマダムに確実に怒られる、そう覚悟した時だった。

 「ワンターレンというのは、ワシの友人のことじゃ。ヤツは中国人でな、王大人と書いて中国語でワンターレンと読むのじゃよ」

 東鳳風破が冷静に補足する。この人、見た目より常識人なんだろうか?

 「う〜ん、そーなの。わかったよ」

 アイリスは素直に頷いた。マダムも客人の手前とあってか、気分を悪くした様子は見られない。少なくとも、外見上は。

 「では、続けます。その王大人の運営する退魔組織が、ある男から挑戦を受け、壊滅的な打撃を受けているのです。
  このままでいくと彼の組織は完全に消滅し、中国というアジアの1拠点が悪魔の温床になりかねません」

 誰かが小声でつぶやいた。

 「挑戦…。襲われたわけではないのに…」

 確かに、妙な話ではある。

 俺たちの組織も含めて、退魔組織というのは一騎当千の戦闘員が少なくとも20人、多いところでは数百人も抱えているものなのだ。
 俺たちの組織が被った半年前の襲撃も、完全な奇襲を受けたから半壊状態になったのだ。
 犠牲者は、戦闘員が守りきれなかったスタッフ、 オペレーターが大半であり、戦えた者は数える程度しか死んでない。

 それが、正面切っての挑戦という形で壊滅させられつつあるというのだ。
  つまり、その男は1人で悪魔と戦える戦闘員数十人を遥かに上回る強さを誇ることになる。

 「彼の戦力も恐るべきものですが、その思想もかなり危険なものです。王大人からの連絡では、
  その男は神からこの世界の王となる啓示を受けたと話していたとか…。
  そこで、貴方たちには直ちに北京に渡り、この男の素性を探って、可能であれば抹殺してもらいます。」

 「待ってください、いきなり抹殺ですか!?」

 目を見開いて抗議したのはミユキだった。任務の物騒さに動転したのだろうか。

 「もう少し交渉の余地はないんですか?…あの、できれば、人間を手に掛けるのは…」

 勢い良く切り出したものの、しゃべっている途中で彼女自身、事の深刻さに気づいたのだろう。
 しだいに歯切れの悪くなるミユキを見やって、マダムは気の毒そうに答えた。

 「気持ちはわかりますが、王大人の組織でも事態を穏便に済ますべく、あらゆる交渉を試みたのです。
  しかし男は応じることはなく、自分の支配を受け入れる以外の行動は無意味だと繰り返すばかりだったそうです。」

 「かくなる上は力でねじ伏せるしかないと、あやつも決断せざるを得なかったのじゃが…。
  敵は想像以上の化け物だったようじゃ。やり方を間違えたと気づいたときには、すでに手遅れになっておった、というわけじゃよ。
  さもなくば、日本にまで助けを請うはずはなかろう。」 

 東鳳氏も渋い顔で付け加える。

 「…」

 ミユキはまだ任務に抵抗を感じているようだったが、少なくとも納得はしたようだ。テーブルから身を乗り出していたのを止め、席についた。
 ついでに言えば、彼女の豊かな胸元がかなり奥まで覗けていたのにちょっと残念だったが。

 「で、どうするの?まともに戦っても無理とわかっていながら殺せってことは、何か勝算があるの?」

 今度はアイリスがそう切り出した。

 こっちは眉一つ動かさない。彼女は任務となると途端に無表情になる。
 マダムの話では、彼女の親元がかなり剣呑なヤクザだから、幼少の頃からしばしば舎弟の殺し合いに遭遇していて、このような話にも耐性があるらしい。
  だが、いずれはそんな性格をなんとかしてあげたいとも言っていた。

 ある意味、環境の犠牲者という側面も持っているのだ。

 「…らい。御手洗!?」

 「は、はい!」

 突然、我に返った。アイリスの境遇のことを思い出しているうちに、話の矛先が俺に回ってきてたとは。

 「どうしたというんじゃ、さっきまでの精悍さは!集中力が欠けておるぞ!」

 やかましい、とっつぁんに怒鳴られるまでもなく自覚しとるわい。

 「まあまあ、これは彼の性格ですよ。おそらく敵の攻略法でも思案していたのでしょう。
  難題に直面すると、それに集中するあまり周囲に気が回らなくなるのです」

 マダムがフォローしてくれる。

 「それに、東鳳殿。あなたも説明不足ではありませんか。経過を一足飛びにして『そこでお主の出番じゃ』と言われても…。
  ミユキもアイリスもわかりましたか?」

 ぷるぷる。

 2人そろって仲良く首を横に振る。

 「しょうがないのう。…王大人たちとの戦いで、敵は想像を絶するほど大量の悪魔を召喚してきおったのじゃ。
  何でも、倒しても倒しても後から沸いて出てくるというほどの数だったとか。
  何日にも渡る消耗戦で追い詰められ、それならと男を直接狙おうとしたが、
  そのときには既に男は『他にやることがある、予はここだけにかまけておるわけにはゆかん』などとぬかして姿を消した後だったそうじゃ」

 そう言って東鳳風破は俺とアイリスを見た。その後をマダムが引き継ぐ。

 「御手洗。あなたならわかると思いますが、悪魔の召喚には大量の生体マグネタイトを必要とします。
  王大人の話に嘘があるとは思えませんが、事実なら中国大陸全土の生体マグネタイトの実に8%をその男1人が所有していることになります」

 マダムはそう言って真剣な顔つきになった。

 ちょっとだけ嫌な予感が脳裏をかすめた。

 「つまり、召喚師としては遥かに格上の、ある意味神様並みの相手を倒せということですか?」

 「はっきり言って、そうなるわ」

 「げ!」

 今のはアイリスの驚きの声だ。が、俺だって気持ちは同じだ。

 まさか、こうもあっさり断言されるとは。

 マダムが言った生体マグネタイトの量は、デタラメもいいところだ。あまりいい例えがないので説明に苦労するが、
 俺が地下駐車場で呼び出したジャックランタンが何回召喚できるかという考え方でいこうか。
 その場合、12万回を楽に上回る計算になる。

 …冗談。そんなでたらめな量が使えたら、日本中の退魔組織が跡形もなくつぶされる。話半分としても、生き残れる組織の数は2桁に昇るまい。
 北京の1組織がそれにどうにか潰されずにいられたってことは、とうてい信じがたいのだが…。

 うろたえた俺たちの様子を心配したのか、マダムがなだめにかかった。

 「確かに普通の方法では戦えないでしょうし、その男の保有するエネルギーが暴走することも考慮しなければなりません。
  ですが、相手も人間です。付け入る隙は必ずありますし、王大人も全面的にサポートしてくれると言ってきました。」

 「そうじゃ。あやつはいいやつじゃ、中国に着いたらあやつをマダムの代わりと思って頼ればよい。」

 むんとふんぞり返る東鳳風破。友人を誉められてうれしがる男は嫌いじゃない。
 自分より大事な友人だといっているようなものだからだ。

 「そうね。いざとなればわたしが盾になるわ」

 ミユキまで俺たちを励まそうとしている。だが…

 「ワシもついておる、安心せい」

 なにい!?

 「と、東鳳氏。あなたまで来るつもりですかっ!?」

 このおっさんは依頼者じゃあなかったのか?俺たちと一緒に来るってことは、悪魔と戦うってことだぞ!そんなことができるのか?

 むろん、驚いたのは俺だけじゃない。

 「あ、あの、おじちゃん、拳法を使えるだけじゃ悪魔とは戦えないのよ?」

 「そうですよ、わたしだってこれで特殊な力があればこそみんなを守れるので…」

 俺も含めて3人揃ってあたふたしていた中、マダムが言いにくそうに、ぽつぽつと話し出した。

 「…申し訳ないわね、みんな。結局あなたたちに言い出せずに、本人が直接言ってしまった形になっちゃったけど…」

 「と、いうと…?」

 ミユキが先を促したが、もうここまで聞いたら後は明白であろう。

 「ワシとて武人のはしくれ、悪魔ごときに遅れは取らぬわ。片っ端から蹴散らしてくれよう!」

 「…と、いうわけです。彼も、貴方たちを守るべく戦ってくれるそうです」

 誰よりも悪魔の強さ、恐ろしさを理解しているこの人が、あえて中年男の暴言を受け入れている。

 まあ、額に冷や汗をかいた上に苦笑いまで浮かべつつ東鳳風破の相槌をうっているのだから、マダムも本意でないのは明らかだ。
 気づいてないのは…

 「わははは、ワシがいれば百人力も同然よ!」

 などと高笑いを始めた本人だけだろうな。

 それにしても、この東鳳風破という男に対して、どうしてマダムはあれほど下手に出ているのだろうか?

 彼女は穏やかな性格だが、人間以上の相手と戦う組織の長だけに、決して甘い人物ではない。
 中途半端な情けや甘さが後々取り返しのつかない大惨事になることを、よく知っているからだ。

 実はこれまでにも、東鳳氏のように依頼者が自ら悪魔の起こした事件に関わりたいと言ってきたことはあったのだ。
 その理由も、決して興味本位からだけではなく、ある人は責任感から、ある人は生き残れる自信も根拠もあると主張した。

 しかし、彼女は今まで一度も首を縦に振ったことはなかった。それも、全ては依頼人を守るのが第一であるという信念だからだ。

 それを今回はあっさりひっくり返している。しかも、マダムはことあるごとに東鳳風破に気を使っている。2人はどういう関係なんだろう?

 「マダム、そっちのおじちゃんとはどういう関係なの?」

 うわ…またアイリスのやつかよ!確かにここにいる皆が興味を持つことには違いないが…

 さすがに今回はマダムも困った顔になった。

 「アイリス、今はそれを聞かないでくれる?…私にとってはつらい思い出も話すことになるから」

 そう言って彼女は言葉を切った。しばらく沈黙が降りる。

 「それより、任務の説明はこれで全部です。あちらの状況は予断を許さないので、すぐにでも当地に向う準備を始めてください」

 再び顔をあげた彼女は、いつもの通り、俺たちのトップの顔だった。こうなっては個人的なゴシップまがいの話ができる余地はない。
 それに、中国となると現地に行くだけでも1日がかりだ。

 「では、チャーター機を用意して一気に現地へ飛びます」

 そう言いながら、俺は遠方地への移動手段として組織と契約している航空会社に連絡を取ろうと携帯電話を取り出した。

 「そうね、では御手洗に飛行機の手配を頼みます。後の人たちは装備品の準備に取り掛かってください」

 「はい」

 後は解散して各人でそれぞれ荷物をまとめるだけだ。

 そう思っていたら。

 「待てい御手洗!!」

 既に相手の会社を呼び出している俺の携帯電話を、東鳳風破にむんずと掴まれた。

 「な、なにをいきなり!」

 相手が組織の客だということも忘れて、つい怒鳴ってしまった。
 かたや東鳳風破は俺の携帯を握り締めたまま、何か言おうと口を開いた。のだが…

 まさかこんなセリフが飛び出すとは。

 「馬を乗せられる飛行機を手配してくれ」

 …

 「へ?」

 「あ?」

 「…」

 「ええっ!?」

 俺たち3人はともかく、今度はマダムまでがびっくりしたとは。

 『あの〜、もしも〜し』

 彼が掴んだままの俺の携帯から、呼び出した航空会社の人間が虚しく呼んでいる。

 「…東鳳殿、う、馬って、あのひひーんって鳴いて、蹄でぱっかぽっこ走る、あれ、ですか…?」

 おそるおそるといった体でマダムが訊ねる。

 「無論。つい先日、モンゴルで素晴らしい出会いがあっての、ワシは即決で自分の愛馬にすることを決めたのじゃ。その名も雷鳴早雲ぞ!」

 『もしもし〜、雷鳴がなんですって〜』

 携帯の向こうのおねえちゃんもムダと知ってか知らずか叫び続ける。

 …前言撤回。

 わずかの間でもこいつを常識人だなどと考えてしまったことは、俺の生涯に残る大失態となるだろう。
 洞察力では組織内で1、2を争うと自負していたのに!

 何が馬の乗れる飛行機だよ。んなもんあるわけないだろが!
 人の携帯電話奪い取ってまで、一体何事かと思ったら、言うに事欠いて飛行機に馬を乗せろだとぉ!?
 物事を知らんにもほどがある、いい歳こいて若痴呆かましてんじゃねえ!

 一気にそこまで文句を並べ立てて、どうにか口に出さずに済んだことを確認してから俺は携帯電話を非常識オヤジから奪い返した。

 「すみません、御手洗です。突然で恐縮なんですが、高松か関空から北京空港まで4人、一番早い便を押さえておいてください、また後ほどかけ直しますので」

 一息にそれだけしゃべって電話を切った。もちろん、馬のうの字すら出てこなかったから、東鳳風破は…

 「おい!御手洗!!馬は、ワシの雷鳴早雲はどうなるんじゃあ!」

 案の定、俺の胸ぐら掴んでの絶叫モードだ。

 「ちょっとは頭冷やして考えてくださいよ、馬を空輸するなんてことはまずありえませんよ。
  むしろ、あれだけ大きな動物なら船便を使うのが普通でしょう。
  …検疫とかいろいろ面倒な手続きをする時間はないから裏から手を回しますけど、ちゃんと手配しますよ。
  あなたもモンゴルから馬を連れ帰るときはそうしたんじゃありませんか?」

 顔中真っ赤になっていた東鳳風破が、やや落ち着きを取り戻した。

 「むむむ…そういわれれば、港でそんなことをしたようなしなかったような…」

 おいおい、しっかりしてくれ。

 「問題はもう1こあるわよ、御手洗さん…」

 今度はアイリスだ。

 「な、なんだよ…」

 言い知れぬ不安を感じて、思わずどもってしまった。こいつがこういう話題で俺をオテさん呼ばわりしないときは、決まってやっかいな問題なのだ。

 「ご自慢の拳銃、民間機を使うんなら持ち込めないよ?」

 !!

 そ、それはまずい。自分の銃が使えないとなると、戦いになったら俺は完全に戦力外になってしまう。
 拳銃を専門とする戦闘員なら、どんな銃を持とうが平均以上に使いこなせるが、あいにく俺はサマナーであって純粋な戦闘員ではない。
 あくまで自分の銃だからこそ戦闘員と互角の取りまわしが可能なのだから、それを使えないのでは一般人並みの腕になるだろう。

 …いや、まったく歯が立たない状態になるわけじゃない。戦う手段があるにはある。だが、あれにはいろいろと問題も多いし、何より危険だ。

 「弱ったな、非合法に持ち込むのはリスクが大きすぎるし…」

 「ふんっ、道具に頼らねばろくに戦えんとは未熟よのう」

 東鳳風破がさっきのお返しとばかりに罵る。だが、目が忙しく動き回っているところを見ると、彼なりに何か打開策を考えているのだろうか。

 「そんなことじゃないかって思ったのよね。あたしがパパに頼んでみる」

 時間切れ〜、などとうれしそうに言ってからアイリスが解決策を持ち出した。
 そうか、彼女の親はヤクザだ、不本意だが金さえ積めば危ない橋でも渡ってくれるはず…ちょっと待て。

 時間切れとはどういう意味だ?ひょっとして…

 「お前…最初からそのつもりで問題があるだなんて言い出したな!?」

 「あったりぃ」

 「俺の困る顔でも見たいからそんな言い回しをしたのか!!」

 「そーそー。オテさんやっぱし冴えてるじゃない」

 「ぐぐぐぐ…」

 みんな、俺のこの怒り、わかってくれ。こまっしゃくれた女子高生(と同年代の女)にコケにされたこの屈辱!

 相手が相手なら、20発ぐらいぶん殴ってやるところだ!

 「まあまあ、これで問題は全部解決したんじゃない。それより、マダムがすぐにでも中国に行ってくれ、て言ったでしょ。もう出発する準備をしなきゃ」

 話が横道に逸れそうだ、と判断したミユキが俺をなだめた。ついでに、ちゃっかりその場を仕切ってしまっている。こういうところは彼女、実に要領がいい。

 「…わかったよ、じゃあ荷物は任せるぞ!」

 こっちはそんな簡単に怒りが収まるはずがない。落ち着いてしゃべろうとしても、つい語尾に怒気がこもる。

 「ほーい」

 これ以上怒らせるのはさすがにまずいと思ったか、アイリスも部屋から退散した。見れば、マダムも東鳳風破も部屋から出て行こうとしている。

 俺も自分のやらなきゃならないことを済まそうとして、携帯電話を再度手に取った。リダイヤルを押そうとして、ふと手が止まる。

 「…今回ものっけから厄介な話だなぁ」

 舵取りの難しい女が2人に非常識な中年男がオマケについてきて、敵は単純な戦力の比較なら何万倍という、破格の規模を誇るのだ。

 「はあ…」

 他にも、似たような感じの絶望的な任務だってあるにはあったが、やはりため息の一つはつきたくなってくる。

 

 

3章 エンカウンター

 

4時間後には、俺たちは無事飛行機の中で一路北京空港へと向かっていた。俺が空路を手配した中では、おそらく最速ではなかろうか。

もちろん、俺が連絡した航空会社にも組織の手は回っているから、普通ならさらに10時間以上待たなければならないところを、
幸いにも関西空港からの便があったということなので「万が一」を考えて架空の予約席となっていたものを4席譲ってもらったのだ。

残念なことにチャーター機は無理だ、との返事だった。航空会社いわく、俺たち以上の上得意がいてそちらを優先せざるを得ないため、機体がないということだった。
しかたあるまい、俺たちの本当の職業までは彼らにも明かしてない。そう言われれば引き下がらざるを得ないのだ。

「でもお前ら…」

両脇にミユキとアイリスが座っているから、傍目には両手に華と映るかも知れんが、俺にはどうしても納得できないことが1つあった。

「何のために中国まで行くのかわかってるのか?」

他にも客がいるので小声で話しているが、さもなくば怒鳴りつけた上でぶん殴っているところだ。

「だって、仕事で海外に行けることなんて、それこそ2度とないかも知れないじゃない」

「そうよ、オテさんももう少し楽しもうよ」

こう切り返しやがった。もろに旅行気分だ。

こいつらの荷物ときたら、もう…。

海外ブランドを買いあさるぞー、という気合の表われか、ばかでかいスーツケースと着替えをどっさり持ち込んで、腕に抱えているのは四川料理の名店ガイド。

2人しておそろいのハンドバッグに財布なんか入れている。必要経費は全部組織のカードで支払うから、
現金とか個人のクレジットカードを持ち歩くのは露骨にプライベートの買い物のためだ。

さすがにいつでも臨戦体勢が取れるように、服装だけは動きやすいものを選んでいるが…。

「さらに訊くけどよ、なんでその格好なんだ!?」

俺はファッションには疎いが、そんな俺から見ても、はっきりいって奇天烈な格好だ。一体どういうセンスなんだろうか?

ミユキの服は、一歩間違えれば露出狂だ。太ももの付け根部分から切り取ったジーンズで脚が剥き出しだったり、
羽織ったジャケットの下は胸元までしか隠れないタンクトップでおへそが見えてるし。
そこでなぜか膝まであるロングブーツを履いている。これにテンガロンハットでもかぶせたら、コマーシャルに出てくるようなカウガールになってしまうだろう。

かたやアイリスは対照的に、何でそこまでというほどの厚着だ。白のヘアバンドに伊達メガネ、肩から手の甲まで隠れる真っ白なアームウォーマーに、
首から大きめのボンボンが2つぶら下がっているハイネックの白ブラウス。
膝下まであるロングスカートにふんだんにフリルがついているのは何か意味があるのか?
加えて白のパンプスと、全身白尽くめだから遠目にはお人形さんのごとき様相だ。

一見動きが取り難そうだが、こいつのファッションは全て自作であり、あちこちに伸びる布地を使うなどして動きの邪魔にならないようにはしているとか。

「だって〜」

「オテさん、それってまさか戦闘服のままで歩き回れってこと?」

頬を膨らませるアイリスに、不服げな抗議をするミユキ。

「そうではない。御手洗は、わざわざそこまで目立つ格好にすることもなかろうと言っておるのじゃ」

東鳳風破が一番右端から、じろりと女2人をにらむ。

とはいえ、文句を言っておいて何だが、2人ともよく似合っているのも事実だ。
都会を歩いていれば、何分もかからずにナンパしてくる男どもがごそっと出てくるだろう。

派手さ全開のミユキとアイリスに対し、俺と東鳳風破はさっきまでの服のままだ。
俺は装備品を持ち歩けるように特注した紺のジャケットとカッターシャツ、それにグレーのスラックス。
東鳳風破は例の怪しい中国人ファッション。

…もっとも、彼の服装はある意味、ミユキたち以上に目立ちかねない。

「だから〜、さっき言ったじゃない。海外に行けることなんて、わたしたちにはなかなかないチャンスじゃないの」

「そうよ、しかも仕事だから旅費が組織持ちだなんて、それこそ滅多に…あれ?」

旅行気分真っ最中のアイリスが、急に真顔になった。

「なんだ?」

「任務を聞いていたときは気にならなかったけど、どうして王大人はわざわざ日本に助けを求めたんだろ?
中国の退魔組織は、日本よりさらに数が多いはすなのに、国内の同業者に頼めば、もっと早く応援に駆けつけられたはずでしょ?」

「そう言われてみれば…そうよね。他の中国の退魔組織の話は全然出てこなかったよね」

このたわけども、疑問に思うのが遅すぎるわい。

任務の説明中にあれだけふざけていれば、肝心なことに気が付かんでもおかしくないぞ!

実は俺も気になっていたことの1つがそれだったのだ。だが、こいつらに振り回されたおかげで、マダムに尋ねるタイミングを逸してしまったのである。

そこへ、東鳳風破が口を挟んだ。

「簡単なことよ、最初に言ったようにワシはマダムの友人じゃから、日本で腕のいいスペシャリストをたくさん抱えている彼女に頼んでやろうと申し出たのだ。
 王大人も、我々では逆らうこともできん相手かも知れないからよろしく頼む、というわけでおぬしたちが出向いているわけぞよ」

「ん…?」

何かが、頭の隅にひっかかった。

我々では、逆らうこともできない相手…

敵に対して逆らえないとは、なんかおかしくはないか?

そもそも、初めのうちは、王大人もその敵を力づくでねじ伏せようとして、戦いまで挑んでいるではないか。
それは充分に敵に逆らっているのではないか?
一体何が…

「オテさん、機内サービスよ」

アイリスの声に慌てて通路を見ると、スチュワーデスがワゴンを携えて立っている。

「飲み物は何にしますか」

アクセントが微妙にずれているのと、敬語の使い方に慣れてないところからすると中国人だろう。
日本人が問い掛けるなら、普通は『何になさいますか』、と言われるもんな。

「コーヒーを」

手渡されたカップのコーヒーは、そこそこうまい。機内食は当たり外れの差が激しいらしいが、今回はハズレではなかったということだろう。

で、機内サービスに思考を中断されてしまったが、先ほどの疑問点はどう判断すべきか?

東鳳風破のセリフにピンときて考え始めたはいいものの、根本的に情報不足だ。
…本来なら、東鳳風破に王大人の話した意味を問いただすべきかもしれないが、どうも彼はそういう頭脳労働に向かない印象を受ける。
それに、あと数時間もすれば現地だ。

「状況が不利なのは覚悟の上、まずはその場を乗り切りつつ情報収集、ってことになるか…」

俺の独り言に、周りの3人は真剣な表情で頷いた。いかにおちゃらけた態度だろうと、いざ任務が間近になると皆本気で取り組む。
プロとはそういうものだ。

 

「ふう、やっと着いた〜」

入国手続きを済ませ、着いたばかりの空港のロビーでミユキがう〜んと背筋を伸ばす。
女性にしては大柄なので、シートが窮屈だったのは容易に想像できる。

何しろ身長が172センチ、俺より2センチ低いだけなのだ。
なんでも1年前、こいつに好みの男性は、と聞いたアホが組織内にいたらしいが、答えはなんと『身長190センチ以上』だったらしい。
訊く方も訊く方だが、あっけらかんとそう答えたこの女も只者ではない。

「さて、出迎えの者がワシの知ってるやつならば話が早いがのう」

東鳳風破が周囲を見渡す。

「マダムがちゃんと、連絡を入れてますよ」

「だが向こうは今、電話以外の通信手段を殺されておる。こちらの顔を確認できんのじゃよ」

どうやら敵もこちらの増援を警戒して、先手を打っているようだ。

「深刻ですね、もし顔見知りの人でなかったときはどうやって…」

ちょっと待て。

何気なく相槌をうちかけて気が付いた。

日本ならともかく、ここは中国だぞ。北京空港だぞ!

このじじいには馴染みの土地かも知れないが、俺とミユキ、アイリスは生まれて初めて踏む土地だ。
知り合いもいないところで、案内人もはっきりしないだとぉ!?

「どうすんだよ!出迎えが誰なのかもわからず、向こうもこっちの顔を知らない!どうやって捜そうって…むぐぐ…」

「しーっ、し〜っ」

アイリスが後ろから羽交い絞めの要領で俺の口を押さえた。

見れば、ロビー中の人間が俺に注目しているではないか。

不覚。あまりといえばあまりの計画性のなさに頭にきて、つい人ごみの真っ只中だということを失念してわめき散らしてしまったとは。

わめいていた俺が黙ったせいで、いっときの静寂がロビーを支配していたが、やがてそれ以上興味を惹くものがないとわかると、皆歩き去っていった。

ひとしきり深呼吸で気持ちを落ち着けてから、今度は小声で東鳳風破に食って掛かる。

「どうするんですか、本当に。出迎えの人がわからないことには、任務どころか話にもなりませんよ」

と、ヒゲの中年はどこから来る自信なのか、まったく慌ててない。

「あやつの部下に、人探しにかけては神がかりとも言うべき凄腕がいるらしい。
 なんでも秘密裏に誰かと会う必要がある場合なぞ、その者を使って本部まで案内させるとか言っておったぞ。
 初対面はおろか、写真ですら顔を見たことのない人間でも間違いなく探し当てられるんじゃと」

「ふ〜ん。…なんとなくカラクリはわかるような、わからないような」

アイリスがあいまいな返事をする。

「じゃああたしたちは空港の中をぶらぶらしてて、その人に捜してもらうって魂胆?」

「魂胆とは人聞きの悪い。じゃが、基本的にその通りじゃ」

「へぇ…」

東鳳風破の返事を聞いたとたん、アイリスがにやりとした。この女、今度は何を企んでる?

「じゃあそれまでミユキ姉…」

「うん…」

ここで俺にもおおよその見当はついたが。

「お買い物タ〜イム!!」

2人で見事にハモった合唱。やれやれ、やはりそうきたか。

「免税店どこにあった?」

「ずっと奥の方だったよ」

「え〜、じゃあ急がないとすぐ見つかっちゃう」

「そうね、お出迎えの人にわからないよう、こっそり行きましょ」

おいおい、すぐにでも見つけてもらわんと困るだろうが。

「お前ら、ちょっとは任務に…」

「無駄だ御手洗。もうあんなとこまで走っていっておるではないか」

わいのわいの言いながら免税店のショーケースめがけて一目散に走っていったらしい。
確かに立ち止まっていた俺たちからは声も届かないほどの距離を離している。

「ったく!」

あいつらのことだ、買い物を始めたら免税店の辺りから動かなくなるに決まっている。
そうなっては出迎えの人間だけが動き回っていることになり、出会う確率はがくんと下がるはずだ。
今回の任務の性格上、遅くなればそれだけ差し障りが出ると思って間違いないだろう。すなわち、俺たちも動き回らなくてはならない。

「彼女たちを捕まえますよ」

「うむ」

俺と東鳳風破は、ミユキとアイリスに追いつこうと走り出した。

そのとき。

かなりの距離があった俺たちからでもはっきりわかるほど、彼女たちが唐突に立ち止まった。
それも、1人の男に行く手を塞がれた形でだ。
ミユキは持ち前の運動神経でとっさにかわそうとしたはずだが、男はそれすら許さなかったようだ。

「ぬぬ!?」

彼女たちのただならぬ様子を悟ったか、東鳳風破がスピードを上げた。

速い。

周りの客を鮮やかな左右のステップでよけながら、それでもスピードをほとんど落とさない。
あっという間にたどり着いてしまった。歳を感じさせぬ体裁きはさすがだ。

が。

当のじじいまでが男を前にして突っ立っているではないか。なにやら男は東鳳風破と話したがっているらしいが、予想外の展開に俺が焦ってしまった。

他の観光客や職員にぶつかりまくるのも構わず、やっとの思いで仲間のところにたどり着いた。

息を整えつつ男を見る。

と、男もまったく同じように俺を観察していた。俺を頭のてっぺんからつま先までまんべんなく眺める。

「あなた、日本から来た御手洗さん?」

不意に男がしゃべった。それも、ずばりと俺の名前を言い当てるとは!

「そ、そうですが」

「そして、あなたが東鳳さんですね。そっちの大きい人がミユキさん、あなたがアイリスさんですね。私は王大人の使いでリーといいます」

では、彼が王大人の出迎えなのか。

まさかこんなに早く会えるとは。

「あ…は、初めまして。お察しの通り御手洗といいます。私はサマ…」

悪魔召喚師であることを告げようとした途端、リーは口に人差し指を当てた。しゃべるなというのだ。かなりの用心深さである。

確かにサマナーというのは英語には違いない。
そして中国人は日本人よりよほど英語に親しむ環境にあるから秘密を暴露する恐れもあるにはあるが、
中国で日本人が使う英語など、発音が稚拙だから却ってわかりにくいのだ。
だというのに彼は滅多なことはしゃべるなというのである。

「皆さんのことは聞いています。車の中で話しましょう」

そう言ってリーはくるりときびすを返した。

「…」

今は彼に従った方がいいと全員が判断したのだろう、俺たちはそれから一言もなくリーについて行った。

 

4章 敵

 

 空港の前に停めてあったワゴン車に一同が乗り込むと、リーと名乗った男はやっと話し始めた。
初対面の時はあまりいい印象を受けなかったから年齢不詳、目つきの険しい怪しいやつとしか感じなかったが、
いったん打ち解けるとそんな雰囲気は欠片もない。

年の頃も30後半くらいだろうか。日本語はややたどたどしいが、俺たちが来るということで一夜づけ状態で覚えたのだとすれば、むしろたいしたものだろう。

「みなさんに嫌な思いをさせてごめんね、敵がどこで見ているかわからなかったのです。これから王大人のところに行きます」

リーは自ら運転席に座り、自動車をスタートさせた。

「敵はとても強いですので、王大人は困っています。どうか助けてください」

運転しながらリーは深刻そうに切り出した。

「最初は変な格好の男が1人でいきなり降伏しろと言ってきたので、私たちは相手にしなかったのです。
 ところがそいつはその場で何十という悪魔を召喚し、無理やり戦いを挑んできました。
 私たちも撃退しましたが、次の日も、その次の日もやってきては、悪魔を呼び出して戦うのです。
 もう3週間経ちました、仲間がたくさん死にましたし、武器や薬も少なくなってしまいました」

「ううむ…」

東鳳風破がうなる。うなっても仕方あるまい、俺たちはこれからどうするか考えなくては。

「リーさん、現在の戦力は?」

「?」

彼は首をかしげている。彼の知っている単語ではなかったのか。

「ええっと、今は何人戦えて、武器はどのくらい残っている?」

「ああ、そういう意味ですか」

リーは納得いったような返事をしたものの、顔色は曇るばかりだ。

「今、けがをしてないのは私と王大人だけ。けが人は7人います。武器はピストルが4つ、弾が4日分、あとは剣が6つくらい」

「え…!」

全員が同時に硬直した。

これが絶句しないでいられようか。

日本で聞いたのと話がだいぶ違う。
そこまでいったら壊滅状態どころじゃない、悪魔を倒すという組織としての機能がまるで働いてないじゃないか!

これはとんでもないことになった。彼が言った状況は、普通の会社に例えると、とうの昔に倒産して資産の差し押さえが完了しつつある状態だ。
今から王大人の組織を守るなら、今日明日にも敵の息の根を止めるぐらいでなくてはならない。

「…」

さすがに誰も言葉が出なくなった。

おそらくは外部に助けを求めるなどということは屈辱だというプライドが、ここまで事態を悪化させた原因だろう。
あるいは、相手を侮って楽に勝てるとタカをくくっていたのか。どちらにせよ、もう今となっては悔やんでも遅すぎるけどな。

「ね、ねえ、そういえば、リーさん」

重くなった車内の空気に耐えられなくなったのか、ミユキがことさらに明るい声を出した。

「空港でわたしたちの顔もわからなかったはずなのに、どうして見つけられたの?」

「あ、それあたしも不思議に思ってた〜」

アイリスも便乗する。若い女性2人に興味を持たれてうれしくなったのか、リーの顔がにわかに明るくなった。

「あれは、私のトレーサーという技です」

「トレーサー?」

「まあ、簡単に言えば動きやしぐさ、服装から相手の素性や持ち物などを見抜く技です」

「すご〜い、探偵さんみたい」

「今回の場合は、王大人からプロレスラーと魔法使い、武道家とガンマンの4人組が来ると聞いていました。
 私はそれらしい4人組を捜したらあなたたちだった、というわけです」

「なんでわかるの!?教えて教えて」

「うーん、では、まずはプロレスラーと武道家から。プロレスラーは鍛えた体を見せつけるため、丈の短い服をよく着ます。武道家は服を着たままで激しい動きができるよう、ゆったりしたものをよく着ます。他にも、それらしい歩き方や身のこなしでわかりますね」

「さっすが。じゃあ魔法使いは?」

「この穏やかな気候で厚着をしていますから。あの服の下には魔法の材料になるものがたくさん入っているのです。
 …そうですね、アイリスさんの指輪、あれは投げつけて魔法を使う宝石ですし」

「!」

反射的にアイリスが右手の指輪を後ろに回した。
…まあ、無理もないだろう。魔法使いが身に付けている、呪文発動用の宝石は、自分で魔法を唱えられなくなったときの、いわば最後の切り札だ。
それを最初に取り上げられたら、万が一の保険がなくなってしまうわけだからな。

「でも、オテさんがガンマンだってわかったのが不思議よね、だって彼、今銃持ってないのよ」

「そのようですね。でも右目を見開いて、左眼を細くする癖がありました。あれはピストル撃つ人が狙いをつけるときにそうなるのです」

「むむむ…さすがはワシの終生のライバルが育てた逸材ぞ!」

びっくりした。黙ってるから寝てたのかと思ったらずっと聞いてたのか、東鳳風破は。

一方、アイリスはちっと舌打ちなどしている。

「残念、あたしの知ってるサイコメトリーやESPじゃなかった」

「オカルトと一緒にするな」

このとんちきが、とアイリスの方を見た瞬間、不意に頭上が曇った。

「!」

思わず車の窓から身を乗り出す。

本来なら気にも止めなかったはずだ。だがなぜか、今回は無視できなかった。虫の知らせというのだろうか?

上空で、太陽をすかして何かの影が、俺たちの車を追い越したようだ。
一瞬、飛行機だろうか、とも思ったが、まったく音がしなかったし、何より人間らしき形ををしていたのは尋常ではない。

身体を戻すと、アイリスがこわばった表情でこっちを見ている。

「気が付いたのか?」

「うん。はっきり言って悪魔の気配だった」

…先回りされている!?

わいわいと話しているミユキとリーはさておいて、俺は東鳳風破の肩をちょんちょんと叩いた。

「なんぞ?」

「おそらく敵に先回りされてます。俺とアイリスが確認しました」

「うむ、心得た」

不動の表情で頷くこの中年おやじが、このときはなぜかとても頼もしかった。

…それにしても、日が長い。

俺たちが日本を発ったのはもうすぐ夕方という時間だった。
西に向いてかなりの距離を飛んでいる、つまり太陽を追いかけて移動した形になるから俺たちの主観でいけば、
今日という一日は普段より長く感じることになる。

その証拠に、飛行機でかれこれ4時間は乗っていて、さらに車で高速を30分以上走っているというのにこちらは今が夕方だ。

「見えた、あそこです」

唐突にリーが大声を出した。

いつの間にか、車はそろそろ北京の郊外にさしかかろうかというところまで来ていた。
オフィスビルの林は既になく、何軒か大きめの家屋が連なって建っている程度だ。

確かにここなら大きな騒ぎさえ起こさなければ人目にはつきにくいだろうし、交通や情報の便も悪くない。

そのうち、ひときわ大きいレストランが見えてきた。リーはそこに車を停める。

ちょっと早いが夕食にするのか…と思ったら。

「私たちの拠点、王大人飯店です」

は、はあ!?

人目につかないようにすることが第一条件じゃなかったのか、俺たちの稼業は!

それがこともあろうに、不特定多数の人がごったがえすレストランを拠点に置くとは…

思いは全員同じだったらしい。ただ1人、もともとここを知っていた東鳳風破を除いて。
が、彼は別の理由で王大人飯店を険しい顔つきで睨んでいる。

と…

「よけろ、リー!!」

彼が突然リーの頭上めがけて舞い上がった。人間とは思えないほどのジャンプ力だ。

「なんですか〜!?」

素っ頓狂な悲鳴をあげながらもさすがは悪魔を相手に戦う戦闘員、一挙動でその場に伏せる。

東鳳風破は眼下のリーを無視して、空中で大きく右手を振るった。その手に、夕日を反射してきらりと光る何かが握られてるのに気づいたのは俺だけだったのか。

ぱあん!

あたり一面に、ビンタを食らわせたような音が響いて、彼はリーの手前に飛びのく形で着地した。右手に握られているのは、袖口から取り出した鉄の板だろうか。肉厚のある、鈍い光沢を放つ棒だ。いわゆる隠し武器、暗器というやつだろう。

ややあって、彼の反対側には、彼に叩き落されたものがどさりと落ちる。

「危ないところであったわい、よもや雲の上から急降下してこようとは…」

東鳳風破の顔は真剣そのものだ。本当に間一髪でリーの危険を察知したのだ。

彼には敵が待ち伏せしていることを言っておいた。
だから王大人飯店についても緊張を解かず、辺りの様子を伺っていたのだ。
そこまで警戒していたのに、もう少しで裏をかかれそうになったのだ。彼も本気にならざるを得なくなったのだろう。

「やだ…女の子、これ?」

ミユキが、彼の叩き落したものを見て怪訝な声を出した。

確かに一見、女の子に見えるものだ。

地面に激突したショックからか、うつぶせになって腕が痙攣しているのは、モンゴル方面の民族衣装をまとった8歳前後の少女に見える。
耳に当たる部分から、彼女の腕の長さほどもある翼が生えてなければだが。

そのときアイリスが、何を思ったか彼女に向かって走り出した。

と…。

『ほう、あの不意打ちをはね付けるか、少しは余を楽しませてくれそうな助っ人じゃのう』

「…っ」

予想もしなかった、突然頭に押し寄せた不快感に俺は思わずうずくまりかけた。

どこからともなく…ではない、頭の中に直接声が響いたのだ。相手を見下すかのような尊大な言い回しと、おもちゃを見つけた子供のようなはしゃいだ感覚。

「き、来た」

リーは早くもすくみあがっている。いよいよ王大人を追い詰めた張本人がやってきたのだ。

「どこだ、姿を見せろ!」

ここで俺たちまで震え上がってしまっては相手の思うつぼだ。頭蓋に残る不快感を打ち払うように周囲に向かって怒声を放った。

『ほっほっほ』

そいつは何もない空中に忽然と現れた。そのまま真下に降りてきて、とんと着地する。

「ぶっ…」

リーを除いて、一同驚くと同時に、笑いをこらえるのに必死になってしまった。

登場の仕方は確かに意外だったんだが、そいつの格好は…何と言っていいのか…

一言でいうなら、「ありえないほどむちゃくちゃなファッション」となるだろうか?

まず身長がかなり小さい。150センチあるかないか程度だ。年齢は四十代半ばくらいか。それにびっくりするくらい貧相なのだ。
頭が半分はげ上がってタレ眼でドジョウヒゲの猫背、半開きにした口から覗く歯が虫歯だらけ。

それなのに…それなのにである。

着ているものはとにかく金ピカなのだ。それも目一杯不自然な形で。

「ちょっとなにあのジーンズ、バレンチノの銘が入ってる。なのにだぼだぼだなんて。せっかく買ったのにサイズ合わせてもらわなかったの?」

「なにゆえこの過ごしやすい気温で、スパンコールのどてらなぞ着ておるのだ?体温がこもって暑くてしょうがあるまいに」

「1、2、3、4、…片手だけで8つも。あんなに指輪なんかはめてたら、まともに手が使えないんじゃない?」

「それが全部、無意味に金ピカ…全身に金箔を貼り付けて…」

俺たちのつぶやきが耳に入るたび、男のこめかみに青筋が目立ってくる。とどめはアイリスのこの一言だった。

「…サイッテーのゴージャス男ね」

『ふ、ふふふ、ふははは』

激怒の表情になったから襲い掛かってくるかと思いきや、男はにわかに笑い出した。

『余の見えざる慈悲に気づくことなく、外見のみを嘲るとは不憫なことよ。余は既にこの偉大な力の一片を披露しておるというのに。
 …余は中国語でしか話しておらぬのに、なぜ言葉が通じておるのか、疑問にも思わなんだか?』

これで口論の上で優位に立とうとしたらしいのだが…。

「別に。確かに、思念通話を可能にする魔法は、かなりテクニカルなものだからあんたみたいなゴージャス男が使えたのには感心したけど、それだけのことよ。
 そこそこ実力のある魔法使いならできて当たり前ね」

アイリスは男の口上を足蹴にした。だが、彼女が引っ立てているその少女悪魔は何のつもりだ?

「いや〜ん、痛い〜。このオバサン乱暴〜」

「捕虜が減らず口を叩かない」

「きゃー!!」

アイリスをオバサン呼ばわりした少女悪魔が飛び上がった。どうやらアイリスが表情も変えずに後ろから電撃を放ったようだ。
…してみると、さっき東鳳風破が叩き落したこの少女悪魔に駆け寄っていたのは、縛り上げて捕虜にするためだったのか。

『ほっほっほ、そやつ1匹くらい、そのおなごにくれてやるわ。こいつらを倒せるだけの力を見せたなら、その報酬としてでも良かろうのう』

その言葉に呼応するように、俺たちの周囲に生体マグネタイトが凝集してくる。悪魔を召喚したのだ。戦闘を仕掛けてくるつもりだ!

「みんな、ゴージャス男に日本人の強さを思い知らせるのよ!」

ミユキが仲間を鼓舞するように気勢を上げる。それに異論はないが…

「お前ら、そいつをゴージャス男で通すつもりか?」

俺は念のため、今手下を召喚した男を指差して聞いてみた。

安直といえばあまりにも安直であろう。こんなやつでも、名乗りたい名前はあるだろうに、と思っていたが。

「文句あるの!?」

早くも戦闘モードに入ったミユキが、こっちをキッと睨んで喚いた。…しゃあない、報告書にもそう書いておくか。
…おめでとう、敵の大将たる変なファッションの男よ、コードネームは正式にゴージャス男に決まったぞ。
もう変更はきかないからな。

やや哀れみの気持ちさえ持ってゴージャス男の方を見たとき、何かおかしいことに気が付いた。

ここに現れた時、やつは手ぶらではなかったか。

しかし、今は古い本のようなものを右手に持っている。あの奇天烈な服装では両手に抱えてもはみ出しそうな大きな本など、隠せる場所はないはずだ。

どうやら相当古いものらしく、あちこちが傷んで表紙が擦り切れている。
しかし、それだけの年月を経て、なおもバラバラにならずにあるというのはたいしたものだ。

昔の本というのは製本技術が悪いため、作りがよほどしっかりしてないとすぐにバラバラになってしまうのだ。
お寺の経本などは結構いい作りになっているらしく、お寺を舞台にしたカンフー映画では、古い時代でも経本などがわりとよく出てくる。

それにヤツの持っている本も、ただ古いだけならともかく、生体マグネタイトの淡い燐光を放っているとなると、何らかの魔術が関わっていることになる。

「おい、ゴージャス男。その手に持っている本は何だ?」

相手の警戒心を煽らないよう、俺はあえて何気ない風を装って聞いた。

案の定、敵は引っかかった。

『ご、ゴージャス男とは無礼な!余の姿を愚弄するにも程があるぞよ!…よかろう、そうまでこの本の力が知りたければ、余の使いどもと戦うがよい!』

ゴージャス男は額に青筋を浮かばせて喚きつつ、実体化を終えようとしているマグネタイトの塊をぶんぶんと指差した。

…なるほどな。

つまりは、本があの男の召喚術の根源なのだ。あれがあるからこそゴージャス男は無限に悪魔を召喚することができるのだな。
あれを破壊するか無力化することができれば、ゴージャス男はただのみすぼらしい男になってしまうことになる。

王大人の組織に危害を加えることができなくなれば、わざわざ殺してしまうこともないだろう。

内心俺はにやりとした。

一歩間違えれば敵を激昂させただけかもしれない危険な賭けだったが、幸運にもうまくいったからだ。

王大人の組織のことを考えると、俺たちはすぐにでも敵の正体や弱点を突き止め、それを叩かなくてはならない。
手っ取り早く達成するには、根源たるこの男に直接コンタクトを取って、うまく情報を引き出すのが迅速かつ確実だ。

だが、当然自分の弱点をべらべらしゃべるバカがこの世にいるはずがない。
ばれないようにこっそり調査するか、なんとかうまくヤツを騙して、気づかせないようにしゃべらせるしかない。

さっきまでのやり取りで、こいつが自分のファッションセンスの悪さに過剰なまでに反応するのは見て取れた。
ならば、うまくそこを突くことができれば、誘導尋問に引っ掛けることができるんじゃないか、そう判断したのだ。

かくして、結果は上々である。後はあの本が何なのかを調べる必要があるが、悪魔を無限に召喚できるほど強力なものとなると、かなり有名になっているはず。
俺たち退魔組織専用のネットワークでなら、あれの正体や対策もわかることだろう。

敵に先手を打たれたこの場をしのげば、任務は一気に進展するはず。そう確信した。

…問題は、今この場をどうしのぐかだ。

丸腰ではあるが、せめて気合だけでも遅れを取ることはできない。実体化を終えた敵を改めて見据える。

敵はアイリスが捕虜にしたのと同じ少女悪魔が2体、腕が羽根になっている女性の悪魔が1体、リーダー格であろう大型のヒヒのような猿が1体。

まずはこいつらの正体をはっきりさせなければ。

左手でCOMPを起動しつつ、銃を構えようと右手を懐に入れた。

が!

「あ!銃は飛行機に持ち込めなかったんだ…」

今になって思い出した。当然のように右手は空を切っている。

しかも、あろうことかCOMPで起動した敵戦力分析(デビルアナライズ)に表示された内容は。

『少女型悪魔:推定レベル8 モー・ショボー 2体 銃での狙撃、衝撃波による攻撃を推奨』

『鳥型悪魔:推定レベル16 コカクチョウ 1体 銃での狙撃を推奨 遠隔攻撃に注意』

『!警告! 獣型悪魔:分析不能』

ときやがった。

銃が弱点となる悪魔で攻めてきたというのに、今手元にその銃がないのだ!このときほど自分の運のなさを呪ったことはない。

『やれ』

ゴージャス男の命令とともに、4体の敵が四方から襲い掛かってくる。

まずい。俺は他の3人と違って丸腰では戦えないのに!おまけに、仲魔の召喚に必要なマグネタイトは今使い切ってしまっている。本部にいく地下駐車場でジャックランタンを召喚したとき、予想以上に消費していたのだ。

どうする…?

 

5章 血戦

 

 「覚悟!」

 そう叫んで俺の目の前のコカクチョウが突っ込んできた。外見は25歳前後の中国系女性で、腕の代わりに純白の羽根というものだ。
しかし、その攻撃は外見とは比較にならないほど情け容赦のないものである。

太ももまで露出している脚の、つま先が一瞬で鳥のカギ爪状態に変化する。それで俺を引き裂きにくるつもりだ。

「おわっと!」

どうにかかわすが、こちらから反撃できないのでは話にならない。

「くそっ…リーさん、あんた拳銃…といってもわからんか、ずっとピストルって言ってたもんな…今ピストルを持ってないのか!?」

「お?おお、ありますよ、どれでも気に入ったもの使ってよ!」

リーから願ってもない返事が返ってきた。…返ってきたのはいいが、懐から出した4丁もの銃をこっちに投げ渡すな!!

「わわわ…!」

大慌てで受け止める。彼、こともなげに放り投げてきたが、鉄の塊である拳銃を正確に投げるとは、案外腕力があるのだろう。
逆にキャッチした俺の腕の方が脱臼しそうになったくらいだ。

改めて両手の中の銃を見る。
デザートイーグルだのコルトパイソンだの、猛獣が相手でも勝てそうなマグナム銃が3丁もある。
ホントに彼ら、ゴージャス男相手に戦争気分で戦ってきたに違いない。
だが今はこんなに重い銃を使っても敵の速さに振り回されるだけだ。
こういうのはむしろ動きが鈍くてタフな敵に向いている。

残った1丁は見たことない形だ。
だが他のマグナムに比べると軽い。
これならコカクチョウのスピードにもついていけそうだ。

「ありがとう、リーさん」

銃の精度や威力がわからないまま使うのは不安だが、今は贅沢を言っていられる状況じゃない。仲間の方も苦戦しているに違いないのだ。

周りを見渡すと、案の定みんな自分の相手に手を焼いている。

東鳳風破とミユキは、地上に降りてこないモー・ショボーどもに攻撃できないでいる。

彼らとて空中の敵との戦いは心得ているから、モー・ショボーが攻撃しようと下降してきたときにカウンターをかけようとしているが、
なかなか決定打が与えられないようだ。

また、アイリスは大型のヒヒ悪魔に追いまわされている。

彼女に限らず、魔法を発動させるには精神集中と結句の詠唱という2段階のプロセスが必要となるのだ。
しかし、敵がそれだけの余裕を与えてくれない。それに彼女は人質を引っ立てつつ逃げまわっているから、攻撃をよけきるのも難し…え?

その一瞬の光景を、俺は確かに目撃したのだが、どうしても信じられなかった。

「うぎゃああああぁぁぁ!!」

辺りに年端もいかない、女の子の絶叫が響き渡った。

その凄まじさに周囲で戦っていたものはもちろんのこと、悲鳴をあげさせたヒヒ悪魔までもがきょとんとしている。

「おかしいのう、そっちのぎゃるを引っかいたつもりじゃったのに、なんでこうなったんじゃろうかのう」

ヒヒ悪魔は自分の手をしげしげと眺める。俺はたまりかねてアイリスに声をかけた。

「お前…何考えてんだよ…」

「しかたないでしょ、死にたくないもん」

なんと彼女は、ヒヒ悪魔の攻撃が避けきれないと判断して、とっさに人質にしていたモー・ショボーを盾にしたのだ。

ヒヒ悪魔の巨大なカギ爪でざっくりと引き裂かれたモー・ショボーは、気の毒なことに胸から脚の付け根辺りまで血まみれだ。
人間ならば即死してもおかしくない。また、悪魔だからといっても、あのまま放置したらやはり死んでしまう。

「き、貴様ら…外道め!!」

俺を攻撃していたコカクチョウが、怒りでぶるぶると震えている。

「おいおい、気持ちはわかるが俺に当たるな!」

他の敵はともかく、こいつはこれから本気で仕掛けてくる。こちらも体勢を立て直さないと。

「全員、集結するんだ!東鳳どの、ミユキ、前衛を頼む!」

「了解!!」

放心状態から立ち直った全員が俺の元に駆け寄ってきた。アイリスもぐったりした人質を抱えたままたどり着く。

と、なぜかリーまでこっちにやってきた。何でだろうかと思ったら、俺が使わずに放り出した足元の銃を拾い集め、一目散に離れていった。…マメな男だ。

一方、敵はそんなことお構いなしに攻撃を続けようとしている。特に俺を外道呼ばわりしたコカクチョウは、鬼のような形相だ。

だが、陣形が整ってくれば俺たちも簡単には遅れを取らない。

上空から急降下して襲ってくるモー・ショボー2体とコカクチョウは俺の銃とアイリスの電撃で撃退できるし、
正面から突進してくるヒヒ悪魔は東鳳風破とミユキが食い止めてくれる。
2対1だから戦力的にも有利だ。

「だれからあそんでくれるの〜?」

そうはしゃぎながらモー・ショボーが降下してくる。軌道は一直線だからスピードがあっても読みやすい。
心臓を狙えば、片方は一撃で撃ち落とせる。

充分に狙いを定めて撃った、…はずだった。

が、目論見はあっさり外れた。

「うぐっ!」

必殺のはずの弾丸は心臓を貫かず、左肩を砕いたにとどまった。

「え、外した!?」

まさか。

さすがに飛ぶことはできなくなって墜落したものの、致命傷にはなってない。

それに。

「ちっ…反動が…」

思わず左手で右手をかばってしまった。
使い慣れた銃のつもりで片手で持って左手を添えただけにしていたら、銃が後ろにすっ飛ばされたに違いない。
それほど強かった。
手首がびりびりと痺れる。
もう片方が目前まで迫っているが、到底間に合わない。

「ジオ!」

と、隣のアイリスが魔法を放った。至近距離から電撃をまともに浴びたモー・ショボーは、悲鳴もあげずに墜落した。感電したらしい。

助かった。アイリスに横目で礼をいう。

「すまん…慣れない銃ではちとばかりきついようだ」

「今はそれで充分よ、敵のけん制だけしてくれれば、あたしたちがフォローする…マハジオ!」

しゃべりながらでも彼女は攻撃の手を緩めない。両手を前にかざして、4体の敵全部を照準に入れてさらに電撃を放つ。

「ぐ…」

「あああ〜っ!!」

その電撃がトドメとなったのか、モー・ショボー2体は断末魔をあげて動かなくなった。
彼女たちの体を構成していた生体マグネタイトがその結合を解き、俺の左手のCOMPに吸収されていくにつれて、肉体が崩れていく。

「ぐおお…小娘、今のは効いたぞい。年よりは大事にせねばならんということ、その身に叩き込んでやろうぞ〜」

ここまでのん気に様子を見ていたヒヒ悪魔が、突如として襲い掛かってきた。
アイリスの電撃に気を悪くしたようだ。
一方、コカクチョウは電撃をかわしたらしい。
まだダメージを受けた様子はない。

「ばか正直に突っ込んでくるとは…笑止!」

ふふんと鼻で笑って、東鳳風破がその前に立ちはだかった。その横に付こうとするミユキを片手で制する。

「ワシが先にやろう。ヤツの力がいかほどか、この一撃を見舞って試してやるとしよう」

「無理しないでね」

一声かけてミユキは2歩下がった。

「うおおお」

どたどたと地響きをあげて迫りくるヒヒ悪魔。一方の東鳳風破は正眼に構えたままだ。

突進の勢いを借りてカギ爪を振り下ろすヒヒ悪魔。それを東鳳風破が片脚を引いて、思ったとおり難なくかわしたが…。

「ぬん!!」

ズウゥゥン!

前触れも何もなく突然地震が起きた。いや。

東鳳風破が右足を踏み込んだのだ。それにしてもとんでもない踏み込みだ。辺り一帯に地響きが起きるとは。

すると…。

「おわああああ」

すごい打撃音とともに、あの巨体を誇るヒヒ悪魔が10メートル以上吹っ飛ばされたのだ。

今の一瞬、東鳳風破はカギ爪をかわしつつ左手で相手の腕を掴んで引っぱり、さっきの踏み込みの勢いで肘打ちを放ったのだ。

ボクシングや空手のように拳で殴るのと違い、拳法では指を開き手のひらをまっすぐに突き出して相手に叩きつける掌底打ちや肘打ちがよく見られるが、
これらはリーチが短くなる分、指の骨を痛める危険がないので全力で突き出せる。
そのため、その道を極めると大岩を素手で砕くことすら可能になるのだ。

傍から見てもほれぼれする返し技のキレに満足したのか、東鳳風破は右肘を突き出した格好のまま、会心の笑みを浮かべている。

「中国拳法の一つよね、今の。なんていうの?」

「古来より伝わる八極拳じゃ。今の技は攻防一体を可能にする奥義、外門頂肘なり!!」

ミユキの問いに、おっさんは大見得切ったあと、リーに決めのドラでも鳴らさんか、などと無理を言っている。

そのときだった。

「やはりあなたを倒せば、お前たちはまとまりを失うのね!」

いきなり後方からコカクチョウの気勢が俺を貫いた。後ろからやられる!!

銃を構えざま振り向いた時には、猛スピードで地面すれすれを飛びつつこちらに迫り来ていた。照準が間に合わない!

と、敵は突然、大きくはばたいて急ブレーキをかけた。

「?」

なぜ、といぶかしんだと同時にその理由が判明した。

凶暴な空気の塊が俺の全身を襲ったのだ!

空中で急ブレーキをかけるためには、前方に大量の空気を高速で吹き出さなければならない。
コカクチョウも激しくはばたくことでそうしたのだが、このときのすさまじいまでの風圧を武器として転用したのだ。

受け身も取れない、猛烈な風圧に煽られ、俺はそのまま宙に投げ出されて地面に叩き付けられた。

「御手洗!!」

「オテさん!?」

東鳳風破とアイリスが異変に気づいて駆け寄ってくる。

「ぐっ…」

苦痛のあまり、胃の中のものをぶちまけてしまった。幸い内臓に深刻なダメージは受けていないようだが、ショックで体がまともに動かない。

「これで終わりよ!」

コカクチョウは地面に横たわった俺の真上からとどめを刺そうと急降下してくる。あのカギ爪で心臓でもやられたら一巻の終わりだ。

よけられない…

そう悟って死を覚悟した。

「させぬわ〜!!」

東鳳風破が絶叫とともに何かを投げる。最初にモー・ショボーを叩き落した鉄板だ。

「ぐあああ!」

鉄板は、狙いすましたようにコカクチョウのわき腹に命中した。
彼女は軌道を逸らされ、降下の速度を殺しきれないまま俺のすぐ隣に激突し、ごろごろと転がって衝撃を吸収する。

「とっておきの鉄扇を2度も使うことになろうとは…」

東鳳風破には珍しく、ぶつぶつ呟いて鉄板についた紐を手繰り寄せると、ばっと開いた。
…ただの鉄板かと思っていたが、鉄でできた扇だったのか…。

コカクチョウは地面にぶつかったときにかなりのダメージを受けたのか、
あちこちぼろぼろになっている。あいかわらず俺たちを睨みつけてはいるものの、再度攻撃に移る気配はない。

「すいません、何度も危ないところを…」

「ん?」

命を助けてもらったお礼を言おうとしたときだ。

こちらを見た彼の背後に、怒りに燃えた影がのしかかってくる!

「じじい!よくもやりおったのう!!」

彼が吹っ飛ばしたヒヒ悪魔だ。

しかも、あろうことか東鳳風破は硬直してしまっている!

「そんなはずは…!あの奥義を食らって、まだ動けるなど…」

彼は目前に迫った悪魔を見ながら、信じられないと繰り返しつぶやいている。
自分の技に絶対の自信を持っていたが故に、目の前の現実を受け入れられないのだ。

「あぶない!」

突如、ミユキが強引に間に割って入った。東鳳風破を押しつぶそうとするヒヒ悪魔を、下から受け止める。

「小娘ぇ、邪魔するか!かわいい顔をしておるからといって、今度ばかりは手加減せんぞぉ!」

ヒヒ悪魔は背中の毛を逆立てた。体格が倍近く膨れ上がり、ミユキを数段上回る圧力が襲いかかる。

メリ…メリ…

筋肉と筋肉がこすれる嫌な音が聞こえる。

「ぐ…ううう…!」

ミユキが苦しそうにうめく。腕や背中の筋肉が膨れ上がり、細身の腕に血管が浮き出てくるが、徐々に膝が曲がっていく。

「くそっ…!」

「ミユキ姉!?」

東鳳風破とアイリスが叫ぶ。

「はああああっ!!」

裂ぱくの気合とともに東鳳風破が手刀を2度、3度と繰り出すが、ヒヒ悪魔はわずかに体をよろけさせただけだ。
体重差がありすぎて、まともに攻撃を打ち込んでもあまり効いてないのだ。

「はあ、はあ、…ワシの奥義をこれだけまともに受けてなお戦えるとは…」

「ミユキ姉、離れて!そのままじゃ姉まで感電するから撃てないよぉ!」

アイリすは攻撃に使う魔法を電撃しか持たないため、仲間が接触していては手だしできない。

「ぐっふっふ、そこで喚いておれ。慌てずともこの娘をつぶしたら、次はお前らの番じゃ」

ヒヒ悪魔はジジ臭い演技をかなぐり捨て、残虐な本性を表しつつある。その証拠に、ミユキが…!

「うああああっ!」

とうとう片膝を地面につけてしまった。なおもヒヒ悪魔が押さえつける。

「く…食らえっ」

俺はなんとか立ち上がって、両手で銃を構えると、ヒヒ悪魔を撃った。が。

「…」

ヒヒ悪魔はまるで意に介さない。分厚い毛並みに遮られて銃弾が効いてないのだ。

ちくしょう!このまま何もできずに、彼女が殺されるのを見届けるしかないのか!?

そう考えたとき、出し抜けに脳裏に見たことのない記憶が蘇った。

燃え盛る炎の中。見覚えのない女が大男に組み伏せられている。

男は狂気に侵された笑い声を上げると、巨大なアーミーナイフを振りかざした。

女は恐怖に顔を引きつらせながら、こっちを見て何か叫んでいる。

しかし、何を言っているのかは炎の中では聞き取れない。

やめろ。

男はそれを見て満面の笑みを浮かべつつ、こともあろうに女の顔にナイフを振り下ろした。

やめろ、やめろ。

辺りが白い光でぼやけていく中、理由もわからず悔しさで心がいっぱいになる。

そこで視界が不意に現実に戻った。と!

バキッ!

「きゃあああああぁぁ!」

ついにミユキが絶叫した。今の音は骨折したか脱臼したか、とにかく重傷だ!

「ほっほっほ、ほぉーれ、死ねぇ!」

やめろ、やめろやめろ…!

「やめろおおおおおおおっ!」

肺から搾り出す空気。自分で出したとは思えないほどの絶叫。

周囲にいたアイリスや東鳳風破、リーはもちろんのこと、ヒヒ悪魔や激痛を忘れてミユキまでも俺を呆然と見ている。

だが俺はそれどころではない。

頭の中が煮え立ったような感触だ。頭蓋骨が吹き飛びそうな気がして思わず頭を抱え込む。
それでも煮えるような感触は収まるどころか、強くなる一方だ。もう耐えられん…!

その途端、沸騰感は、脳髄が一気にどこかに流れ出るような感触にすり変わった。
その流れ出たものの行き着く先は目の前へ、ヒヒ悪魔の頭へ…

そこで、科学現象をまるで無視した現象が起きた。

ヒヒ悪魔の頭部をいきなり猛烈な冷気が舞った。
あっという間にその眼を、鼻を、牙を凍りつかせ、こぶし大ほどもある、おびただしい数の氷塊が、下から上へまともにその顔を打った。

「が、が、がああっ…!」

ヒヒ悪魔が悲鳴をあげるが、口元まで凍り付いてうまく叫べない。
そしてついに、常識を逸した冷気の生み出す、あまりの苦痛に耐えかねてミユキを離した。
彼女は既に気を失っているのか、がっくりとその場に崩れ落ちる。

…やっちまった。

あれだけマダムからきつく止められていたのに、やってしまった。

俺が丸腰の状態でも繰り出せる、本当に最後の切り札となる攻撃、それが今のサイコ・ブリザードである。
追い詰められてオーバーロードを起こした精神力による、超能力の暴走だ。しかし、これを使えてもいいことは何もない。
心に深い傷を負っていて、それをえぐり出す度に起こる拒絶反応。相手を傷つける超能力とはそういうものだそうだ。
制御を越えた力を叩きつけるものだから手加減がきくはずもなく、人間に使ったら相手は間違いなく死ぬ。

また、発動するのに心の傷をえぐるという性質上、使えば常に発狂の危険と隣り合わせになる。
一線を越えて発狂してしまった後のことは考えたくもない。何しろ強大な超能力を見境なく放ち続け、死ぬまでそれを繰り返すのだ。

俺もこの力に頼ればいずれはそうなると、超能力を持つことがわかったときにマダムから言われていたのだ。よって、超能力者は他の技術が身に付けられないとか、そういったよほどのことがない限り、精神治療プログラムによって心の傷を癒していくのだ。

だが困ったことに、俺は自分の心の傷、つまりトラウマが何なのかはっきりしてない。

さっきの光景を思い浮かべることが発動のきっかけになるのはわかっているが、あれがいつ、どこで見たものなのか俺自身もまるで記憶にない。

結局、俺の自制心が比較的強いのに期待して、できるだけサイコ・ブリザードに頼らないように仕事を続け、思い出すきっかけを待とうということになったのだ。

だというのにこのざまでは、先が思いやられる。

「…た、倒したのか…?」

あまりの消耗の激しさにまともに立っていられず、片手を地面についてヒヒ悪魔を見る。

かすむ視界の向こうに、わななく巨体が見えた。さすがに戦意は消え失せたようだが、まだ生きている。

「はるばる日本からやってきたあなたたちの実力って、その程度なの?」

突然すぐ近くでコカクチョウの声がした。しまった、こいつの存在を忘れていた!

「く…」

何とか銃を握り直そうとするが、手に力が入らない。敵は墜落のダメージから回復したのか、動きのぎこちなさは感じられない。そのときだ。

「うう…」

女の子のうめき声がした。アイリスの人質だ。まだ息があるが、確実に命の灯火は消えかかっている。それを聞きつけたコカクチョウは、モー・ショボーを開放しようと近づいた。

「しっかりして、こんな傷はミカドがすぐに治してく…」

ビシッ!

後ろからの電撃に気が付くのが遅れたのか、コカクチョウは背後からの苦痛にのけぞった。仕掛けたのはもちろんアイリスだ。

「人質に触らないで」

「うくっ…後ろから攻撃するのがあなたたちのやり方なの!?」

「さっきあんただって御手洗さんにやったじゃないの」

「攻撃の前にちゃんと声をかけたわ!!」

「あんた…そういうのを詭弁っていうのよ」

「な…なんですって?」

コカクチョウが、ぐっと言葉に詰まった。

「あんたたちに…日本人なんかにわたしたちの気持ちがわかるはずないわよ!」

「そうね、知ったことじゃないもの」

アイリスは相手にしない。あくまで冷静に切り返す。

しかし、もう敵も味方も消耗し切っている。

ヒヒ悪魔は逃げ出し、ミユキは重傷。東鳳風破も彼女の介抱で戦線離脱している。俺もさっきの超能力の後遺症で、気が遠くなってきた。

と、前のめりに倒れかけた俺の体を、突然大きな手が抱えた。

反対側の手で、口元に何かの丸薬を含ませてくる。

…すごい効き目だ。

頭にかかっていたもやが急速に消えていく。視界もみるみるクリアになり、意識が鮮明になった。
俺を助けてくれた人の方を振り返ると、50代半ばの紳士がこちらを見ている。

「顔色が戻ったか、もう大丈夫ですね」

「ありがとうございます」

「お礼は後で結構、まずはあの男を何とかしなければなりません」

そういって彼は、戦闘中ずっと様子を見ていたゴージャス男を指差した。と、彼は意外なことに面白くもなさそうに鼻を鳴らしている。

『主役がこんなに遅れて登場するとは…王、お前の歓迎の準備はそこな輩にほとんどつぶされてしもうたぞ』

「この拠点を彼らが守ってくれたからには、私は彼らを守る。…さあこい、私自らが相手をしてやろう」

『残念だな、お前の相手はいつもどおりカクエンよ。あやつが追い返された以上、ここにいるつもりもない。…コカクチョウ、いつまで罵り合っている、引くぞよ』

そういってゴージャス男はふっと姿を消した。

「くぅっ…」

コカクチョウは最後に、アイリスの傍らで横たわっているモー・ショボーを気の毒そうに見やって飛び立った。
…彼女、よほどこの人質のことが気になるようだ。どういうことだ?

まあ、いい。それほど気にすることではない。

何より、損害もバカにはならないが、何はともあれ敵は撃退したのだ。一息つきたいところだが、その前に火急の仕事だけは済ませておかなくては。

俺は人質の側に走り寄ると、アイリスを呼んだ。

「アイリス、こいつを回復してやれ」

「え!?」

敵が立ち去った余韻に浸っていたところに、仕事の続きをやれと言われたら誰だって嫌だろう。増してや、敵の傷の手当てなんて…。

「こいつは貴重な情報源だ、このままでは死んでしまう。急ぐんだ」

「え〜、次やってきたときに別のヤツを捕まえたらいいじゃんか〜。うざいし」

「アイリス!」

叫んで、俺は彼女の眼をぐっと覗き込んだ。リーダーが誰かを実感させるためだ。

「急いで傷の手当てをしてやるんだ」

「…はぁい」

アイリスはどうにか納得した。モー・ショボーの側に屈みこんで精神を集中する。

「…ディア!」

結句を告げるや、彼女の右手がぼうっとやさしく光った。光はモー・ショボーのぐったりした体に浸透し、傷口が開いていた部分を覆う。

ややあって、光が消え失せたときには、傷口は全てふさがっていた。虫の息だった呼吸が、明らかに安らいだものになっている。

「こいつの体力が回復するまではやってないよ、元気になった途端暴れられるのはイヤだし」

「…まあいいさ」

どの道俺たちも休まないことには、こいつを尋問するわけにもいかないだろう。時間をかけて体力を回復させてから取り掛かるのも悪くない。

「さて、一息入れようか」

「ん」

「そうじゃの。…おお、ミユキもたいしたことはなかったぞい。両肩を脱臼しておったが、ワシがはめてやった。1日安静にしておれば、あのタフさならば元に戻るじゃろう」

「感謝します」

俺は東鳳風破にも頭を下げた。彼はミユキを治療してくれた上、彼女を肩に担いで運んでくれたのだ。

「あ…おじさん、もう一人で歩けます」

早くも気がついたらしい。本当にタフな女だ。

「それにしても、着いたそうそう襲われるとは…みんなよそいきの服だったのに災難だったな」

俺は冗談も交えてそう言った。

言った後で気がついた。

俺と東鳳風破は確かにいつもの格好だったし、そのまま戦っていた。
だが、ミユキとアイリスも日本の本部で説明を受けたときに着ていた戦闘服で戦ってなかったか?

まさかと思いつつ彼女たちを見る。

思った通りだ、ミユキはリングに上がるときのプロテクター付きレオタードにリングシューズ、頭部防御用のヘアバンド。
アイリスはローブの下に防弾チョッキとレッグガーダー、リストバンドを着込んでいる。

「お前ら、こっちに来たときに着ていた服は…?」

その質問には思わぬところから答えが返ってきた。

「ミユキさん、アイリスさん、脱ぎ捨てた服、やっと全部拾い終わりました〜」

声の主は、なんとリーだ。見れば、彼は2人分の服を両手いっぱいに抱えてこちらに走ってきているではないか。と、いうことは…

「…もしかして戦闘服の上からあの服をごてごてと着込んでいたのか?んで、いざ戦うとなったら脱ぎ捨てていたとか…」

「そりゃそうでしょ、汚れたり破れたりしたら何のために中国まで来たのかわからないでしょ」

おい、その発言はやばいって、アイリス!

「…」

恐る恐るリーたちの方を見ると、やはり頬が引きつって見える。

もう日が暮れていて薄暗く、額の青筋までは見えなかったのがせめてもの慰めだ。

「さ、もう中で休みましょ、わたしも、もうくたくたよ」

ミユキに促され、俺も王大人飯店に入った。もちろん、さっき助けたモー・ショボーも忘れてはいない。

 

6章 交流

 

結局、俺が王大人飯店に足を踏み入れたときには、皆思い思いのことをしていた。
内装が広くてこざっぱりしているので、くつろぎ易い雰囲気だ。
奥の厨房から料理人が2人、仲間をにこにこと出迎えてくれたし、飲み物も振舞ってくれている。
その中央で東鳳風破と話し込んでいた男が、こっちを見て立ち上がる。
さっき俺が気絶しそうになったとき、丸薬を飲ませてくれた人だ。

中国人によくある細くて吊り上がった目以外は、至ってごく普通の人だ。恰幅のいい中年紳士で、
着ているものも仕立てのいいスーツだ。どこかに出かけていた帰りだったのだろうか。

それでもここにこうしている以上、また俺の疲労感をあっという間に回復してくれたあの丸薬を取っても、かなりの実力者であることは間違いない。

「改めて自己紹介を。私は王 飛雲といいます。この王飯店の料理長であり、この退魔組織、王華団の最高責任者でもあります」

「は、はあ…私は御手洗 左京です。よろしく。マダムから話は聞いています」

自分も礼にならって自己紹介はしたものの、彼の肩書きに内心唖然としていた。

料理長にして最高責任者って、言ったよな?…ってことはこの人、悪魔退治の仕事をやりながらこのレストランで料理の腕を振るってるのか?

と、東鳳風破が横から首を突っ込んできた。

「久しいのう、今晩はお主の料理、たっぷりと堪能させてもらおうぞ。御手洗、こやつは医食同源という言葉を地で行くことで退魔稼業を営んでおるのじゃ。
その腕を見せてもらうのも良い修行になるというものぞ」

「しゅ、修行って…俺は任務で来たんですよ」

思わぬ剣幕にたじろぎつつ反論した瞬間、彼の眼がくわっと見開かれた。

「喝!!」

びくっ!

「師匠に口答えするとは何事じゃあ!なにごとも経験、お主の見解を深め、さらなる高みに到達するためには余計なものなど何一つとしてありはせん!!
もう一発…かぁーつ!!」

なんか今までのおっさんと違う。この饒舌ぶりといい、妙な絡み癖といい、人を勝手に弟子扱いしている勘違いぶりといい…。

何より言っていることの支離滅裂ぶりが気になった。彼の背後を覗き見ると、テーブルの上にはトックリと杯が1組。

この中年、酔っ払ってやがるな。

「あのう、王大人。彼って、酔っ払うといつもこんな感じに…?」

「はい、長い付き合いですが、これには毎度悩まされてきたものです」

そう言いつつ王大人は苦笑いしている。

すると、端のほうのテーブルから、ミユキが呼んできた。

「オテさ〜ん、このお酒おいしいよ〜。一緒に飲もうよ〜」

一応舌はまわっているようだが、杯片手にトックリを揺すって弄んでいるし、顔がほんのり赤い。こっちもできあがっているようだ。

「あのなあ、未成年もいるんだからほどほどにしておけよ」

「だ〜いじょうぶだってぇ。アイリスちゃんなんか、喜んで飲んでたよ。見て見て、ほ〜ら、もう寝ちゃってるから飲んだって欲しがらないって」

とんでもないこと言ってくすくす笑っているぞ、この女子レスラー!アイリスが未成年だってこと、お前だって知ってるだろうが!なのに酒なんか飲ませたのか!?

と、突如がばっと跳ね起きるアイリス。

「えっ?」

隣のミユキがぎょっとしたほどの勢いだ。

「くらえ〜三下ども、天罰の電撃じゃあ〜!」

「…」

ばたん。

絶叫した後、再びテーブルに突っ伏したと思ったら、くーくーと寝息をたて始めた。

そしてトドメの、東鳳じじいの怒声。

「こらあ、王よ!早く着替えて料理の準備をせんかあ!客人を待たせるとはぁ、料理人の風上にも置けんぞぉ!」

こいつら…俺のリーダーとしての面目が丸つぶれじゃないか!

こんなに醜態をさらしやがって…俺だけならまだいい、これじゃマダムの立場まで悪くなってしまうじゃないかよ!

「何もあなたが気にすることはありません。激戦の後ですから開放感もひとしおでしょうし。
 それに、あなたがたはこの拠点を守ってくれた恩人ですから、今度は私たちがもてなす番です」

ここの責任者は、マダムに劣らぬほどできた人だ。それに彼女と違い、人を包み込む暖かさを持っている。
…部下の俺が言うのは問題があるのだが、マダムは確かに人格者だが、一方で常に危険な雰囲気も持ち合わせている。
いわゆるミステリアスな女性ということになる。

「…お気遣い、申し訳ない」

俺は万感の思いで王大人に頭を下げた。

「さて、では席でお待ちを。食事の準備に取り掛かります」

王大人はそう言って厨房の奥に消えていった。

「…ならお言葉に甘えて、俺も待たせてもらうか」

手近なテーブルについて、用意してくれた酒を一口含んだ。

…なかなかうまい。仲間たちが酔っ払うほど杯を重ねたのも頷ける。この分なら、料理も期待できそうだ。

と。

「ううう…こ、ここは?」

アイリスの足元で舌足らずなうめき声がした。

あ…そういえば捕虜にしたモー・ショボーのことを考えてなかったな。

こういう捕虜の取り扱いに関しては、後で一般人に被害を及ぼさないよう処置しておけば、基本的に何をしようがお咎めなしだ。
俺の目的は情報収集だから、むろんこいつにも尋問してやるつもりでいた。
…こんなに早くとは予想外だったが、ま、いいっか。

俺は彼女の近くまで、敢えて靴音を高らかに響かせて歩み寄った。
最初は気がつかなかった様子の彼女も、ややあってこっちを向いた途端、その顔が恐怖にこわばる。

「あ、ああ…あたしを…どうするの?」

「どうするかはお前次第だ」

相手が怯えるのを充分計算に入れて、機械的な口調で告げる。
…俺としては、こいつが何か知っていれば、それを聞きだせるだけで充分なんだが、相手によって方法を変えなければ、いたずらに時間を食うだけだ。

そして、捕虜という境遇の子供を相手にするときは、最初に脅しておいて徐々に態度を軟化させれば比較的早く馴染んでくる。
…つまり、ここまでの第1段階は成功というわけだ。

見れば、彼女は既に涙眼になっている。

「い、いや、いやいや、もういたい目にあうのはいや!」

「…」

無言で近づく。とうとう泣き出した。

「うわああぁん!あたし、カクエンにめいれいされてやっただけなのに〜!」

にやり。ここから徐々に優しくしていけば、心を開くだろう。

「ちょっと御手洗さん、やりすぎよ。相手はまだ子供じゃない、もっと優しくしてやってよ」

ミユキが口を出してきた。多少酔いが醒めてきたのか。

今の加勢で、追い詰められていたモー・ショボーの涙顔にやや落ち着きが見えた。タイミングとしては悪くない。

「…そうか、悪いのはそのカクエンというやつだったのか。それはすまなかったな」

ここでわざとネコなで声を出してみる。モー・ショボーはとりあえず泣き止んだ。

本来ならここで、尋問相手が逆に精神攻撃をかけてこないよう、注意する必要がある。
相手は悪魔なだけに、人間よりも精神面に付け入ることに長けているからだ。
尋問中に相手に魅了されて暴れだしたり、催眠術をかけられて逃がしてしまったりという失敗談も結構ある。

あらかじめ、こいつが魔法をかけようとしてもCOMPの中のジャックランタンが魔力を感知して知らせてくれる手はずを整えてるし、
銃はリーに返しておいたから、暴れだしても仲間に押さえつけてもらうことは可能だろう。

「…それに、やたらと痛い思いをさせるつもりもないよ。そうでなければ怪我の治療なんかしないだろう?」

「…ん〜」

少女悪魔は首を傾げている。

「第一、そのカクエンというやつは君に悪いことをさせていたんだろう。俺たちはそいつを倒すためにがんばっているんだから、知ってることがあれば教えてくれ」

「でもでも〜、そいつもミカドに呼び出されたってことしか知らないよ」

「え…?あ、じゃあ、カクエンもそのミカドってやつに呼び出されただけなんだな」

俺はどうにかその場を取り繕ったが、周りの者が皆同様したのを感じ取った。

全員揃って、カクエンというのがあのゴージャス男の本名だと思っていたのだ。しかし、それはどうやら思い違いだったらしい。
今のモー・ショボーの話からすれば、ミカドというのがゴージャス男の名前…というか自称なんだろう。
自分の召喚した悪魔にそう呼ばせて悦に浸っているのか。

ミカドとは漢字で書けば帝、つまり皇帝という意味だからな。

「だからそう言ったでしょぉ!?」

少女悪魔は意味をなさない俺の返答にぷりぷり怒っている。
悪魔に限らず、この年頃の女の子というのは自分では他愛のない話を好むが、相手が話を聞いてないと感じるとやたらと怒る。

「悪かった、悪かった。それじゃそのミカドというやつについて教えてくれ」

だが相手は予想に反して嫌がった。

「や〜よ、はじめにカクエンのことをおしえてほしいっていったじゃない、それ以外はいいたくないもん」

…尋問の流れを詰まらせたのがまずかったか。これは方針を変えて脅さないとだめだな。

そう思った時だった。

「お願い、教えてちょうだい」

そう言って身を乗り出してきたのはミユキだ。

と、少女悪魔の顔がぱっと明るくなった。さっきの口添えがよほどうれしかったのか。

「カクエンもそのミカドに呼び出されただけなんでしょ。
 だったら、あなたたちをみ〜んな呼び出した張本人をやっつけないと、結局同じ事を繰り返すだけよ?
 ね、話してちょうだい」

「ん〜…」

考え込んだフリをしているが、その顔はいたずらっ子そのものだ。
こちらをじらしているだけなのだ。
…こっちのは本職の尋問官に直接叩き込まれた尋問ノウハウだぞ、んな駆け引きが通用するか!

「いいわ、じゃあ、いっちゃおっと」

モー・ショボーは明るくそう言った。ただ、俺の方ではなくミユキの方を向いて言ったから、ちょっと尋問がやりにくくなってしまったのは否めない。

ミユキになついたことになるから、俺は彼女のペースでしか尋問できなくなるからだ。

「でも、あたしたちがさからおうとしたら、いつももってるへんなまきものがぼうっと光って、体の力がぬけちゃうことくらいしかわかんないよぉ」

「うん」

「あとミカドはカクエンにいばりちらしていて、カクエンはあたしたちにいばりちらしてる。ミカドにさいしょによばれたのはおれだから、したがってとうぜんだって」

「…」

どうやら、この少女悪魔はミユキを遊び相手と認識したようだ。俺たちの情報になりそうなことを知らないのも事実のようだが、
さりとて大人の悪魔のように、用事は済んだんだろう、早く離せと騒ぎ立てるわけでもない。

とりとめのないやりとりが延々と続きそうになったときだった。

「う、うぐぐ…」

アイリスが片手で頭を押さえつつ起き上がってきた。ようやく酔いが醒めたかな。未成年だから無理もないが。

だが、突如パニックを起こし始めたのが1名いた。

モー・ショボーだ。

「た、たったった、たすけて〜!!」

いきなり度を失って、暴れだしたのだ。手足は縛ったままだが、耳に当たる羽根は自由になるから羽ばたくことはできる。
その自由になる耳をめちゃくちゃに振り回し始めたのだ。
本人は逃げようとしているつもりかもしれないが、手足の自由がきかないので思うように羽ばたく方向が調整できず、結果としてむやみに風を起こすことになった。

「うわ、わわわ」

レストラン内にでたらめな風が荒れ狂う。

「な、なんじゃと!?」

それまで我関せずとばかりに、ひたすら杯を重ねていた東鳳風破も、慌ててテーブルにしがみつく。…地震じゃないから、あまり意味があるとも思えないが。

「ちょっと、ちょっと、落ち着いて!」

ミユキがなんとかなだめようとするがまるで効果がない。

「おにばばが、おにばばが目をさました〜!!ころされる、あたしころされる!」

…そういうことか。

アイリスに縛り上げられ、彼女に盾にされたことで重傷を負ったのが、この少女悪魔にとってはかなりのショックだったのだ。

だったら落ち着かせる方法がないこともない。

「アイリス、店の奥に引っ込め!急げっ!!」

有無を言わせぬ強い口調で命令する。

「は、はひっ!?」

寝起きざまで目がまだ開ききってなかったが、とにかく彼女は俺の剣幕に押されるように飛び出していった。それを確認して、モー・ショボーに向き直る。

「おい、もう出て行ったぞ」

「おにばばが〜!!おに…へ?」

ぜーぜー言いながら、モー・ショボーは部屋の中をきょときょと見回した。

こいつにとってアイリスがそこまで恐ろしい存在ならば、目の前から消してやれば済む、単純なことだ。

「…よかったぁぁ〜」

心底安堵した声を出し、彼女は床の上にごろりと横になった。脚を縛られていてはうまく座れないからだろうな。

「さてと、落ち着いたか?」

「ん〜、つかれた〜」

横になったまま、少女悪魔は目を閉じる。こやつ、寝てしまう気か?

いい気なものだ。捕虜だという立場を思い出させてやるか。

「…おい。寝てしまうのもいいが、俺としては、さっきのやつが戻ってくる前に話を全部聞いてしまって、お前を解放してやりたいんだけどな」

さっきのやつ、と聞いた瞬間、閉じたばかりの目をギンっ!と見開く現金な悪魔。

「あ、もう、知ってることはなにもないよ、ほんとほんと」

もうあんな思いはたくさんだといわんばかりに、勢いよく首を振る。

「わかった。なら開放する前に1つだけ約束しろ」

「え〜、まだ何かあるの〜!?」

早く立ち去りたいのだろう。モー・ショボーはいやいやをした。

「今後は、むやみに人を襲うんじゃない。それが約束できるなら、開放しよう」

もっと難しいことでも要求されるとでも思っていたのか、モー・ショボーの顔がぱっと明るくなった。

「するする〜!人でなきゃいいんでしょ、いたちやねずみとかだったら!」

きゃいきゃいはしゃいでいるが、これはこれで重要な意味がある約束…というか誓約をさせているのだ。
俺たちは、この誓約をさせておくことで、1度捕虜にした悪魔が再度悪事を働くことを防いでいるのだ。

悪魔というものは、誓約を立てると破ることはできない存在なのだ。
自らの存在が生体マグネタイトの配列という、一種の規則で成り立っている彼らは、
約束を破ると自分の存在を否定することになり、存在していられなくなってしまうのだ。
…もっとも、始めから悪いことをするつもりでいる悪魔は、論理の隙間をぬうような理屈をこねてくるから油断はできないが、
こいつのような無邪気な存在ならば、そういう真似はしない。

「よし、じゃもう行け」

俺は大きく頷いて、彼女の手足の拘束を解いてやる。

「また会おうね〜」

ミユキが無責任に手を振る。仲魔にしてない悪魔に無意味なことをするなよな。

が、このモー・ショボーはミユキのことが思いのほか気に入ったようだ。

「ばいば〜い」

こっちに向かって手を振り返すとは。普通なら、捨てゼリフの1つでも吐いて逃げかえるのに。

挨拶が終わると、モー・ショボーはすっかり暗くなった夜空を、危なっかしそうに飛んでいった。

「そうか、もともとが鳥だから、鳥目だよな。暗いところはよく見えないはずだ」

「まあ…知ってて放したの!?」

ミユキが柳眉を吊り上げて詰め寄ってくる。と、そこへタイミングのいいことに。

「オテさん、そろそろいい?」

「皆さん、料理ができましたよ」

アイリスが王大人と共に戻ってきた。彼は両手にお皿を抱えていて、その上には豪勢な料理が山のようになっている。
が、フロアに踏み込むなり、眉をひそめた。

「と…どうやら取りこみ中でしたか」

「取りこみ中も何も…お主、アイリスから何も聞いとらんのか?それに、あれだけ騒いでおったというのに気づかんとは」

「皆さん、先の戦闘でお疲れのようでしたから、スペシャルメニューを用意しようと弟子と懸命に作っておりましたので…申し訳ない」

王大人がぺこりと頭を下げるのを、アイリスがフォローする。

「いいから、早く料理を並べてよ〜。みんなもこれ見てよ!」

「わああ…」

前菜のスープからしてフカヒレとは。
それに俺たちに馴染みの深い八宝菜や酢豚といった料理でも、俺たちの知らない野菜や調味料を使用しているのか、知らないながらも芳しい香りだ。
おまけにメインディッシュのペキンダックが1人当たり1羽ずつ!

「いただきま〜す!!」

ミユキとアイリスは席に付くが早いか、われさきにと料理をつつき始めた。そして当然、

「お〜いし〜い!」

「中国まで来てよかったー!」

絶賛の嵐だ。

「うむ、あいかわらずの腕前よの。…いや、多少上達したか!」

東鳳風破も右手に箸、左手に杯を抱えて交互に口に運んでは、舌鼓を打っている。俺も目の前の料理に手をつけた。

酒によく合う、絶妙の味付けだ。

「いいなこれ、本当に箸が進み…うぐっ!?」

いきなり胃に鈍い痛みが走った。今食べたばかりのものがこみ上げてきて、思わず口を手で押さえてしまった。

「御手洗さん!?」

リーが異変を察したのか、俺の右側にすっ飛んできた。
アイリスも血相を変えて俺の左側に駆け寄ってきて、魔力を帯びた両手で俺の腹を慎重に走査していく。
眼には、いつものおちゃらけた雰囲気は微塵もない。

「…不覚だったわ、そういえば彼、一発だけ敵の攻撃をまともに受けてたのよね。今からでも治療しておかなきゃ」

「ぐぐ…ずまんな…」

咽喉からうまく空気が吐き出せない。声がくぐもってしまう。

「怪我人は治ってから礼なり詫びなり入れればいいのよ」

そういってアイリスは瞳を閉じて、魔法を発動させようと精神集中を始めたが。

「…ディ…うっ」

彼女までがくんとヒザをついてしまった。いかん、彼女も魔力の消耗が限界になってしまったのだ。
彼女は休めば回復するが、俺はどうやらそうはいかないようだ。
しかも今は彼女以外、傷を治せる人はいるまい。

「アイリ…!うごぉっ!」

焦って大声を出した瞬間、ついに吐いてしまった。と、リーがすっとかがみこんで俺の口に何か含ませた。

「止むを得ません、御手洗さん、苦いのちょっと我慢してください」

言うが早いか、彼は俺の口を強引に閉じた。今口の中に入れたものを吐き出させないためだ。そしてなぜ彼がそこまでしたか、理由がわかった。

とにかく猛烈に苦いのだ。

「…!?ふぐぐぐ!!」

生姜とわさびを口一杯にほおばって、そのままばりばり噛み砕いたらこんな味になるのだろうか。
こんなこと初めての経験だが、苦味のあまり手足をばたつかせた上に眼が回り出した。

それでもリーは俺の口から手を放さない。

「御手洗さん、我慢して、我慢して!よく効く薬草ですから」

「うごごごぉぉ…!」

もうたまらん、失神する…!

そう感じた瞬間、幾分ではあるが気分が楽になった。さっきの薬草による違和感は相変わらずだが、内蔵の激痛は収まりつつある。

すると、リーのほっとした声が遠くから聞こえた。

「もう大丈夫、このまま寝ていれば明日には普通になってますよ」

…む?遠くから?

そういえば猛烈に眠い。

景色がどんどん暗くなっていく。

…そうか、あの薬草には麻酔の成分も含まれているに違いない。
リーも、寝ていれば治ると言ったから、ひょっとしたら薬草にあらかじめ混ぜてあったんだろうか…

そこまでが限界だった。

俺の意識は、深い眠りの闇へと沈んでいった。

 

 

7章 推察

「うう…」

いつもよりベッドの感触が柔らかい。

それに随分と静かな朝だ。いつも俺が目を覚ます時間帯になれば、近所のガキどもがアパートの周りで走り回るから、はしゃぎ声が途切れることはないのに。

まるで、自分の部屋ではないかのような…

「…部屋じゃなくて!!」

がばっと跳ね起きた。寝ぼけていた頭を押さえて、ここは王大人飯店なんだ、と思い出させる。

そうだった、夕べはせっかくの王大人の料理を食べ損ねて1人だけダウンしてしまったんだった。
 リーが、自分に割り当てられた部屋まで運んでくれてベッドに倒れこんだはず、だが…。

「なんで裸なんだ?」

シーツをめくると、パンツだけしかはいてない。おまけに、枕元には薬ビンと水差しが置いてある。

「…」

ひょっとして、リーが俺の看護をしてくれてたのだろうか。だとしたら、余計な心配をかけたことになるな。

昨日の戦闘で、結局のところは俺が一番重傷だったのは容易に想像がつく。

アイリスは魔力の消耗のみ、東鳳風破は引っかき傷が78ヶ所。両肩を脱臼したミユキですら、東鳳風破の応急処置と持ち前のタフさで回復していた。

とはいえ、俺も全身打撲以上のものではないはず。

負傷者が出た場合、チームメイトの義務として回復魔法が使える者は1日の最後に仲間のコンディションをチェックするのだ。
俺の場合も、夕べアイリスが治療してくれようとしたやつがそうだ。

今回は、アイリスが疲れてダウンしたためリーが代わりを務めてくれたが、夕べの薬草だけでは心配なのか、応急用の薬まで用意してくれている。
顔を合わせたら、お礼くらいは言わないと。

とそのとき。

バッタ〜ン!!

勢い良くドアが蹴破られた。

…もとい、押し開けられた。間髪入れずにアイリスが飛びこんでくる。

「オテさ〜ん、起きてる〜!?王大人が、目が覚めたらこっちに来て欲し…」

アイリスはそこまで言って、俺の股間に目をやった。

寝起きの生理現象で、パンツをはいてはいるものの、俺の股は、外からでもはっきりとわかるほど中央部が変形している。

「…」

「…」

お互いに凍りついたかのように見詰め合うこと5秒。

「うっきゃあああ〜!」

悲鳴とも歓声とも取れる叫び声をあげてアイリスは廊下に飛び出した。そのままドタドタドターっと足音が遠のいていく。

「やれやれ…」

俺は苦笑いをこらえながら、ハンガーにかけてあった自分の服を身につけ始めた。

アイリスはもともと、異性という存在をほとんど意識しない。
かわいい顔してあのこまっしゃくれた性格には付き合い切れんと、仲間たちのそんなウワサを聞くこともあったから、
今のハプニングは、考えようによってはいい機会かもしれない。
これで女性らしい慎みでも見せるようになれば、めっけものだろう。

服を着てしまって、COMPの動作確認を済ませているところに、今度はリーがやってきた。

「御手洗さん、王大人が来てくださいと言いました」

「わかってる。…あ、それと夕べはありがとう」

ちょうどいいタイミングだ、リーに夕べの看護の礼を言った。

「はい、具合が良くなってよかった。用意ができたらこちらへどうぞ」

リーは俺の身支度が終わったのを確認すると、部屋の外に出た。彼について行く。そこで改めて退魔組織としての王大人飯店を見ることになった。

窓がなく、空調をきかせているところを見ると、俺たちの組織と同じように地下に拠点を据えているようだ。

違うのは、壁やドアに装飾として道教のマークや風水で使う文字盤などが飾られていることだ。

俺たちの組織はマダムの性格を反映して比較的機能性を重視しているから、外部の人間を入れる部屋以外は廊下も含めて無地である。

してみると、この装飾は王大人の方針と言えるだろう。いやむしろ、性格を反映したものかもしれない。あまり無機質な雰囲気が感じられないからだ。

いかにも王大人らしいとはいえ、その気使いの細かさには驚きすら感じる。

ややあって、それらしい両開きの扉が見えてきた。

ここだけは…というべきかな。
作戦会議を開く場所は、職種を問わずいかめしいイメージをかもし出すようにしてあるものだ。…これもヒトの性かな?

だが、真の驚愕は、リーが扉のブザーを押した直後に訪れた。

ビーッ。

「リーです。御手洗さんを持ってきました」

おい!

その日本語は絶対におかしいぞ!!誰に日本語を教わったんだ!

開きかけた扉からは、案の定というか、女どもと東鳳じじいの爆笑が聞こえてくる。

「…入ります!」

顔が赤くなるのが自分でもわかるが、とにかく入室。

と、あいかわらず笑い転げるミユキの横、アイリスはピタリと笑うのを止め、あわてて向こうをむいた。
こちらから見える耳たぶが真っ赤ということは、さっきの1件、まだ根に持ってるか。

「おや、もう動いても大丈夫ですか」

王大人は俺を上から下までじっくり見て、破願した。

「顔色もいいし、動きにぎごちないところもありませんから、後遺症もないようですね。ほっとしました」

どうやら、俺の動きや顔色からコンディションを診ていたらしい。本当に、医食同源を実践している人なんだな。

俺が空いた席に着くと、王大人がおもむろに話し出した。

「みなさん、一昨日は本当にありがとうございました。あの場を凌ぎきれたのは、実は非常に大きな意味があったのです。あのとき私は、実は…」

!!

「待って!」

つい、テーブルに両手をついて身を乗り出してしまった。

「失礼はお詫びしますが、今、きのうではなく、おとといって言いました?」

口を挟まずにはいられなかった。

俺の聞き間違いでなければ、王大人は確かに一昨日と言った。つまりあの戦いから2日が経っていることになる。
つまり、俺は丸一日行動不能だったことになるのだ。

ダメージからの回復に時間がかかったこと自体は確かにショックだが、実はあまり重要ではない。
超能力を使うほど追い詰められたのだ、ダメージが大きくて当然だ。

サイコ・ブリザードを使った時点で、俺は24時間以上寝ないのと同等の精神力を消耗するらしい。

加えてコカクチョウの衝撃波をもろに食らったのだ。自覚こそなかったものの、心身ともにかなりの負担がかかっていたはずなのだ。

問題は、その丸一日の間に敵の追撃があった可能性が非常に高かったことなのだ。

司令塔を欠いた状態での戦闘というのは、ひどく不利なものとなる。
個々の戦力がいかに高くても、それがバラバラに行動していたのでは、自分の身を守るのが関の山だ。
敵を倒すところまで手が廻らない。

…今、全員が無事な姿でここにいるということは、幸いにも襲撃はなかったようだが、それは敵が戦力の増強を謀っているという事態も考えられる。

それに備えるためにも、悠長に寝てはいられなかったはず。そんな意味でも、ここは時間的な状況を正確に把握しておくべきなのだ。

俺の突拍子な口出しに、皆完全に虚を突かれていた。

ややあって、我に返った王大人が答えようとした。

「?…はい、おとといって言いましたよ。それが何か…」

「御手洗さん」

アイリスが遮った。それも、オテさん呼ばわりなしで。

なんか異様な雰囲気を漂わせるアイリスを盗み見ると、仏頂面であさっての方向を睨んでいる。
さっきの生理現象の件を根に持ってはいるが、助け舟は出そうというのだろう。

…生理現象は抑えて抑えられるもんじゃねえってのに。

「自分の知らない間に何があったのか気になるんでしょ?」

「そ、そうだが」

「…ということらしいわよ。王大人、詳しく説明してあげた方がいいと思います」

「…ふむ、その方がいいかもしれません」

相次ぐ横槍で、王大人はやや気分を害したようだが、それもすぐに影をひそめた。
いきなり1日のブランクがあると告げられたら、混乱して当然だろうと察してくれたようだ。

「まず、あなたが倒れた後ですが、みなさん疲れきっていたものですから夕食も早めに切り上げてました。…ちょっと残念でしたが」

はっはっは、自ら料理の腕を振るった王大人には気の毒なことをしたな〜。

「そして翌日は、早朝から彼の襲撃に備えて…といっても防備も何もあったものではないですが、ミユキさんと東鳳殿が交代で見張りを務めてくれました」

「…」

「一方アイリスさんは、今治療中の構成員の手当てを全面的にやってくれました。
 おかげで、リーと私は外部のスポンサーとの交渉に専念できたので、非常に感謝しております」

そうか。みんな、俺がいないなりに、自分の仕事をこなしていたんだな。

「わかりました。…みんな、俺がいない間にがんばっていたんだな。ありがとう」

こっちを見ている東鳳風破、アイリス、ミユキに感謝をこめて礼を言った。

「礼には及ばん」

東鳳風破が短く返す。

「おぬしは戦闘員ではあるまい。どちらかといえば諜報などに長けておるのじゃろう。それにも関わらず立派に戦ったのだ、負傷は恥じることではない」

さらに個別活動の報告とばかりに、ミユキとアイリスが続いた。

「後ね、見張りのついでに何か手がかりはないかな〜って思って辺りを調べてみたんだけど、なんにもわからなかったの」

「こっちも大変だったわ。重症患者が6人よ、傷をふさぐだけでも大仕事だったわよ。
 …疲れて眠って、せっかく気持ちのいい朝を迎えたのに、何時間もしないうちにあんなものを見せられて…!」

言っている間に思い出したのか、普通の表情に戻りつつあった彼女の顔が、再び真っ赤になった。

「あんなものって…何なの?」

「なんでもないっ!ミユキ姉は口出しなし!!」

アイリスの剣幕に押されて、ミユキは目をぱちくりさせるばかり。

頃合いだと思ったのか、王大人がうるさくなりだした仲間たちを制して口を開いた。

「御手洗さん、昨日の皆さんの活動はだいたいそんなところです。本題に戻ってもよろしいかな?」

「はい」

「では。…一昨日、私はここを留守にしていましたが、実は、長年私たちを応援してくれているスポンサーと会ってきたのです。
 政府の干渉を恐れずに、手を貸して欲しいと」

ここまで温厚な笑みを絶やしたことのない王大人が、苦虫を噛み潰したような表情を垣間見せたような気がしたのは俺だけだろうか。

「な、どういうことだ?王よ、おぬしの所のような特殊な組織は、政府からの圧力などまずありえないと言っておったではないか!?」

東鳳風破が度を失っているところを見ると、彼も初耳だったのだろう。王大人は、古くからの友人にも明かせない悩みに捕らわれていたのだ。

「あのときは確かに言ったとおりだったのです。…いいでしょう、全て話しましょう。
 そもそもは、外国人のあなたたちが知らないのはむしろ当然なのですが、
 半年ほど前、日本の内務省にあたる部署に、退魔組織に興味を持つ者が出てきたのです」

「…危険だな…」

我知らず、感想が口を突いた。

政治家や官僚がこういうことに首を突っ込むと、絶対にろくなことがない。
こんな組織があっては治安が保てないと圧力をかけてくるのはかなりましな方で、ひどい場合は対外政策に利用しようとするのだ。

そういうとき、たいていが悪魔の力で戦争やクーデターを起こして利権を獲得しようとする。
むろん、関わった人間は皆殺しにして証拠隠滅を図るのがお決まりのパターンだ。

どこかになくてはならないが、一歩間違えれば国家すら傾けかねない。
そういう性格の組織だから、良識のある政治家ならば他の政治家からかくまってくれるし、公の目に触れない形で援助してくれる。

だが、今の王大人の言い方では、何も知らない熱血ヤロウが興味本位で首を突っ込んで、
好きなだけ引っ掻き回された挙句に責任を押し付けられたのではなかろうか。

さもなければ部外者、それも外国人にこんな話をするはずがない。
はっきり言って、自国の恥さらし以外の何者でもないのだから。

「その方は、我々を含めて国中の退魔組織を政府の管理下に置き、超常現象に対して国家レベルでの対策を取ろうと言ってきたのです」

そこまで聞いた途端、アイリスが皮肉っぽく罵った。

「わ〜。それ、めーあん」

「アイリス、茶化さないの」

「よね。名案じゃなくて、迷案って感じよね」

「そのとおりです。我々も反対でした。銃弾や特殊な薬、通常とは異なる構造の防具、何より高価な宝石を魔法の消耗品として使う我々を、
 用途を明確にしなければならない国家予算で管理できるとは思えませんでしたから」

「じゃが、政府は強引に管理下に置いてしまったというのか、王よ?」

「そうです。やり方はいかにもあの方らしいというか…。結論から言いますと、風水師や財団など、
 我々のスポンサーに圧力をかけて、資金援助を止められたのです。…ここの場合は、レストランも営業停止命令が出されました」

…やり手だな、そいつ。無分別にして命知らずだが。

「それまで援助してくれてた皆さんまで巻き込んでしまいましたから、
 やむなく政府の管理を受け入れましたが、支給された装備はコストを最重視した銃器ばかりでした」

「…そんな!」

ミユキが息を呑んだ。それがいかに恐ろしい結果を生むか、彼女も知っているからだ。

魔力の干渉に強い悪魔、銃撃に強い悪魔、破邪の力を嫌う悪魔。

そういう様々な相手と戦うため、俺たちの組織は採算を度外視して高価な魔法を入手したり、
COMPのような特殊な機材を開発したり、気功を取り入れたトレーニングプログラムを組んでいる。

そのアホな政治家も努力したつもりだろうが、銃器だけを揃えて、霊体のように物理的な攻撃が効かない悪魔に襲われたらどうするつもりだ?

「そこへ持ってきて、あの男の襲撃があったのです。
 …銃撃を受け付けないあのカクエンという悪魔が統率していたこともあって、非常に不利な戦いを強いられました」

「いちばん、あってはならない状況ね」

いつの間にか、アイリスも話に真剣に加わっている。

…不遜だが、これなら朝の1件は思い出さないだろう。あの仏頂面という精神攻撃も受けずに済む。

「私はあの方に事情を説明し、現状を打破するための装備と人員、資金を提供してくれないかとお願いしました。
しかし、自分の予想を大幅に越えてお金がかかることに気がついた彼は、我々を切り捨てにかかったのです」

…やれやれ、いわんこっちゃない。

「それで、おぬしもその政治家に見切りをつけ、元のスポンサーに援助を求めて留守にしておったわけじゃな」

「はい。いくらかでも資金の足しになればと、レストランも先日再開しました」

王大人はそこで一息ついた。後は俺たちが見てのとおりということなのだろう。

ミユキがぽつりと呟いた。

「そんな事情があったんですか。いよいよ反撃の準備にとりかかろうという段階だったのね。…でも」

「そう、資金や装備はともかく、人員の損失はあまりにも大きすぎました。それにあなたたちの言うゴージャス男も毎日のように襲ってきてます。
 …そういえば、昨日はやってきませんでしたね」

「あたしたちを警戒して様子を見てるのかな?それとも、人質を殺しかけたあのヒヒ悪魔が痛手を負ったのが計算外だったのかな?」

…アイリスよ、人質の大怪我は9割以上お前のせいじゃないのか?

「だが王よ、安心せい。ワシらがいるからには、どんな手段を取ろうが無駄なことじゃ」

「そうですね、ヤツの弱点…というか、攻略の糸口も見えましたから」

一瞬の沈黙の後。

「え!?」

「うそぉ!?」

「なんじゃと!!」

「本当ですか、御手洗さん?」

「あいやー…日本人、忍者とは本当ね」

さりげなくそう言ってやったが、さすがに皆の注目を集めた。ぬっふっふ、いい気持ち。

「ゴージャス男が悪魔を召喚するときに、両手に本を抱えてたのに気がついたか?
 ヤツが召喚を行なうのは、ひとえにあの本の力に拠るものだ。だから、あの本を奪うか無力化すればいい」

「おぬし…いつの間に見抜いたのだ!!」

東鳳風破も、ありえないものを見るような目でこっちを見ている。

ここは、もう少し説明口調を楽しませてもらうか。

「デビルサマナーをやっていれば、生体マグネタイトの流れというのが見えるようになってくる。あいつの場合は、その本から流出していた。
 戦闘に入る直前、それがトリックかどうか確認するためカマをかけたら、ものの見事に引っかかった、というわけだ」

全員からおお、という歓声があがった。

「は〜…さすがは自称頭脳派戦闘員」

人の演説にけちをつけないと思ったら、大ボケをかましにきたとは。

「ミユキ、それ何一つ事実じゃないぞ」

「そ〜だっけ?」

アイリスが首を突っ込んできた。

「ミユキ姉、これはとぼけ倒せないって。自称なんて言ったことないし、頭脳派というより情報重視だし、戦闘員でもないし」

「うう…アイリスちゃん、ちょっち突っ込み激しいよぉ」

泣きマネまでしてみせると、アイリスはよしよしと頭をなでている。
 あれなら放っておいても2人でじゃれあっているだろう。…ホントに5歳も年齢差があるんだろうか?

「では、その本のことを調べるとして、…どのように?」

一方、王大人はあくまで自分のスタンスを崩さず、まじめな問いを発してくる。
切羽詰った状況を打破したわけではないから、実は必死なのだろう。

「書籍を調べていてはどれだけ時間がかかるか…我々の構成員も、怪我を治していただいたといっても、
 まだリハビリをしなくては満足に体も動きませんし」

どうやら通信手段をやられていて、ネットによる検索を使うことができないのを心配しているに違いない。

俺は、おもむろにCOMPを取り出した。

「こいつを電話線につないでインターネットに入り込みます。
 一般のOSやブラウザでも受け付けるように改造してありますので、機材の心配はいりません」

と、王大人は突然目を輝かせた。

さらに驚いたのは、今まで話を聞いているだけだったリーまでもが駆け寄ってきて、
俺の手元を覗き込んでは「あいやぁっ!」を連呼していることだ。

「おお、それが悪魔も召喚できるというコンピュータなのですか!…それもこんなに小さいのなら、持ち運びも簡単だ…すばらしい」

なんだなんだ、このリアクションは!

「あの、王大人?知らないはずはないでしょう?デビルサマナーなら標準装備のはずですが」

と、やっと彼は我に返ったような顔をした。

「失礼しました、私どもは機械に疎いもので、他の組織がコンピュータでやっている召喚などは、風水や道術で補ってきましたから。
  …しかし、昨今の技術がこれだけのものを作れるとは…」

おいおい、本気で感心しながら感動しているではないか。

…何というのか、王大人の欠点、発見みたいな気分かな。

 

8章 調査

 

何はともあれ、後はインターネットで調べていけば、ヤツへの対策も見えてくるだろう。

「よしっと、じゃあ早速調べてみよう。王大人、生きている電話線は何回線ありますか?」

「はい、6回線あります。…うちは表向きレストランも経営してますので、そのうち2回線はお客さんの注文専用にしてありますから実際に使えるのは4回線までとなりますが」

結構な充実ぶりだ。が、あくまで電話回線での話だ。

「う〜ん、さすがに厳しいかな…」

予測したことではあったが、俺は唸ってしまった。

言っておくが、今、王大人の組織はゴージャス男のために、本来なら備えていたはずの電話回線以外の通信手段をすべて使えなくなっているのだ。

電波、光通信、有線ケーブル、それにこういう組織ならではの通信手段、念話や精神感応といったものまでやられている。通信機はすべて破壊され、ESP能力者はひどい事に皆殺しにされたというのだ。

残った電話回線だけで4回線もあるというのは、比較的多いのだが、それでも組織の運営をするには少なすぎるだろう。

目下、俺の目論見は、王大人に電話を1回線貸してもらって俺たちのサマナーズネット、つまりサマナーたちの情報交換ネットワークにアクセスして、その本のことを調べようと思っていたのだ。

しかし、今や貴重な通信手段となってしまった電話回線を、俺が1人で使ってしまっていいものだろうか?

日本から持ってきた無線通信キットを使うという手もあるんだが、これを使ってサマナーズネットへアクセスするには、非常に複雑な身分照明をしなければならない。

COMPから直接サマナーたちの情報の中心にアクセスするのだから、これが敵の手に渡ったときのことを考えると、そのくらいの用心は必要だと聞かされたことがある。

どちらにせよ、回線を借りないことには。

「王大人、ちょっと言いにくいんですが…」

「電話回線を貸して欲しいというのですか?」

「ど、どうしてわかった!?」

あまりにもタイミングが良すぎたんで、思わず敬語を忘れてしまったじゃないかよお!

「はっはっは、話の流れから、たぶんそんなことじゃないだろうかと思ったんですよ。別に他人の心が読めるとかそういうことじゃありません。…回線はどうぞ使ってください」

「すいませんね」

「正直、いざというときを考えると3回線しか使えなくなるのは大変ですが、もともとないものと思えばいいだけのことです。気にすることはありません」

「そうですか、では遠慮なく使わせていただきます」

俺は頭を下げて、リーに端末のコネクタを借りることにした。彼に、別室に案内される。

連れて行かれたのは、オペレータールームだ。今はゴージャス男の度重なる襲撃のため誰もいないが、かつてはここから外部からの依頼を受けたり、戦闘員や調査員たちに指示を出していたはずだ。

王大人も情報網の重要性は充分承知しているなあ。

まず、機材がびっしり詰め込まれているというのに狭さを感じない。ここだけで20畳はあるだろう。

各種の無線・有線通信用機材が整然と並べられていている。その隣には、ぽつんと椅子が置かれ、コードをたくさん繋いだヘルメットがある。これは、精神感応者に与えられたものだ。

痛々しいのが、どの機材も敵の攻撃で何らかの破壊の跡が生々しく残っているということだ。しかし、回線自体はダメージを受けていない。機材さえ揃えば、復旧はたやすいとのことだった。

俺がここの高速回線を敢えて使おうとしないのは、単に規格が合わないためだ。規格適応のためのプラグやコンセントは、さすがに持ち歩けない。

「さて、と」

手早くCOMPとコネクタを繋いで起動させる。通常回線からアクセスするとなると、時間がかなりかかることになるが、こんな状況では贅沢は言ってられない。

「…」

しばらく待っていて、ようやく画面が表示された。

画面には、子供の落書きのような動物のデフォルメキャラクタが踊っている。

『ようこそ、ぷちモンスターのゆうえんち、ぷっちぃでびるのやかたへ!!』

…むろん、カムフラージュである。

専用回線を使わず、インターネット経由でアクセスしたときは、このダミーのホームページが表示されるのだ。
実態を知らなければ、一部のサマナーが片手間に開いているこのダミー
HPで普通に遊ぶことになる。

それなりに充実してないと敵対勢力に怪しまれるので、管理が大変だとぼやいていた同僚もいたくらい、
今では立派なダミーになっている。

ここで自分のIDとパスワードを入力する。

が、ここにも仕掛けがあって、IDとパスワードを入れ替えて入力しないとサマナーズ・ネットには入れない。
万が一のための最後のセキュリティがこの引っ掛けというわけだ。

…ややあって、本命のページが表示される。

Welcome to Summoners’  Net

よし、ここからが本格的な調査開始だ。

このネットワークには、およそ世界中の悪魔に関する情報が集められている。

どんな悪魔がどこに現れたか、どういう悪魔にどんな武器が有効なのかといった、仕事を進める上で不可欠な情報から、
悪魔と契約する際に注意しなければならないことや、中には自分の仲魔を他のサマナーが利用できるようにと
デジタルデータを提供する場まであるのだ。

まずは内部の検索コーナーを選択する。検索条件は…

「古代の本、召喚、東洋系の悪魔、大量召喚、…まあ、こんなところか」

王大人やリーから聞いた話と、自分たちの戦った経験から条件を拾い出す。これで該当するモノがあれば、
そこからさらに絞込みをかける。件数が
10件以下ならば、11つ当たっていっても無駄な時間にはならないだろう。

「…いつもよりずいぶん時間がかかるのね」

ミユキが背後から俺のCOMPを覗き込む。

「いつもは組織の専用回線から入るから、身分照合の手続きをすっ飛ばせるからな。
その上通常の電話回線からアクセスしてるから速度も落ちるし…」

「う〜ん、いつものことだけどよくわかんない説明よね」

がくっ。

「お前なあ、もう少しコンピュータに詳しくなっとけよ。今の説明だって、後半は普通のインターネットでも通用する内容だぞ」

「無理言わないでよ〜…って、なんか表示されてるよ?」

「ん?」

つられてディスプレイを覗き込んだが、そこにはちょっとうんざりする検索結果が。

『該当件数:58件』

う、うわー…こんなにゴロゴロしてるのか、あ〜いった物騒な本って…

1つずつ調べていくには多すぎる件数だ。しかし、さらに検索条件を追加するべきかどうかとなると、
微妙な数字といえよう。

100件以下の件数だと、下手に条件を追加したら、1件も該当しなかった、という事態もありえるからだ。

「ど、どうしたのよ、顔つきがかなり険しいよっ」

ミユキが心配になったのか、若干の愛嬌をこめて肩をつついてくるが、
正直なところ、取り込み中の身にとっては鬱陶しい。

が、相手をしても始まらない。

しょうがない、1件ずつ潰していくしかないか…

無言でキーボードを叩くのを再開する。

1件目:東方見聞録』

2件目:ラーマーヤナ』

3件目:古事記』

次、4件目…

ちょっと待て。

なんでこんな、世界史の文献みたいな有名どころばかりが出てくるんだ?

そもそもこういう文献では、あんな簡単に悪魔なぞ召喚できるわけがない。

だいたいそんなことが可能なら、今ごろ世の中はムチャクチャになってないとおかしいぞ!?

何か検索条件が足りなかったのか?それとも逆に、余計なものを入れてしまったのか?

「ほう、どこかで聞いたような名前が並んでおるの」

「あ、これとこれはあたしも知ってる」

ずいぶん背後が賑やかになってきたと思ったら、全員が俺の背後から画面を覗き込んで、

あーでもない、こーでもないとよもやま話に華を咲かせているではないか。

「おいおい、あんまり露骨に覗くなよ!本来なら、これでも完全部外秘なんだからな!」

「へいへい」

だったら見えないようにやれだとか、最初に声かけたときに言えよとか、ぶつぶつ言うのも聞こえたが、
敢えて無視。

そのうち、みんなそれぞれの方法で時間を潰すのはわかっているからな。

ただ、立ち去り際に言ってた、アイリスの一言は妙に耳に残った。

「ふーん、悪魔って、あたしが知ってるような本でも呼び出せるんだ。今度、パパの持っている小説で試そうかな」

できるわけがなかろうが、と鼻の先でせせら笑おうとして、ふと気がついた。

確かに巷に出回っている本では、どう転ぼうが絶対に無理だ。

どんな手順を踏まえても、どんなに条件が良くても、である。

だが、原本ならば、条件が整えば可能かも知れない。

大量に印刷されて出版されている本では、そこに込められた人の念というのは皆無に等しい。

だがそれが大元の原稿となれば、話は別だ。

なにしろ、書いた人間の想いや願い、ネガティブなものならば恨みや妬みなどを、直接形あるものに写し取ったものなのだ。
感情の塊と言っても過言ではないだろう。

俺たちと違ってコンピュータの助けを借りずに悪魔召喚を行なう者は、そういう、想念のこもった品物を依り代とするのだ。

依り代とした物に生体マグネタイトという、実体化を促す要素をを与えてやることで召喚を実行する。

自分の望みどおりの悪魔を呼びたいなら、特定の思考を持たない動物のいけにえを捧げたりする。

逆に、書物や遺品など、品物を媒体にして呼び出したときは、その品物にこめられた思念に合わせた悪魔が呼び出される。

「…」

ゴージャス男が本を使ってあれほど簡単に召喚を行なっていたということは、
あれは何らかの悪魔と強い縁をもった本だという証明に他ならない。

それも、相当、派手に召喚していたのだ。

誰かが写した本とか、そういう複製の可能性はない。

まれに例外もあるが、複製されたものは、それ分こめられた思念が薄れ、原本に比して効果が落ちるのが普通だ。

「いずれにしても検索条件に追加する項目が決まったな」

自分の推理が正しいと実感すると、ひとりでに笑いがこみ上げるのは悪い癖だ。

追加条件として、「所在不明」と入力してみる。

つまり、本物があの男の手にあるということは、世間では紛失物扱いになっているはずなのだ。

どこに原本があるかというのは、ゴージャス男しか知らないことになるのだから。

当然、このサマナーズ・ネットとて同じ。

ここまで説明した通り、原本がいかに重要であるかはサマナーなら理解していることだから、
誰がどこに保管しているかといった、保管に関する情報もデータに含まれている。

無論、紛失したり行方のわからないものはそう記録されているのだ。

果たして。

『該当件数:1件』

「や、やった…!」

いきなり正解にたどり着いたらしい。となればやることは1つ。

そのデータをディスプレイに映し出す。…といっても、詳しい情報となるとそれこそ膨大な量になるから、まずは概要からだ。

『白澤図:

 所属国:中国。またはその近隣諸国

 編纂時期:詳細は不明。紀元前3世紀以前とする説あり。ただし有効な証拠なし

所在:不明。過去600年以上にわたって目撃された形跡なし

内容:古代中国において当時皇帝であった黄帝が、九つの目を持つ知識の神である白澤に出会った時に、
    この世の妖怪について尋ね
lzZy/ng34ydsaASU75?*&hfokjtttg@ln48777dfegai++ytrnneYRkfssy…』

…やや!?

肝心なところでデータの転送エラーを起こしてるじゃないか。

こと悪魔に関してならば、国家機密レベルの情報でさえ入手可能なネットワークだから、

セキュリティやメンテナンスも並大抵のものではない。となれば、電話回線でノイズを拾ったのだろうか。

「まったく、これだから専用回線が使えないと…」

…止むを得ない、再度検索してデータを読み込み直そう。

今わかっている段階では、この白澤図というのは俺たちの間では割とメジャーな書物だ。

問題なのは、ここに出ている黄帝という人物が、伝説上の人だということだ。

日本を離れる前に駆け足で中国の歴史・伝承に関する資料を頭に叩き込んできたが、
それによれば、中国史上最も偉大な天帝として挙げられ、名君として統治したのは言うに及ばず、
蚩尤の討伐や暦や文字、医術など数々の功績を上げ、中国五聖君の一人に数えられているが、
ほかの五聖君と比べて、格が圧倒的に違う。

そんな伝説にまでなっている人物となると、その憧憬の念を大事にするあまり、
現実以上に事実を過大に美化して、後世に伝えられている可能性がある。

もし黄帝もその例に漏れないとすれば、彼の持っていたとされる白澤図も
後世の人による作り話である可能性が高く、実在する可能性は低い。

「う〜ん、果たしてこの程度の情報でいけるんだろうか…」

俺は頭を抱えてしまった。

今のところ、あのゴージャス男に関して手に入った手がかりはこれだけだ。

本来ならば任務に関わる情報は、手に入り次第仲間に知らせて相談したいところだが、、
こんな何もわかってないに等しい内容では、いたずらに混乱するだけじゃないだろうか。

「それにしても遅い…おや!?」

データの読み込みがまだなのかとチェックしようとして、俺は異常に気づいた。

「回線が切れてる…?」

インターネットの検索エンジンが表示されない。画面の隅で回線情報をモニタしているアイコンは、オフラインであることを示している。

「まさか、敵の攻撃…!」

ゴージャス男はこんなハイテクにまで干渉できるのか!?

背筋に寒いものが走るのを感じた。

俺たちと敵対する、悪魔を使って世界を混乱させようとする組織も、
大規模になるとインターネットや
LANなど電脳空間にも詳しい連中がいたりする。

そういう輩が何をするかというと、もっぱら妨害工作や悪用のための悪魔召喚術の開発なわけで、
はっきり言って下手な魔術師よりよほど性質が悪い。

あのゴージャス男がそんなことに興味を持つとは思えないが、電話以外の通信手段を無理やり封じた男だ、
配下の仲魔に妨害を命じたのかもしれ…

バターン!

「敵の攻撃!どこ!?」

…あ、いや、待てよ。

「御手洗!無事か!」

そうか、…別に慌てることなかったか。

俺が回線切断の真相に思い当たるのと、ドアを蹴破ってミユキと東鳳風破が室内に踊りこんでくるのがほぼ同時だった。

しかし、今殴りこんできたばかりの2人にはこっちの事情など知るよしもない。

「御手洗!手なぞ打ったりして何をのんきに構えておる!!」

えぇい、じじいの怒鳴り声を耳元で炸裂させるなよ。

「ちょっとちょっと、待ってくださいよ。別に悪魔が殴りこんできたわけじゃありませんよ」

やはりそうだ。

こいつら、俺の独り言を盗み聞きしていたんだ。

俺が敵の攻撃と呟いたのを聞きつけて、踏み込んできたというわけだ。

そそっかしいのは俺も同じだが、盗み聞きは誉められたことじゃないな。ちゃんと説明した上でがちんと言い聞かせてやる。

「でもさっき、敵の攻撃がどうのって…」

「まずそれだけどな、ミユキ。結論から言えば、俺の勘違いだ。いいか、
  さっきまで通信で使っていた電話回線が切れたんだが、俺が調査してるのを敵が感づいて、
  強引にこっちの回線を切ってきたのかと思ったんだ」

「じゃあ、攻撃って」

「ああ、実際の襲撃じゃなく、通信での話だ。さらに言えば、通信でも、そもそも攻撃を受けたわけじゃなかった」

「…?」

「つまり、いつも安定性の高い専用回線を使っていたから気づくのが遅れたが、
 通常の電話回線でインターネットなんかやってると、安定性が低いからちょっとしたはずみで通信が切れてもおかしくない」

「では、偶然回線が切れたのを、おぬしは勘違いして…」

「そういうこと。つい独り言が出てしまったと」

「たわけー!!」

東鳳風破の罵声が木霊した。

「仮にもみなのリーダーをやっておる者が、軽はずみなことを口にするでないわ!もうちょっと己の責任を自覚せぬか!」

…ぶちっ。

「勝手に盗み聞きしておいて何をふんぞり返ってるんだあんたは…いや、あんたたちはー!!」

今度という今度はかなり本気で頭にきてしまった。

力の限り2人を怒鳴りつけた。部屋の壁が俺の声でびりびり震える。

いやはや、武道に秀でた彼の声量を自分が上回ることができようとは。

吾が道を通すだけ通しているあの中年男がたじろいでいるではないか。

「心配してくれてるのはありがたいですが、まさか盗み聞きしてるなんて・・・。
   こっちは思ってもいないから独り言とか聞かれるなんてこと予測しませんよ!
  外で様子を伺いたいならあらかじめ言っといてください!」

俺の迫力に押され、2人がだんだん、しゅんとしてくる。
 ミユキなどはうつむいて顔を両手で覆ってしまった。
 …まあ泣いてはいないはず。
 そんなヤワな神経でプロレスラーは勤まらん。

とはいえ、俺の危機と思って迷わず踏み込んで来てくれたことはうれしかったし、
絞り上げるのはここまでにしておくか。

「…こっちも調査が思ったようにはかどらなくて、イライラしてましたから」

語気を和らげる。2人がほっとしたのを確認して、言葉を続けた。

「結局、あの本に関してはたいした情報はありませんでしたね。
  せめて、現状でわかったことだけでもみんなに説明するので、向こうに戻りましょうか」

「うん」

ミユキが頷いた。案の定、その目には涙の跡すらない。

俺たちは王大人たちの待つ作戦会議室に向かうべく、部屋を出ようとしてドアを開けた。

…いや、開けようとした。

ギギッ。

ノブに手をかけて、予想外の重さにちょっとびっくりした。

おかしい。…部屋に入ったときは、こんなに重かったっけ?

いい加減力をこめてドアを押すが、動かない。

「あり!?」

半開きになったドアを、今度は両手で抱え、全力で押そうが引こうが、びくともしない。

「何をやっておるのだ」

さすがに不審に思ったのか、東鳳風破が側にやってきた。

…そういえばこの人とミユキがいたんだ。もしかして…。

「あの…さっき部屋に飛び込んだとき、ドアを壊しませんでした?」

ややジト目で彼を睨みつつそう尋ねてみる。

さっきの今だ、ドアになにか異変があった、あるいは異変を起こしたとすれば、その時しかありえない。

「何をぬかすか!誰が好き好んでヤツの屋敷のドアを壊して…ぬぬ!?」

おしまいまで俺に喚いてしまわずに、中年男はフリーズした。

その視線はドアのちょうつがいのところに注がれたまま硬直している。…やはりそうか。

俺もちらっとだけチェックした。

…ありえない壊れ方をしていた。

ちょうつがいが真っ二つに切断され、止め金具がはじけ飛んでしまっている。

下の金具だけではドアを固定できずに傾き、角が床につっかえたのだ。

どういう開け方をしたらこうなるんだ!

「これ…弁明の余地ないね、おじさん」

ミユキが観念したように呟いた。

「ふ、ふふ、ふははは…はあ」

珍しく馬鹿笑いでごまかそうとした東鳳風破も、ため息をついた。

ノブを掴んで上に押し上げれば、どうにか動かせるから外には出られるが、
修理代を払わされるのは免れないだろうなあ。

…こんなの、経費で落とすわけにもいかないから全員の割り勘だな〜。

…リーダーに祭り上げられるのも時には考えものだ。

「どんな」責任も全部俺にかかってくるのだから

 

9章 戦力拡充

 

仲間たちへの説明は、それこそ1分とかからずに終わった。そりゃ、本の題名がわかったことと、その本についての概要を話すだけだからな。

思ったとおり、仲間たちの反応は冷ややかだった。

「それだけしかわからなかったの?オテさんにしては不手際じゃない」

「がっかりさせたのは悪かったと思ってる。あれだけ大見得切って、その結果がさっき話した分で全部では、な」

多分に自嘲を含んではいるが、事実なのは動かしようもない。

「…そんな言い方しないでよ、あたしがいじめてるみたいに聞こえる」

…世間一般の少女並みにすねやがった。

「…御手洗よ、ヤツの持っていた本から全ての情報を手に入れようとしたことに、そもそも無理があったのではないのか?」

東鳳風破がもっともな指摘をする。

ただし、的外れではあるのだが。

「俺は全ての情報が必要だとは思ってませんよ。あの本を無効化する情報があればそれで充分ですから。…しかし、このケースは…」

「本に関する情報自体がその程度だったのよね」

ミユキが後を受けてぽつりと。

「…ああ、これでは関連情報から弱点を捜すのもやっかいだ。
  著者に関する情報がわかるだけでもいい手がかりになるんだが、今回は本当に皆無と言っていい」

「…著者の情報が役に立つのですか?」

王大人が不思議そうに言った。

「ええ、場合によりなんですが。
   …著者の情報がわかれば、書かれた時代背景や当時の国の状況がわかりますから、それが突破口になることもあるんです。
   …一番いい例が、クトゥルー神話かな」

「ああ、なるほど」

アイリス、ミユキ、王大人も得心したように頷いたが、東鳳風破だけが話に取り残された形になった。手近にいたアイリスに声をかける。

「神話に作者がいるとはどういうことぞな?それにどんな事件があったのだ?」

「…いい機会だし、説明しましょう。ちょっと長くなりますが」

クトゥルー神話。

19世紀末に、アメリカのハワード・フィリップス・ラヴクラフトという小説家によって書かれた、アメリカの3大怪奇小説と言われるもののひとつだ。

当時の怪奇小説雑誌、ウィアード・テイルズに掲載され、彼の友人作家がその設定を使って似たような小説を書いたりなど、
 今の同人マンガに通じるものもある。

その内容を大雑把に言えば、人類が「神」と呼ぶものは、本来人間の理解の範疇を超えた存在であり、
 それと接触した者は破滅するしかないという退廃的なものだ。

コンセプトは、誰もが過去に見たはずの悪夢。

当時のアメリカにも世紀末思想が蔓延しており、最初は売れなかったのだが、彼の死後から徐々に注目され始めた。

日本では、20世紀末に発表され、当時のノストラダムス予言に便乗した退廃思想の波に乗って、一つのブームを起こした。

「なんとまあ…そんなものがあったとは。ワシも修行が足らんということか」

「知らなくても問題ありませんよ」

で、そのときに一体どんな事件が起こったのかというと。

俺がまだ組織に入る前だが、これまでのノウハウが通用しない悪魔を敵に回した事件として、サマナー仲間では大いに話題に上ったのだ。

…ことの発端は、とある漁港で、半魚人そっくりな死体が何体も浜辺に打ち上げられていて、その調査をして欲しいという依頼だった。

そのときは、ある国から、悪魔を召喚する技術を得たいと言って、黒人の男性が俺たちの組織で働いていた。
 何でも、テロリストと戦うために相手の意表を突く戦術を展開する準備だったそうだ。

半魚人どもは明らかに悪魔としての属性を有していたが、その地に悪魔に関する逸話はなく、
 その死体はマグネタイトに還元されるわけでもなかったし、担当したサマナーは頭を抱えたそうだ。

そんな悪魔がありえるはずはなかったから。

調査が行き詰まった折、ある白人男性がこの近くに住み着いたという情報があった。

それだけなら取るに足らないが、その2日後から半魚人の死体が現れ始めたとなれば話は別だ。

男はどこか常軌を逸した雰囲気を持っていた。

身元の照会などを進めるうちに、自分の目的の障害になると気づいた男が本性を剥き出しにして、
 サマナーに襲い掛かってくるまでにそう時間はかからなかった。

そのときのサマナーは、あれほど自分の無力を実感したことはなかったと言っている。

男は聞き覚えのない呪文を唱え、件の半魚人悪魔を次々と繰り出した。

特に恐ろしい能力を持つ相手ではなかったが、男は俺たちを邪悪なものと決めつけてかかり、説得に一切応じなかった。

それどころか、自分の崇拝する「邪神」に呼びかけ、その降臨を行なった。

自分の精神と引き換えに。

…サマナーは、そのときのことは思い出したくないと答えているが、とてつもなく恐ろしいものを見たのは間違いないのだろう。
 同行した戦闘員2人のうち、1人は発狂死してしまったのだ。

結局、その降臨は充分なものではなかったのか、「邪神」はその直後に姿を消したため、致命的な破壊は行なわれなかった。

後の調査で、精神崩壊を引き起こした男の住処からクトゥルー神話に関する書物が大量に発見された。
 そこで、なぜサマナーたちが邪悪なものと決めつけられたのかがわかった。

黒人がサマナーたちの中にいたからなのだ。

クトゥルー神話では、黒人はしばしば、世界を崩壊させようとする混沌を象徴する邪神の化身として登場する。

というのも、これが書かれた当時、アメリカはまだ黒人開放が充分に進んでなく、白人たちの間では黒人は存在自体が悪だという概念があったのだ。

この創作神話に傾倒しすぎたこの白人は、サマナーたちの中に黒人がいたことに過剰反応して邪悪なものと決めつけてしまったのだろう。

だが、この経験は、その後の活動に大いに役立つこととなった。

事件に関わった書物のルーツや背景を探ることで、大事件に発展することを抑えられるとわかったからだ。

もちろん、こんな感じで本や、ましてその背景情報がキーパーツになる事件など決して多くはないが、
 それでもこれ以降の事件では大惨事を引き起こしたことはない。

「…むむむ、確かに言われてみれば思い当たる節もないではないのう」

東鳳風破は腕組みをした。

「しかし、それはそれ。ゴージャス男の場合はなぜ背景情報なぞ必要となるのだ?
  お主の目的が本の無効化ならば、燃やしてしまうなりなんなり…」

この直後に轟いた怒声は、俺が発したものではない。

確かに一瞬遅ければ、俺が吼えていたところだが。

「貴重な文化遺産を何だと思っとるんだあんたはぁーっ!!」

バチッ!!

ごちぃぃぃぃん!!

…電撃とハンマーチョップの見事な連携だった。ツッコミもきれいにハモっていたし、文句なし。よくやった、アイリス、ミユキ。

やられた東鳳じじいは、さすがにつらそうだ。後頭部と背中を押さえてうめいている。

「ぐぐぐ…もうちょっと年寄りをいたわったツッコミでも良かろうものを…」

「東鳳さん、今のはあなたが悪いですよ」

王大人がたしなめる。

「やれやれ…今日はワシのやることは全部裏目に出てるような気がするのう」

ああ、それは確かに言えてるかもしれない。

さっきは俺の独り言を盗み聞きしていて、勘違いで部屋に踏み込んだ挙句、ドアを壊したし。

これに関しては、後でマダムに請求が行くとのことだった。…はっきり言って自腹で修理費出すより、よほどたちが悪いぞ。

今にしたって、燃やすとかさえ言わなければ、女2人からのシンクロツッコミを食らわずに済んだはずだ。どうやら今日は厄日のようですな。

それはさておいて。

「背景情報や著者を特定できれば、その本の盲点を突くことができる場合があるんです。
  いかにいわくつきの本であろうと、人間の書いたものですから全能であるはずがない」

「おお」

東鳳風破も、やっと納得したようだ。

「なるほど、それで情報を集めようと躍起になっておったのだな」

「そういうことです」

「だが、今のところその情報がない」

「…」

ガチャッ。

廻りまわって、結局そこに行き着いたとき、リーが部屋に入ってきた。
 そして、王大人に向かって手招きをする。
 …上司に対する態度ではないような気もするが。

「王大人…」

「…」

王大人はなにやら中国語でリーと話し始めた。と、そのときミユキが俺に囁いてきた。

「ね…リーさん、いつの間に部屋の外に出たの?」

な!

そういえば最初は俺たちと一緒にいて話を聞いていたはずだ。
 戻ってくるや否や王大人と相談しだしたからには、何か用事があったんだろうが、それにしても彼の出没ぶりには驚かされる。

「…神出鬼没だな」

「そうね。リーさんといい、王大人の料理といい、ここの人たちってみんな日本ではちょっと考えつかない能力を身に付けているわ」

アイリスも額を寄せてきた。

「多分に王大人の方針じゃない?ほら、オテさんのCOMPを見て感動モノの号泣してたじゃん。
  機械を使う技術より、昔ながらの術や方法が好きなんでしょ」

と。

王大人は、今度は東鳳風破と話し始めた。

「なんじゃと!」

いくばくも話さないうちに、東鳳風破は驚きの声を上げた。ただし、その声には喜びの響きが含まれている。

そして、こちらをぐるりと振り返った。

「おぬしら、悪いことばかりはそう続くものではないぞ!王の話では、つい今しがた補給物資が大量に届いたということじゃ!!」

「本当ですか!?」

正直なところ、ふってわいたような朗報だったから、全員がすぐには信じられなかった。

「ホントね。それにあなたたちの荷物も届いてます」

リーがにこやかに話している。苦しい日々が長かったので、久しぶりの明るいニュースに顔がほころんでいるのだろう。無理もない。

「まずは、これ」

そう言って彼は俺にずしりとくる小荷物を差し出した。何となく見当はついたが、包みを開けると。

「拳銃じゃないの。こんなものどうして…」

「いや。俺の銃だ。アイリスに頼んで裏ルートで運んでもらったやつだ!」

そう。

やっと、なじんだ銃が手元に戻ってきた。やっぱり、感慨深い。
 慣れない銃で大苦戦を強いられただけに、この感触が頼もしくすら思える。

その手ごたえを確かめるため、弾倉に弾が入ってないことを確認して、握り直した。

適当に壁の1点に当たりをつけて、一挙動でそこに銃口を向けてみる。

チャキッ。

「…」

慣れた銃なら一発で狙いが定まる。

「やっぱり、こうでなくては」

一人で悦に浸っている…つもりだったが。

「わー、かっこいー」

アイリスの棒読み口調で我に返った。

「お、お前は…茶化すことないだろ!?」

「ん〜…」

いつもならミユキと2人でここぞとばかりにからかいまくってくるのだが、今回はどうも様子がおかしい。

ミユキも、なんか優しい目でこっちを見てるし。

そして、真顔でこんなことを言いやがった。

「冷やかしが2割、後は本気の感想かな」

「そうね。あなたも、これでやっとまともに戦えるんでしょ。自信を取り戻したオテさん、頼もしかった。
  なんだかんだ言って、わたしたちのリーダーなんだって思えたもん」

「うぐ…」

これは、こいつらは〜。

口をぱくぱくさせるばかりで、言い返せない。

全身がゆでだこのように真っ赤になっていくのがわかる。下手に冷やかされるより、よほど恥ずかしい。

「あはは、かっわい〜」

「オテさんゆでだこだ〜!」

…くそう。…後で覚えてろ!

「で、東鳳さん、あなたの持ち物は外です」

こっちのやり取りが充分に理解できないのか、リーはこちらを全く無視して、今度は東鳳風破に向かってそう言った。

「ワシのものじゃと?」

目をぱちくりさせる中年武道家。

「そんなもの、ありゃせん。荷物は持ち歩ける量に抑えるのが基本じゃぞ。
  いざという時、持ち物に捕らわれて身動きできんようでは…」

きっと、その先に続きがあったはずだが、その時。

「ヒヒヒーン」

遠くからかすかに、馬のいななきのようなものが聞こえてきた。

その途端、東鳳風破が電気に打たれたように硬直した。

「おお…あの声はまさしく!!」

叫んだと思ったら、疾風のごとき勢いで部屋を飛び出していった。

「突然何なんだ…」

唖然とする俺に向かって、王大人が笑いかけた。

「おそらく、彼の愛馬ですよ。モンゴルに武者修行に行ったとき、すごい馬を見つけたと手紙に書いて、
  こちらによこして来たことがありました」

あ、そうか。

そういえば日本でも、馬を空輸できる飛行機を手配してくれとか言い出して大騒ぎしたっけ。
 結局、俺が貨物船で馬を運んでもらうよう手を打ったのだが、これが予想以上に手間取った。

なにしろ、輸送会社が露骨に嫌がったのだ。

揺れに弱い動物を急いで運ぶのは無理があるとか、
 世話をする人がいないのに暴れだしたらどうしようもなくなるとか、かなり屁理屈を並べ立てられた。

…まあ、向こうにとっては正当な理由であることは確かだ。

本来なら全てこちらで面倒を見るべきことだからな。

それを通常の8倍以上の料金を払って、どうにか承諾させたのだ。

「せっかくですから、彼のご自慢の馬を見せてもらいましょう。実は、私もまだ見せてもらったことがないのです」

王大人が扉に向かった。リーがそれに従う。

「アイリス、わたしたちも行こう」

「ほ〜い」

2人とも部屋を出て行く。当然、部屋に残されたのは俺1人だ。

「…行くか」

もう、ここにいてできることはない。それなら、この余興に付き合うのも悪くない。

そして、本拠地である退魔組織のエリアからレストランである王大人飯店の建物に入ったときだ。

「ヒヒーン!」

「きゃああ!」

「ヒヒヒヒヒーン!」

「きゃああああ!」

「ヒヒヒヒヒヒーン!」

いななきと悲鳴が交互に聞こえてくるのは、どう解釈すればいいのだろう?

とにかく妙な胸騒ぎがして、俺は外に飛び出した。

そこでは。

東鳳風破が人間狩りをしていた。

馬上で高笑いをするヒゲの中年。

それに呼応していななく巨大な馬。

その姿は罪人を労使しつつ、面白半分で鞭打つ監視人のそれだった。

…いや、実際にはそうではないのかも知れない。

追いまわされているミユキとアイリスははしゃいでいるだけだし、横で見ている王大人もリーも止めようとしてないのだから。

だが、俺の第一印象はまさしく人間狩りだった。

と、東鳳風破がこちらに気づいた。

馬の上にいるから、見渡しやすかったのだろう。

「おお、御手洗も来おったか!これがワシの愛馬、雷鳴早雲じゃ!よろしく頼むぞい」

「ぶるるるるるっ」

律儀なことに、馬までがこっちを見て鼻を鳴らした。挨拶のつもりだとすれば、恐るべき馬だ。

…それにしても、でかい。

それほど詳しいわけでもないが、立った馬って頭頂までの高さは、せいぜい2メートル程度じゃなかったか?

それが、この雷鳴早雲という馬は3メートルはあるではないか。東鳳風破がわけなく乗っている背中の高さも、俺の身長を遥かに越えている。

比較的大柄な彼が、上に「ちょこんと」乗っているように見えることからも、いかに大きい馬かわかる。

そのとき、同じような疑問を感想を持ったのか、リーがいらぬことを訊ねた。

「あなた、その上にどうやって乗ったか?」

それを聞いた中年男は、思った通りうれしそうな笑みを口元に浮かべてリーを見た。

「簡単なこと、背中まで跳躍すればよい。こやつもわかっておるから、おとなしく乗せてくれるぞ」

「ほ、本当ですか?」

このとき、東鳳風破が心底うれしそうに笑ったように見えた気がしたんだが…。

「よかろう、実演してみせようぞ!!」

言うが早いか、彼は馬上からひらりと飛び降りると、リーの背中をがっしと掴んだ。

「な、何するか!」

リーの抗議を無視して、馬の主は気合一閃。

「はぁっ!」

本当に、本当に男一人抱えて馬の背中まで飛び上がってしまった。

急に背中に男2人分の重さが加わり、どさりと音をたててまたがるが、雷鳴早雲はびくともしない。さすがは彼の愛馬を命じられただけのことはある。

「あわわわ…」

「さあ、我が愛馬よ!こやつにお主の走りをみせてやるのじゃ!
  …目的地は、御手洗が調べ損ねた本のことを調査するべく、古本屋までゆこうぞ!!」

「ヒヒヒーン!!」

ひひひーんじゃねえ!

「確かに俺が調べ損ねたのは不手際だったが、古本屋で調べられ…」

るようなものじゃない!少なくとも明の時代まで遡るような代物だぞ。

と言おうとしたんだが…、もはや馬はまともに会話できる距離にはいなかった。

「すごいスピード。もう見えないや」

アイリスが呆れかえって呟く。遥か遠くから、リーの怒った声がかすかに聞こえるが、それで止めるような男ではないことは皆が知っている。

「やれやれ、相変わらずですな…。まだお渡しするものがあったというのに」

王大人が困ったように一人ごちた。

「え、そうなの?差し支えなければ、わたしたちが預かっておきますけど」

ミユキが彼の方を振り返る。

「まあ、正確には彼だけではなく、あなた方全員になんですが。
  こちらの戦力の立て直しができるまでの間、あなた方が彼を撃退するのに充分な力を持っておられることがわかったので、
  装備の充実を図れないかと関係筋に連絡しておいたのですよ」

「え、じゃあ」

「はい、主に身を守るものですが、あなた方に使っていただけそうなものを調達することができましたので」

ミユキとアイリスの眼がきらっと輝いた。

「やったあ、新しいユニフォームだぁ!」

「あたしが使えそうなものって、ブローチ?ペンダント?ネックレス?ね、ねっ」

2人が好き勝手なことを言っても、王大人はうんうんと頷く。

「だいたいそんなところと思ってください。…リーに渡しておかなくて正解でしたね、まさか東鳳さんに連れ出されてしまうとは。
  さあ、レストランの方でお渡ししましょう」

「いえ〜い!」

2人して王大人を両脇から挟むようにしてドアをくぐっていった。

もう、2人とも腕を組もうといわんばかりの体勢だ。女というのは、何かをくれると言われると、急に媚を売るからな。

…こういうときまで、きれいに息が合っているとは。調子のいい女どもだ。

だが、確かにこの補充はありがたいタイミングだ。3人に続いて、俺も建物に戻った。

全員が中に入ると、王大人は大部屋の隅に置いてあった大きい包みを開いた。

そして、手首から肘くらいまでの長さがある防具をミユキに、手のひらに乗るくらいの大きさの小箱をアイリスに手渡した。

「リストガードと耐魔法のペンダントです。サイズや相性の面で問題はないと思いますので」

「んじゃ、早速…」

ミユキはリストガードを両腕にはめ、アイリスは小箱を開けて取り出した六望星のペンダントを首にかけた。

「軽い。それに腕の振りを妨げないし、デザインもいいわ。これ、ありがたく使わせてもらうわね」

「良かったね、ミユキ姉。こっちもつけててなんにも違和感がない。気に入ったわ」

「よかった、これは一昨日の報酬、くらいに思ってください。そして御手洗さん、あなたにはこれを」

そう言って王大人は、一番大きな箱を、よっこらせなどといいながら取り出した。

「…重そう」

アイリスの呟きが聞こえてか否か、王大人はわっせ、わっせと言いつつ俺に箱を手渡した。

ずしっ!

「うわっととと!」

半端な重さではない。何が入ってるんだよ!?

「ああ、すみません。下に置いて開けてみてください」

王大人が汗を拭きつつ言った。中でじゃらじゃら音がするということは、小さい金属片がたくさん入っているということか?

「なっ!」

開けてみて驚いた。道理で重いはずだ。

中には、銀色の銃弾がぎっしり詰められているではないか。

「こ、これ、もしかして全部…銀の弾丸?」

恐る恐る尋ねた俺に、王大人は力強く頷いた。

「我々が調達できる限りの銃弾を集めました。あなたの銃の口径に合うはずです。あいつと戦うには、このくらい必要でしょう」

銀の弾丸に関しては、知っている人も多いんじゃないだろうか。

狼男を殺せる唯一の武器として、ホラー映画などで広く知れ渡っているこれは、実際には純銀製の弾丸というわけではない。

魔よけの力を帯び、かつ比重の高い銀は確かに対悪魔用の武器として切り札に近いものがあるが、それを使い捨ての弾丸にするには高価すぎる。

そこで、内部に空洞を作り、そこに朱肉の色として使われる硫化水銀を注入して、命中すればその中身を相手にぶちまける仕掛けになっているのだ。

この硫化水銀は、一般には朱肉の原料になるのだが、これも魔よけの力を持っている。

今でこそ印鑑にはインクが使われるのが一般的だが、昔は書いた書物に邪悪なものが触れられないよう、お守りにもなっていたのだ。

それでも普通の弾丸に比べれば、何倍もの値段がするものを、ざっと20ダースもくれたのだ。とんでもない出血大サービスだ。

「…これなら、まともに戦える」

ひとりでに口元が吊り上がる。

「オテさん、笑い方が怖い」

「でも、そうね。これでそうそう遅れを取ることはないわ」

全員の士気が上がるのが感じられる。次は、必ずゴージャス男の裏をかいてみせる…俺たちは言葉を交わさず、お互いの決意を確認した。

 

10章 困惑

結局、東鳳風破がリーを連れて帰ってきたのは、待ちくたびれた俺たちが昼食を済ませて、これからの方針をどうするか考えようと話してた時だった。

つまり彼らは、丸3時間は外を出歩いていたことになる。

帰ってきたときのリーの姿は、凄まじいを通り越して気の毒だった。

わずかな間にしわが増え、白髪が目立つようになり、頬がげっそりとこけていて、10歳は老け込んだような印象を受けたのだ。

馬から降ろされるが早いか、リーは血走った目を東鳳風破に向けて、中国語で延々と叫び続けた。それが彼に対する罵詈雑言だったことは想像に難くない。

何しろ横で聞いていた王大人の顔がだんだん赤くなり、しまいに「やめないか!!」と恫喝したほどだったからな。

彼がようやく落ち着き、何があったのかを聞いたところ、次のような、信じがたいことがあったらしい。

東鳳風破に背中を掴まれたまま、猛スピードで走る馬に揺られ、リーは生きた心地もしなかった。

「降ろして、せめて馬の背中に乗せて!」

「わははは、これぞ、この感触ぞよ!!さあ、我が愛馬よ、雷鳴早雲の名にふさわしく、走り抜け!ワシはお前を待っておったのだ!」

必死で東鳳風破に訴えても、彼は久しぶりに愛馬を駆る快感に酔いしれて馬鹿笑いを続け、リーの叫び声がまるで耳に入ってない。

加えて、走っている場所が場所だ。

よりにもよって、高速道路。それも、反対車線を逆走。

当然、高速への入り口(正確には出口だが)で係員が止めようとしたが、言葉が通じないのと馬が乗り込んできたという事態に押し潰され、有無を言わさず入り込んだのだ。

この雷鳴早雲という馬も、かなりのスピードで走ってはいるのだが、所詮は馬、高速道路を時速100キロ以上で走っている自動車にはかなうはずがない。

ましてや逆走しているから、間一髪ですれ違っていく車の相対速度は脅威的である。接触したらもちろんのこと、すれ違いざまの風圧だけでも命が削られそうになる。

さらに、本来馬というのは臆病な動物だから、自分が危険な場所にいて平気なはずはないのに、この雷鳴早雲は自分の体をぎりぎりですれ違う自動車にもびくともしない。

こんな暴挙を続ければ、当然警察が黙っているはずがないのだが、今のところそれらしき警察車両は追いかけてこない。

それもそのはず。警察でも、馬が高速道路を逆走しているという、常識はずれに危険な事態のため、車両で追いかけるわけにはいかず、どうやってこれを捕獲するか緊急対策を練っているのだ。

とにかく、この暴走状態を止めてくれるものはどこにも見当たらず、少しでも安全な馬の背中に移動しようにも、背中を掴まれたままでどうにもならない。

東鳳風破と雷鳴早雲にしてみれば、正面から来る車がいかに速くても衝突しない自信と実力があっての走り方なのだろうが、リーにしてみれば一生分の運を使い果たして奇跡を起こしているとしか思えない。

極限の恐怖に晒され続け、気が遠くなりかけたときだった。

「はいやあっ!」

突如として東鳳風破が馬の進路を変えた。

馬は猛スピードで走っていたにも関わらず、いきなり直角に向きを変えたかと思うと、高速道路のフェンスを飛び越えた。

「あいやああああああ!!」

絶叫するリー。日本と同じで、中国の高速も地上からかなり高い場所に設置されているのだ。はっきり言って飛び降り自殺に近い行動である。

どおん!!

が、馬は着地の衝撃こそ凄まじかったものの、怪我をした風でもなく、首をきっと前に向けて主の掛け声を待っている。

20メートルはある所から飛び降りたはずなのに、とんでもない頑丈な馬だ。背中にいた東鳳風破もダメージを受けた様子はない。

と、彼はリーを地面に降ろした。

「リーよ、お主は怪我などしておらぬだろうな?」

「は、はい、ど、ど、どうにか」

顔の筋肉が引きつってしまって、うまく喋れない。

ならば良しと、東鳳風破は頷いて、その直後とんでもないことを言い出した。

「うむ、空港から王大人飯店までの道のりで、この辺ならある程度賑やかだから古本屋もあろうと期待して立ち寄ってみたが、おぬし、古本屋はどこだ?」

「…はぁ!?」

リーには、今の発言が信じられなかった。

「だから、古本屋の場所を聞いておるのだ」

しかし、東鳳風破の顔は真剣である。

リーの心に、突然怒りが湧いてきた。

唐突に馬に引きずられるも同然の形で高速道路を逆走し、誇張なしで死ぬような思いをさせられた。その理由が古本屋捜しだったのだ。しかも、本人に当てがあったわけでもなく、行き当たりばったりで捜すつもりだった上に他力本願とは!!

もう我慢できんと、こみ上げた怒りをそのまま目の前の非常識中年にぶちまけた。

「ばかかあんたは!いきなり知らない土地で行き当たりばったりで店を捜そうなどとは!!しかもこんな繁華街でそんな古風な店があるとでも思っているのか!
 だいたい、ここまで来るのだってあんな危ないことしてまでわざわざ高速を通る必要があったのか!?
 逆走だぞ逆走!
 おまけにいきなり上から飛び降りるなど、たまたま警察に捕まるようなことがなかったから良かったようなものの、
 こんな無茶をして捕まったら王大人の力でも簡単には釈放してくれん!
 こんな大事なときにいらぬ心配をかけるようなことにでもなったら、どうして…」

そこまで一気にまくしたてて、リーはぴたりと口を閉ざした。

怒りに我を忘れていたとはいえ、今の発言はやたらと聞かれたらまずいことになる。

周囲を見れば、予想外の落下物に、辺りにいた通行人は呆然としてはいたものの、やはり時間が経てばそれも元に戻り、自分たちは珍妙な客として注目を集め始めている。

まして、ここはもう繁華街にあたる場所だ。

敵対する連中が紛れ込んでいないとも限らない。幸いにも今のところ自分のトレーサー能力に引っかかるような不審者はいないようだが。

ふと目の前の東鳳風破を見れば、呆然として自分を見ている。何を言われたかまるで理解していない顔だ。

そこで初めて、自分が中国語のまま怒鳴りたてていたことに気がついた。あわててその場を取り繕おうとする。

「リーよ…、おぬし何を言いたかったのだ?」

「あ…たいしたこと違います、私古本屋の場所は知りません。それに、こんな賑やかなところにはそういう店はあまりありませんよ」

「なんじゃとー!?」

東鳳風破は目を丸くした。

「なら、ワシがここまで雷鳴早雲の足慣らしを兼ねてはるばるやって来たのは…無駄足だったのか!?」

「う…そこまではわかりません」

じゃあワシは何のためにと肩を落とした東鳳風破が、次の瞬間ぐっと上を見上げた。

「ならば早急に王大人飯店に戻るべし…雷鳴早雲よ!!」

「ヒヒーン!!」

愛馬の返答に満足した東鳳風破は、再びリーの背中を掴んだ。

「あいやぁ!?あなたいつの間に馬から降りたのですか!?」

「降りとらんぞ、ワシは!こやつがかがんで、ワシが腕を伸ばせば、おぬしなど馬の上からでも引き上げられるわい!」

「あやあああぁぁ…」

来たときと同じように背中を掴まれたことで直感的に東鳳風破の次の行動が予測できたリーは、その行程を想像して悲嘆の声をあげた。

「ゆくぞ、同朋の待つ王大人飯店まで急ぎ戻るのじゃあ!」

東鳳風破の雄叫びに呼応してひときわ高くいなないた馬は、あろうことか、さっき飛び降りてきた高速道路の支柱めがけて突進を始めた。

「わあああああ!ぶつかる、ぶつかる!!」

リーが絶叫する。あと少しで本当にぶつかる直前…

なんと雷鳴早雲は、力の限り飛び上がると、支柱を駆け上り始めたのだ。無論、東鳳風破とリーを背中に乗せたままである。

「う、うそだうそだ、そんなばかな…」

自分がそんな嘘みたいなことをする馬の背中にいながら、眼前で起きている光景が信じられない。

雷鳴早雲は飛び上がった勢いを殺さないように絶妙な脚さばきで駆け上がるし、東鳳風破はそれを当然のような顔つきで手綱を取っている。

こんな状態でバランスを崩したら、落下して地面に激突するのは自明の理だ。暴れるに暴れられず、リーはがたがた震えた。

と、馬足がぴたりと止まった。

人知を超えた馬といえども、さすがに20メートルも垂直に駆け上がるのは無理があったのだ。ましてや、背中に大の大人を2人も乗せているのである。

蹄がずず、と音を立てて後ろに、つまり地上に向かってすべる。

落ちる!

リーは死を覚悟した。

そのとき、東鳳風破が馬を一喝した。

「ゆけい、雷鳴早雲よ!ここが踏ん張りどころじゃあ!!」

「ヒヒーン!」

力強いいななきと共に、雷鳴早雲は前脚をがしっと支柱に叩き付けた。

するとどうだ。

再び馬は支柱を駆け上がり始めたではないか。

「な、なぜ…?」

命が助かったことより、どうして物理法則を無視するような真似ができたのか納得がいかず、リーが呟いた。

「わからぬか。こやつは、この支柱にあるわずかな突起を足がかりにすればよい事に気がついただけのことじゃよ」

東鳳風破が説明してくれたが、リーにはやはり納得がいくものではなかった。

「無茶です、常識的に考えてありえません、あなたがた科学を無視してます」

消耗のあまり叫ぶこともできずぶつぶつ呟くが、そんなことを意に介する東鳳風破ではない。

だいいち、リーが文句を言うべきときはこんなことではなかったのだ。この支柱を登り切ったら、また高速道路を馬で疾走するという無茶に付き合わされることになるのだから。

 

「なるほど、そんな経験をしたら、普通なら文句をいう程度では済むはずがないからな」

話を聞き終えた俺は、リーに心の底から同情せずにはいられなかった。

帰りは高速道路にのったものの、逆走はしなかったらしい。だがそれはそれで、警察車両に追いまわされるはめになり、そのうちの何台かを事故らせて戻ってきたそうだ。

「あの方、常識を無視した冗談みたいな人です。馬も一緒、なんでこの世に生きているのか理解できません!」

リーはまだ言っている。話しているうちに思い出して、興奮してきたのだ。

「ううむ、こやつなら通訳と道案内をしてくれるものと思っておったが、ちと酷だったか」

こんな思いをさせた張本人は、完全にずれた方向で反省なんかしてるし。

ミユキとアイリスもあきれ果てていた。

「東鳳さん、あなた今までよく死なないでいられたわよね」

「ミユキ姉、あたしのセリフ取ったらひどい」

今いるメンバーの中では、比較的彼に対して理解のある王大人までがこう言ったのだから。

「東鳳さん、若い者にあまり無茶をしないでください」

「そうか?ワシとしては、御手洗が調べきれなかった本のことを調査しようとしただけじゃがの」

「それだけなら高速道路を逆走しなくてもいいじゃないですか、まったく…」

「あいにく、街中に出る道は空港からここまでの、あの道しか知らんでのう」

「はあ?」

「どうにも対向車が多いようじゃから途中で降りたが、対岸のあの道が逆方向の道じゃったとはの。ちょっと見ない間に、中国も近代化されたのう」

どうやら、彼なりに目的地まで到達するルートを考えてはいたようだが、それにしても乱暴すぎる。

「…んなこと、標識見ればすぐわかるでしょうが!」

「いや、標識は全部裏側だったぞい。見ようにも見られなかった。それに、よく考えれば中国語の標識なぞ、読めぬし」

「…」

とうとう、アイリスが吐き捨てるように呟いた。

「…全部裏側だった時点で、一方通行を逆走してるって気づかなかったの?」

まったくだ。

物事を考えてるのか考えてないのか、よくわからないじじいだ。まさかとは思うが、馬の慣らし乗りをする口実にしてたんじゃないだろうな?

と、そのとき、点けっぱなしにしてあったCOMPがビープ音を発した。その意味するところはまさしく警報だ。

「みんな!敵襲だぞ、気をつけろ!」

「え!?」

「一昨日の件で、奇襲を受けないようにCOMPのエネミーソナーを起動したままにしてあるんだ。
 半径30メートル以内に登録してない生体マグネタイト反応があれば、警告表示、アラーム、振動などいろいろな方法で知らせてくれる」

うまく使いこなせるようになると、俺が日本で地下駐車場でやったように、レーダーのように相手の位置や距離まで表示させられる。

が、レーダーそのものではないので、数が多いと反応が遅れる。

今回は、近づいてきたら警告を出すだけだからレーダー機能までは必要ない。

「じゃあ、今度はこっちから迎撃するわよ。みんな、外に出るわ!」

「うむ!」

「王大人からのプレゼント、早速試させてもらえそうね」

「王大人、屋内は頼みます」

「はい、皆さん気をつけて!」

4人で一斉にドアから飛び出した。待ち伏せの危険はあったが、ミユキも東鳳風破も罠とわかっていてそこに飛び込み、血路を開くタイプだ。

その後にアイリスと俺が続けば、まず問題ない。

幸い、待ち伏せはされていなかった。

『ほう、今回はずいぶん勘がいいのう。一昨日は奇襲をかけ放題だったのにのう』

表で待っていたのは、ゴージャス男1人だけだった。

しかし、それならばエネミーソナーが反応するはずがない。これは、実体のない生体マグネタイトの配列による生命体にのみ反応するのだ。

しかも、マグネタイト量が多いながらも一定にならない。

これは、近くに悪魔が多数いて、なおかつ姿を消しているときに見られるものだ。

…質より量、ってところか?

相手の意図はともかく、戦力の上ではかなり劣勢ということだ。

一旦戦い始めたらくつがえすのは困難になるから、今のうちに手を打たないとならない。

ゴージャス男からは見えないように、COMPのディスプレイで手元を隠しつつ召喚プログラムを起動した。

ところが!

『何もそんな小細工する必要はない。手の内が見せて欲しければ、はっきりとそう言うがよい』

ヤツは、まともに俺を見据えてそう言ってきたのだ。

このときばかりは本当に驚かされた。

味方までもがこっちを振り返っている。

デビルサマナーの常として、仲魔を召喚するときはパーティーメンバーに守ってもらうものだから、当然今回も味方の陰で操作していたのに。

…これは、ちょっと相手を見くびりすぎていたか。

白澤図という本の能力だけに気を取られ、ヤツの外見にごまかされていたが、これは意外と油断できない。

少なくとも、相手の行動を見抜くことにかけては常人以上のものを持っているのだ。

「…ふん。ならば、お言葉に甘えて手の内をみせてもらおうか」

東鳳風破がこちらに目配せをして、そう答えた。

俺も彼の意図を読み取れた。

ここは、ヤツの誘いに乗ってみる手だ。

こんなことで敵に自分の手駒を全部見せる奴などいない。

必ず奥の手として、何かしら隠してあるだろうが、少しでも相手の力を暴いていった方が戦いやすくはなっていく。

ゴージャス男は自分の言葉には嘘はないとばかり、鷹揚に頷いた。

『良かろう、人間素直が一番と知るがよい』

そういってヤツは例の本、白澤図を取り出した。

すると、ヤツの周囲から膨大な量のマグネタイトが結集し始めた。

7体くらいまでは誰も動じたりすることはなかったが、8体目、9体目が実体を形成するにつれて、みんなの顔がしだいに青ざめていく。

12体、13体…。まだ召喚は止まらない。

ヤツの前に、左右に、頭上に、背後に。

「あなた…今日は何体召喚したら気が済むのよ!」

たまりかねてアイリスが叫んだ。

一昨日いたカクエン、上空を埋め尽くすような数のモー・ショボー、初めて見る、枝をこすり合わせる妖樹もヤツを囲むように立っている。

結局、ゴージャス男の周りには20体近い悪魔が出現したのだ。

一斉に襲い掛かられたらひとたまりもない。

『ほっほっほ、勝てぬと思うなら降伏も受け入れるぞよ』

俺たちの動揺をつぶさに見て取ったゴージャス男が、それこそ勝ち誇ったように笑った。

が。

「ミカド、お待ちを。わたしは、彼らと少し話してみたいと思います」

思いもかけない言葉が、悪魔の軍勢の中から聞こえてきた。それも、この声には聞き覚えがある。

ゴージャス男は不機嫌そうに上を仰ぎ見た。

『なんじゃ、コカクチョウ』

そうだ。この声は一昨日、俺を襲い、アイリスと口論をしていたコカクチョウの声だ。

『もうこやつらとは交渉の余地はないぞよ?余の配下に入るか、それとも愚かな死を選ぶかしかないぞよ。他に道を与えてやるつもりは、余にはない』

「…お願いです。確かめたいことが」

彼女の声は必死に訴えるもののそれだ。

『…まあ、良かろう。下賎の者と話しても得るものはないと思うが』

「…ありがとうございます」

自分の主に一言礼を言って、彼女は俺たちの前に進み出た。彼女に鬼気は感じられない。どうやら純粋に話をしたいようだ。

俺は身構える仲間を制して、前に進み出た。

「みんな、ここは俺が代表として話そう。危ないと感じたときはよろしく頼む」

「…むう、勝手なやつめ。あの女はともかく、後ろの連中には気をつけい。特にあのヒヒ悪魔に」

東鳳風破の忠告に頷いて、俺はコカクチョウと対峙した。

「しばらくね」

「ああ、おかげさんで致命傷だけは免れた。一体どういう風の吹き回しだ?」

初めて会ったときは、仲間のモー・ショボーがこちらのせいで大怪我を負ったこともあって、まさに鬼もかくやという迫力だった彼女だ。

それが、今の彼女には敵意さえもまるで感じられない。その眼には、なぜか迷いが揺らいでいるのがわかる。

「…あなた、一昨日捕虜にした、わたしたちの仲間を解放したそうね」

「ああ」

それを聞いていたミユキが、はっとコカクチョウを、そしてその背後のモー・ショボーの大群を見つめた。

「え、じゃああの子もここに来ているの?ねえ」

「…」

コカクチョウはそれには答えず、つかの間視線を中空に彷徨わせたあと、再び俺を見つめた。

「どうしてあの子を開放する気になったの?」

「ど、どうしてって…」

この緊迫した空気の中で、まさかそんなことを聞くために自分の主にかけ合ったのか!?

「開放した理由を聞かれてもなあ。…一応捕虜にしたから情報は聞き出したし、むやみに人を襲わないよう誓約させたから、それ以上捕縛しておく必要もあるまい」

「危険がなくなれば後は知ったことではないというの?」

彼女の眼がわずかに色を帯びた。

何故かは知らないが、憎しみと期待がないまぜになった表情をしている。

…何だ?俺の返答に、彼女の感情に触るものがあったのか?

俺は彼女を刺激しないよう言葉を選びつつ、ゆっくりと答えた。

「そうは言ってない。あいつはアイリスを極端に恐れていたから、俺たちの側に置いておけなかった。無理強いすれば、俺たちの行動に支障が出るからな」

「…」

「危害は加えない約束だったから、用がなくなった時点で開放したんだ。…あいつがどうかしたのか?」

「…」

と、突然彼女の眼から涙がこぼれ出た。

唇をかみ締め、せめて嗚咽はもらすまいと懸命にこらえている。

…きれいだな。

ふと、そんな感情が頭の隅をよぎった。

悪魔には、女には美人が多い。男を誘惑する悪魔が多いせいというのもあるから、ある意味必然なのかもしれない。

確かにこのコカクチョウも、整った顔立ちをしてはいる。

だが、彼女には何かそれ以上に人目を引くものがある。ただきれいな外見を装うだけの悪魔なら、こういう表情を見せることはない。

さっきも、召喚主の命令を無視する形で俺たちと話そうとした。彼女、他の悪魔とはどこかが違う。と、彼女の視線は突然俺を通り越してミユキを見据えた。

どうしたことか、涙を流しながら薄笑いを浮かべている。

「ふふ…あなた、さっきの質問に答えてあげるわ」

「え?」

「あの子…ミカドに処断されたわ。あなたたちが殺したも同然だって言って」

「な…」

ミユキは絶句した。

俺もすぐには言葉が出なかった。

せっかく開放してやったモー・ショボーが、殺された!?それも、責任は俺たちにあるとはどういうことだ!?

11章 誤算

「納得いかないな。何でそこのゴージャス男が殺した責任を俺たちが引っかぶらなきゃならないんだ」

『ほっほっほ、当然ではないか、そちたちが…』

「てめえなんかには聞いてない!俺はこいつに聞いてるんだ!!」

口を挟みかけたゴージャス男を、俺は一喝した。ゴージャス男は一瞬うろたえたが、どうにか体裁を取り繕う。が、

『ほ…ほう、余ではなくそこなおなごの言葉でなければ聞けぬとは、なんとも狭量な』

口の中でごちゃごちゃと呟くのが精一杯のようだ。それを見届けてから、改めてコカクチョウに向き直った。

「本題に戻るぞ。そこのゴージャス男はお前に、帰ってきた捕虜を殺した責任が俺たちにある理由をどう説明したんだ?」

コカクチョウはすぐには答えようとしなかった。

やっとのことで搾り出した言葉は、喉元までこみ上げた苦いものを吐き出したかのようだった。

「…ミカドは、あなたたちがあの子を野放しにせず、管理下に置いておくならこんなことにはならなかったはずだって言ったわ」

「管理下に置くとはどういうことだ?嫌がるあいつを無理やりアイリスと一緒に行動させることか?
 それとも、面倒看きれないならいっそのことと、ヤツの代わりに殺してしまうことか?」

間髪いれずに問い返すと、コカクチョウは苦しそうな表情になった。

「…」

彼女は答えない。いや、言い返せないのだ。

おそらくは、彼女自身、ゴージャス男の言葉を信じきれなかったに違いない。そうでなければ、戦いの直前になって、こんな話し合いなどするはずがない。

…ははあ。

やっと事態が飲み込めてきた。おそらく、このコカクチョウは、俺たちが捕虜にしていたモー・ショボーを目の前で殺されたのだろう。

このコカクチョウと殺されたモー・ショボーの間にどんな関係があったかは知るすべもないが、かなり仲が良かったのは違いないはずだ。

心配していた相方が無事に戻ってきたと思ったら、召喚主の手で殺されたのだ。
それを目の当たりにしたコカクチョウの悲しみや怒りは、計り知れないものがあっただろう。

そしてその責任が、俺たちにあると言われたのだ。

俺にその点を直接ぶつけてきたということは、ゴージャス男は彼女に対して、ろくに理由も説明してないはずだ。

…もっとも、彼女を納得させられる理由など考えられないが。

と、そのときゴージャス男が首を突っ込んできた。

コカクチョウが言い負かされていると誤解したのだろうか。

『コカクチョウよ。お前たちは余に奉仕することが存在意義なのだ。余の力にならないとなれば、その存在は無に帰ったも同じこと。
…して、あの捕虜をそうならしめたのがそこな下賎の輩なのだ』

「捕虜…お前が殺したモー・ショボーか」

『この世の王となる余にとって、臣下の者への見せしめは処刑こそふさわしい。
誓約とやらで人を殺さなくなったアレは、もう余にとっては意味をなさぬ。処断は当然のことよ』

そう言って、にいっと笑いやがった。

「そんな!」

コカクチョウの絶叫は、俺の耳にも長く響いた。

…あのヤロウ、何様のつもりだ?

ゴージャス男の無責任な言い草に、だんだん怒りがこみ上げてきた。

召喚された悪魔は基本的に召喚主の命令に従うが、決して自己意識がないわけではない。

俺たちは天使や宗教上の主神など、かつて神として扱われていたものまでひとまとめにして悪魔と呼んでいるから、中には人間以上に倫理的なものも存在するのだ。

だからサマナーとして、召喚した悪魔との信頼関係は人間のそれと変わらないくらい重要だという仲間もいるくらいだ。

俺はそこまでは考えてない節もあるが、少なくとも仲魔と交わした約束は裏切らないようにしている。

…それをこいつは、使い捨ての道具であるかのような感じで悪魔を扱っている。

それも、これまでに王大人との戦いでやられたものも考えれば、何百体もそうやって捨てられてきたはずだ。

…許せねえ!

「き、きっさまぁ、人として風上にも置けぬわ!!」

俺の代わりに響き渡った、怒り心頭に達したと言わんばかりの、東鳳風破の咆哮。

それをゴージャス男は涼しげに受け流す。

『言ったはずぞよ、余の価値観が下賎の者にわかろうはずはないとな。
コカクチョウよ、もうお前もわかったであろう。こやつらには余に隷属するしか価値がないと』

あまりと言えばあまりな価値観の押し付けだ。

「わ、わたしは…わたしは…!」

気の毒に、コカクチョウはその場にうずくまってしまった。

ゴージャス男はこいつの召喚主だ。その発言はかなり強い影響力を持つ。

それに対して、コカクチョウはヤツの価値観を認めることができない。自らの良心と、ゴージャス男の影響力の板ばさみに立たされているのだ。

「いつまでうだうだとしゃべってやがる!オレはこいつらを引き裂きたくてうずうずしてんだぞ!!」

唐突に、ゴージャス男の背後から怒鳴り声がした。

「あ、あのとき仲魔を切り裂いたヒヒ悪魔だ」

アイリスが指摘した。

確かにカクエンとかいった、ヒヒに似た悪魔だ。だが、一昨日とはどうも様子が違う。

全身の毛並みを逆立てていることもあるが、それを差し引いてもあのときより一回り大きくなっている。

それに、目つきもおかしい。白目を剥いているし、その眼球が黄色く濁っている。

と、そこまで観察したとき、そいつが再び口を開いた。

「まだるっこしい!まだそこに居座るつもりなら、やつらと共に踏み潰してやるわい!」

そう言いながら、ゴージャス男を飛び越えてこっちに向かってくるではないか。

ムチャクチャだ、うずうずしてると言い出してから走り出すまで一呼吸もないではないか!そういうのは待たされているとは言わんぞ。

が、それ以上にこの事態に気づいていないのが約1名。

ジレンマに陥ってうずくまったままのコカクチョウである。地響きを立ててやってくるカクエンにもまるで気づいた様子がない。

手の届くところで誰かが殺されるのも気分が悪いよな…。

と思ってしまったら、つい、勝手に体が動いてしまった。

「殺されるぞバカ!」

「きゃ…!!」

コカクチョウの腰を横抱きにして、目前まで迫ってきたカクエンをかわすべく左手に大きく跳んだ。

…つもりだった。

現実というのは、映画のようなかっこよさを許さないようにできているらしい。

曲がりなりにも悪魔と戦いで足手まといにはならないように訓練は受けているから、手ぶらでならイメージ通りに間一髪で難を逃れたはずだろう。

だが、コカクチョウを抱えたことで足にかかる重さが2人分になったため、ジャンプの距離はイメージの半分くらいでしかなかった。

「げ…」

依然としてカクエンの射程距離内である。

「きゃああ!」

コカクチョウが悲鳴をあげた。

跳んだ勢いで強引に転がり、距離を取ろうとするが、到底間に合うはずがない。

ミユキが青くなって叫んだ。

「御手洗さん!!」

「ぎゃははは、仲良く死…」

コカクチョウごと俺を引き裂こうとしたカクエンは、決め台詞を最後まで言うことなく後方に吹っ飛んだ。

「ぎゃぁぁぁぁ…」

ひしゃげた悲鳴が後になって聞こえてくる。この感じは、一昨日も見たような気がするが…。

「進歩のない奴よの。2日前も攻撃の出鼻をくじかれたというのに」

「東鳳さん!」

見れば、予想通り東鳳風破が俺のすぐ側に立って、右腕を正面に伸ばしきった状態で構えていた。

カクエンは、またしても彼にカウンターを食らって吹っ飛ばされたのだ。

が、今日のカクエンは倒れてからすぐに起き上がった。

攻撃を受けた場所を気にも留めてない。やはり、マインドコントロールの類で自我を失い、実力以上の力を引き出されているようだ。

「皆殺しだあっ!」

カクエンの雄叫びとともに、ついにゴージャス男の全軍が動き出した。

「きゃはははっ、やっと遊べる〜!」

7匹いるモー・ショボーの群れが、一斉に上空から襲い掛かってきた。同時に、それを上回る数の樹の悪魔も枝で俺たちを絡め取ろうとする。

俺は左手に握り締めたCOMPをぐっと突き出した。

「出番だぞ、ジャックランタン!」

早々に切り札を出すことにしたのだ。

隠れてCOMPを操作していたのをゴージャス男に見破られたのは確かに肝を潰したが、それで操作を中断したわけではない。

その間も、ここぞというときにすぐに召喚するための準備や、COMP内のジャックランタンに指示を出したりしていたのだ。

「ようやっと出番か!」

一瞬で姿を表す仲魔。と同時に。

「ふふふ、確かにようく燃えそうな敵さんたちだよな…マハラギオン!!」

魔法の結句により、右手のランタンから飛び出た一抱えほどもある火球が、10数個に分裂して踊り狂う!

「きゃああああ!」

「あつい!あつい!」

突っ込んでこようとしたモー・ショボーの大半は、ジャックランタンの魔法をかわし切れずに焼かれて地面に落ち、転げまわって炎を払いのける。

それ以上に悲惨だったのが樹木の悪魔たちだ。

ただでさえ動きが遅いから避けられない上に、身体が樹だから燃えやすいことこの上ない。

…実は、ジャックランタンの召喚手順をしている間に、奴の魔法なら最大限の効果を期待できると踏んで、召喚と同時に火炎魔法を撃つよう指示しておいたのだ。

事実、ジャックランタンの正面にいた5体はひとたまりもなかった。

全身が炎に包まれたと思ったら、その後には消し炭しか残っていなかったのだから。その周囲にいた悪魔も、半数以上は被害を被ったようだ。

「よし、…次だ」

それを確認して、さらにCOMPを操作し、デビルアナライズを起動する。

最初の奇襲は予想以上にうまくいったが、以前数の不利は変わらない。

ここからはまともに戦っていかなければならないから、相手の戦力を正確に把握しておく必要がある。

と、火炎魔法を避けたモー・ショボーが3体上空で構えた。

「…許さない、マハ・ザンマ!」

怒りに満ちた声が響き、目に見えるほど圧縮された衝撃波が繰り出された。

COMPを操作していて注意が散漫になっていた俺には、かわす暇もない。咄嗟に顔と胴体だけを腕でかばう。

ドン、ドオン!

「ぐはっ!」

1発は外れてくれたが、2発は俺を捕らえた。が、幸いにも動けなくなるほどのダメージは受けてない。

なおも攻撃を続けようとする奴らから何とか距離を取ろうとして、後ろに跳んだときだった。

何かが背中にぶつかった。

「きゃん!?」

「なんだ、ミユキか?」

「なんだじゃないでしょ、これ見てよ!」

そこで初めて気がついたが、彼女は昼下がりの暖かい時間帯でありながら、唇が紫色になるほど凍えていた。さらに、体中のあちこちに霜が張っている。

「あの樹の悪魔、冷気を操るのよ。最初の火炎をしのいだ連中は、ダメージ覚悟でお互いに魔法をかけ合って火を消して難を逃れたようよ」

「く…そんなマネをするとは…」

手元のCOMPに表示された樹木悪魔のデータは、彼女の言葉を裏付けるものだった。

「樹木型悪魔:推定レベル 8 ジュボッコ 10体 火炎攻撃を推奨、氷結魔法に注意」

う〜む、このデータとミユキのダメージ、彼女の性格を考慮すると…。

おそらく、最初の火炎魔法で生き残ったジュボッコに止めを刺そうとして、ミユキはその真っ只中に飛び込んだのだろう。周りに味方がいては、同士討ちを恐れて攻撃を繰り出せまいと判断して。

たしかに無鉄砲ではあるが、あながち悪い判断ではない。

ただ、今回は相手が悪かったのだ。

同士討ちを省みず、お互いに氷結魔法を撃ち合って火を消すなど、普通は考えられない。

その証拠に、ミユキの前方には、全身を凍りつかせて事切れているジュボッコが2体ほどいるではないか。

火炎の対極にある魔法といえど、ダメージは普通に受けるらしい。

…これはまずい。

今回ゴージャス男が呼び出した大軍団は、味方の被害をまるで気にしていない。仲間ごと俺たちを殺そうとしているのだ。

さっきのカクエンの様子にしても、仲間の魔法で凍り付いて息絶えたジュボッコにしても、そうとしか説明がつかない。

東鳳風破も敵の真ん中に入り込んで暴れている。

さすがに年の功というべきか、敵の見境のない攻撃を逆手に取って同士討ちをさせているが、あれでは一歩間違えれば命がない。

第一、あの余裕のない表情ではもう限界だろう。

味方の損害を無視した攻撃ほど、相手にしたときにやりにくいものはない。

「アイリス、攻撃はいい!仲間の回復に専念してくれ!」

たまりかねてそう叫んだ。こういうときは、敵の数を減らすことよりも、仲間の損害を少なくする方が先だ。

「ういっ!」

なぜかフランス語で返事する彼女。

「…では、最後の一撃を。…マハ・ジオンガ!!」

くるりと正面に向き直って、敵の集団の真っ只中に電撃を撃ち込む。返事したって、指示の中身を理解してないではないか。

だが、この追い討ちは効果絶大だった。

同時にジャックランタンが火球を撃ち込んだからだ。

触れただけで発火しそうな熱気に乗って、電撃が荒れ狂う。

このじゅうたん爆撃のような魔法攻撃で、ダメージを受けていたモー・ショボーと、焼け残りのジュボッコをほとんど仕留めた。

が、彼女たちは1つだけ見落していた。

「こらあ!ワシまで丸焼きにするつもりかぁ!」

爆心地のすぐそばで、東鳳風破が怒りの声を上げる。気の毒なことに、自慢のヒゲと弁髪が黒焦げだ。

「あらぁ…ごめんねえ〜」

とぼけた声で謝ってはいるが、これはいくら彼でもしばらくは根に持つだろう。

敵の攻撃を誘っているうちに、いつの間にか魔法の範囲内に入ってしまっていたのか。それでも、間一髪で直撃をことごとく避けたとはさすがだ。

敵の残りは、ざっと見てあと8体。モー・ショボーが2体にジュボッコが5体、ひときわ大きいカクエンが残っている。

こちらは、敵が体勢を崩した隙を見て、アイリスが東鳳風破とミユキに治療魔法を施していたところだ。

「まったくお前ら、安全なところから派手な真似をしてくれおって…」

東鳳風破が俺たちに向かって文句をいう。それに関しては言いたいことがないでもないが、ここは彼の言い分をおとなしく通しておこう。

何しろ、彼らが敵の真っ只中で暴れてくれなければ、俺とアイリスは敵全体をまとめて叩ける攻撃手段を持つゆえに、最初に敵の目標にされるからだ。

逃げ場があるところならどうにかできないわけでもないが、乱戦になったらひとたまりもない。

東鳳風破のような常識を超える見切りも、ミユキのような打たれ強さもないからだ。

さて、と。

気持ちを切り替えて、仲間の状態を手早く把握する。

まず自分の武器だが、今まで銃は使ってないから弾丸の消費はない。

また、アイリスに、味方の回復に専念するよう指示したことで、パーティとしての耐久力は大幅に上昇している。

攻撃力が減った分は、ジャックランタンが補ってくれるから問題ない。

残る懸念はアイリス自信の魔力がどこまで続くかだが、それも今のところ心配ないようだ。

仲間に回復魔法をかけ終わった後、彼女は王大人がくれたドロップを口に含んでいた。

見た目こそ飴玉だが、これは王大人の開発した携帯食料とも言うべきものなのだ。

魔力を多量に含んだ生薬と、精神を落ち着かせる漢方薬の成分を含んでいるので、食べると魔力を短時間で回復させることができるそうだ。

続けて多量に摂取すればさすがに副作用が出るそうだが、ここはそんな切羽詰った状況ではない。

俺が一昨日の戦いで気を失いかけたとき、王大人が飲ませてくれた丸薬は、これと同じ成分をさらに多くしたものだ。

…つまり、俺はそれを服用しないと危ないほど消耗していたわけだが。

それに対して、敵は既に半壊している。

数も半分以下になり、生き残りもダメージを受けていないものはごくわずかだ。これなら、うまくすれば降伏勧告も通じるかもしれない。

こちらはたった4人、召喚した悪魔を入れても5人。敵は4倍近い戦力を持ちながら相手に被害を出せないでいるのだから、戦況は圧倒的だ。

敵の体勢が整いきらないうちに、俺は声を張り上げた。必要以上に大声を出して、相手を威嚇するのも計算に入れてのことだ。

「もういいだろう。命が惜しいなら、降伏するんだ!」

敵悪魔が一斉にこちらを向く。その中に動揺している存在は…あった。

モー・ショボーとジュボッコが2体ずつ。

一方、仲間も俺の降伏勧告を聞いて、一旦攻撃態勢を止めた。相手の出方を伺ってくれているのだ。

こちらの態度を見て、明らかに様子が変わったのは、先ほど動揺の色を見せたモー・ショボーとジュボッコだった。完全に戦意を失っている。

「ねぇ、向こうはああ言ってるよ、帰ろうよ〜」

言ってるそばから飛び立った。既に退却するつもりなんだろう。ジュボッコも、根を地面から引き抜いてくるりと回転した。…後ろを向いたんだろうか?

…ふう、うまくいった。

そう思ったとき、敵軍の中央に突っ立っていたカクエンが、右腕を振り上げた。

バキバキッ!

「ほぉおおおーっ!」

なんと、回転して逃げようとしたジュボッコをカギ爪で引き裂いたのだ。

「オレにやられたくなければ、戦えっ!死ぬ気で戦って活路を開けぇぇ!!」

「う…うああああ!!」

逃げようとした他の敵は、カクエンの行動に逃げ道を失って、半狂乱になって襲い掛かってきた。

…ムチャクチャだ。

「御手洗、今回のあのカクエンとかいう悪魔、どこかおかしいぞ!」

「わかってます。それより今は…!」

自分たちの身を守らないことには話が始まらないが、こうなってはカクエン以外の敵たちも被害者である。攻撃するのは気が咎めた。

「許せ!」

届くはずのない謝罪を口にしながら、立て続けにトリガーを引き絞った。

今度は、せめて苦しまずに絶命することを願って急所を狙う。

空から舞い降りてきたモー・ショボーたちは、文字通り捨て身だったのだろう。俺の射撃を避けることもなく食らって、すごい形相のまま息絶えた。

…後味が悪い。

だが、そんな感傷に浸っている余裕をくれるような敵の状態ではなかった。

ジュボッコが全員揃って、凍結魔法を一斉に繰り出してきたのだ。

「ああっ、まただわ!」

ミユキがつらそうに唸る。

波状攻撃にさらされた彼女が耐え抜いたことからもわかるように、一撃でやられてしまうほどの威力はないようだが、距離を取って連発されてはかなわない。

「げ!…アギラオっ!」

特に、自らが炎の化身であるジャックランタンにとっては命取りである。とっさに強力な火炎魔法を展開して、冷気を相殺した。それはいいけどよ…。

どうせなら仲間全員をカバーしろよな。自分の周りだけ安全というのは、傍から見てると頭にくるんだぞ?

と、思った瞬間。

皮膚を切り裂くような痛みと共に、左腕が凍りついた。COMPを掴んでいる感覚がなくなる。

しまった、まともにやられた!

ジュボッコの連発する凍結魔法で、既に周囲の気温までが下がっている。このまま好きにさせておけば、全員が凍死してしまうだろう。

敵は当然、動きの鈍くなった俺に魔法を集中させてきた。

…一歩間違えれば転倒して進退窮まった挙句、氷の矢に串刺しにされるのを覚悟で飛びのくか…!

そう考えたとき、誰かが俺の前に立ちはだかった。

アイリスである。

「よせ…、いくらお前のずば抜けた耐性でも…」

彼女が、自分の魔法耐性にものをいわせて盾になろうとしているとわかって、俺は焦った。

今からでは例え体が満足に動いたとしても、彼女をどかせるのには間に合わない。

と、アイリスはペンダントを首から外して右手に持ち、それをかざした。

「頼むわよ、持ちこたえて…!」

彼女の祈るような声が聞こえてきた。同時に彼女を猛烈な冷気が襲う。

「あ…あうっ!」

事前に威力を和らげるバリアを展開していたのか、アイリスの周囲が球状に燐光を放つ。

しかし、それでもなお冷気は彼女を押し潰そうとしている。

「アイリス…!」

寒さのため枯れかけた声で彼女を呼んだ。一瞬の防戦が一時間にも思える。

が、ついに彼女は冷気に耐え切った。

常識を超える冷気のせいで身体のあちこちに霜が付着したその姿は痛ましいが、その瞳は力強く輝いている。

そして、にやりと笑った。

「王大人、ありがとう。このペンダントの魔法耐性はピカイチね」

そうか、バリアの効果と王大人にもらったペンダントの魔力で耐えしのいだのか。

すかさず自分を、そして俺を魔法で回復させてゆく。

敵も必死の攻撃だったのだ、いくら防備を万全にしていたといっても完全に防ぎきれず、結構なダメージを受けたのだろう。

かたや、攻撃を仕掛けたジュボッコどもは驚愕を隠せない。

全員で、全力で放ったはずの魔法がたった一人のガキ…もとい、少女にも通用しなかったのだから。

そこに東鳳風破とミユキが踊りこんだ。

前もって手順を決めてあったのだろうか、手際が驚くほど鮮やかだった。

まず東鳳風破がジュボッコの前に立つと、無茶な挑発を始めた。

「来い、枯れ木ども!貴様らなど、このワシ一人で充分じゃあ!!」

魔法が効かぬならばとばかりに、5体のジュボッコは一斉に枝を伸ばして彼を絡め取ろうとした。

どれか一つにでも巻き付かれたら、その結果は無残なものになるのは目に見えている。

奴らはそこいらの立ち木のフリをして通行人を捕らえ、その生き血をすする妖樹だ。

水の変わりに人の血を養分とし、意思を持ち魔力を帯びるようになった悪魔なのだ。

しかし東鳳風破はそんなことを知らないはずなのに、文字通り四方八方から繰り出される枝をすり抜けていく。

そして。

「いりゃあ!」

ばきっと乾いた炸裂音がした。東鳳風破が、なんと素手でジュボッコの1体を真っ二つに叩き割ったのだ。恐るべし、中国拳法。

「ふっふっふ、まだワシに立ち向かう度胸があるかいのう?」

などと、不敵な笑いを浮かべて残る4体を牽制する。

その真意は、カクエンを孤立させることにあったようだ。その証拠に、今ミユキとカクエンが1対1で対峙しているのだから。

12章 驚愕

東鳳風破と一計を案じてまでカクエンとの決着にこだわったミユキは、時ここに満ちたりとばかりに仁王立ちになった。

整った顔立ちが戦意に満たされる。

「さあ、一昨日の借りを返させてもらうわよ…」

既に正気を失っているのが明らかなカクエンを、無駄と知りつつ威嚇するかのように低い声を出す。

案の定、カクエンからはまともな返事は返ってこなかった。

「貴様らは…皆殺しだあー!」

奴も電撃や火炎で多少はダメージを受けているはずだが、動きにそれはまったく出ていない。

物理攻撃を受け付けにくいのだから、東鳳風破の拳法によるダメージは論外である。

彼女とてプロレス技以外には無縁だから、カクエンに致命傷を与えることはできないはずである。

一体何をこだわっているんだ?

勝てない相手は、仲間に譲って自分はできることをする、これは退魔組織としての鉄則である。

彼女に奴が倒せないなら、ここは俺がサポートした方がいいだろう。

そう判断して、銃のカートリッジを通常弾から銀の弾丸に入れ替えたときだった。

あろうことか、ミユキは俺の援護を拒んだ。

「手を出さないで、御手洗さん!!」

「な、なに!?」

背後の俺の行動を、気配だけで察したのか。

「これはわたしのプライドの問題なの…今度は腕をやられたりなんかしないから」

そう語る彼女の言葉に、俺はやっと思い当たるものがあった。

一昨日、彼女は東鳳風破を守ろうとして、カクエンの攻撃を受け止め、両腕を脱臼したのだ。

今回は、さしずめそのリベンジのつもりなのだろう。

そうなると、俺が下手に手を出せば、却って連携行動を妨げることになり、その隙を敵に付け込まれかねない。

ここは気の済むようにやらせるしかない。

「ちっ…無理するんじゃないぞ」

ミユキのサポートをするのは絶体絶命のときに限られるなと判断して、銃口を下げる。

一方、東鳳風破のサポートはジャックランタンが行なっていた。彼の背後に廻ったジュボッコを的確に火炎魔法で焼いていき、確実に数を減らしている。

正面からの攻撃に対しては、東鳳風破は危なげなくかわしているから、こっちは手出しする必要はないだろう。

敵は、手持ち無沙汰になった俺とアイリスに気がつく余裕すらなさそうだ。

と。

「ふっふっふ、一度オレにやられていながら仲間の助けを拒むとは、女、余程死にたいようだな」

舌なめずりをしそうな仕草でカクエンがミユキを威嚇した。しかしミユキはそれに全く動じた様子がない。むしろ。

「…ごたくはいいから、かかって来なさいよ」

カクエンを挑発する余裕さえ見せる。

「ほざいたなあー!」

カクエンは怒涛のごとき勢いで彼女に迫ってきた。洗脳によるためか、一昨日よりもさらに迫力が増している。

そして、両のカギ爪を同時に振り下ろした。

ガキッ!

俺の目には、まさしく一昨日の再現のように見えた。

毛を逆立て、両腕を上から振り下ろしたカクエン。下からそれを受け止めるミユキ。

一昨日と違うのは、彼女が王大人からもらったリストカバーでカクエンのカギ爪を受け止めたことと、彼女の顔にかなりの余裕が浮かんでいることだ。

「…やっぱり。打点を、5ミリもずらせば、受けるのも、簡単、だったのよ」

牙をむき出して力みこむカクエンを睨みながら、ミユキは笑みすら浮かべて言い放った。

確かに、刀で斬ったりするとき、本当に切れ味を発揮するのは刀身の、切っ先から3分の1までとよく言われる。

ミユキの場合も、カクエンの攻撃を同じ要領で打点をずらすことで威力を軽減させたようだが、
それにしてもたった5ミリで受けきるとは、東鳳風破にも劣らぬ見切りと言えよう。

その5ミリが狂えば、一昨日と同じ、いや下手にぎりぎりで凌ごうとしているから、最悪両腕を切り落とされていたかも知れないのだ。

「な、なんだとう!?こ、このっ…!!」

ミユキの言葉に怒り心頭に達したのか、カクエンはさらに力を込めた。しかし、カギ爪はぶるぶる震えるだけで一向に押し込めない。

むしろ、ミユキが力を込めるたびにじわじわと前に押し出されているではないか。

「それと。あなた、真上からしか、押してないのよ。だから、横に押されると…こうなるっ!」

その掛け声とともに、彼女の両脚がぐっと引き締まった。一気に力を込めたのだ。それも真っ向から押し返したのではなく、前に突き出す形で。

「おわ…あああああっ!?」

腕を無理な方向に押し曲げられ、踏ん張りが利かなくなったまま突き飛ばされたカクエンは、どおんとすごい地響きを立ててひっくり返った。

「…」

と…今までは何度倒れようとけろっと起き上がってきたやつが、今度はすぐには起き上がらない。

よく見ると、脚をひくつかせている。

どうも、頭を打ったらしい。悪魔でも、気絶するときは気絶する。

それを見るや、ミユキはすばやくカクエンを抱え上げた。

自分の身長の倍はある悪魔を、ひょいと持ち上げてしまう。

「でえぇぇぇいっ!」

そのまま、気合のこもった雄叫びとともに、立ち木に向かって突進した。…と、立ち木に見えたのは、真っ二つに裂かれたジュボッコだった。

それを踏み台にして、大きくジャンプする。

さらにその先にあった、王大人飯店の屋根をも踏み越えて、5メートル近くの高度に舞い上がった。

無論、カクエンを抱えたままだ。

「てぇいっ、…ヘルダイブ・ドライバー!!」

技の名前を大きく叫んで、カクエンの両足を手で掴み、頭を膝で抱え込む。

ちょうど、プロレスのパイルドライバーの体勢になって…車輪のように縦に回転し始めたではないか!

「げ!おい!」

焦ってつい声をかけてしまった。

無理もないだろう!?おそらくはあのまま、地面に叩き付けようというのだろうが、あれではタイミングを間違えれば自分の身体を、最悪の場合は頭を地面に打ち付けることになる!

「あ、あわわ…」

俺の焦りをよそに、ミユキは回転数をぐんぐん上げていく。ついには彼女のロングヘアがすべて逆立ち、おでこが全開になる。その間も高度はどんどん下がり…。

がああああん!!

巨大なハンマーでドラを叩いたような衝撃が辺り一帯を揺るがせた。

「…と、おわっと!?なんじゃあ?」

戦闘中だった東鳳風破でさえよろめいたほどの地響きだ。

俺やアイリスは身構えていても地面に投げ出されてしまった。

無事だったのは宙に浮いていたジャックランタンと、地面に根を生わせているジュボッコだけである。

…もっとも、敵も残り1体、それも瀕死の重傷だから大事には至らないが。

俺は地べたに転がったまま、ミユキの大技の顛末を確認する。

彼女は、無事カクエンを地面に叩きつけて…というか、打ち込んで勝利をアピールしている。

それにしても、変わり果てたカクエンのありさまときたら…。

踏み固められて硬くなった地面に、肩のあたりまでめり込ませられている。

それに、やつの背中の方から頭の位置まで斜めにえぐれ、辺り一面に土煙が上がっている。

おまけに辺りには、ぶちまけられた血の匂いが充満している。

いかにカクエンが物理的な攻撃に強いといっても、これではさすがにただでは済むまい。

東鳳風破の強さが乱戦に適しているとするなら、ミユキの強さは1対1で真価を発揮するものだ。

今回の2人の連携は、まさに理想と言えるかもしれない。

「は〜すっきりした、オテさん、とどめお願いね」

かたやミユキの方は、一度やられた相手を負かしたことですっかり満足した様子だ。

そんな晴れやかな顔つきで物騒なことを言い出すとは。してみると、まだカクエンには息があるってことだろう。

ばった〜ん!

再び地響きをたてて、カクエンは仰向けに倒れた。俺はそこに向かって、銃を右手にゆっくりと歩いていく。やつからはっきり見えるように、額に銃口を向けた。

その顔はでたらめにひしゃげていて、銃口を向けるのが気の毒になってくるほどだった。

縦に回転しながら地面に叩きつけられたから、顔面がまともにダメージを受けたのだ。

だが、油断は禁物。現に、気絶状態から回復したと思ったら、俺に向かって牙をむき出して威嚇しているではないか。相当の重傷だというのに。

「おい、カクエン。これが最後の勧告だ。…降伏しろ」

わざと感情を抑えた声で言ってやった。銃口越しのやつの目には、まだ狂気が見え隠れしている。

と、だらりと垂れ下がった右腕がぴくりと動いた。

(そうか。それが答えか)

声に出すより早く、俺は引き金を引いた。

パンッ。

乾いた銃声とともに、銀の弾丸が撃ち込まれた。その破魔の力は、特殊な魔力に守られたカクエンの頭蓋をやすやすと突き破り、その息の根を止める。

「御手洗!!」

東鳳風破の切羽詰った声は、カクエンを問答無用で殺したことに対する非難ではない。

息の根を止めたと同時に俺の側頭部に襲い掛かってきた、やつの右腕に気がついて出した焦りの声なのだ。

そう。

やつは、降伏よりもいちかばちか、銃口を前にして俺を襲うことを選んだのだ。

もちろん、彼が俺の方にまで気を回す余裕があるということは、ジュボッコを全滅させたということに他ならない。

アイリスがやっと終わったね、と声をかけてきた。

「ふう、もうデビルアナライズに反応はないの?」

「…正確には、俺たちに交渉を持ちかけてきたコカクチョウがいる。だがあいつは俺たちと戦うつもりはないだろう」

だろう、と推定の語尾にはしたが、俺としてはほとんど確信に近い。

当の本人は、今になって上空から舞い降りてきたが、俺の言葉に同意するかのように頷いただけだった。

彼女の話し方から、敵意が最初からなかったのは明白だったし、戦闘中は一切姿を見せなかった。と、なれば…。

「あとは、あのゴージャス男だけだ」

そう答えて、俺はヤツに怒りに燃えた目を向けた。

こいつは、配下の悪魔に全滅を強いたのだ。

俺たちが圧倒的に有利だということは、ヤツの眼から見ても明らかだったはずだ。

ヤツが洗脳を解くなり、降伏を命じれば、死なずに済んだ悪魔も多かったはずなのに。

離れていた東鳳風破とミユキ、ジャックランタンも俺のところにやってきた。

みんなが、まだ戦えるだけの余力は残してあるぞと眼で訴えている。

『ほっほっほ、たった2日しか経ってないというのに、そこまで力をつけるとは、下賎の輩でありながら見事ぞよ』

まだそんな余迷いごとをほざくか、この腐れヤロウ。

『では、余もその力に免じて、この本の力をわずかなりとも見せてしんぜようぞ』

そう言いながらゴージャス男は、左手の白澤図を広げ、何やら念じ始めた。

と。

「はっ!?ミカド、まさか…」

コカクチョウの顔色が変わった。そして、血相を変えて俺に向かって叫んだ。

「ちょっとあなた!同士討ちをしたくなかったら、今すぐにその使い魔をひっこめなさい!!」

「使い魔とは失敬な、俺様はれっきとした…」

ジャックランタンの抗議にも彼女はまるで耳を貸さない。

「早く!手遅れになってしまうのよ!早く!!」

そういう彼女はジャックランタンとゴージャス男を交互に見ながら、ほとんど絶叫に近い声で訴えつづける。

そういえば…

ゴージャス男は念じ始めた直後から、じっとジャックランタンを睨みつけたままだ。

その手にある白澤図からは、不可視のマグネタイトの帯がじわりとにじみ出てきて、ジャックランタンに向かって流れはじめている。

何か、何かまずい予感がしてきた。

俺は慌ててジャックランタンをCOMPに収容するコマンドを入力し始めた。

しかし…すでに遅すぎた。

「おおお…あああああ!!」

マグネタイトの帯に捉えられ、全身を痙攣させるジャックランタン。

「コカクチョウ!あなた、ゴージャス男が何をやったか知ってるんでしょう!?」

ミユキが彼女に掴みかからんばかりの勢いで問い詰めた。

が、彼女が口を開くより早く、ジャックランタンが苦しそうにうめいた。俺には、彼にマグネタイトの帯が十重二十重に巻きついているのが見える。

「旦那、みんな…に、逃げてくれ…オレ様の周りから…」

その一言を最後に、ジャックランタンは絶叫した。そして、右手のランタンをこちらに向けてぐっと掲げた。

俺たちに向かって魔法を放つ前兆だ!

「よけろ!」

叫んだのは俺ではない。

異変を察知した東鳳風破だ。

そして、同じものは全員が感じ取っていたから、彼の号令を待つことなく一斉にその場に伏せた。

ゴオォォッ!

伏せた背中を、猛烈な熱気が通過する。

言うまでもなく、ジャックランタンの放った火炎魔法だ。

こいつに何が起きたかはもう明らかだ。

カクエンと同じように、白澤図の力で洗脳されたか、無理やりに行動を操られているのだ。

「ちくしょう…」

俺はあまりの事態に悪態をついた。

自分の仲魔を簡単に操り人形にされたのもショックだったが、それ以上に厄介なのは、今こいつを止める手段がなくなってしまったことだ。

操られたままでもCOMPに収容してしまえば、周りに被害を出すことはないし、
後でゆっくりとマグネタイトの帯の正体を突き止めることもできたし、少なくとも操り人形状態の原因となった、
あの帯を断ち切る手段くらいにはなったはずだ。

だが。

「リターンコマンド:拒否されました 引き続きジャックランタンの召喚状態を維持」

収容コマンドを入力し終えたCOMPの画面には、こう表示されたのだ。

つまり、もう俺の力ではジャックランタンを抑えることは不可能となった。

「お、おっさん…こいつに何をしたのよ!」

アイリスがゴージャス男に喚いたが。

『言ったはずぞよ、余は。この本の力の片鱗を見せようと』

ヤツはアイリスを全く相手にしない。そうしている間にも、ジャックランタンは再び俺たちに攻撃を加えようと、照準を定めた。

「はあ、はあ、…はあ…」

ジャックランタンもかなりつらそうだ。

考えてみれば、こいつはジュボッコに対する強力な武器として、火炎魔法の中でも高度な部類のものを連発している。

それなりに魔力も消耗しているはずだ。

その上にゴージャス男に操られ、その魔法の破壊力だけにものを言わせて俺たちを襲わされているのだ。

このままでは魔力、ひいては生体マグネタイトが枯渇するのも時間の問題である。

それは、やつにとっては非常にまずい。

人間の場合、生体マグネタイトの枯渇という事態は、極度な過労として認識される。休めば回復もするが、度を越えると過労死する危険な状態でもある。

これが悪魔にとっては、命の危機に直結するのだ。

生体マグネタイトの配列で肉体を構成しているから、それが枯渇するということは、身体を失うのと同じである。

このジャックランタンも、例外ではない。

このまま、限界を超えて魔法を撃ち尽してしまったら、やつは消滅する。

そうなってしまったら、俺は強力な手駒の半分を失ってしまうことになる。こいつ以外の仲魔は、あと1体しかいないのだ。

失った仲魔の代わりを探すことも、また大変な手間をかけることになる。それなりの実力を持つ悪魔を仲魔にするには、複雑な契約を交わす必要があるのだ。

それも、成功率は決して高くない。悪くすれば、相手の機嫌を損ねてしまった挙句に命をかけて戦わなければならなくなるほどなのだ。

できることなら、ジャックランタンを失うような事態は避けたい。

だからといって、やつを守るために俺たちが犠牲になるなんて話は、本末転倒だ。

やつが消滅するのが先か、俺たちがやられるのが先か…。

くそっ、何かいい手はないのか!?

そのとき、アイリスが俺に囁いてきた。

「御手洗さん、…こうなったら他に手はないわ、ジャックランタンをやっつけようよ」

「な、なんだって!?」

こんなときに何をふざけたことを、と思ったが、彼女はあくまで真剣な面持ちだ。

「本当はゴージャス男を叩きたいところなの。でも、そうなったらあいつはジャックランタンを盾にしてくるわ。

それに同士討ちも狙ってくる。…あたしもつらいけど、もうしょうがないよ!」

「くっ…!」

アイリスの言葉は冷静に現状を受け止め、最良の策を練った結果だ。

彼女の言葉を聞いて、あることに気がついた。

情けない話だ。今になって、コカクチョウが何を言いたかったかが実感できるとは。

ゴージャス男がジャックランタンを操ったのは、俺に召喚師としての格の違いを見せつけるのが目的だったのだ。

他人の召喚した悪魔の精神に干渉するのは、並大抵の難しさではない。

ましてや、その悪魔の自由意志を乗っ取ったり、意識があるまま操り人形にするなど、普通は論外である。

それを自分はやってのけたのだ、しかも相手は同じ召喚師の貴様の悪魔をだ、貴様ではどうやってもかなうはずがなかろう、とアピールしたかったのだ。

悔しいが、確かに召喚術の実力は雲泥の差だ。

…しかし。

俺が戦う手段は召喚術だけではない。

この手には銃があるし、仲間もいれば、サポートしてくれる人たちもいる。ここはヤツの策にあえてはまって、抜け出した上で反撃してやる!

そう決心したときだった。

「アギラオっ!」

ジャックランタンから巨大な火球が放たれた。日本で、インプを一瞬で丸焼きにした魔法だ。

「!」

距離は充分にあったからかわすのは難しくなかった。が、方向がまずかった。

飛びのいた瞬間、近くに寄っていたアイリスにぶつかってしまったのだ。

俺を避けようとしておかしな具合に体勢を崩した彼女は、ふらふらと火球の正面に出てしまう。

「アイリスっ!!」

「ひっ…!」

彼女の恐怖に引きつった顔が、間近に迫った火球に照らし出される。いかに耐魔法のペンダントを身につけていようと、急所を直撃すれば意味がない。

そこへ、まさしく疾風のごとき影が彼女に覆い被さった。

その直後、火球が命中する。

「ぐおおおおぉ!!」

影が絶叫した。この声は…東鳳風破だ。

いかに素早い彼とて、今のタイミングではアイリスを庇うだけで精一杯だ。

自分の身を守る余裕などあるはずがない。事実、彼の背中は真っ黒に焼け焦げ、皮膚がただれているではないか。

「お、おじちゃん…!?」

彼の広い背中に庇われたままのアイリスがおずおずと声をかける。

「くぅ…今のは、老骨には、ちっとばかしきつかったわい…」

何とか苦笑いを浮かべて安心させようとしても、苦しさが先に立つから痛みに表情がゆがんでいるようにしか見えない。

一方、ジャックランタンの方も限界にきている。

もう、右手のランタンの火は消えていた。

それに、マントの端まで消えかかっている、ということは、もう身体を維持するための生体マグネタイトまで魔法力に使用しているのだ。

それでありながら、なおも魔法を撃とうと右手を掲げる。

「おい!…もうやめろ!!」

無駄とは思いながら、そう叫ばずにはいられなかった。

案の定、行動を操られているジャックランタンは、うつろになりながら悲しそうな眼をして魔法を撃つ体勢に入る。

…どうしたらいいんだ!?

そのとき、突然やつの後頭部がはじけ飛んだ。

「!?」

おそらく、ジャックランタン自身何が起こったのかわからなかっただろう。

驚愕の表情を浮かべたまま絶命し、残ったわずかな生体マグネタイトがCOMPに吸収される。

その向こうには…

「ごめんね…恨んでもいいわ、そうされても無理ないものね」

ミユキが苦悩の表情で、両手を組んで振り下ろした格好のまま突っ立っていた。

『ほっほっほ、共倒れには至らなんだか。余の力はこれで身に沁みたであろう。
とはいえ、そちたちの力は素晴らしい。余に忠誠を誓うなら、いつでも言うがよいぞ』

勝ち誇った笑い声を上げて、ゴージャス男は消え去った。

「…まだ、あなたたちもミカドに立ち向かうだけの力はないのね」

残念そうに言うと、コカクチョウも飛び去っていった。

「…」

その後は、誰も、一言もしゃべらない。アイリスが黙々と東鳳風破の火傷を治療するだけだ。

勝ったのに、まるで実感が湧かない。

こちらの切り札となるはずの悪魔を自分たちの手で潰してしまったのだ。しかも、仮に新たな仲魔を得たとしても、敵に操られるのがオチである。

ようやく、敵の奥の手を出させることはできたが、それを打破する手段がない。…というか、俺たちでは手段の出しようがない。

「ヤツに、本当に勝つことができるんだろうか…」

誰の呟きだったかはわからない。だが、頭をよぎる思いは全員同じだ。

俺たちは答えを出すことができないまま、激戦の跡地にいつまでも立ち尽くしていた。

 

13章 希望



 体力面よりも、精神面で疲れ果てた俺たちが王大人飯店の店内に戻ったのは、そろそろ日が西に傾き始めたころだった。

入り口のドアを開けようとしたら、向こうから蹴破るかの勢いでドアが開け放たれる。

「皆さん!無事でし…」
 王大人が俺たちを心配して出迎えてくれたのだが、全員の浮かない表情と東鳳風破の火傷を見た途端、絶句してしまった。

 とりあえずその場は中に入って東鳳風破の手当てを始めたが、その顔は勝者のものではなかったのだから。

 勝つには勝ったが、何かしら困難な事態を迎えたに違いないと察したのだろう。

 パーティのリーダーとして、世話になっている彼にはさっきの戦闘の顛末を報告する義務がある。

気は乗らないが、一部始終をつとつとと語った。

「王大人、実は…」

 …聞き終わった王大人は、これ以上ないという渋面になった。

 「…どうやら、相手は予想以上の強敵だったようですね」

 「はい。普通ならあの白澤図でできることは、せいぜい際限のない召喚くらいです。

…まあそれだけでも充分脅威となりますが、俺の召喚した悪魔を操り人形にしたとなると…。

あの本の力以上のものをゴージャス男が引き出していることになります。」

 俺の言葉に、王大人は首をかしげた。

 「うーむ、私が彼を見たときの印象では、それほど古代文献や召喚術に精通しているようには見えなかったのですが…」

 「うむ、お主の見立てに間違いはない、ワシも同感じゃ。あの貧相な…うぐっ!!」

 親友の判断に同意したとばかりに口を挟んできた東鳳風破だったが、背中の痛みに言葉を詰まらせた。

すかさず、彼に肩を貸しているミユキがたしなめる。

 「無理しないでくださいよ、アイリスちゃんが言ってたでしょう。
  あの火炎魔法で、背中の筋肉までやられてしまって、回復魔法ではすぐには治らないって」

 「なんですって!?」

 突如、大声をあげたのは王大人だ。

 そして、改めて東鳳風破の傷口を念入りに診始めた。

ときどき、指を這わせて東鳳風破に「わぎゃあ!」とか「ごえええ!」などと叫ばせるのは、旧知の仲ゆえの気安さだろう。

 「…確かにひどいものですね。応急処置が良かったから時間をかければ完治しますが、

あなたともあろう人が、いったいどうしてこんな大怪我をするようなドジを踏んだのですか?」

 「…それは…」

 口を出そうとしたアイリスを、東鳳風破は手で制した。

 「あのいけ好かぬヤツめ、今日は20体近く手下を召喚してきおったのじゃ。

ミユキはカクエンと一騎打ちすることしか頭になかったし、あとは接近戦ができぬひ弱な奴ばかりだからのう。

その数に1人で飛び込もうものなら、いかにワシとて捌ききれぬ」

 「…なるほど」

 王大人は東鳳風破が隠した事実を察したようだが、とりあえず彼の言葉に頷いた。

 …それにしても東鳳じじい。

アイリスがドジを踏んだのを悟られまいと、そんな風に話したのだろうがなあ。

 その言い草では俺たちを庇っているのか、けなしているのかわからんぞ。庇おうとしたアイリスですら、ひ弱な奴扱いじゃないか。

 「まあ、あなたの本格的な治療は、時間をかけてじっくりするとしましょう。アイリスさん、彼の手当ては見事でしたよ」

 「あ…いえ、そんな…あたしにできることをしたまでですから…」

 王大人の言葉に、アイリスは恥ずかしさのあまり真っ赤になった。

…この仕草にだまされた男は数知れないんだろうな、こいつが悪魔もたじろぐ魔法使いとはつゆとも思わず。

 そこへ、リーが大きなお盆を持ってやってきた。その上には大きな湯のみが6つ。

 「みなさん、お茶ですよ」

 いいタイミングだ。気分転換にはちょうどいい。

 ひとまず、緊迫した話はそこで中断して、一息つくことにした。

 一口含んでみて、驚愕した。

 「う、うまい…!」

 どうやら全員同じ感想らしい。一瞬、眼をまん丸に見開いたまま硬直し、その後は舌鼓をうちながら

目を細めて飲み干していく。

 そんな様子を、王大人はにこにこしながら眺め、みんなが飲み干したのを確認して言った。

 「気に入ってもらったようでうれしいです。どうです、疲れの方も少しは取れましたか?」

 その言葉に、全員がはっと気がついたように自分自身の身体を眺めた。

そして、誰よりも驚いたのは他ならぬ俺だった。

 「…衝撃波での打ち身がまったく痛くない」

 さっき、モー・ショボーの魔法でやられたものだ。

 魔法の衝撃波を避けきれなかったとき、銃を使う右手と顔を庇って左手に打ち身ができたのだが、それが嘘のようにひいている。

 「身体がほかほかしてきた。なんか、今なら何でもできそうよ!」

 うれしそうな気合を迸らせているのはミユキだ。そういえば、彼女も凍結魔法の嵐を食らっていた。

 アイリスが回復魔法で体力だけは補ったものの、あれだけ派手に食らったから、
その後の戦闘でもなかなか体温は上昇しなかったはずなのに。

 「ふふふ、お茶の葉に特製の薬草を煎じておいたのは正解でしたね」

 王大人は自分の演出が図に当たった、といわんばかりに喜んでいる。

そして当の本人とリーも、おいしそうにお茶を飲み干した。

 このお茶で、重傷だった東鳳風破を除く3人は心身ともにリフレッシュした。

まったく、彼の出す料理の持つ治療効果には毎度のように驚かされる。

 さらには、さっきまで途方に暮れていたというのに、今では全員がゴージャス男を倒すための方法を何とかして考えようと気力をみなぎらせている。

 彼がお茶に入れた薬草には、体力を回復させるだけでなく、精神を安定させたり、昂揚させたりする効果もあるのだろうか。

 とにかく、その後の話し合いは、自分たちでも驚くぐらいスムーズに進んだ。

 「さてと。それじゃ、ゴージャス男の攻略法について、もう1回考えてみようか」

 「…とは言っても、基本的にはあの本をどうにかしないとダメなんでしょ?」

 俺がそう切り出すと、アイリスが即座に本題に入った。

 「まあ、そういうことだ。あの本を封じるか取り上げない限り、俺たちがゴージャス男に勝つことはできないだろうな」

 「あの本…確か、白澤図っていったっけ」

 「そうだ。中国人の祖先とも言われている、黄帝が白澤という聖獣から教わった、1万以上もの悪魔について記録した、いわば妖怪図鑑だ」

 俺の説明に、ミユキが眉根を寄せた。

 「…それに載っている悪魔だったら、ゴージャス男はどんな悪魔でも思いのままにできちゃうの?
さっき、御手洗さんの呼び出した悪魔を操ったように…」

 「…う〜ん」

 その点は、実は俺も疑問が残るところなのだ。

 あの男の戦い方から考えて、召喚師としての腕が俺より上とはどうしても思えない。

 だが、現実問題として、ヤツは俺の仲魔、ジャックランタンを意のままに操ってみせた。

それも、悪魔自身の意思は残したままでだ。

 そんなことをするには、召喚師としての実力差が歴然としたものでなければ無理である。

 そこが、納得がいかない。

 いくら白澤図があったところで、それは高性能のCOMPを手にしているだけのようなものだ。

優れてはいても所詮道具、あくまで使う人間の力量がものをいうのだ。

 でありながら、ヤツの悪魔使いとしての腕は、先ほどの通りである。

 特に戦法を指示することもしなければ、統率するでもなく、むやみに戦わせているだけである。

 4倍近い戦力を用意しながら、俺たちに勝てなかったことからも、いかに戦い方が下手かというのが知れるだろう。

 何かが、ちぐはぐだ。

 …ひょっとして、すべて召喚師としての実力差によるものだと考えていた俺が、何か大きな勘違いをしているのだろうか?

 「そうだと考えた方が良さそうね。その白澤図には悪魔を操る方法でも載っているんじゃない?」

 再びアイリスが口を開く。それで考え込んでいた意識が引き戻された。

 「のう、御手洗」

 今度は、東鳳風破か。

 「その本に載っている悪魔が操られるなら、載っていない悪魔を連れてくれば操られたりはせんのではないかのう?」

 「まさか!1万以上いるのよ、そんな都合のいい悪魔が存在するわけ…」

 アイリスが彼の意見を一蹴するのを、俺は途中から聞いてはいなかった。

 彼女は笑い飛ばしているが、今の東鳳風破の言葉に思い当たるものがあったのだ。

 「…造魔だ」

 最初はぽつりと。

 「え?」

 はっきり聞こえなかったのか、こっちを向く皆に、俺はほとんど喚いていた。

 「造魔だ、造魔だよ!それなら白澤図にも載ってないぞ!!」

 「な、何事だ、御手洗!?」

 俺が興奮している理由がわからず、中年武道家が戸惑った声をかけてきた。

 「オテさん、造魔って…あの人工の悪魔ってやつ?」

 「そう!さっき東鳳殿が言った、白澤図に載ってない悪魔だよ。造魔なら…!」

 白澤図に載っていない、現代に生まれた悪魔。

それでいて、人の手によって強化され、強力な古代の悪魔にも引けを取らない存在。

 それが、造魔だ。

 都市伝説などで生まれた悪魔は、確かに白澤図には載っているはずはないが、
その実力は長い年月を生き抜いてきた古代の悪魔に到底及ばない。

 中には実体化するのさえ容易ではないものもいるくらいなのだ。

 その点、造魔ならば、使用者たるマスターの実力次第で魔王クラスの、
それこそ世界を滅ぼすような悪魔にも対抗できる力をつけるようになるのだ。

 そして、明確な自我を持たない分、マスターの命令には絶対服従だ。

 今回、ゴージャス男の裏をかくには、まさにうってつけである。

 ただ、問題がないというとそうでもなく…。

 「それはいいけど、どうやって造魔を手に入れるつもりなのよ?」

 そう、余程のコネがあっても手に入らないことが唯一にして最大の欠点なのだ。

 まず、造魔は素体となる、ドリー・カドモンと呼ばれる特殊な粘土状のものが必要だ。

 そいつがマグネタイトを吸収して、悪魔となる肉体を形成するのだが、当然、これがどこにでもあるようなものではない。

 墓地のある一定の場所でしか取れない特殊な粘土に、何十年もかけて極秘とされる加工を施すことでようやく1体分のドリー・カドモンが得られる。

 しかも、成功率は決して高くないというから、造魔を手に入れたサマナーというのは周囲から羨望の眼差しで見られ、
同時にその造魔を奪われないように常に目を光らせるようになるとか。

 「…」

 さすがにすぐには答えられない。いや、時間をかけたとしても満足な返事ができたかどうか。

 長らく沈黙した後、やっとのことで口を開いた。

 「…確かに当てはない。日本に連絡して、マダムの情報網で当たってもらうか、サマナーズネットで素体を扱っている人を捜すか…それとも」

 「御手洗さん」

 それまで黙って聞いていた王大人が、珍しいことに俺の話を遮った。

 性格がよくできた人だから、今まで相手が喋っているうちは、
どんなことがあろうと決して口を挟んだり無視したりといった礼儀知らずなマネはしなかったのに。

 「造魔を持っている人なら、心当たりがあります」

 「な!!」

 「ほ、ホントに!?」

 「うわっ!王大人すごい!」

 「おぬし…やるのう」

 俺があれだけ返答に苦悩しただけに、王大人がどれだけ大変なことを言い出したか、全員がおぼろげながら理解したのだろう。

 「はい。もう10年近く前の話ではありますが、今のあなたの様子ですと、なかなか手に入らないもののようでしたから、
ダメでもともと、というので良ければ彼の元を訪れてみるのも意味があるのではないか、と思いまして」

 な、なんというめぐり合わせだろう。

 まさに天啓ともいうべき情報だ。

 「ね、願ってもないことです。ぜひとも、その人のことを教えてもらえませんか?」

 「はい、私がここを拠点として退魔組織を作り上げたときのことですが、当然のことながら周囲におかしな地脈はないか、
悪影響を及ぼす環境はないかを調査させたわけですが、その中に変な人形を持つ老人がいるという情報があったのです」

 「人形…?もしや」

 「はい。それが造魔の素体だったのです。ですが、当時の私たちは造魔というものを知らなかったため、
その老人を疑ってかかってしまいました。人形使いといえば、一般的にはそれを使って他人を呪う、呪術師を思い浮かべますからね」

 王大人のこの発言に、敏感に反応したのはアイリスだ。

 「偏見よね、それって。人形を身代わりや護衛として使って、たくさんの人を救った英雄だっているのに」

 「…まあ、そう言われると言葉もありませんが。そんなわけで、当時の私たちが彼に対して行なった調査は、自分で言うのも何ですが、
それこそ徹底的に家捜しをするようなものでした。
…何か、不穏当な証拠を見つけ出そうと躍起になっていましたから。
それに腹を立てた彼は、二度とここに来るなと言い放ち、造魔の技術を応用した護衛まで付けて、我々を追い払ったのです」

 「…むう、それはまた、えらく嫌われたものだのう」

 「しかたがありません、私としても若気の至りだったと痛感していますよ。
とにかく、我々も行き過ぎたことをしたと、何度か謝罪に訪れたのですが、彼はそれ以降決して私たちの前に姿を現さなかったのです。
1度は、護衛の造魔に襲われて、犠牲者が出そうになったことさえありました」

 「…」

 やれやれ、せっかく造魔を手にすることができる当てができたと思ったら。

 王大人の話では、彼の紹介でやってきました、なんて言って俺たちがのこのこ出向こうものなら、
その護衛とやらに返り討ちに遭うかもしれないってことか。

 「でも、行くしかないな」

 俺は皆の意見が出る前に、一足飛びに結論を出した。

 今の俺たちには、造魔を手に入れなければゴージャス男に勝つことはまずありえない。

メンバーの意見を無視するような強引なことをしてでも、やらなくてはならないのだ。

 と思っていたが、他の3人は俺の独断をあっさりと受け入れた。

 「そうだよね〜」

 「ええ。いくら怒っていたって、もう10年も前なら、当初ほど怒っていることもないでしょ」

 「うむ、友人として、ワシが王の代わりに頭を下げてもよいぞ」

 これには、俺が拍子抜けした。

 が、他の3人の思惑は、俺の考えとは別のところにあったようだ。

 「皆さん…ありがとうございます!」

 「わたしも、お礼を言います」

 王大人とリーが、感極まった様子でお礼を言ってきたのだ。

仲間も、決断を出した俺ではなく、王大人たちの方を見ている。

 …そうか。みんな、王大人たちの顔を立てたのか。

 何か胸にもやもやするものがこみ上げてきて、一瞬、苦々しい表情を浮かべたのが自分でもわかった。

 任務より世話になった王大人に、何らかの形でお礼をすることを優先した仲間に対して、
彼をあくまでもスポンサーとしてしか見ていなかった自分に、にわかに嫌気がさしたのだ。

 そういえば造魔を手に入れるという解決方法も、元はといえば東鳳風破が口にした言葉をヒントにして出したものだ。

…厳密に言えば、俺が出した結論ではないことになる。

 俺1人では、何一つ満足にこなせないってことなのかよ?

 …そんなどす黒い感情を、無理やり飲み込んで平静を保つ。

 俺はこの連中のリーダーなのだ。

ドジを踏むことはあっても、仲間に顔向けできなくなる言動は決してやってはならない。

 それに、王大人の謝罪を何とか伝えたいというみんなの意向には、俺も異存はない。

 「じゃあ、明日にはその老人の元に行って、過去の行為を謝罪した上で造魔を譲ってもらうか、せめて貸してもらえないか説得してみよう」

 俺の言葉に、王大人は目頭を押さえていたハンカチを顔から離してこちらを向いた。

 …正直、焦った。

 彼にとっては、その老人にした行為は、感激のあまりとはいえ泣くほど頭を悩ませつづけてきたということだろうか。

 「ほんとうに、ほんとうにみなさんにはどう言って感謝したらよいか…。
  そうだ、みなさんが彼の許しをもらっていただけて、ここに戻ってきたら、取って置きのお礼をするということにしましょう。
  …では、まず彼の住処をお教えしましょうか」

 そう言って、王大人はまだ鼻声のままリーに地図を持ってくるよう指示した。

 ややあって、リーが持ってきた拡大地図をテーブルに広げて、王大人は場所を指し示した。

 「…この辺ですね。地図には描かれていませんが、車で2時間ほど走った場所に、鍾乳洞があるのです。その一番奥に住んでいるのですが」

 「…ですが?」

 王大人の言い回しに何か含みのあるものを感じて、ミユキが先を促した。

 「当時の私たちが再三訪れたのを疎ましく思ったのか、彼は鍾乳洞の入り口をほとんどふさいでしまいました。
  今では、幾つもある鍾乳洞のどれが彼の住処に繋がっているのか、見当もつかない状態です」

 王大人のため息に、東鳳風破は鼻息で答えた。

 「ふん、ならばしらみつぶしに探していけば良いだけのこと。時間は多少かかるだろうが、王よ、ワシらに任せておけば心配いらんぞ!」

 「…その行動が心配なのです」

 「あ!?」

 「彼は入り口をただふさいだわけではありません。中にはたくさんの護衛がいますし、罠も仕掛けてあるようです。
力づくで辿りつくことはできません」

 王大人の返事に、東鳳風破は唖然とした。

 「おぬし…なんでそんな詳しいことまで知っていながら、自分で出向いて行かんのだ?」

 「だから言ったでしょう、強引に乗り込んでいって、犠牲者を出しそうになったって。
ここの責任者たる私が、命の危険を省みずに行動しては部下にしめしがつきませんよ」

 「むむう…それもそうだな」

 とうとう東鳳風破は黙り込んだ。そこに、俺は強引に2人の間に割り込んだ。

 「いずれにせよ、一筋縄ではいかないということですね」

 「御手洗!?何を…」

 そ知らぬ顔で俺は先を続ける。

 「だったら、俺のほうで少し準備したいものがあります。
明日出発するのは遅くなりますが、向こうへ着いてから探して廻る時間は一気に短縮できるものです」

 「…?」

 俺の言いたいことが理解できないのか、王大人と東鳳風破は眼を丸くしている。

 「COMPのプログラムに、偵察用のものがあるんですよ。それをダウンロードして、
遠隔操作用のカメラを今日中に注文できれば、わざわざ危険な洞窟に入らなくても正しいルートがあらかじめわかる、という見込みです」

 「…ほう!」

 「素晴らしい。御手洗さん、コンピュータとはそこまでできるものなんですか!?」

 …ったく、このローテクじじいどもは。

 俺はこのプランに感動ひとしおの中年どもを適当にあしらった後、リーに声をかけた。

 「…そこでリーさん、ちょっと」

 「何かな?」

 「さっき言ったように、このプランを実行するためには専用のリモコンカメラが必要になるんだけど、俺は中国語ができない。だから、代わりに…」

 「おお、なるほど!わかりました、はい!」

 おしまいまで言ってしまわずに、リーは心得たとばかりに返事した。さすがにこの辺は察しがいい。

 「じゃ、この商品番号のカメラを買ってきてください」

 そう言って俺はメモを渡した。

超小型のマイクロカメラと、一見プラモデルに見える小型飛行キットの組み合わせだ。

 「はい、では行ってきます」

 言うが早いか、リーは王大人飯店を飛び出していった。

 「珍しいじゃない。オテさんが他人にお使いを頼むなんて。なんでいつもみたいにネットから買わないの?」

 アイリスが納得いかない、という顔で訊いてくる。

 「宅配便で届くにはどうしても2日以上かかるからな。明日には必要という、今回みたいな場合は間に合わないんだ。それに」

 言いながら俺はCOMPを起動した。

 「これから偵察プログラムをダウンロードするんだが、これって相当な時間がかかるんだ。
その間は購入サイトに入れないから時間をかなりロスすることになる」

 「ふ〜ん」

 アイリスに答えてやりながらも、俺はCOMPに目的のプログラムをダウンロードする手はずを整えていく。

と、そのときだった。

 「あいやぁっ!?」

 そろそろ耳に馴染みだした叫び声とともに、リーが扉の向こうから押し出されてきた。

後ろ向きで踏ん張ろうとしたが堪えきれず、しりもちをつく。誰かに突き飛ばされたようだ。

 間髪入れずに聞き慣れない女の声が、廊下から部屋の中に響く。

 「ちょっと、彼にこんな買い物押し付けたのは誰よ!?」

 その声を聞いた途端、王大人が飛び上がった。

 恐る恐る戸口を見る彼には、もはや組織の責任者としての貫禄がごっそり抜け落ちている。

一体、何者が扉の外にいるんだ?

 

14章 帰宅者

 

 「ら…ランファン!…」

 王大人はそう言うと、戸口に駆け出そうとした。

 が。

 「あたしはランファンじゃないわ!瑠璃堂 ルリよ!何度言ったらわかるのよっ!!」

 扉が向こうから開くと同時に、ヒステリックな叫び声が空気を切り裂いた。

その迫力に王大人は思わず足を止める。

 そして、声の主が姿を現した。

 全身黒づくめの、若い女性である。

 漆黒のマントに、裾の長い黒のロングドレスが妙に雰囲気にマッチした女だ。

 つばの広い帽子で顔が良く見えないが、隙間からのぞくストレートのロングヘアと整った顎のラインのコントラストがきれいだし、
素顔は結構美人ではなろうか。

 「…!」

 何か中国語で王大人が女性に話し掛ける。が、次の瞬間、俺たちはまったく予想外の単語を耳にした。

 「父さん、あたしに中国語で話し掛けないでよ」

 ルリと名乗った女性は、なんと王大人に向かってそう言ったのだ。

 「と、父さん!?」

 「ええっ!」

 「だ、だって日本語でずっと話して…?」

 俺たちがいかに混乱したかはわかってもらえると思う。

 彼女、部屋に入る前からずっと日本語でしゃべっていたのだ。

それに、自分で「瑠璃堂 ルリ」などというちょっと怪しげではあるが、日本名と思われるものまで名乗った。

 どう考えても、日本人だと判断して当然だろう。

 なのに、彼女は王大人を父と呼んだのだ。

 ということは、彼女は王大人の娘であり、中国人ということになる。

 …いったいどんな事情があるというのだろうか。

 だが、俺とミユキ、アイリス3人の驚愕を2桁ほど上回って驚いたのは東鳳風破だ。

 「お…王よ、おぬし、娘がいたなどと、ワシにはこれっぽっちも…」

 それっきり、彼は口をぱくぱくさせるばかりだ。

 「あ…」

 王大人は釈明の言葉を並べ立てようとしたのだろう。

だが、おそらくは彼がこの中で一番混乱しているのだろう。

 東鳳風破に向かって、中国語でべらべらと話してもなあ。

 「王大人、落ち着いて。日本語で、日本語で」

 リーが何とか助け舟を出そうとするが、それも彼の耳には届いてない。

それを見て、ルリと名乗った女性はため息をついた。

 「どうやら、この方たちは父さんの部下というわけじゃなさそうね。

…改めて自己紹介するわ。始めまして。王 飛雲の娘で、瑠璃堂 ルリといいます。父がお世話になってます」

 そう言って、帽子を取ってぺこりと頭をさげた。

 つられて、俺たちも頭をさげてしまう。

 「あ…ご丁寧にどうも、御手洗 左京といいます」

 「…ミユキ・コーランです」

 「アイリス・ヤマグチといいます、わたしたち、日本から来ました」

 すっかり彼女のペースにはまってしまった。

が、一人取り残された人物がいた。

 東鳳風破である。

 このおっさん、やっとのことでショック状態から脱出できたらしい。

 「お、おぬし、…王の娘というのは本当か!?」

 「本当ですよ。顔も父に似ているとよく言われます。

…それにしても、あたしは自己紹介したというのにあいさつなしというのは、あまりにぶしつけじゃありませんか?」

 そう言って、ルリは東鳳風破を軽く睨んだ。本気で怒っているわけではないらしい。

 …確かに、彼女が自分で言ったとおり、鼻筋が通っているところや眉の形は王大人にそっくりだ。

それになかなかの美人でもある。

 年の頃は21か22だろうか、ミユキとほぼ同年代に見える。

 ここで、東鳳風破もやっと我に帰ったようだ。

 「おお、そうであったな。ワシは王の友人で東鳳 風破じゃ。

…にしても、おぬしのような娘がおったなどと、王からは何一つ聞いてなかったぞい?」

 それを聞いた途端、王大人が慌てふためいて口を挟んできた。

とはいえ、さすがに彼も自分のペースを取り戻したようだ。

 「東鳳さん、これには込み入ったわけがありまして。実は…」

 せっかく日本語で話すまでに回復した王大人を、この娘は容赦なく押しのけた。

 「実はあたし、中国人がだいっきらいなんです!」

 「ランファン!…」

 またも中国語モードに戻ってしまった王大人。

それで怒鳴りつづけるが、当の本人は涼しい顔して受け流すし、俺たちには意味がわからない。

 リーだけがおろおろしている。

 王大人の言葉からすると、どうやらランファンというのがルリの本来の名前らしい。

 とにかく、中国語で話している王大人には話が通じないし、
事情が今ひとつ飲み込みきれない俺たちとしてはもう一方の当事者であるルリに話し掛けざるを得ない。

 「あの〜、君が中国人でありながら中国人が嫌いというのは、どうしてなんだい?」

 「ん、なになに?あたしのことに興味があるの?」

 何やら意味ありげな表情で俺の顔をじっと見つめてくるルリ。

 この感覚は、女悪魔との交渉で何度か経験したことがある。

 こっちを誘惑して、うまく利用してやろうという顔つきだ。

 「そりゃあ、な。かなり複雑な事情がありそうだから、差し支えなければ聞かせてもらおうと思って」

 「…なんだ、そっちなの」

 魅惑の視線に内心どきりとしたのを隠しつつ、表面上はさらりと受け流す。

 「…中国人なんて、姑息なだけの見栄っ張りなのよ」

 いきなりそう言い出した。最初は何を言いたかったのか、わからなかったが。

 唐突ではあったが、俺の問いには答えようというのだろう。

…気になったのは、のっけから彼女はそう毒づいたが、その口調はまるで怒りがこもってない。

 彼女も心の底では、本気でそう思ってはいないのだろう。

そうでなければ、自分の知る事実だけを淡々と述べるつもりなのか。

 「知ってる?中国人って、物事を正確に言わないで、誇張して話しても当たり前のような顔をしてるのよ。
以前はあたしも、他の国の人もみんなそうなんだって思ってた」

 「なるほどな。何らかのきっかけで外国人と話す機会があったわけだが…」

 俺が合いの手を入れると、ルリは我が意を得たりとばかりに乗ってきた。

 「そうなの!そしたら、話をずんずん誇張して嬉しがるのって、中国人だけだったのよ!!
そうだと知ったときのあたしのショックはひどかった〜…」

 つかの間、遠い眼をするルリ。

 「もちろん、立派な中国人だってたくさんいるのは知ってる。

でもあたしは、中国人だからっていうだけでホラ吹きだって思われるのは耐えられなかった。

だから心は外国人でいたいって思って、手始めに日本のことをずいぶん勉強したの」

 これはちょっと根が深そうだ。

 確かによどみなく日本語は話すし、中国人嫌いな理由もそれなりに筋が通っている。

それだけに、ルリの中国人嫌いは半端なレベルではないだろう。

 そこに、やっと完全に立ち直った王大人が口を挟んだ。

 「…お恥ずかしい限りですが、この子の言ったとおりです。
ラ…いえ、ルリは嘘つき呼ばわりされるのだけはイヤだといってきかず、
それならいっそのこと外国人として生きる方がましだと言い出しまして…」

 彼の言葉にミユキが疑問を発した。

 「う〜ん、でもまだ2つほどわかんないな。まず、どうして日本人を選んだの?」

 ルリが日本語や日本名を使っていることを言っているのだ。

 ルリは、それに対して実にあっけらかんと答えた。

 「一言で言えば…サムライに憧れたからかな」

 こ、このミーハーエセ日本人が!

 思いは全員同じものだったらしい。

王大人を除く全員が一斉にずっこけた。

リーですらこけているんだから、彼も初耳だろう。

 「だって、映画とかでも今サムライのやつがすごくかっこいいじゃない。
あれを観たときは、日本語を必死に勉強しといて本当に良かったって思ったわ〜」

 おいおい、こいつ映画だけで日本に感化されたのか?

 「…まあ、日本をひいきにしてくれることはよくわかった。
王大人の娘さんということは、これからも世話になるだろうから、以後よろしく」

 あまりの突拍子もない展開についていけそうもないが、とりあえず、無難にその場をまとめてみた。

 「うん、こちらこそ」

 向こうも再度おじぎをした。一同が納得したのを確認して、ミユキがさらに尋ねた。

 「じゃあ、次の疑問。…これは王大人に訊くべきかも知れないけど、
わたしたちはともかく、友人の東鳳さんにまで自分の娘のことを黙ってたのはどうして?」

 一瞬、王大人の顔がパニック状態に引き戻った。

 が、今度はすぐに元の表情に戻る。そして、言いにくそうにぼそぼそと語り始めた。

 「…お恥ずかしい話ですが、娘が中国人でありながら外国人のまねをしているなどと、
例え友人であろうと声を大にして言うことができませんで…」

 ううむ、確かに言われてみればその通りだ。

 自分の娘が外国人にかぶれている、などと他人に言いふらすバカは日本でも、いや世界中のどこを探したっているはずがない。

 ましてや、王大人はここの責任者だ。

娘がそんなことになっているとわかれば、部下の士気だって低下するのは目に見えている。

 さっき、俺たちの顔を見たとき、王大人の部下じゃないことを確認したのは、それについて父親にかなりきつく言いつけられているからだろう。

 先ほどのリーの態度を見ていると、彼だけは例外としてこのことを知っているに違いない。

だがそうなると、なぜリーは例外なのか?

 「しかし王大人。そうなるとそこで立っているリーにこのことを聞かれるのはまずいのでは?」

 聞いてしまってから気がついた。

 王大人もルリも、彼がいて当たり前のように振舞っているということは、
彼はそこまで王大人の信頼を得ている腹心ということになるのではないか。

 ルリの返答は、俺の予想を裏付けるものだった。

 「ああ、彼なら父が小さい頃から片腕にすると言って育ててきた、いわば生え抜きなのよ。…って、思い出した!」

 突然、ルリの声が乱入当初のヒステリックなトーンに戻った。

 「久しぶりに帰ってきてリーに会ったから、何してるのか聞いたら、
日本のお客さんに頼まれて偵察用の超小型カメラ買いに行くって言ってたのよ!
誰よ、そんなデタラメなこと言いつけたのは!?」

 「お…俺だけど」

 とりあえず返事だけはしておいた。どうも彼女、部屋に入ってきたとき、リーを突き飛ばしたことを思い出したようだ。

 ルリの突拍子もないキャラクターに引っ掻き回されて、彼女がなぜあんなことをしたのかということが棚上げになっていたが、
あれほど激怒していたのだ。

 なんでルリが激昂しているのかわからず、つい及び腰になってしまう。

 ルリは、眼を細めて俺の顔にずいっと近寄ってきた。女性にしてもかなり背が低いため、
下から上目遣いで見上げる格好になり、突き上げられそうな感覚に陥る。

 「あなたねえ…」

 すぐ目の前で小声でささやいたと思うと、ルリはすううっと息を吸い込んだ。

げ、こんな間近で怒鳴り散らす気か!?

 周囲ではらはらしながら見ている連中も、思わず首をすくめた。

 が。

 「中国の工作技術の甘さをなめちゃだめよ。形や基本性能は日本製品に近いものが作れるけど、
精密機械はどうしてもレベルが違いすぎる。時間がないからって、間に合わせの安物で満足しないで」

 この娘、至近距離の俺でも聞き取れるかどうかという小さな声で言ってきた。

 周りの者は彼女の話がまったく聞こえず、話し終わってもまだ首をすくめて、怒鳴り声の炸裂が今か今かと待っている。

 …この女、何を考えている?

 おっかなびっくりでルリの顔を覗き込むと、俺の目の前でいたずらっ子のような表情で、

俺にだけにわかるようにクヒヒヒと笑っているではないか。

 そして、おもむろに唇を近づけてきて…俺の唇に当たる寸前でぴたりと止めた。

 「まあ悪くないルックスだけど、やっぱりタイプじゃないわ」

 そう言って、ぷいっとそっぽを向いたではないか。

 なんか様子がおかしいと、こわごわ俺たちの様子を伺い始めた一同は、今のキスの寸止めを目撃してずっこけた。

 王大人などは拍子抜けしたような、どこかほっとしたような顔で娘を見ている。

 俺としてはそれだけでも顔から火を噴きそうなのに、ミユキとアイリスの反応は到底許せん。

 「うっふっふ〜、オテさん、ものの見事にフラれたね」

 「もう、こんなところで外国にコネを作ろうとでもしたの?だったらあたしが魅了の魔法でも教えてあげたのに」

 「お、お前らなぁ…!」

 こーいうスキャンダルの類は放っておくと延々と続くからな。やられる方はたまらん。

ついついジャケットの拳銃に手が伸びてしまう。

 …まったく、この調子では日本に帰ってからでもからかわれそうだ。

 それにしても、このルリという娘は…。

 精密機械に関して安物買いはやめろと言いたかったようだが、
リーや王大人の手前、中国を貶めるようなことを聞かれたくはなかったんだろう。

 だからといって、これではまるで俺が彼女にプロポーズして玉砕したみたいじゃないか。

 …待て。これは、もしかして。

 どうやら彼女、頭にきて俺を怒鳴ろうとしたものの、男性の顔を間近で見て赤面し、思わず見とれたが、
結局気まぐれを起こしてうやむやにしました、というシナリオでヒソヒソ話の内容を隠そうとしたのではないか。

 だが、そんな展開では、男の方が一方的に割を食わされる。

 その証拠が周りの連中の冷やかしようだ。

 「おぬし、なかなか隅に置けぬのう」

 「日本の人、大胆あるな」

 東鳳じじいやリーまでもが俺を冷やかし始めたのだ。オマケに、王大人までもが。

 「御手洗さん…娘を日本にまで嫁に出すのはちょっと…考えさせてもらえませんか?」

 こんなことを言い出されたのでは、もはや冗談では済まされない。

 「いい加減にしろ!!それ以上はもう容赦しないからな!」

 もう堪忍袋の緒が切れた。

 喚きながら一挙動で銃を抜き、同時にCOMPも起動した。

 まだ言うつもりなら、銃弾でも仲魔の攻撃でも、好きな方を選べ。

 そこまでの気迫をみなぎらせながら、やり場のない怒りをもろに撒き散らしつつ周囲を睨んだ。

 さすがに、これはみんなの顔色が青ざめた。

 「わ、ちょっと…御手洗さん、ただのおふざけだってば」

 「そうよ、なにも本気で怒らなくても…」

 こいつらは宥めれば済むと思っているようだが、今回ばかりは簡単に機嫌を直すつもりはない。

 と、そこに東鳳風破が間に割って入った。

 「…いいや、今のはワシも含めて全員がやりすぎた。済まなかったの、御手洗」

 「東鳳…さん?いつもと比べて妙に弱気じゃない?」

 ミユキの問いに、東鳳風破は黙って壁際を指し示した。

 そこにいたのはルリだ。

 さっきまでと違うところといえば、両目にうっすらと涙がにじんでいることくらいか。

 「ごめ…ごめんなさい、御手洗さん…みんなにここまで茶化されたら、怒るのも無理ないよね」

 口元に手を当てて、えっく、えっくと嗚咽までもらしている。これを見てリーと王大人が同時に彼女

に駆け寄った。

 「あ、あわわわ」

 「お、おい、しっかりしろ、もうみんな彼にどうこう言ってるわけではないから落ち着け」

 なんとか泣き止ませようと必死になっている彼らを、なんとルリは振り払った。

 そして俺に飛びついてきて、胸に顔を埋めたかと思うと…

 「うわあああん!」

 とうとう大声をだして泣き出した。おいおい、どうしろっちゅうねん!

 仲間も父親もいる手前、下手に抱きしめて慰めることもできず、
とりあえず両肩に手を置いてやったはいいものの、その先はどうしようもない。

 が、ばつの悪い思いをしているのは俺よりも仲間の方だった。

 「御手洗さん、娘を頼みます」

 王大人は短くそう言うと、全員を促して部屋から出て行った。リーと仲間たちもそれに続く。

 ばたん。

 扉が閉められると、広い部屋の中に、俺とルリだけが残った。

 「おい、もういいって」

 俺はそう声をかけて、ルリを身体から離した。

 身内を相手にあそこまで芝居をやってのける女だ。

女性と思わず、策士として彼女を見ていれば、その目的や考え方も読めてくる。

 …さっきまでの険悪な雰囲気を、彼女なりにどうにかしたかった。

当事者の片方である自分が泣き出せば、みんなは自分たちを持て余して、ほとぼりを冷まそうとするに違いない。

 そう考えて、嘘泣きを敢行したはずだ。

 でなければ、あまりにタイミングが良すぎる。

 「…うん」

 案の定、そう言った彼女の声は、もう泣いているときのものではない。

 だが、顔は泣き出しそうになったままだ。

 …あれ?

 「御手洗さん、ごめんなさい」

 真剣な表情で謝るルリ。

 あれれっ!?修羅場をごまかそうとして嘘泣きしていただけじゃなかったのか!?

 「父やリーまでよってたかって、あなたを困らせるなんて予想外だった。
あたしは、単にヒソヒソ話のことをうまく隠せればそれでよかったのに…」

 「…あ、ああ、それは一応気がついていたが」

 「みんながいるから、中国のことを悪く言うようなことは聞かれたくなくて一芝居打っただけのつもりだったの。
…それが、まさか大ゲンカの一歩手前までいくなんて…」

 「う、まあケンカには違いないが、そこまで深刻にならんでも」

 喋っている声がだんだん涙声になってくるのを俺は冷や汗もので聞いていた。

このままでは本気で泣き出してしまいかねない。

 そんなこんなでしどろもどろで返事しながらも、俺はルリのことが気に入っていた。

 彼女はずる賢い面を持ってはいるが、責任感の強い女だ。信頼関係を築けば、心強い味方になるのは間違いない。

 「ほんとにごめんなさい。あたしで手伝えることがあったら、何でもするから」

 そう言い切った彼女の眼に嘘偽りはない。

 まっすぐに見つめてくる、彼女の思いに応えなくては失礼というものだ。

 「…ああ、そのときは遠慮なく力を貸してもらうよ」

 それを聞いて、彼女はやっと微笑んだ。

 「ありがと!それじゃ、みんなを呼んできましょ」

 スキップでもしそうな足取りで、ルリはドアに走っていった。

 「ふう」

 どうにか泣かさずに済んでほっとしたぜ。

 父親のいるところで娘を泣かせようものなら、結婚を迫られてもおかしくないからな。

まだそんなつもりもないし、家族なんか持ったらこの仕事をやっていけなくなるかも知れん。

 ややあって、ルリに呼ばれてきた一同は、彼女も加えて改めて明日の方針を決めることとなった。

だが…。

 このとき、ルリがいることで嫌な予感がしたのは俺だけだったのか?

 …ともかく、口火を切ったのは王大人だ。

俺がルリの意見に従って、時間はかかるが超小型カメラを日本から取り寄せることにしたと言ったからだ。

 せっかくの提案を自分で取り下げたものだから、王大人も混乱して当然だろう。

 無論、ルリが言ったことは伏せてある。

でなければ、何のために彼女が一芝居打ったのかわからなくなるからな。

 「さて、御手洗さん。小型カメラをあきらめると言うことは、他に何か方法があるのですか?」

 「…いえ、多少日数がかかるかも知れないのですが、届くまで待つしかないと思ってます。
今しがた、注文はしましたので、早ければ明後日には着くはずですが」

 これに反論したのはリーだ。

 「御手洗さん、それでは遅すぎます。
ゴージャス男が一昨日の襲撃から今日まで、丸一日我々を放っておいたの、どうしてだと思います?」

 …?

 「復帰したばかりのエージェントが、今朝持ってきた話です。あの男、昨日は国会の席にいきなり姿を現したそうです」

 「なに!?」

 王大人を除く全員が席から立ち上がるほど驚いた。

無理もない。

中国政府のトップに直接交渉を持ちかけようとするとは、誰が想像するだろう。

 敵は、いつの間にか野望を実現させるために本格的に動き始めたのだ。

 「で、では、あやつは中国政府に行政権を譲れとか、そういう要求でもしたのか?」

 東鳳風破が全員の疑問を代表して聞く。

 「あいや、まだそこまではしてないよ。昨日はあいさつしにきただけだ、と言って消えたそうです。
…でも、次は何を言うかわかりません」

 …むう。

 「だから、敵の目を無理にでもこっちに向けないとだめ。毎日何か動きがあること見せ付けて、他に注意がいかないようにしないと」

 確かに彼の言うとおりだ。

 「とはいえ、もう1回小型カメラ買うと言っても、さすがに今からではお店も閉まっているよ」

 アイリスが腕時計を見ながら言った。

 既に時刻は7時になろうとしている。

日本と違って、郊外の店は閉店時間がかなり早い。

電化製品店など、とうにシャッターが降りているはずだ。

 買いに行くのが遅れた理由は言うまでもなくルリの奇天烈な登場によるものだ。

 が、今はそれどころの話ではなくなっている。

 王大人は難しい顔をして考え込み、ややあって苦々しい表情で呟いた。

 「どうしたものか…。当初の予定通り、力ずくで洞窟を突破するしかないですかねぇ…」

 と、そのときルリが立ち上がった。

 「あたしが道案内するわ」

 うわ…。

 嫌な予感が当たった。

 当然のごとく王大人が猛烈に反対した。

 「ラン…じゃない、ルリ!お前にはまだそんなことはできないはずだ、訓練や試験とは違うんだぞ!」

 「あたしが何日も留守にしていたのは、父さんがやかましく言っていた道術を磨くためなのよ!?」

 「確かに道術の修行は怠るなと言ったが、まだお前は未熟だ。
失敗したら自分の命だけじゃない、仲間にまで迷惑をかけることになるんだぞ!」

 「ろくに腕前も見ないで知った風な口を利かないで!」

 「いいや、わかる!!」

 「わかってないわよ!!」

 …すご。

 いやはや、彼らにとっては外国語である日本語で、これだけ流暢に親子ゲンカをしてくれるとは恐れ入る。

それも、俺たちの目の前で。

 アイリスがジト目で彼らを睨みつつ、すり足で器用に俺の側までスライドしてきた。

 「オテさん…あたしたちとしては、これをどうしたらいいの?」

 「う〜ん」

 半ば親子の問題となってきたこの状況を、俺が無理にこじ開けようとしていいんだろうか?

 「…いいんじゃないの?」

 まるで俺の迷いを見透かしたかのように、ミユキが耳打ちしてきた。

 「あれじゃあ、どこまでいっても解決にならないわ。むしろ、第三者が状況を打破するきっかけを作った方がすんなりいくものよ」

 確かに彼らの言い合いは、親子ゲンカや痴話ゲンカというレベルにまでなっている。

もはや今後の方針をどうこうするというような内容は一言も出てこない。

 「確かにそうみたいだが…お前、プロレスラーのくせによくそんな機微が理解できるな」

 俺としては、素直に感心したつもりだったが、ミユキはたちまち膨れっ面になった。

 「わたしだってこれでもレディーなのよ、がさつじゃないつもりなのに」

 「あいたっ!」

 …このアマ。愚痴のついでに1発はたくとは何事だ。

 とはいえ、そろそろ誰かがこの言い合いに決着をつけなければなるまい。

俺は、今にもお互い掴みかからんばかりにヒートアップしている2人に聞こえるように、大きく息を吸い込んだ。

 「もうそのくらいでいいでしょう、2人とも!」

 「うわっ!?」

 部屋中に響き渡るような大声に、王大人とルリは首をすくめて飛び上がる。

 「このままじゃ埒があきません、ルリには我々に同行してもらって道案内をしてもらいましょう」

 この結論に、王大人が猛反発するのは予想済みだった。

 「そ、そんなことして、もしこの子がしくじったらどうなるんですか!場合によっては、あなたがた全員の命を危険にさらすことに…」

 「危険は承知の上です」

 俺は王大人の反論を、ぴしゃりと押さえ込んだ。

 「彼女、さっき俺に迷惑をかけたから、できることがあれば手伝わせて欲しいと言っていたのです。

ですから、彼女が腕に自信を持っているならこれでチャラにしようと言っているんです」

 「しかし…」

 「それに」

 ごめんなさい、王大人。

これを言ったらあなたは引き下がるしかないのはわかってます。

 「あなたが本当に心配しているのは、危険な場所に向かう娘さんの安否じゃないですか?
だとしたら、我々を信用してください。ここを2度の襲撃から守りきった実力を」

 こうなると、さしもの王大人もぐうの音も出なくなった。

 決定だな。これで明日の方針も、同行者も。

 

15章 準備

 「…何よ、夕べさんざんカッコつけといて、中年一人置いてくることもできなかったなんて」

 今日6回目になる、アイリスの悪口だ。

 夕べ、全ての予定が決まったものと思っていた俺の考えは、甘かったと言わざるを得なかった。

あの後、背中の火傷が完治していない東鳳風破が一緒に来ると言い出したからだ。

 「ワシがいないで、どうやって敵どもを押さえ込むつもりじゃあ!」

 などと騒いで、どうしても静養することを承知しなかったのだ。

 どうにも彼は納得しそうにない、ならば早朝にこっそり出かけてしまおうと思った俺だったが、
計画をメンバーに告げて、夜明けに王大人飯店を抜け出そうとしたら、

 「年寄りの朝は早いものと覚えておくのだな」

 と、店の前に止めてあったワゴンにもたれかかって含み笑いをしていたのだ。

 かくして、彼を含む5人を乗せたワゴンは、ルリの運転で王大人飯店を出発し、目的地の洞窟へ向けて北上していた。

 威勢のいいことは言ったものの、重傷者である東鳳風破は最後部の座席を2つ使ってうつぶせに寝ている。

もちろん、背中の患部に刺激を与えないようにだ。

 「なんでこんな重傷のおじちゃん連れて探検なんかしないといけないのよ!!」

 自分が治療した相手が無茶をするのが気に入らなかったのか、アイリスはことの他機嫌が悪かったのだ。

 真ん中に俺とアイリス、助手席にミユキ、運転するのがルリという席である。

 東鳳じじいに、ものの見事に出鼻をくじかれた俺たちは、道中バカ話をする気分にもなれず、黙り込んだままシートにもたれていた。

 でも、そうしているうちに時間が経てば気分は紛れてくるし、代わり映えしない景色にも飽きてくれば、なにか喋ろうとするヤツはいるものだ。

 助手席のミユキが、運転するルリの顔を眺めていてふと口を開いた。

 「そういえば…ね、ルリさん。あなた…」

 「ルリ、でいいわ」

 「あ…はいはい。じゃあ、ルリ。あなた、洞窟の道案内をするって、どうやるの?あらかじめそこに入って、地図を作ったことがあるとか?」

 大まじめな表情のミユキに対し、ルリはくすりと笑った。

 「ははは、まさか。あたしが修行の成果を試したいと思うような歳になった頃には、護衛の造魔がうじゃうじゃいたのよ。
そんなとこに父が入れさせるわけないわよ」

 「じゃあ、どうやるの?」

 「…う〜ん、どう説明したものか」

 ルリは首をひねって考え込もうとした。

 「わ、おい!前見て、運転中だぞ運転中!」

 あっけなく蛇行し始めたのを感じて、俺は慌ててすぐ目の前の運転席に声をかけた。

焦らせるなよ、まったく。

 「あ、そうだった」

 首の運動を止めると、車の蛇行はぴたりと止まった。

運転は下手ではないようだが、決して慣れているわけじゃないな、この様子では。

 「…そうそう、道案内の方法だったっけ。
夕べ、父さんと口ゲンカになったのが、道術の修行に関係してるのは気がついてたかな?」

 「?ええ、そんなことも言ってたわよね」

 「一言で言うなら、その道術を使って道しるべを作っていく、というべきかしら」

 「?」

 ミユキはよくわかんないな〜、という表情を作る。

それを横目でちらっと確認したルリは、こう付け加えた。

 「まあ、具体的にどうやるかは、見てのお楽しみということにしておくわ。百聞は一見に如かず、とも言うじゃない」

 「お前…よくそんな日本の諺を知ってるな」

 ついつい感心してしまった。すると、ルリはあっさりと言った。

 「お父上の教育のたまもの、とでもいうのかな〜。父さんにはずいぶん漢詩を叩き込まれたの。
そんで、日本の諺って中国の故事を元にしたものが多いでしょ。なじみ易かったのよ」

 「ほー…」

 「オテさん、オテさん」

 人が感心しているというのに、唐突にアイリスが話に割り込んできた。

 「夕べオテさんはうまく王大人を丸め込んでしまったけど、あそこまで言えたってことは道術の使い道を知ってるんじゃないの?」

 「ああ、あれは適当に話を合わせただけだ。俺も道術は専門外だ、わかるわけがない」

 「うっそぉ!?」

 アイリスとミユキが同時に驚いた。

つくづくこいつらの感情がシンクロする頻度には、驚くのを通り越して呆れてしまう。前世は双子だったんじゃなかろうな?

 「それじゃなに、よくわかりもしないまま娘さんをお預かりしますって安請け合いしちゃったの?」

 「オテさ〜ん、いくらなんでもそれは後々問題だよ〜」

 いつもなら無視しておいても実害はないが、狭い車の中ではしゃぎまくったら危なくてしょうがない。

 「ええい、ごちゃごちゃ言うな。じゃあ他にどういう手があったっていうんだよ」

 「う…」

 いっぺんに返答に詰まる2人。

 そうなのだ。

 実は、俺としても苦肉の策ではあったのだ。

リーの話ではすぐに行動しないとゴージャス男がどういう行動にでるか見当もつかないし、他のスタッフに頼もうにも、明らかに人員不足である。

 当初の予定であった超小型カメラは時間的に手遅れだった。

結局のところ、俺たちはルリの申し出を甘んじて受け入れるしかなかったのだ。

 「それに、彼女は何日も留守にするほど、道術の修行を積んできたと言ってただろう。その腕前を信じてもいいんじゃないか?」

 「で、でも、もしルリの力が足りなくて道がわからなかったときはどうするの?」

 「…そのときは超小型カメラが届くのを待つまでだ。
造魔の持ち主に会うのは遅れるが、ゴージャス男にこちらの動きを見せつけることで、ヤツの計画を牽制するくらいはできただろうからな」

 ゴージャス男の実力は未だに未知数なところがあるが、俺はなんとなく傾向が見え隠れするところまで把握できたと思っている。

 今俺たちが洞窟に向かっていることも、多分ヤツには筒抜けだろう。だがそれこそ、こちらに眼を向けさせるための作戦でもある。

 こちらが変な動きをしていると見れば、いかに自信過剰なゴージャス男であろうと、気になるだろうから。

 …考えてみれば、ヤツの力には妙にちぐはぐなばらつきがあるが、情報収集と召喚能力だけが桁外れに突出しているのではないだろうか。

 ヤツの前では隠し事はほとんどバレているし、俺の仲魔であったジャックランタンを操った。

 宙に浮いたり日本語を操ったりしているが、その程度なら召喚した悪魔にやらせることもできる。

 しかし、一旦戦闘になったときの行動は素人のままだ。大軍を召喚してもまるで指揮できないし、戦局の有利不利も把握できてない。

 ゴージャス男本人が戦ったことはないから断言できないが、おそらく、ヤツ自身はまったく戦った経験がないのではなかろうか。

 動き方ももっさりしているし、服の上からでもわかるあの体つきでは、運動神経は凡人以下だろう。

当然、戦闘に巻き込まれたらひとたまりもない。

 これは、一体何を意味するものなのだろうか…。

 普通に考えれば、そんな偏った能力というのは、そもそも身につくことはありえない。

 修行で力を身につけようと努力すれば、他の方面へも必ず影響がでるから、多少なりとも心身ともに成長が見られるものだ。

 それが、ヤツにはまるでない。

 あの、ガキ大将のような身勝手な考え方は、過酷な鍛錬の果てに力を身につけたものとはとうてい思えない。

 これが、ゴージャス男に初めて会ったときからずっと感じている違和感だ。

 ヤツのことがよくわからないうちは、手始めに召喚に使っている本を調べて情報を集めれば攻略できると思っていたが、
実はこの違和感こそがカギを握っているんじゃないだろうか…。

 そのとき、急に車が停止した。

 「着いたわよ」

 ルリの声である。いつの間にか目的地に到着していたようだ。

 外を見れば、確かに鍾乳洞がいくつか口を開いている。

 「…おお、もう着いたのか?」

 東鳳風破がどこか気の抜けた声を出して、起き上がってきた。

 いつもハイテンションな彼には珍しいが、出発する直前に、王大人が傷薬だといって渡された丸薬を飲んでいたからな。

それに、麻酔効果のあるものが調合されていたのだろう。

 中国に来た最初の日、リーに飲まされたものもそうだった。

確かによく眠ればそれだけ体力の回復も早い。

そうやって代謝能力を高めて傷を治す…これも王大人のモットーだろうか。

 「おじちゃん、大丈夫?」

 「おお、歩き出せば身体も目が醒めてくるからな、道中の不安はないぞよ」

 そう言いながら、彼は懐に何か本のようなものをしまいこんだ。

 「ん…それ、何ですか?」

 妙に気になって、本人に聞いてみる。東鳳風破は、一旦はしまったそれを、再び取り出した。

 「これか?ワシがここまで戦ってきた記録を記したものじゃ。いわば、ワシなりの日記じゃよ」

 そう言って見せてくれたのはいいが…それは、少しくたびれた大学ノートだった。

何より表紙に毛筆のぶっとい字で書きなぐってあるタイトルが破壊力抜群だ。

 「なんだこりゃ…東鳳見聞録!?」

 「がっはっは、昔そんな本があったと聞いて、ワシも何か書いてみたくなってのう」

 あんた、それってマルコ・ポーロの書いた東方見聞録のことを言ってるんだろうが…

あれだけの文献と自分の戦闘記録を同列で比較するつもりか!?

 どうもこの中年、世界的な文化遺産に対する認識が異常に甘いんじゃなかろうか。

 昨日の朝は白澤図を敵が使っているからという理由だけであっさり焼き捨てればいいなんて言ってたし、
今回もこんなことを言い出すし…。

 「どうじゃ、少し読んでみるか?」

 と言ってくれたものの、中身を想像するだけで目眩がしてくる。

 何月何日、モンゴルで猛牛を退治したとか、何月何日、山形で熊をやっつけたとか、
そういう武勇伝らしきものがつらづらと書かれてあるのは明白だ。

 「いや、結構」

 あまりの目眩の酷さに、つい頭に手をやったまま即答してしまった。

 「ふむ、残念」

 向こうはそれを特に無礼とも思わず、あっさりと引っ込めてくれた。

 一方、ルリはここからが本領とばかりに自分の荷物をあさりだした。

何か道具でも引っ張り出してくるつもりだろう。

 「さて、と。修行の成果を発揮するときが来たわね〜」

 ずいぶんな気合の入り方だ。

それに取り出したのは、八角形の黒い板に幾何学模様が描かれたものと、何十枚、いや百枚近くありそうなお札の束だった。

 八角形の板の方は、俺にもわかる。

中国映画なんかでよく見る、方向や目的地を探し出すものだ。

お札も昔の怪奇映画で見たようなものだが、こっちは何に使うんだ?

 「ちょっと道術とは毛色が違うんだけどね」

 そう言いながらルリは洗面器に水を張って、器用に黒い板を浮かべた。

 「本来なら奇門遁甲術で使うものなんだけど、…出た」

 彼女はそう言いながら1人で納得しているが、横で見ていても特に変化はなかったように見えた。

一体何がわかったというんだろうか?

 ちらっと他の連中の様子を見てみたが、皆俺と同じくきょとんとした顔つきをしている。

 全員、何が起きているのか理解できてないのは間違いない。

 ややあって、よしっ、と立ち上がった彼女は、俺たちの方を振り向いて初めて不審そうな表情になった。

 「ど、どうしたのよ、みんなしてそんな顔して…」

 「どうしたも何も、独り言だけで全部解決したように言われても、あたしたちには何が何やらさっぱりわかんないもん」

 アイリスがぷーっと膨れっ面になりながら言った。

 そこで初めてルリは、ろくに説明もしてなかったことに気づいたようだ。

 「あ…到着するまでは説明がややこしくなるって言ってはしょってしまったんだった。
ごめんなさ〜い、じゃあ簡単に説明しとくわね」

 そう言いながら、今まで洗面器に浮かべていた黒い板を手にとって俺たちに見せた。

 …誠意は認めるが、年齢に合わないから、「てへっ」とか言ってはにかむのは止めてくれ。だいたい

そんなところまで日本人と同じことする必要があるのか?

 「これは遁甲板。これからのあたしたちの進むべき道を指し示してくれる板なの。
道術で使うことはあまりないんだけど、奇門遁甲術をちょっとだけかじったことがあるから、
手っ取り早く距離と方向を把握するために使ってみたの」

 「ふ〜ん」

 「で、こっちが道術の本命なんだけど」

 そう言って次に見せてくれたのは、さっきの百枚近く束にしたお札だ。

 「ぶっちゃけたことを言ってしまえば、これを目印として貼り付けていくのよ。
分かれ道に来たら、これを入らない方の洞窟に貼り付ける」

 え…何か、おかしくないか?

 「む?目印なら、入っていく方の洞窟に貼り付けるのが普通ではないのか?
その方がお札も少ない枚数で済むし、そもそもお札を使う必要もなかろう」

 東鳳風破の疑問はもっともだ。

 それに対して、ルリはにこっと笑った。そう反論されるのは予想済みとでもいうように。

 「これ、あたしの特製のお札なのよ。みんな、この入り口の前にきて、ちょっと眼をつぶってて」

 彼女はそう言って、俺たちを洞窟の入り口の一つまで連れてきた。

 全員が、ルリの言った通り目を閉じる。と、すぐに彼女の声がした。

 「…はい、目を開けていいわ」

 「あ、あれれ!?」

 言われるままに目を開けて、皆が一斉に驚いた。

 たった今まで大きく口を開いていた入り口が、影も形もないのだ!

 自分の目が信じられないとばかりにミユキと東鳳風破が壁を叩いて調べているが、
入り口があったはずの場所にあるのは紛れもない岩肌のようだ。

 「ルリ、これは一体!?」

 「うん、これがさっきのお札の効果。上の方を見て」

 「あ、あれは…」

 彼女が指差した、頭上より少し上のあたりに、お札が貼られている。

 「あ、きゃああっ!」

 唐突にミユキが悲鳴をあげた。

 「え!?」

 反射的に悲鳴の聞こえた方を見た俺は、信じがたい光景を目にした。

 まだ壁に手を当てて調べていたミユキが、頭から壁に飛び込んだのを目撃したのだ。

 「みゆ…なんとっ!?」

 彼女が壁に飲み込まれたのを見て、とっさに飛びついた東鳳風破も、壁にめり込んでしまった。

 いったい、ルリはこの壁にどんな細工をしたというんだ!?

 「ありゃま…」

 ルリは一人で、やっちまったか〜などとぶつぶつ呟きながら、手首をくいっと捻った。

 と、壁に貼られていたお札がぱっと離れ、彼女の手に戻ってくる。

 すると、岩肌がたちどころに消え去り、洞窟の入り口が元通りに姿を現した。

そこには、瞳をいっぱいに見開いて顔を引きつらせたミユキと東鳳風破がしりもちをついていた。

 「大丈夫か、2人とも!」

 怪我をしたわけではないようだが、かなりのショック状態だと見た俺は、2人に駆け寄った。

 「び、びっくりした…お札が貼ってあるんだ、と思った途端、壁の手ごたえがなくなって…
地面に転がって、どうしたんだろと思って周りを見たら真っ暗になってて…」

 「おい、もう心配ないから、落ち着け」

 「何が起きたのか全然わかんなくて、叫ぼうとしたら東鳳さんの声が突然聞こえてきて、
そしたらそこが明るくなって…、ああもう、こんなに慌てたのって久しぶりよ」

 喋っているうちに落ち着きを取り戻したのか、瞳の焦点が徐々に定まってきた。

 一方、東鳳風破も首を振りつつ入り口の方に戻ってきた。

 「何がどうなっとるんだか、まるでわからん。そのお札の効き目というくらいはわかるが、どういうカラクリじゃこれは」

 その言葉に、ルリがゆっくりと応えた。

 「実際に効果を確かめてもらうのが一番いいと思って実演してみたんだけど…
このお札は、あたしが作った特別製で、幻惑の札って名づけたの」

 「…」

 誰も口を挟まない。納得のいく説明が聞けるまでは皆引き下がることはないだろう。

 「これを貼ったら、さっきのようにそこには入れないって錯覚してしまうの。

お札の存在に気づかない限り、頭の中でここは本物の壁なんだって思い込んでしまうから、
入り口に壁が見えたりするし、そこを叩いてもまったくわからない」

 「そうか、だからお札を見た途端に効力が切れて…」

 「そんな感じ。お札に気がついても視覚だけは影響が残るけど、すり抜けることはできるわ」

 「…して、お主はどうしてこんなお札を目印に使うのだ?」

 「この中には護衛がわんさかいるからよ。
あたしたちが自分たちの通った道以外のルートをこのお札で塞いでいけば、
脇道から護衛にどんどん襲われるという心配はなくなるわ。
それに帰り道だって、あたしたちが通ったルート以外は塞がれている、
つまり一本道になっているわけだから、目印をさがして余計な時間をかけないで済むのよ」

 「なるほど…!」

 言われてみれば、確かにうまい方法である。

 今までは王大人飯店を守るだけの戦いだったから帰り道の心配をする必要はなかったが、
今回は造魔を受け取って王大人飯店に戻らなければならない。

 護衛の守る洞窟に乗り込んでいくのだから戦闘は避けて通れないだろうから準備は万端にしてあるが、帰りはそうはいかない。

 消耗した状態で、同じ道のりを戻らなければならないのだ。

 当然、危険度は何倍にもはね上がる。

ところが、今の説明からいくと、単純に帰り道の時間が短縮されるに留まらない。

 ルリの目論見が当たれば、行きで通り道の護衛を叩いておけば、
脇道からの増援はないわけだから、帰り道の安全が保障されることになるのだ。

 無論、そんなに全てがうまくいくはずはないが、元々は帰り道のことも考えて準備をしてきてあるのだから、
例え失敗しても新たなリスクを背負い込むことはない。

 ならば、実行あるのみだ。

 「ミユキ姉、この人日本にスカウトしない?」

 「そうよね〜、王大人の娘でなかったら迷わず即決、なんだけどね」

 同じくこのプランの有効性に気づいたアイリスとミユキなどは、こんなことを言い出してるし。

 「えらいものをこしらえたものじゃのう、さすがは王の娘じゃな!!」

 東鳳風破などはルリの背中をばしばし叩いて誉めている。

 「決まりだな。ではルリ、道中よろしく頼むぞ」

 「げほ、げほ…りょ、了解」

 息を詰まらせ、涙目になりながらも、ルリはびしりと敬礼した。

なぜそうなったのかは、言うまでもないだろう。

 「何を泣いておる、出発くらい景気良くいかんか」

 …彼女を泣かせた張本人がこれでは、諭しても効果がないが。

 「じゃあ、俺が明かりを」

 そう言ってCOMPのソケットにマグライトを繋ごうとしたら、ミユキが不安そうな顔をした。

 「オテさん、コンピュータの電源を使って、大丈夫なの?いざって時に仲魔を呼び出せなかったら…」

 「大丈夫だ、ライトを照らす程度ならそんなにマグネタイトを無駄遣いするわけじゃない。
…ルリ、そんなに遠くじゃないんだろ?」

 「そうねー、ここから東にだいたい400メートルってところね」

 ルリの答えにアイリスが能天気な反応を示す。

 「なんだ、そんなに近いの?歩いて10分もあれば着くじゃない」

 「洞窟を甘く見るな」

 すかざず、東鳳風破の叱咤が飛んだ。

 「足場が濡れてるから滑って歩きにくいし、そもそも地面が平坦ではないぞよ。
当然、道も曲がりくねっておるし、這わねばならぬほど狭い場所だってあろうからのう、
普通に歩く時の10倍の時間は最低でも予測しておらねばいかんぞ」

 「…ってことは、1時間。じゃないな、2時間はかかるの〜?」

 「そんなところだな」

 俺は短く相槌を打って、作業を続ける。

 COMPの電源は、悪魔の身体を形作る生態マグネタイトを応用したものだ。

これをマグライトに繋ぎかえれば、1000時間以上点灯する光源としても利用可能だ。

 本来ならば全員が探索用のヘルメットでもかぶって、ヘッドライトをつけるべきなんだろうが、
ミユキも東鳳風破も頭に余分なものをつけるのを嫌がった。

 戦闘が予想されるときに、そんなものをかぶっていては戦えないというのだ。

しかたなく、いつものヘアバンドと弁髪というスタイルになった。

 それに、ヘッドライトは慣れないと酔うこともあるという。

照らす方向を変えるときは目だけではなく、頭全体を動かさなければならないからだ。

 当たり前のことだが、とっさの場合には意外とできないものだ。

まして、戦闘中にそんなことに気を回している余裕はないだろう。

 かくして、先頭に道案内のルリと護衛のミユキ、次に照明を引き受ける俺と前後のサポートを同時に行なえるからという理由で
アイリス、最後尾を東鳳風破が押さえるという隊列になった。

 本格的な鍾乳洞の探索ならば、ピッケルやロープなどが最低でも必要だし、
到底俺たちが用意した程度の装備で中に入ることはできないのだが、なにせ奥に人が住んでいるのだ。

 外界との出入りがあってしかるべきだし、そうなると普段通るところくらいは手入れされているはずである。

でなければ、不便でしょうがないだろうからだ。

 通過する者にとって不利になるとすれば、せいぜい、侵入者を防ぐ目的で罠や護衛を配置するくらいのものだろう。

こうなると、もうトレジャーハンターの迷宮探索と変わらない。

 「さあ、そろそろ行きましょう」

 ルリの合図と共に、俺たちは鍾乳洞に足を踏み入れた。

 この中に入ったなら、なんとしても結果を出さなければならない。

 ここに来た目的は、造魔を受け取るだけではないのだ。王大人の汚名を注ぎ、誤解を解かねばならない。

加えて、今は怪我人まで抱えている。

 一人ひとりが自分の身を守るだけではない、誰かの命運を握るという重圧を、このとき誰もがひしひしと感じていた。

 

(つづく・・・)